<ファイル5>

 ただし彼女も、誰彼構わず手当たり次第に行為をしている訳ではない、と言う。

 既婚者や恋人が居る者には手を出さない。

 それは常識からすると当たり前なのだが、要するに彼女はただのビッチではないのである。

 当然、誘われても断る。

 されど自分から誘うのは好きらしい。


 例えば、バーで初見の相手と話す。

 互いの話が弾めばアドレスくらいは交換するだろう。

 彼女はそれに加え、一足飛びにベッドの中まで進んでしまうのが問題なのだ。


 しかし、自分が誘われる方は状況次第と言う。

 セックス自体はこの上なく好きだし、この世で自分とセックスしていない人間を根絶したいとさえ言ってのけるが、相手から誘ってきた場合には考える。

 そのセックスの意味を、である。


 彼女にとってのセックスは、互いの溝を埋めるためのコミュニケーションと書いた。

 それが事実なら、ただの快楽のため「だけ」のセックスは、明確にこの定義から外れてしまう。

 心の溝を埋め立てた後の相手となら、自由に行き来ができるから。

 彼女はセックスを通じてコミュニケーションをするが、セックスでしかコミュニケーションができない訳では断じてないのだ。


 だから、必要のない相手とは、しない。

 そういう考えを持っている。

 この事は、一度でも彼女と肌を合わせた者なら、何となく想像が付くのだろう。

 その証拠に、彼女の体に溺れてまとわり付くような者は居ない。


 あ~、私との関係はその、また別のものである。

 何と言うかあの、確かな信頼で結ばれてはいるのだが、体の関係とかそういうアレでは断じてない。

 断じてない。

 本気で本当だ。ええい、何度言えば分かるのだ。

 色々とその、口に出しては言えないようなあの、そういう事がなかった訳ではないのだが……。

 うるさい。次。


 たぶん一生分の「セックス」という単語を書いた。

 これからまだまだ書く事になりそうだ。

 正直、とっとと筆を置いて、早く眠ってしまいたい。

 本当だ。私は眠いのだ。

 早くお前に会いたいとか、そういうアレではないのだ絶対に。

 だけど頑張る。私、絶対に勝つからな。


 上記のような理由があるから、彼女は特定の誰かと長期間に亘って付き合う、という事はしない。

 相手もそれを分かっている。

 多少の例外はあれど、それは彼女がここに来た当初から続いている。

 そして彼女は、誰かと体の付き合いがある場合、同時に他の誰かと付き合う様な事もしない。

 その点、彼女ははっきりとしている。

 彼女は正直ビッチだが、単なるビッチという訳ではない。


 それでも時おり、この法則が崩れる事がある。

 私の知っている話では、他部隊のモリスという名の大男と、新兵の神田橋という名の青年の二人と、短いながらも同時期に付き合っていた事があった。


 確かモリスとは、ダーツの勝負で負けたから付き合ってやったそうだ(そんな事で股を開くな!)。

 そして神田橋とは、彼が周囲の空気に馴染めず一人ぼっちだった所に手を差し伸べた、という事らしい。


 最初に神田橋には伝えたようだ。

 自分は誰とでも寝るビッチで、実際今はモリスと付き合っている。

 それでも良けりゃ、おいで。

 ひと晩だけお前の女になってやるよ。


 ……これで断れる男が居たらホモである。

 さすがは好きな食べ物に「童貞」と答える女である。

 そして彼女自身にも意外だったのは、神田橋との付き合いが「ひと晩では終わらなかった事」だった。


 その理由を彼女はこう話す。

 なんか放っておけなくてさ。あいつ、あたしが居ないと消えちまうような気がしてさ。

 きっと昔、何かあったんだよ。間違いねーよ。

 だけど最近のあいつ、変わったように感じないか? 少しずつだけど、自分から話す様になったじゃん。

 もうじきセックスは卒業だな。

 はぁ~、勿体ねーなぁ……。


 この期に及んで何を言うかこのクソビッチが。

 しかし、彼女の推理は当たっていた。

 この神田橋という青年は、シングルマザーであった母の過干渉から逃げ出す形でここに来た。

 言葉での暴力に加え、性的な虐待を受けるに至って、ついに反旗を翻した。

 母親の顔を、形が変わるまで殴り続けたのだ。


 その時、彼は射精していた。

 人生初の射精だった。

 それまで尿の排泄以外にまったく機能していなかった彼の性器が、凶暴なまでに反り返っていた。

 そして己に内在する暴力への渇望、異常な性の発露、母親を半殺しの目に遭わせてしまった後悔。

 それらが相まって、彼の心は深く閉ざされてしまったのだった。


 それをレガリスが解いた。

 暴力的なセックスで、ではない。

 彼の記憶の中にだけ居る優しい母のように、彼自身を優しく包んだ。

 何も指図しなかった。あるがままの彼を受け入れた。

 若き律動がレガリスの温かな泉の奥で果て、すべてを吐き出すまで、ゆっくりと待った。

 そして彼を抱きしめた。柔らかく、優しく抱いた。


 彼は母の許へ帰って来た。

 その事で、彼は母から立ち上がる事ができたのだった。


 「本当の事、言うとさ……」


 レガリスが、照れくさそうに言う。

 この女が照れるなど極めてレアだ。

 録音しておけば良かった。


 「すげー良かったんだよ。セックスが! 特別な事何にもしてねーのに、目茶くちゃイカされちまったよ。あれは新鮮だったな~。童貞の癖に、このレガリス様をイカせるなんてよ!」


