二年の秋~003

 旅館の近くのコンビニには、我が高の生徒が多数買い物に来ていた。

 その中で知った顔がある。

「蟹江君も買い物か?」

「おお、緒方か。お前等も?」

 頷く国枝君とヒロ。

「実はシャンプーを忘れてしまって」

「そうか。俺達は普通に喰い物だ。飯旨かったが、足りなかったからな」

 見ると弁当を持っている。

「言うほど少なくなかったような?」

「そうか?ちょっと足りなかったけどな」

 俺には丁度いい量だったが、蟹江君には足りなかったのか。

 まあ、人それぞれ。ヒロもおにぎり買っている事だし。

「じゃあ俺も適当に買い物するかな」

「つってもコンビニだから、俺等の町と大差ないモンしか置いていないけどな」

 そう言う蟹江君だって、ごく普通の弁当を買っているのだが。

 まあいいや、と物色中、槙原さんからメールが入る。

 その内容を見て俺は固まった!!

「どうした緒方?真っ青だぞ?」

 蟹江君が心配してくれているのが解る。それ程真っ青になったのかと、自分でも驚くが…

「ちょっと出て来る。ヒロと国枝君に先に帰るって言っておいてくれ」

「いいけど…なんかおかしいぞ?」

 返事をするのももどかしい。

 俺はダッシュでコンビニから出て、そのまま旅館に向かった。

 息を切らせて旅館に着いた。

 もう一度槙原さんのメールを見る。

「……裏手か…」

 そうは言っても旅館は広い。外周一周する覚悟で走る。そして遂にそこを見付けた。

「あ、やっと来た」

 嬉しそうに俺に駆け寄る槙原さんだが、俺の意識は別に向いている。

 固く握り締められた拳。更に力が入った。

「阿部…!!」

 そいつは、俺がぶち砕きたくて仕方が無い五人の内一人。

朋美から、いや、朋美の親父から逃げて、此処京都に来ていた阿部だった。

 険しい顔をしていたのだろう。阿部は一定の距離を保って俺に近寄って来ず、恐る恐る口を開いた。

「緒方、以前に手打ちした筈だよな?それを信じて、わざわざここまで来た俺に対して、何かするつもりなのか…?」

 強気での物言いだが、こいつが一番解っているだろう。

 下手打ったら確実に俺にぶち砕かれると。

 だが、阿部の言う通り。

「手打ちにした覚えは無いが、何かするつもりも無い。お前をぶち砕きたくても我慢して、漸く堪えているだけだから気にすんな」

 苦笑いする阿部。

「殴るつもりが無いんなら、まあいいや。よくないけどいいや」

 そこで漸く俺に歩み寄って来る。

「長居をするつもりがないから、用事をさっさと済ませるぞ。呼ばれた理由なんだけどな。領収書は流石にもう持っていないけど、似たようなモンなら持っているぜ」

 そう言って一枚の紙を俺に渡した。

 その紙には、簡単に言うと、俺をいたぶったら金をやるよと綴られていた。

「…これは朋美が?」

「ああ。本当に最初の頃だ。俺と佐伯の靴箱に、可愛い封筒に入れられていたよ」

 ラブレターだと思って舞い上がったっけな。と苦笑いする。

「お前と佐伯だけ?神山や武蔵野は?」

「あいつらは佐伯が誘ったんだ。俺は金さえ貰えれば、って感じだ。尤も深入りする気も無かったが」

 自分でも驚いた。

 俺は阿部の胸座を掴んで吊し上げたのだ。そんなつもりは無かったのに。

「……結果深入りしちまった。緒方、本当に悪かった」

「…俺に謝ってどうすんだ?」

「…そうだよな…」

 目を瞑った阿部。

 殴られても仕方が無い。そう覚悟したようだった。

 俺は手を離す。同時に阿部が地べたに尻を付く。

「…殴らねえのか?」

「殴りたいに決まってんだろ」

 ぶち砕き、ぶっ壊したい。

 こいつだけじゃない。安田にも神山にも武蔵野にも、同様の感情は持っている。

 だけどそれはやらない、やれない。

「お前をぶち砕こうが、もう麻美はいないんだよ」

「…そうかよ」

 謝罪の追加もせずに立ち上がる阿部。

「何にせよ、頼まれた物は渡した。聞かれた事も全て答えた。俺に出来る事はもう無い。俺を此の儘帰しちまえば、お前は二度と俺をぶん殴れなくなる。俺はもうお前等と関わらないからな」

 それは暗にぶん殴れ、と言っているのか?

