二学期~001

 夏休みも終わり、今日から二学期。見事な秋晴れだ。

 と言っても全然夏だが。まあ、早朝だから少しは涼しいかな。

 日課のロードワークをこなす俺。いや~。いい汗掻いたぜ!!

「おい隆!!何ちんたら走ってんだ!!」

 俺に撃を飛ばすのは、海から帰ってから一緒にロードワークをしているヒロ。

 以前はそれぞれの時間でそれぞれ勝手に走っていたのだが、あの日からヒロが毎朝家に来るようになった。

 別に大した事も無いんだが、こいつもいちいち心配性なんだな。

「なぁヒロ」

「なんだ?」

「大丈夫だから、来なくていいぞ?」

「何を勘違いしてんだお前?俺は一人で走るお前が寂しいだろうと思って、付き合ってやっているだけだ」

 どんなツンデレだこいつは?心配してくれている事には、素直に感謝するけどさ。

 実は、海から帰った次の日。俺は朋美の見舞いに病院に行ったのだ。

 見舞い、と言うより、絶縁しに行ったのだが。

 朋美がどこの病院の何号室に入院しているかは知っている。

 入院して直ぐ、朋美からメールで聞いていたからだ。

 どうせ行く事も無いだろうとスルーしていたが、消さなくて良かったとマジ安堵した。

 消していたら、また調べなきゃいけない。最悪槙原さん達の御厄介になっていたかも。

 兎も角、海のお土産を持って病院に行った訳だ。そう言えば、内臓を患って入院しているのに、菓子をあげてもいいのだろうか?だが、もう買ってしまったのだ。仕方が無い。

 そこのところの配慮に欠けるのは、本気で人としてどうか、と思う。

 最悪持ち帰るしかないな。失敗した。花とかの方が良かったよな。

 そんな事を考えていると、病院前にバスが止まる。

 あれこれ考えても仕方が無い、つか、出だしにもなってないのに、既に間違えているとか、少しばかり成績が良くなったとはいえ、俺はやはり残念なのだ。と自己嫌悪に陥った。

 覚悟を決めていた俺の足取りに迷いは無い。真っ直ぐに病室に向かった。

だが、ドアの前まで来て躊躇した。

 面会謝絶の札が貼っていたからだ。

 これも依然木村から聞いていたので、心構えは出来ていたつもりだが、やはり目の前にあると、込み上げてくるものがある。

 そっと聞き耳を立てる。

 無音、だが、人の気配はする。

 俺はそっとドアを開けた。

 カーテンを閉め切った真っ暗な室内。テレビの光のみが明りだった。

「……なによ。来なくていいって言ったでしょ」

 酷く冷たい声。本心で拒絶している感じだ。

「なんでもいいわ。早くドアを閉じて。早く!!」

 言われるがままにドアを閉じた。

「全く…ほんとイライラさせるんだから!!大体アンタ等は!!」

此処で漸くこっちの方を向いた。

 そいつはやけにぎょろついた目を大きく見開いて、固まった。

「た…隆…?」

 名前を言われて頷いた。こっちもこれで確信を持った。

 この痩せこけて、所どころに白髪が混じっている乱れた髪。これがあの朋美なんだ、と。

「あ、あはは、ご、ごめん。ウチの者だとばっかり思って…」

 照れ隠しなのか、髪を掻く。

 指に髪が数本、絡まった。ちょっと掻いただけで、そこまで髪が抜けるのか…

 良く見ると、ベッドの枕の所にも、結構髪が散らばっていた。切ったものじゃない、抜け落ちたものだ。

「気にすんな。ほら」

 持って来た土産を渡す。

「あ、ありがとう…」

「あ、でも入院中だし、食べられる物も決まっているんだろ?駄目ならいいんだ。代わりに、下の売店で別の物を買うから」

「ううん。いいよ、これで。この所、少し調子いいんだ」

 悲壮感が漂う笑いを向けられる。

