<ファイル19>
風の愛撫に、さらりと解ける髪。
夜の静かな吐息が、その髪をふわふわと撫でている。
いつも、この顔を下から見上げていたけれど。
今夜の彼女は……うん。
凄く近いから、印象が違う。
何と言うか、えらい美人なのは変わらないのだが。
ちょっと、ちょっとだけ……、凛々しい。
気がする。
ふと、私を抱く腕を見る。
力強く、あくまで優しく、私を包んでいる。
私の左半身を護るように、しっかりと引き寄せて。
軽々と運ばれている。
さくさくと、土を踏む音。
それに虫たちの控えめな声が加わる。
ここは病院の裏手の森。
この先には、私たちの宿舎がある。
夜空に丸く輝く月が、私たちを照らしている。
私の頬には、胸が。
圧倒的に大きく、柔らかな胸がある。
歩くたびに、ゆさゆさと揺れる胸。
――見てると酔いそうだ。
地味な色のタンクトップを、はち切れんばかりに押し上げている巨大な二つの丸い物体。
これがクッションになったから助かったのだろうか。
馬鹿な事を考えた。
暖かいな……。ちくしょう。
いやいや、待て私。惑わされるな。これは罠だ。
第一……。
「誰かに見られたら、どうするんだよ……」
「こんな時間に誰が居るってんだよ」
「どこに向かってる?」
「あたしの部屋。知ってるか? ガソリン入れねーと車は動かないんだぜ?」
酒の事だ。
お前という奴は……。
部屋に酒を持ち込むなど、厳罰ものの重罪だ。
普段の私なら絶対に許さない。
許さないのだが……。
「……銘柄は?」
銘柄はじゃなーい!!
何を訊いてるんだ私は。
「ん~、なんか良く分からんから、お前に見てもらおうと思って」
「言っておくが、そうした行為は絶対に……」
「何の話だ? あたしが言ってるのはガソリンだぜ?」
そしてまた、ニヤリと笑う。
まったく。
神はどうしてこのゲスな女に、これほど完璧な美貌を与えてしまったのだろう。
それと、この胸だ。
何だこの暴力的な物体は。
ぴんと張りながら、どこまでも柔らかな、温かい水風船のようなそれ。
あ~、分かった分かった。ちゃんと書くよもう。
正直、私は圧倒された。
手に余る、という言葉があるが……。
私の手の大きさなら、片方の胸に両手を使わないとたぶん支えきれないだろう。
そんなモノが目の前で、ゆっさゆっさと揺れまくっているのだ。
我々は、確かに三次元に生きている。
そして大きいだけではない。
驚いたのはその形だ。
ほとんど垂れていない。
ちゃんと張っている。
かと言って、シリコン注入したような不自然さが微塵もない。
これほどまでに大きいのに、しっかりと重力に逆らっている。
きっと彼女の全身を支える、常人以上の筋肉がそれを可能にしているのだろう。
痩せて胸だけ大きい訳でも、太っていて胸まで大きい訳でもない。
この巨大な胸を支える肥沃な土壌があるのだ。
頭の中で、理想の「爆乳」というモノを想像して。
目を開けば、そこに想像した通りの――。
いや、想像を超える実物がある。
そんなバストである。
ボタン押したら発射しそうだ。
ほら、ちゃんと書いたからな?
とっとと続けるぞ。
やがて私たちは、宿舎の前まで来た。
正面からは灯かりが漏れ、中から隊員たちの陽気な声が聞こえて来る。
入ってすぐに歓談室があるのだ。
恐らくはジャガーノートの面々が、カードでもしながら酒を飲んでいるのだろう。
普段のレガリスなら、私を放り出してでもその輪に加わる所だが……。
彼女が目で訊いて来る。どうする? と。
どうするも何も……。こんな所を見られる訳には行かないだろう。
彼女は納得したようにくすりと笑い、そっとその場を過ぎた。
宿舎の裏手が見えて来た。
裏手のドアをゆっくりと開け、足音を殺しながら階段を登る。
私は小声で尋ねてみた。――重くないか?
彼女は微笑み、軽く首を振る。
そして私の体を踊り場で軽々とリフトアップして――馬鹿バカやめれっ!!
……まったく、この体力お化けは。
その高い鼻を指でピンと弾いてやる。
彼女はいたずらっぽく笑って、額にキスを……させるか馬鹿者!!
今度は鼻をつまんでやった。
「ふがふが」
「言っておくが、ただ話をするだけだぞ? ……何もするなよ?」
「いや、する」
「離せーっ!!」
「誰かに聞かれるぞ?」
「く……っ。この……」
「お前と、気持ちイイ事がしたい」
「絶対に断る!」
「無理やりはしない。本気で好きな相手はレイプ出来ない。未来がなくなるから」
「…………」
真剣だ。
彼女は、セックスに関して嘘はつかない。絶対に。
だからまあ、ここは信じても良い……のか本当に?