 だったら尚更殴れないじゃないか。

「いいよそれで。お前も多少ながら、後悔しているようだからな」

 ぶち砕けば俺の心は多少スッキリするが、麻美が悲しむ。

 麻美が悲しむ事はしたくない。いや、しない。

「本当にいいのか?気が変わったとか後で言われても、俺はお前とは会わない。と言うか連絡も取らせる気は無い」

「だからそれでいいっつてんだろ。俺も二度と顔見たく無いしな」

 本心で返した。

 こいつだけじゃない。あの時の五人とは顔も見たくない。

「…そうか。解ったよ」

 帰ろうとする阿部。俺はそれを呼び止めた。

「やっぱ殴るか?それでもいい」

 いや、と頭を振って否定する。

「助かった。サンキューな」

 阿部は本気で驚いた顔をしていたが、微かに頷いたのみで、今度は振り返る事無く、俺の前から立ち去った。

 やがて槙原さんが口を開く。

「何もしないで帰すなんて、正直思わなかったよ」

「何かすると思って呼んだのか?」

 苦笑いしながら返す。

「するかもしれない、とは思っていたよ。阿部さんも、殴られても仕方が無いと思っていたようだしね」

 それは俺にも伝わった。逆にそう思っていたから、見逃したのかもしれないが。

「なんにせよ、美ももう居ない。この手紙も必要無い物になってしまったかもな」

「じゃあ捨てる?」

 その問いに首を振って否定する。

「阿部の筋と言うか、仁義と言うか…それを無碍には出来ないよ。大事に保管させて貰うよ」

 それがいいと頷く槙原さん。満足そうに笑っていた。

「今回は阿部さんの方から連絡くれたのよね。速い方が良いだろうって」

 そうなのか。懺悔なのか自己満足なのか、やはり後悔なのか解らないが、約束を待ち侘びていたのか。

「隆君の言う通り、須藤さんももう居ない。どこに転院になったのか解らないけど、隆君の前に現れる事も無い」

 そうだな。これで中学の憂いは全て晴れたとは言わないが、お終いにしてもいいだろう。

「で、残るのは恋人選びなんだけど…」

 無言の俺。阿部の登場で頭からすっかり抜け出していたが、麻美ももういないが、これはケジメだ。

 麻美の件が中学から続いたケジメなら、これは高校のケジメ。

 そして槙原さんを見極めると言う目的に戻った事になる。

「春日ちゃんはリタイアしたから、私と美咲ちゃんのどっちかなんだよね」

 すんごく可愛く笑う槙原さん。

 何故か俺の背中に冷たい物が走った。

「私は隆君の為なら何でもできるよ?現にクラス中に白い目で見られても、花村を追い込んだし」

 そうだな。つか、それを言うか?恩着せがましいっつーか…

「自分で言うのも何だけど、結構可愛いと思うし、胸もこうだし、脚も自慢だし」

 確かに自分で言う事じゃ無いような気がするが、その通りだよな。

「だから、私にしてくれないかな?美咲ちゃんが居ない今、抜け駆け感が物凄くあるけど」

 黙る俺。どうしようか考え中だ。

 そんな時、槙原さんが噴き出す。

「動揺しているでしょ?目が泳ぎまくりだよ?」

「そりゃ、いきなりそんな事言われちゃ…」

 首を横に振る槙原さん。そして真っ直ぐ俺を見た。

「美咲ちゃんの事故…私が仕組んだと思っているでしょ?」

 ドキッとした。

 だが、これは想定内。自分が疑われている事は重々承知なんだろうから。

 槙原さんは少し苦しい表情をして言う。

「私からは何も言わないよ。言っても言い訳に聞こえちゃうだろうから、聞かれたら答えるけど、それも『そう言うだろう』と思われるかもね」

 先手を打ってきやがったか。

 まあそうだ。何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうし、質問に答える形を 取っても、そう答えるだろうと思ってしまう。

