<ファイル10>

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  「たいへんだ、 たいへんだ!」


  とりたちは おおさわぎ。

  にじいろインコが にんげんに つかまって しまったのです。


  「はやく たすけて あげなくちゃ。」

  「でも きっと、 ぼくたちも つかまっちゃうよ。」

  「ああ どうしよう どうしよう。」


  そこで まっくろカラスは いいました。


  「ぼくが たすけに いくよ。」


  みんなは びっくりして まっくろカラスを みました。


  「ぼくの はねは まっくろ だから、 きっと めだたない。」

  「それに、 もし みつかっても ぼくは カラスだ。」

  「みっともなくて、 みすぼらしい まっくろカラスだ。」

  「にんげんたちも ぼくなんか しらんかおさ。」


  「だから ぼくが にじいろインコを たすけるんだ。」


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 ……気を取り直して。

 まだまだあるのだ。

 書いておきたい話が。


 初めて彼女を抱きしめた時。

 そして、初めて彼女に抱きしめられた時の事だ。


 強靭な肉体と迅速な行動力、そして極めて多岐に亘る性癖を持つ私の巨大な部下は、その日もせっせと我が部隊の女連中にコナを掛けていた。

 彼女の部下とは違い、私の直属の部下には女性が多い。

 パイロットとそのナビゲーターたちが私の部隊の根幹を成す訳だが、前述の通り、パイロットの多くは少年兵である。

 要は若い娘たちだ。


 これを見逃すレガリスではない。

 ニワトリ小屋にイタチを放つようなものである。


 だが私は部下を監督する立場であり、彼女の望む性の乱れはそのまま指揮の乱れに繋がる。

 看過できるはずもない。

 されど彼女はどうも、年下の娘たちには非常に人気があると言うか、ともかくモテる。

 悔しいほどモテる。

 色々な意味で看過できない。

 もちろん彼女は他の娘たちと同じく、この私にも暇さえあればコナを掛けていたのである。


 ほんの数分前に私を口説いたその口で、今度は若いパイロットを口説く。

 別にそういう気はまったくないのに、何だか悔しい。

 断じて看過できない。

 さらに悔しいのは、そういう気がないと言うのに、うちの子たちに「嫉妬している」と勘違いされてしまう事だ。


 そんな筈がある訳がない。

 お前たちのために言ってやってるのだ私は。

 それが理解されない。

 悔しい。


 いつの間にか、私と彼女のやり取りは、うちの子たちから「痴話喧嘩」だの「夫婦喧嘩」だの言われるようになってしまった。

 ぜんぜん違う。

 まったく、何も分かっていない。


 この日、彼女の攻撃目標となったのは、新人のナビゲーター候補生だった。

 名前はステラ。

 まだ十四歳の少女である。

 私の部下では最年少タイ記録だ。

 こんな小娘を戦争に駆り出す今の戦況は間違いなく異常である。されども、現在の主力兵器でないと敵の勢力には対抗できない。

 そしてステラは、主力兵器との親和性において抜群の成績を残していた。


 次の作戦が、ステラの初の実戦となる。

 もちろんいきなり前線には立たせない。後方支援での任務に就く予定だ。

 しかし実戦には違いない。

 そうなる前に何とかしよう、というのがレガリスの目的だった。


 「何とか」じゃない。

 戦場に出る前に撃墜してどうする。


 訓練前に作戦室に寄れば、そこに二人の姿があった。

 赤ずきんに襲い掛かる巨大なオオカミが居た。

 私は手近な花瓶をぶん投げ、当たった後でまた花瓶を拾って殴った。

 彼女が配属された日の教訓から、花瓶はステンレス製に替えてある。

 振りかぶって殴った。

 念のため、もう一発殴った。

 ごん、と音が響いた。


 ステラは怯えたような表情で、軍服の前を慌てて押さえた。

 レガリスは痛がるでもなく、ただ気まずそうに頭をポリポリと掻いた。


 「いや~、お早いお着きで……」


 「説明してから死ぬか? 今すぐ死ぬか?」


 「ちょっとソファーの具合を調べてて……」


 「今すぐだな?」


 「待った待った待った! 暴力イクナイ! あたしゃただ先輩として、その、教育を……」


 「誰がここで寝技の教育をしろと言った?」


 「あ~、個人的に、色々なアレを……ですね」


 「なるほど、色々な教育だな? では私も参加しよう。今からこの弾を避けろ」


 「待った待った抜くなよ!! 分かった降参! はい降参! 降参した!!」


 「まったく、お前という奴は……」


 ホルスターに銃を収め、呆れた顔で二人を見下ろす。

 すっかり怯えてしまったステラは、泣きそうな顔で私と彼女を交互に見ている。

 この子にこれが日常だと思われたくはない。

 やがて嫌でも戦争の醜い部分を見せられる事になる。その前に、もっと醜い所を見せてしまった。

 深くため息をつき、ステラを持ち場に帰した。


 あの子はいずれ、この基地を背負って立つ人材になるのだ。

 私よりも才能がある。

 入隊した時からずっと手塩にかけて育てたのだ。

 その才能を、つぼみのままに摘み取ろうとは不届き千万。

 その罪、万死に値する。


 という訳で。

 この日もやはり、うちの子たちが言う所の「夫婦喧嘩」をしたのだった。


 長い長い話し合いの末、結局どちらも歩み寄りのないまま、無駄に時間が過ぎてしまった。

