<ファイル12>
彼女が、顔を上げた。
さらりと音がした。
「……えへ。ちょっと泣いちまったよ……」
笑った。
自分よりも年上の女性なのに、まるで少女のように見える。
綺麗だ。ため息が出るほど。
そして可愛い――。
潤んだ瞳の奥に、私が見える。
それが大きくなる……。
「……ありがと」
そう言って、彼女は。
彼女は……。
私に。
私に、キスをした。
キスを――。
…………………………。
ほんの一瞬。
一瞬だけ唇が触れ合い、そして離れた。
キ……。
きす!!??
うわどうしよう。
キスされちゃった!?
わた私はこの時どどうしていいか分からず、そのあの体を離してあああ。
たぶん、たぶん真っ赤になってるよ!!
あたふたしながら、もうどうしていいか分からない私を彼女はその。
あの、立ち上がって。
あああ、やっぱり大きい。おっぱいすごいよ!!
そして私は抱きしめられた……。
……むぎゅっ!?
柔らかっ!!
「可愛いなぁ~もうこの大尉どのは! お姉さんギュッてしちゃうぞ!」
はむむ苦しい!?
くるひいよえがいす!!
……ああもう、思い出しただけで顔から火が出る。
穴でも掘って埋まりたい。
何度も何度も思い出す、忘れられないあの瞬間。
ばか。
初めてだったんだぞ。
お前の乳で窒息しかかったんだぞ。
手加減してくれないから。
そうだよ。
いつもお前は、手加減なんて少しもしなくて……。
ばか。
だけど、この時。
本当に、あの、何と言うか。
あ~、何だその。
しかし。
運命は――。
残酷な仕事をした。
BEEEEEEEEEEEEEEEEEEE・・・・・・・・・・!!
警報が夜を切り裂いた。
緊急警報。
敵襲だ。
「走れ、レガリス!!」
私たちは走った。戦火の夜に。
甘い感傷を捨て、兵士となるために。
走った。
すぐに出られるのは私の部隊だけだ。
スカイブルーに統一された機体がパイロットを待っている。
ナビゲーターは……。そうだった。
昼の訓練で負傷している――!
「自分に行かせてください!!」
その声は、まだ新人の候補生。
十四歳の少女、ステラだった。
「君は後方支援のはずだが」
「行けます、大尉どの!」
「私に子守をしろと言うのか?」
「違います!」
「貴様は何者だ、答えろ!!」
「自分はA隊ナビゲーター候補生のステラ・フリードマン二等空士であります!」
「貴様は何が出来る、答えろ!!」
「自分は適正なナビゲーションによって、搭乗機体を安全かつ迅速に誘導し……」
「そうではない馬鹿者め! 貴様は馬鹿か? 答えろ!!」
「違います!!」
「貴様の命は誰のものだ!」
「軍であります!!」
「では軍のために死ねるか?」
「死ねます!!」
「よし分かった、貴様はやはり馬鹿者だ。軍のために死ぬなどとは二度とほざくな! 分かったか!!」
「はいっ!!」
「貴様の命はこの私のものだ! この私が命じた時が死ぬ時だ、分かったか!!」
「はいっ!!」
「ならば私が命じるまで、絶対に死ぬ事は許さん! 分かったか!!」
「はいっ!!」
「では乗れ!!」
戦争とは狂気だ。
誰も彼もが狂っている。
こんなにも幼い少女を乗せて、我々は実戦の場に向かわなくてはならない。
敵は待ってはくれないのだ。
ただ一つだけ願いが叶うなら、この夜を――。
……いや。ここは戦場だ。
そして時は戻せない。誰にも。
――無線を開く。
『こちら一番機、アイアンメイデン。三時の方向に展開、高度六千で敵を迎え撃つ。各機、状況を』
『こちら二番機、スターゲイザー。異常ありません!』
『三番機、レインメーカー。特にありません』
『四番機、ファルコンアロー。異常なし』
『後方支援ジャガーノート隊! ウラー! タリホー! レベルイェェールッ!!』
『言葉をしゃべれ野蛮人! それと後ろの猿どもを黙らせろ!!』
『了解りょーかい。おら野郎ども、出入りだ! 根性入れろい!! ……あとメイデンちゃん、街の上じゃAAMが使えない。海への誘導を頼むぜ』
『了解……ちゃん付けにするな! それと、あー、ジャガーノート?』
『何だい?』
『あー……。その……』
『言っちまえよ』
『いや、何だ。後詰めは任せた』
『そうじゃねーだろ? だったらあたしが言ってやる。……帰ったら続きをしようぜ!!』
『ばかっ!! ……了解!!』
そして私たちは夜空に吸い込まれた。
夜の戦いは感覚が麻痺する。
三半規管を鍛えぬいた我々でも、時に位置関係を消失する。
そうなっては終わりだ。
パネルに頼り切っている新兵は、特にこの兆候が見られる。
ここで威力を発揮するのがナビゲーターだ。
我々の帰還率は、すべてこのナビゲーターに懸かっていると言って良い。
そして私の後ろのステラは――完璧だった。
ステラが現在位置を把握し、索敵し、最適な飛行コースを割り出す。
おかげで私は自在に空を舞える。どんな鳥よりも速く、高く。
これほどの適性を見せるとは……。
この機の正規ナビゲーターよりも確実に優れている。これは素晴らしい発見だ。
ステラ・フリードマン二等空士よ。
いつか君が、私の正式なパートナーとなってくれる日を楽しみに待とう。
街の灯かりを過ぎる頃に敵の反応があった。
二番機、三番機が上昇する。
排気が冷たい大気と結合し、一瞬、虹色の尾を引く。
星空に吸い込まれる水色の機体。そう、上を取れれば勝ちだ。
そして四番機は高高度からの支援。
私は逆に水面すれすれを飛び、上下から攻撃を加えるのだ。
ステラが後ろで叫ぶ。
「敵機三機、二時より!」
「構うな。前を見ておけ」
「しかし、ラインを突破されます!」
「後ろを信頼しろ。仲間を。家族を。……我々は親玉を叩くぞ」
「は、はいっ!!」
がくん、とGが掛かる。
急激なブースト圧の変化により、機体が横に滑る。
虹色の排気が弧を描く。
同時に機体を上方に向ける。
失速する直前で機体は急上昇を始める。
この一連の動きにより、我々の機体はどんな敵よりも早く方向転換が出来るのだ。
この芸当ができるパイロットは、我が隊では私一人。
基地内でも三人のみだ。
伊達にエースを名乗っている訳ではない。
「うぉうえぅっ!?」
後ろでステラが妙な声を上げる。鍛えていてもこの動きは厳しい。
しかし躊躇している暇はない。
すぐ近くに敵の親玉が居るはずだ。
反応があった。右だ!