 だから俺はこう答える。

「聞きもしないし、聞こうとも思わないよ」

 俺が行うのは見極め。俺の目で判断するのみ。ゴチャゴチャ考えずにだ。考えちゃうかもしれないが。

「隆君はそう言うよね」

 寂しそうに笑う槙原さん。これも演技か本心か。

「まあ、そんな事考える前に、夜遊びに行くからお持て成しよろしく」

 取り敢えずお茶を濁すように話す俺。やはり槙原さんは寂しそうに笑った。

 槙原さんはこれからコンビニに行くと言う。

 俺は一人部屋に帰る。理由はさっき行ったばかりだったからだ。

 ドアノブを捻ると簡単に開く。

「先に帰ると聞いたけど、どこに行っていたんだい?」

 国枝君が心配そうに聞いて来る。帰って来ていたのか。

「蟹江が言うには、やたら慌てていたらしいけど、一体何があった?」

 ヒロが興味深げに聞いて来る。

 俺はさっきまで会っていた阿部の事を話した。

「……阿部がなぁ…あいつも後悔しているっつう事なんだろうか?」

「それより、証拠になる物を、まだ持っていた方が驚くよ…」

 俺は驚くっつーよりムカつきを押さえるので精一杯だったが、言われてみればその通りだ。

 兎も角、阿部とは今後会う事も無いし、接点を持つような事も無いだろう。

 なので俺はこう言った。

「世界一どうでもいい。万が一、億が一、何処かで出会ったとしても無視するし」

 今回の阿部の義理に対しての、俺の義理。

 関係無いから知らない奴、だ。

 阿部も反省しているのなら、今後の人生、俺の存在はマイナスになるだろう。

 ならば関係無い方が好ましい。

「お前がいいならいいけどよ…」

 ヒロはイマイチ不満な様子。殴られるつもりだったんなら、殴ってやればよかったと。

「いいんだよ。それで」

 俺がいいんだからいいんだよ。お前もそう言っただろ?」

「そんな事より風呂の時間じゃねえ?」

 俺の問いに時計を見るヒロ。正に我がクラスの入浴時間の少し前になっていた。

「ちょっと早いが準備するか…」

 ヒロと国枝君が風呂の準備を始める。俺もそれに倣ってカバンを漁った。

「ん?」

「どうしたんだい?」

「いや…タオル忘れたみたいだな…」

 流石に呆れるヒロと国枝君。

「さっきコンビニに行った理由を忘れたのかよ?」

「僕がシャンプーを忘れたからと言う理由だったよね?」

 流石に二の句が出なかった。阿部が来たってメールで全て頭から飛んだからなあ…

 何はともあれ、タオルが無いと風呂に入れない。

「売店にタオルくらいはあるかな…」

 そう言って財布をポケットに入れる。

「買いに行くのか?」

「じゃあ待っているよ」

 2人に申し訳なく思いながら、俺は売店に急いだ。

 果たしてタオルは売っていた。

 売っていたが、この時何故か俺はコンビニに足が向いた。

 気紛れ。ついでに何か買い物を。後付けの理由は幾らでも出て来るが、本当のところは何となく、だ。

 幸い入浴時間まで少しある。その余裕も手伝ったかもしれない。

 ともあれ俺はコンビニに行き、目的のタオルを買った。

 足早に帰る途中噴き出す。全く意味が無いなと。。

 そりゃそうだ。売店にもタオルがあるのだから。

 更に言うと、売店の方が20円安かったし。

 だが、俺は脚を止めた。止めざるを得なかった。

 視界の端に、阿部の姿を捕らえたのだから。