 レガリスの事は嫌いではない。むしろ、その兵としての仕事ぶりは他の規範となるべきだと思う。

 だがその性癖だけは別だ。

 ここだけは何とかしろ。


 それまで幾度となく訊いてきた質問を繰り返す。

 理解できない、と私は言った。

 お前は女だ。で、ステラも女。

 ついでに言えば私も女だ。

 おかしいだろう。


 彼女は答えた。どこが? と。

 彼女にとっては、性別など取るに足りない問題らしい。

 私が気にしているのは、なぜそこまで見境がないのか、という点。

 それと、なぜ一人の相手とだけ愛を育まないのか、という点である。


 前者については上記の通りだ。セックスとは彼女流のコミュニケーションの一つで、お互いの垣根を取り払う最も直接的かつ効率的な手段だと。

 後者については、やや考えた後で言った。


 「あたしは、みんなが幸せになるための道具でいいや。あたしも気持ちイイし、みんなもそう。……第一、あたしが誰かの嫁になるなんて想像出来ねーだろ?」


 私は即答した。出来る。

 お前、意外といい嫁さんになれると思うと。


 今にして考える。なぜ私は即答したのだろうか。

 分からない。

 分からないが、この時は確かにそう思ったのだ。

 彼女が狼狽する姿を見たのは、この時が初めてだった。


 「いやお前、アレだよおい、いやいやいや! いい嫁さんとかそれはアレだろー! ないないない! ある訳ねーだろバカ! 大体お前アレだよ、お前あたしだぞ!? それがお前、嫁さんとかお前……」


 ああ、今でも思い出す。

 可愛かったなあ。

 凄く可愛かった。

 普段はからかう側の人間が、守勢に回るとこれほど脆いものなのか。

 あのデカ女がそわそわと、空のコップを右手で持ったり左手で持ったりしている。


 そう。

 この時はまったく自分の気持ちが理解できなかったのだが、私は初めて、この巨大な女の事を「可愛い」と思ってしまったのだった。

 その美しい髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、彼女は言った。


 「あーもう、この話はこれで終わりだ!」


 逃がすか馬鹿者。

 今までさんざ苦汁を舐めさせられて来た強敵に、やっと反撃するチャンスを掴んだのだ。

 巨大ロボットにも急所はあった。

 今すぐ鉄棒突っ込んでグリグリと掻き回してやる。

 そして言った。


 その後ずっと、彼女が宝物として大切にする言葉を。


 「お前は、道具なんかじゃないよ」


 この時は、ただ思い付いた言葉を言っただけ。

 頭に浮かんだ言葉。そう思ったからそう言った。

 それだけの事だった。


 後になって知ったが。

 この言葉が、二十年近くに亘ってずっと奔放な性生活を繰り広げてきた、生粋のビッチの心臓を……。真っ直ぐに貫いてしまったらしい。

 人生、たった一言の言葉でがらりと変わる事がある。

 それがこの瞬間だった。


 彼女は目を見開いていた。


 「いや……。あたしは……」


 「否定するな。お前は道具じゃなくて人間だろう、レガリス・マクルーアって名前の。私は知ってる」


 「…………」


 「私たちはみんな知ってるんだ。知ってたんだ、お前の事を。……私はお前が嫌いじゃない。馬鹿な事ばっかりやってるけど、馬鹿じゃないのは知ってる。みんなそう思ってる。……みんながお前を、レガリスだって知ってるんだよ」


 時が止まったかのような部屋。

 話の途中で私も気付いた。

 今、レガリスは、私の言葉で変わりつつある。

 変わろうとしている。

 それが分かった。

 分かったから続けた。

 勝ち負けとか、復讐とか、私の中ではどうでも良くなった。


 ここに居るのは、レガリス・マクルーアという名前の一人の女性。

 私よりも年上で、体ははるかに大きい。

 でも、ここに居るこの女性はまだ幼く、本当の生き方を模索している悩める少女でもあったのだ。

 彼女は私の部下だ。

 ならば、私が護るべき対象だ。

 なぜなら――。


 彼女は、弱いから。


 「……人を、さ。好きになれ」


 「…………」


 「好きになってみろ。心から」


 「…………」


 「そうしたら、分かる。分かると思う。何かが変わると思う」


 「…………」


 「変わったら、ぜひ報告してくれ。どんな小さな事でもいい。私はお前の上官だからな」


 「…………」


 「何時間でも付き合ってやる。何を選んだっていい。お前の人生だ、好きにしろ」


 「…………」


 「だからもう、自分を道具だなんて言うな。私は決してそう思わない。そういう奴が居たら、私がお前の代わりに張り倒してやる」


 「……それ、あたしの役目じゃん……」


 「たまには護らせろ」


 「……!」


 「上官は、部下を護るのが仕事なんだ。私の仕事を盗るなよ」


 「……ばーか……」


 「それで結構。お前も大切なものを見付けて、それを護れ。それだけを。……いい嫁さんになれよ?」


 「バカ! 知るか!!」


 そして彼女は扉を開けて部屋を飛び出した。

 無骨な鉄の扉だが、それは彼女の心の扉だったかもしれない。

 冷えたコーヒーの残り香だけが、午後の空気に色を付けていた。


 この日。

 彼女は変わった。

 そしてこの私も、彼女によって変わらされてしまった。

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