 録音しないで良かった。


 「そりゃモリスの方が全然セックス上手かったよ。モノもデッケェしな。だけど、どっちが良かったかって訊かれりゃ断然あの小僧だね。……何でだろ?」


 ――知るか。

 ともかく、セックスに関して仏陀のように悟りを開いたこの女でも、分からない事はあるものだ。

 それだけ奥が深いのだろう。


 例えば「童貞」という存在に対し、彼女は独特な価値観を持っている。

 およそあらゆる性行為を愛する彼女だが、童貞とのそれに関しては、何やら色々と思う所があるらしい。


 あたしみたいなビッチを初めてに選んでくれた以上は、さ。

 精一杯の返礼をしたいじゃねーか。

 たださ。素直に甘えてくれりゃいいのに、変なプライドが邪魔してセックスを楽しめない奴が結構居るんだ。

 頭で考えてセックスしてんじゃねーよ! ってな。

 背伸びした所で、どうせあたしの方がデカいんだからさ。

 やっぱ素直が一番だよ。


 まあ、背伸びしたい気持ちは分かるよ?

 でもさ、例えば「どうして欲しい?」なんてセリフは、自分よりも経験の少ない相手にしか通用しない言葉なんだよ。

 そういう子のために取っておけよ。

 たぶん、何か話さなきゃ間が持たねーとか思っちゃうんだろうさ。

 いいんだよ。動物になっちまえってんだ。

 こちとらケツの穴まで全部お前のモノなんだぜ?

 だから好きにすりゃいいのさ。


 あたしを気持ち良くさせようとして、ガムシャラに頑張っちゃうんだよな。

 そういうの、結構好きだぜ。

 痛い時もあるけどな。

 でもさ、必死に「あたしが気持ちいいかどうか」なんて、別に訊かなくてもいいんだよ。

 あたしはお前に気持ち良くなって欲しいんだよ。

 だから、そうじゃなくて、「自分が気持ちいい」って事を伝えてくれよ。

 それが一番嬉しいんだから、さ。


 年がら年中ヤリたがってる童貞は可愛いよな。

 でもあたしは、そこまで直情的になれないムッツリの方が好きだな。

 いいんだ、話の輪に入れなくても。

 いつも一人でポツンとしてても。

 人の目を見て話せなくても、さ。

 お前がスケベな事は知ってるよ。

 あたしは見てるんだ。ちゃ~んと見てるんだよ、そういうお前の事をさ。

 そういう子があたしは好きなんだ。


 ヤリたがりの童貞は、放っといたってそのうちセックスできるもんさ。

 そうじゃない子もたくさん居る。

 「怖がり」なんだよ。

 そういう子の手を取ってさ。あたしと一緒に扉を開けてくれりゃ……。最高じゃん?

 嬉しいんだよ。あたしはさ。

 喜んであたしは踏み台になるよ。


 その時だけはお前が一番。

 世界で一番だ。

 他の奴なんて知らねーよ。あたしはお前の事だけを考える。

 お前を愛してるんだ。

 本気でお前を愛してるんだよ。

 あたしの知ってる全部を、お前のためだけに使いたいんだ。


 いくらでも甘えてくれ。

 激しくしてもいい。

 むしろ激しくしろ。

 あ~激しいの大好きだ。

 もちろん優しいのも大好きだ。

 要はセックス大好きだ。

 「お前とのセックス」が大好きなんだよ。


 いっぱい……、しような?

 あと、ちょっとだけあたしにも甘えさせろ(笑)。

 ちょっとでいいから。……いいじゃねーかそれくらい。

 お前、もう……大人なんだから、さ。


 あ~、やっぱ童貞ってイイよな……。


 ――知るか。

 まるで頭の中にヒマワリでも生えているかのような言葉だが、彼女にとっての童貞とは、つまりこういうモノであるらしい。

 正直言ってさっぱり分からない。

 ともあれ、そのポリシーだけは理解した。

 だから私の部隊をこれ以上掻き回さないでくれ。


 モリスは今でも陽気に酒を飲みながら、レガリスと楽しく尻を撫で合っている。

 まあ、この程度なら私も譲歩する。

 街で素敵なダンサーの娘を見付け、この秋には結婚するそうだ。

 そして神田橋は、装備課で欠く事のできない人材として頭角を現している。

 何やら難しい試験に次々と挑戦するという、上官としては非常に嬉しい趣味も得た。


 この二人はあまり顔を合わせる事はないが、会えばまるで親子のように親しく話しているという。

 実は親子でなくて兄弟なのだが、仲が良いのは結構な事だ。


 レガリスは、その体で絆を紡いでいる。

 その事に異議はない。

 出来ればもう少し控えめにやって欲しいものだが、あまりうるさく言うと嫌われてしまうかな。

 いや、今ではもう、それを言う必要もなくなってしまったんだった。

 その事は、あ~、後で書く。


 なぜだろう。顔が熱い。

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