 見間違いか、気のせいと、確認の為にそこを見た。

 阿部はいなかった。いや、俺から背を向けて歩いている奴は目に入った。

 後ろ姿が似ているか?いや、後ろ姿云々じゃない。俺を見ていた奴が阿部だった筈なのだから。

 ならば阿部だとして、なぜ此処に居る?二度と会わない、関わらない筈じゃなかったか?

 それとも、やはり糞は約束なんて守らないか?自分で言った事すら、平気で反故するのか?

 それともそれとも、やっぱり見間違いか?

 戻って来る理由が見当たらないし、イヤイヤ待て待て、元々この辺りに住んでいるのかもしれないし。

 買い物に来て俺を見かけて、踵を返したのかもしれないし。

 しかしそれは途中で立ち止まり、一瞬俺を見たと思ったら、慌てて背を向け直した。

 だが、その一瞬で確信した。あいつはやっぱり阿部だと。

 別に文句を言おうと思った訳でも無い。

 もう一度話そうと思った訳でも無い。

 だが、俺は後を追った。速足で去ろうとする阿部の後を。

 当然ながら俺にはこの辺りの土地勘は無い。加えてスマホも部屋に置きっぱなし。撒かれて迷ったら入浴時間内に帰れる保証は全く無い。連絡も付けられない。 更に言うなら、興味を持たないように心掛けている。

 だが、それでも後を追った。理由は全く不明だが。

 いや、こじ付けながら理由はあった。

 これで全て正せるような、何が正せるのか解らないか、兎に角そんな予感がしたのだ。

 これを理由とするのなら、こじ付けどころじゃない、ただの勘で動いている阿呆なだけなのだが。

 見失わないように、見つからないように後を追う。

 路地に入る後も追う。グルグル回っている感覚を覚えながらも、阿部を追う。

 阿部は建物…立体駐車場の中に入って行く。バイクか車でも置いてあるのか?兎も角後を付ける。

 奥まった場所。高級外車の傍に居た阿部。俺は陰から様子を窺う。

 しかし…今時フルスモークかよ…ヤバそうな臭いがプンプンするが…

 その外車の窓が開き、怖そうなオッサンが顔を出す。ヤバそうなじゃない。まんまアレだ。

 ……何か言っているが、よく聞き取れない。

 限界まで近くに接近してみる。

 会話を聞き取れる位置に着く。阿部の顔色も此処からなら解る。真っ青だった。怯えているようだ。

 何を言っている?何を話している?

 じっと聞き耳を立てる。

 ……ヨンデコンカイ!!とオッサンが怒鳴っているのに対して、マズイだの怖いだのの返事。

 呼んでこんかい?呼べ?誰を?

 誰が~~~~だと思ってやがる!!借りを返せ!!呼んで来い!!肝心な所を聞き逃したか?

 あのオッサンに借りがあるようだが…阿部はヤバいってか悪い商売?バイト?みたいな事をやっていたな…その事か?他にも何かあるのか?

 いずれにせよ阿部の自業自得のようだし、誰を呼び出すのか興味も無いし、助けるつもりは毛ほども無い。

 俺は興味を削がれて、この場から離れるようにゆっくりと後ずさった。

 別に見つかってもいいのだが、転じて阿部を助けるような事は絶対にしたくなかったからだ。

 どん

 背中に何か当たった。

 後ろ向きで動いていた俺の過失。その物音で阿部とオッサンが俺に気付いてしまったからだ。

 阿部が真っ青な顔で俺を指差す。

「お、緒方……お前……」

 見付かっちゃったか。と言おうとしたが、声が出ない?