夜空を一条の光が奔った。機体すれすれに放たれたそれが海へと消えた。
次の一波が来る。さらにその次。
私は風に舞う木の葉のように機体を操り、着実に敵との距離を詰めて行く。
会話をしている余裕などない。
まだだ。
引き付けろ。
ガツン、と衝撃が奔った。機体が揺すぶられる。
「被弾っ! 被弾です!!」
「口を閉じろ!!」
「ひゃいっ! しゅみまへん!!」
メインパネル異常なし。外装のどこかに当たっただけだ。
まだ行ける。
まだ飛べる!
光の矢をかわしつつ舞う。
はるか上空で交戦中の光が見える。
あそこだ。あれが会場だ。
招待状は忘れたが、意地でも参加させてもらうぞ。
親玉は――。
いた!!
暗い天空に翼を広げる、異形の天使。
AAM全弾発射!
プレゼントだ、受け取れ!
――離脱!!
馬車がカボチャに変わる前に帰るぞ!
季節外れの花火を背後に飛ぶ。
一気に高高度から離脱する――。
「敵影が……! 一機追尾して来ます!」
「構うな、どうせ追いつけん!」
「でも……。これは……!?」
「……!?」
距離を詰められる……!
そんな馬鹿な。
旋廻、左!!
すべての星が流れる。
急激なGに体が悲鳴を上げる。
機体ががくがくと揺れる。
――それが何だ。
エンジンのきしみが分かる。
フレームの歌が。
主翼の切り裂く鼓動が。
バルブの声が。
スパークプラグの一本一本の輝きさえ――。
分かる。聞こえる。
この機は戦っている。
この機は、歌っている――。
「振り……切れ……ません……っ!!」
そうか。分かったぞ。
お前も私と同じ称号を持つ者か。
逢いたかったぞ。
ずっとお前を待っていた。――この空で。
さあ。踊ろう。
私のドレスは気に入ってくれたか?
スカイブルーに虹のブーケだ。
美しいだろう。
お前の礼服も見せてくれ。
いよいよ……。チークタイムだ。
長い夜を終わらせよう。
どっちのダンスの腕前が上か……。勝負しようじゃないか。
私の最高のステップを、魅せてやる。
私はアイアンメイデン。
この扉に触れる者に――死の口付けを。
その時だった。
空における一瞬の邂逅に、私は見た。
夜空に流れる敵の軌跡を――。
『深紅』の軌跡を。
赤い煙を吐く天使――。
あの噂は……本当だったのか!
貴 様 が 。
赤 い 死 神 か … … 。
火花。
衝撃。
瞬間、闇が来た。
すべてのパネルの照明が消え視界が闇に包まれた。
被弾した――……。
私の持てるすべての力を使い、最高の機体と最高のナビゲーターを以って挑んだこの空の戦いにおいて。
死神は。
――そのすべてを凌駕したのか!
そして今。
あの赤い死神が。
私 の す ぐ 後 ろ に 居 る … … 。
ぞっとした。
目に見えない冷たい指が、私の首筋を撫でるのを感じた。
その吐息を嗅いだ。
死の口付けを受けたのは、この私の方だった――。
私は……負けを、悟った。
その時、私は光の中に居た。
少女の頃に戻っていた。
水色のドレスを着ていた。
笑っていた。
ああ。
そうだった。
憶えているよ。
だって、大切な思い出だもの。
この後、確か野球のボールが飛んで来て――。
そして呼ばれた。
光に。
一条の光が夜を切り裂き、闇に吸い込まれた。
野球のボールかと思った、それ。
これは……。
――曳光弾!!
レガリス! 助かったぞ!!
ほんの一瞬、背後の敵が遠ざかる。
瞬時に機体を滑らせる。
闇の中でも自分の手足のように知っている。
失速する寸前で向きを変え……。
そうだ耐えろ!
いいぞ、お前は立派なナビゲーター……。いや私の大事なパートナーだ!
空中で時が止まる。
空に舞う木の葉のように我々は舞い。
赤い死神が、すぐ横をすり抜ける――。
そうだ。
私はエース。
私が――アイアンメイデンだ!
星が、輝いている。
光が――。
私は。
こんなにも美しい世界に生きていたのか――。
トリガーを、引く。
輝く空に吸い込まれていく。光。
私の、手を、取れ。
さあ……。
夜空に、大輪の花が咲く。
輝く光の、輪。
真っ赤な薔薇。
ああ――。
なんて綺麗なんだ。
素敵な……礼服だ……。
私は、信じる。
この目で見たものを。
そして祈る――。
今宵、また帰れる事を。
ステラ。
レガリス。
私たち全員の勝利だぞ。
私は、お前たちの事を誇りに思う……。
突然の衝撃が襲った。
ずしん。
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