整理してみる。
今から行くのは彼女の部屋、つまり巣だ。
私は怪我人だ。
終了。
終了、じゃなくて。
私が五体満足で帰れる可能性を考える。
それには「今の彼女の言葉」が真実であり、また「本気で好き」というのが真実である必要がある。
確かめる術はないが、検証は出来る。
……彼女の過去における言動と行動から、恐らくこれは嘘ではない。と思う。
ならば、ここで問題となるのはただ一つ。
私が彼女を、信用するかどうかである。
「……信用していいんだな?」
「うん」
「信用するぞ?」
「ああ」
「もし裏切ったら、私はたぶん……」
彼女は、珍しい動物でも見るかのような目で私を見た。
「そらキスくらいしたいし、乳くらい揉みてーし、出来るなら最後までヤッちまいてーよ。ただお前は知らんだろーけど、セックスってのは一人じゃ出来ねーんだ」
「知っとるわ!」
「だから好きな相手の嫌がる事はしない。まぁ話してるうちに心変わりしたら、その時は言え。優しくするから」
「しない……。しないぞ……」
「お前はそれでいい」
十三階段を上る気持ちを今なら理解できる。
が、しかし。
何だろう、何と言うか。
人類史上最も凶悪な助平の部屋に運ばれている最中なのに、何故だか私は。
その……安心している、と言うか。
この状況においても、やけに冷静な彼女の声を聞いて。
そう。信用している私がいる。
この時は分からなかったが、思い当たる事がある。
私はたぶん……。感謝していたのだろう。
孤独な夜を救ってくれた彼女に対して。
本気で嫌なら、大声でも上げればいい。誰かしらに発見されればそこで終わる。
私はそれをしなかった。
それは諦めたからではなく、腹をくくった訳でもなく。
本気で嫌ではなかったから。
私自身も、彼女との夜を……続けたかった。
終わらせたくなかったのだ。
やがて、彼女の部屋の前まで来た。
……が、彼女も私も限界なので、先にトイレに行った。
そこは生理現象だ、仕方がない。
「いやあ、おしっこ飲んだらビールが近くなるぜ」
「何言ってんだお前」
彼女が便座に座らせてくれる。
いつまでも去ろうとしないので、動く方の足で蹴った。
ひとまず、出すものは、出して。
いそいそと下着を穿く……。
「……パンツ交換しようか?」
「するか馬鹿」
ただ、このままだと立ち上がれない。
仕方がないので、狭い個室にデカい彼女を招き入れる。
「よ~しよし、ほれ抱っこ」
「手を洗え!!」
……という訳で、今度こそ彼女の部屋の前。
お姫様抱っこされたまま、ここまで来た。
ここは彼女の城だ。
レガリス・マクルーア軍曹のプライベートな場所。
何度もこの前を通り過ぎて来たけれど、中に入るのは久しぶりだ。
あの夜。浮かれた新顔の鼻っ柱を叩き折った、彼女の歓迎会以来だ。
あの日は彼女が赴任したばかりだったから、中の様子は寂しいものだった。
今はどうだろう。
レガリスの事だ、もしかしたらゴミ屋敷かも。
まあ、それはそれで構わん。
部屋をゴミ屋敷にしてはいけない、などという軍規は存在しない。
「お姫様、ようこそ我が城へ。……つきましては、あなたが扉を」
「何だそれは。ただ両手が塞がってるだけじゃないか」
「待った待った。魔法の呪文がいるんだよ」
「マホウのジュモン??」
「あたしの耳に、愛の言葉を囁くんだ」
「ひらけ、ごま」
「そうじゃねーよ!」
「大声出すと聞かれるぞ?」
「このやろー」
私がノブに手を伸ばすと、彼女の大きな手がそれを包んだ。
おいおい、自分で開けられるじゃないか。
まあいい。二人で開けるか。
一、二の、三……。
………………。
ああ、ここが――。彼女の部屋か。
レガリス・マクルーア軍曹の、プライベートな空間なのだ。
うん。まあ、散らかっている。
と言うか、えらくコマゴマとした物に溢れた部屋だ。
壁には雑多なポスター類が貼られている。
古い映画スター、ロックミュージシャン、野球や格闘技の選手、漫画の女の子、その他その他。
それらに混じって、ごく普通の風景写真や観光地のタペストリー、ダーツのボード、色紙の寄せ書きなどがある。
彼女自身の写真もあった。
部下たちと肩を抱き合って笑っている集合写真や、ここに来る前の部隊での写真。
私と共に写っている写真もある。彼女がここに来たばかりの頃のものだ。
そう言えば、私も同じものを持っていた。
私が「数ある写真の一枚」としてアルバムにしまった写真を、彼女はこうして見える所に貼っていた。
まあ……悪い気はしないな。うん。
雑誌の切り抜きも多々あった。
成人雑誌のグラビアかと思ったら、彼女自身の水着の写真だったり。
すべての壁にそれらが雑多に貼り付けてある。
何と言うか、奇妙な一体感と言うか。
これはこれで、ある種のセンスを感じた。
「半分は貰い物だな。あとは適当に気に入った奴。あたし、捨てるってのが出来ないんだよ」
そこは良く分かる。
ワードローブや棚の類にも、彼女らしさを感じる。
壁際には、未開封の段ボール箱が雑多に積み重ねられている。
そのうち一つは厳重に封印されていた。
むむ、怪しい。
もしや禁制品か。それとも、幼き日々のアルバムか何かか。
……まあ、見逃しても良かろう。ずっと開けられた形跡がないからな。
つい、上官としての目で見てしまった。
生活指導はひとまず措こう。
改めて部屋を見渡す。
菓子のおまけのシールが貼ってあったり、昔流行したアニメ作品のマスコットが置かれていたり。
これらの一つ一つが、彼女を形作る歴史の一つ一つであるのだろう。
そして、微かな部屋の――残り香が、私を出迎える。
彼女の香り。
芳香剤で誤魔化すでもなく、過敏に消臭するでもない。
けれど、換気だけは自然の風に任せて行っている。
ここには、そんな彼女の香りがごく僅かに残されている。
部屋の奥にはベッドがある。
恐らくは起きた時のまま、無造作にしわを作る毛布がある。
凹みの残った枕が。
その脇に音楽プレイヤーが転がり、ベッドの枠にイヤホンが垂れ下がっている。
ここが。
この場所が、彼女の眠りを護る場所である。
今から私は、この場所を知るのだ。
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