 オッサンが高級外車から慌てて降りて来た。

「お嬢!!それはアカンで!!言ってもガキやないか!!」

 そう言って俺、いや、俺の後ろに手を伸ばす。

 振り向く俺。

 心臓が大きく鼓動する。

 オッサンが手を伸ばした先には…

 俺の後ろには…

 朋美がいた!!

 何故お前が!?

 言いたいが声が出ない、オッサンが朋美と俺を引き離し、真っ青な顔で叫んだ。

「ガキい!!大丈夫か!?訳あって救急車は呼べんが、ちゃんと病院に連れて行ったるからな!!辛抱せえよ!!」

 病院?そりゃ朋美が行くべき所だろ?何で俺が…

 な、なんだ?足に力が入らない?

 堪らずに膝を付くと、背中に激しい痛みを感じた。

 朋美があの幽霊みたいなやつれた顔でケラケラ笑いながら言う。

「ちゃんと私と同じ病院に入院させてよね?」

「アホウ!!それどころじゃ無いわ!!此の儘じゃこのガキ死ぬぞ!!そしたらお嬢は殺人犯や!!」

 死…ぬ?

 俺が死ぬ?

 眩暈を覚えて俯く。そこで愕然となった。

 俺の足元…今は膝を付いているが、俺は血だまりに膝を付いていたのだ。

 途端に思い出したように激痛が走る。

 この感覚は知っている…過去何度か経験した痛み…

 背中を刺された!!

 覚醒するが如く立ち上がり、朋美を真正面に置くように振り向いた。

「隆が悪いんだよ?一緒に居てくれないし、他の女に靡くし。だけど一緒の病院なら私しかいないし、ずっと一緒に居られるよ。あははははははははははははははははははははははははははははははははははははがああっ!?」

 俺はご機嫌宜しく笑っている最中の朋美のツラに、右ストレートをぶちこんだ。

 簡単にぶっ倒れる朋美。だが、首だけ起して俺を見据える。

 俺のストレートを喰らっても、その程度かよ…本当に化物になったのか?

「ガキ!!大人しゅうしとれ!!今病院にごあっ!?」

 うるせえオッサンにも右をぶち込んで黙らせる。こっちは簡単に気を失いやがった。

 真っ青な顔をしながら、阿部が近づいて来る。

「緒方!!大丈夫か!?救急車呼んでやるから!!」

 スマホを取り出したその手を掴み、睨む俺。

 そして漸く絞り出せた言葉。

「……お前が…朋美に俺を売ったのか?」

 阿部は真っ青になりながらも、首を横に振って否定した。

「断ったんだ!!今日お前と会う事になったのは、確かに俺から言い出した事だが、勿論その事は須藤には話してねえよ!!」

 槙原さんもそう言っていたな…

 じゃあ朋美に、俺が此処に来ている情報を流したのは誰だ?

「と、兎に角放せ!!救急車呼ぶんだから!!」

 世話掛けるなぁ、と思いながらも手を離した。と言うか、握力が無くなったから離してしまったのだが。

 朋美がやはり首だけ起しながら笑う。

「隆い!!隆は私の物なんだよ!!槙原も楠木も!!ましてや死んじゃった日向なんかお呼びじゃないんだよ!!ははははははははははははははははははははははははははははは!!」

「少し黙れよ!!今救急車呼ぶんだからよ!!お前も大人しくしてろ!!会社の人、泡吹いて気絶しているだろ!!お前の面倒を見る奴がいないんだよ!!」

 あのオッサンは朋美の介護をしているのか?いや、世話係か?

「黙るのはお前だ阿部え!!沢山お金あげたのに全く役に立たなかったクズが!!日向を殺した事くらいか?役に立ったのは!!はははっははははっははっははっははっ!!!ははははははははははははは!!!!」

 駄目だあの女、此処で殺す。俺がぶち砕く!!後の事なんか知るか!!

 這い蹲っていた身体を腕の力で起そうとするも…動かない。

 脚に力が入らない!!

 声も出ない。ついでに目も見えなくなってきやがった!!

 耳も遠くなってきやがった…

 遠くから阿部が俺を呼ぶ声がする。こんなに近くにいるのに……………

 …

 ……

 ………

 救急車が来た。俺を診て首を横に振り、サイレンを止めた儘、俺を乗せて走り出す。朋美の救急車はもう一台手配したようだ。

 警察も来た。阿部に色々聞いている。オッサンもいつの間にか覚醒し、警察の調書に応じている。

 俺はそれをぼんやりと眺めている。

 これは以前にも何度も経験した事。

 自分が死んだ後の事を見ているんだ。

 違うのは麻美が居ない事。当然だ。麻美は在るべき所に行ったのだから。

 今回は、いや、最後は俺一人か…結局俺は生きる事が出来なかったな…

 自嘲気味に笑みを浮かべる。

「隆…」

 声が背後からして振り向く。

 この暗闇の中でもハッキリと解った。二度と会えない筈の、大好きな幼馴染……

 麻美が涙をいっぱい流しながら、そこに居たのだ。

 嬉しくなって捕まえようとするが、麻美は首を横に振って、それを拒否する。

「なんでだよ?もう繰り返しは出来ないけど、一緒に居られるんだろ?」

 辛そうな泣き顔のまま答える麻美。

「居られないよ。私は地獄に行ったんだから。隆はこれから裁判になるんだから、バラバラだよ」

 裁判?何にも悪い事はしていない…と思うんだが…つか…

「地獄!?お前地獄に堕ちたのか!?」

 頷く麻美。

「ここはまだ現世…と言うか、この世とあの世の境界線。隆は何回も死んだから、使者もご先祖様も迎えに来られない。隆も地獄に居たんだから。私が堕としたんだから…」

 時々嗚咽を交えながら。

「地獄に居た?お前が落とした?」

「うん…隆は何回も繰り返していたでしょ?それが実は地獄だったの…私も堕ちてから初めて知ったんだけど…」

 あれが地獄だったって言うのか!?それよりも、まだ答えを聞いていない!!

「お前が何で地獄行きになるんだよ!?俺を助ける為にいっぱい頑張って来たお前が!!」

 あんなに必死に頑張って来たのに、それでも地獄行きとは、何の情けも無いのか!!

「自覚は全く無かったんだけど…いや、少しはあったかもだけど、私って立派な悪霊だったみたい…だから隆を地獄に堕とせた…生きながら、何度も死ぬ地獄に………無間地獄に……………」

 最後の方は嗚咽が酷過ぎて、良く聞き取れない程だった。

 実のところ、俺には心残りはない…ってのは嘘で、心残りは絶対にあるけど…死んだ事に関しては諦めの方がでかいと言うか…

 だから、そんなに泣くなよ麻美。地獄だろうが、一緒に居られる方が嬉しいんだから…

 …ん?さっき一緒に居られないとか言っていたよな?バラバラになるとか?無間地獄って所に一緒に堕ちるんじゃねーの?

「隆を無間地獄に叩き落とした私は、立派な悪霊で、既に地獄で受刑中なの…今回は、隆に迎えが来ないから、何回も生き返って死ぬ地獄に既に居るから来れないから、私が罪滅ぼしの刑期軽減の為に遣わされたの…だから、これは単なる責任…隆に触れられる資格なんかない…」

 よく解らないが…俺は生きていながら死んでいるようなもんだったのか?

 つうか、刑期軽減だろうが、罪滅ぼしだろうが関係ない。

 俺は強引に麻美の手を取って引き寄せた。

「駄目だって隆…」

「うっせーな。いいんだよ、俺がいいんだからいいんだよ」

 一応ながら、弱い力ながら抗う麻美を、力いっぱい抱きしめる。

 麻美の体温は…どうなんだろう?も死んだから同じになったのか?然程冷たさを感じなかった…

暫く抱きしめていると、遂に麻美から力が抜けて、抱きしめられるままになった。

 ばかりか、麻美の方から、俺の背中に腕を回してきた。

「……馬鹿…本当に馬鹿なんだから…地獄に堕とした悪霊を抱擁するとか…本当に馬鹿……」

「馬鹿なのは知っているだろ。今更だ」

 此処で漸く笑った麻美。そうだね、とか言って。

 これでどうにかゆっくり話が出来る。腰に腕を回したまま、少し離れて訊ねた。

「お前は悪霊だった…のはいいとして、いや、良くないが、棚に置いといて、棚に置いとく問題じゃねーような気がするが、まあまあって事でだ、俺はその無間地獄って所に居るんだろ?何でお前と一緒に所に居られない?」

「だって私は無間地獄に居ないもの。居るのは隆だけ。私はその地獄に叩き落とした。人間一人現世に縛って死を繰り返させる無間地獄を行った。成仏のチャンスを、安心できないからと言って拒んだ。結構な悪霊みたいだったよ」

 そうなのか…結構な悪霊だったのか…つか、そんなにショックを感じない。もっと取り乱すかと思ったのに、この空間がそうさせているのか?

「それでも最後は一応自首の形を取ったから、罪が軽くなった。迎えに来ない隆を迎えに来れたのも、罪を償う為と言う名目があるけど、減刑される仕事だって事もあるけど、私が迎えに行くのが一番相応しいから。自分の罪を再認識させると言う、罰」

 罰か…確かに助けようと頑張っていた対象が、死んで此処に来たんだから、無念と言うか、悔しいと言うか、悲しいと言うか、そんな感情が現れるんだろうし。

 だけど、迎えに来た事によって、少しはマシになったって事だろうから、素直に良かったと思う事にした。

  そして麻美は真剣な表情になって言う。真っ直ぐに俺と直視して。

「聞きたい事、時間が来るまでは教えてあげるよ。少しでも心残りが無くなるように。隆は何回も生を繰り返してきたから、現世に迷い出る事は、他の霊魂よりも比較的簡単に出来るから」

 俺って簡単に化けて出られるの?じゃあヒロの枕元に立って、毎晩脅すのも面白いかも。「そんな事は冗談でも思っちゃ駄目」

「だよな。じゃあ遠慮なく聞くけど、阿部は俺を呼びだす為に旅館に来たのか?朋美から脅しとかされて」

「うん」

 真っ向肯定。そんなこったろうと思った。何が断っただ。俺も怖いが、朋美も怖いってだけじゃねーか。

「ついでに言っておくと。朋美は悪くない。少なくとも、隆が死んだことに関しては。悪くないとは言っても、原因にはなるけど、実は隆は中学の時に死んでいた。屋上から私と一緒に落ちて死ぬ運命だった」

 衝撃の新事実!!俺は麻美と一緒に死ぬ運命だったのか!?

「それを私が助けた。運命を変えた。これが私の最初の罪。だけど軽い罪だった。誰だって目の前で死にそうな人を助けるでしょ?」

 麻美が助けてくれたのは知っている。そしてそれ以降も随分骨を折ってくれたのも知っている。それは正直今更だ。

「だけどそれは天命だから、生かそうと頑張っても隆は死んじゃう。何回もチャレンジしたけど、2,3年の延命程度が限界だった。死因も同じような感じになった。直接的にしろ間接的にしろ、殺されて死ぬ。これは運命みたいなものだった」

 運命に抗っていたって事なのか?だけど2,3年の延命ならできるって事なのか?誤差程度の話なんだろうけど。

「兎も角、私は今地獄で受刑中なの。隆は被害者だから地獄にはいかない。裁判待ち。つまり、これで私達の関係は終わり」

「俺と麻美は二度と会う事が出来ない?」

 頷く。そして痛そうな表情で続けた。

「私達程度が同年代に転生なんてできない。全く普通の人間だったんだから、徳も無ければ力も無い。奇跡的にそうなったとしても、前世の記憶なんか持ち越せる筈が無い。私達の関係は此処で終わるの」

 奇跡なんか期待するなと言っているのか?生まれ変わってもう一度は無いと。

しかしなんで今更そんな事を言う?

「期待して在るべき所に行って、期待外れだとガッカリして現世に迷い出られても困るから。さっきも言ったけど。隆は何回も人生をやり直して来たから、現世に迷い出る事は他の人達よりも遙かに簡単にできるのよ」

 要するに、舞い戻ってくる事を懸念しての釘差しか…

 俺は結構危険なのかもしれない。わざわざそんな忠告を聞かされるって事は…

「………もっとたくさん話したいけど…もっと他に聞きたい事もあったんだろうけど…そろそろ時間…」

 何?もうそんな時間?死んだんだから、時間は沢山あるように思うんだが…それよりも…

「麻美、俺は迷う出る危険があるんだよな?未練とかで」

「うん。私は地獄だから、そんな心配は少ないんだけどね。地獄って、抜け出す事が超大変らしいから。無難に刑期が終わるまで待った方が一番早いし、確実らしいよ」

 そうなのか?だけど、麻美を会えるのは、これが最後なんだろ?じゃあどうしても未練が残るだろ。

「麻美、俺の心残りを晴らしてくれるか?」

 瞳をじっと見て訊ねた。麻美も応える様に、俺を直視した。まばたきを一切せずに。

 そして静かに目を閉じた。

 そうか、晴らしてくれるか、心残りを。

 

 嬉しい事も、悲しい事も、ずっと一緒に乗り越えようと頑張って来た、大好きな幼馴染の唇に、俺の唇を重ねた…

 

 ……ああ、そうか…これで漸く、俺達は恋人になれたのか…

 ……そうだね。数秒程度の恋人関係だけど、永遠にも感じるよ…

 ……永遠か…累計100年以上も一緒に居たんだから、今更なような気もするが…

 ……恋人としてなら、今のこの瞬間だけでしょ?

 ……この瞬間だけか…もっと心残りが出来そうじゃねーか…

 ……馬鹿…ううん…私も馬鹿……


 麻美が居なければ、俺は中学の時に死んでいた。


 麻美が居なければ、俺は高校二年まで生きられなかった。


 麻美が居なければ、ずっと朋美に苦しめられていた。


 麻美が居なければ、弱いままだった。


 麻美が居なければ、俺は此処まで来られなかった。


 麻美が居なければ…


 居なければ俺は…


 俺は………


 その麻美と、一瞬とは言え、恋人になれた…


 俺は満足だ。いい人生だったと胸を張って言えないけれど、他の奴等には麻美はいない。俺だけだ、麻美がいるのは。だから、俺はもう満足だ………



 気が付くと、俺は光の中にいた。

 その先には眩いばかりの世界…

 海?水?そんな感じのふわふわした世界…

 ただ居るだけで安心できる世界…

 此処は…いわゆる天国か?だけど裁判なんかしていないが…それをやって、天国か地獄か決まるんじゃねーのか?

 …まあいいや。この世界に無粋な突っ込みは無用だ。

 願わくば……

 麻美も早く此処に来られるように…

 二度と会えなくてもいい。擦れ違いでもいい。

 何時かこの世界に来られるように…

 取り敢えず今は…いずれ来るだろう、親父やお袋、国枝君達の為に、座布団でも温めて待っていよう。

 ヒロは此処に来られるかは解らないが、一応あいつの分も温めてやろうか。

 俺は安らいだ気分のまま、漠然とそう思った……

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