 だが、調子がいいのは、多分麻美が祟るのをやめたからだろう。

 俺の渡した土産の匂いを嗅ぎ取ったか、呟くように言う。

「なんか海の匂いがする………」

「ああ、キャンプに行ったからな。その土産だ」

「そっか。ジムの合宿か」

 得心したように頷く朋美に、否定の言葉。

「いや、友達と一緒に、ただ遊びに行ったんだよ」

 一瞬固まったが、表情を緩めて頷いた。

「大沢とかぁ。隆って、大沢しか友達いなかったもんね」

「ヒロもそうだが、木村って奴と国枝君と、あと女子が6人か」

 ただでさえぎょろついている目を、更に大きく見開いて俺を見る。

「どうかしたか?」

「……女子って誰?」

「女子は女子だろ。お前には全く関係ない」

 下手に名前は出さないようにしよう。おかしな逆恨みで、あの三人が危ない目に遭うのは、御免こうむるからな。

「関係あるよ!!隆は私の!!」

 ベッドから身を乗り出す朋美を、手のひらを翳して止める。

「お前は俺の幼馴染。ただそれだけだ」

「お、幼馴染は確かにそうだけど!!」

「幼馴染で不満なら、俺の敵だ」

 朋美が険しい顔の儘固まった。

 俺も自分でも解る。酷く冷たい目をぶつけているのが。

 絞り出すようにか細い声で「どうして」と言った。呟いたんじゃない、喉から音が出て来ないとの感じだった。

「お前は俺の大事な女子を、間接的に殺した。それだけでも、充分敵視する理由になるだろ」

「…あの子はあの五人が…」

「もう知っているんだ。全てな。証拠も欲しいのなら用意もできる。なんならネットで広げてやってもいいぞ」

 ハッタリだった。提示できるような証拠は無い。

 今持っている証拠は、何とでも言い逃れができる、脆いものばかりだ。

 だが、それでも朋美を黙らせる程度の効果はあった。関係無いのなら否定できるのに、黙った。

「……俺はお前の物にはならないし、思い通りにもならない」

 朋美の口尻が持ち上がる。

 俯いたまま言う。

「随分な自惚れだね?私がアンタに気があるとでも思っているの?私はアンタがみんなに嫌われていたから、虐められていたから仕方なく構っていただけだよ。アンタなんかなんとも思っていない。自意識過剰もいい加減にしたら?」

 隆からアンタになったか。漸く本心に近い所まで見せてくれたな。

 俺は無言でスマホを取り出す。朋美はそれを見て「?」な反応をした。

「今のお前の言葉、録音されてもらった。お前は仕方ないから、と言ったな。俺は仕方なく構って貰いたくない。なら、お前と俺の意見は一致した」

「な、何言って…」

「俺に構うな。関わるな。俺もお前には金輪際近寄らない」

 朋美が漸く顔を上げて、俺を直視する。そのぎょろついた瞳を、大きく見開きながら。

「ち、ちょっと待ってよ、今のは…言葉の綾…」

 身を乗り出す朋美。俺は身体を退いて、それを躱す。

「その言葉の綾に、小さい頃から俺は苦しめられてきた。お前の傲慢な態度や癇癪でな」

 もう朋美は言葉を発しなかった。

 言えば言う程俺が思い出してしまうからだ。過去にあった朋美からの被害の事を。

 腕を伸ばして俺に触れようとした姿の儘、固まる朋美。その状態が暫く続いた。

「……もう何か言う事も無さそうだな。恨み言は無いのか?この際だ、聞いてやる。だが、恨み言なら、俺の口から出る方が多そうだが」

「……………」

 やはり何も喋らない。

「何も無いのか。なら、もう用事は無いな」

 俺は踵を返して病室から出た。

 後ろの朋美がどんな表情をしていたのかも知らない。

 もう俺達は何の関係も無い。今後関わる事になるとしたら、敵として無慈悲に攻撃する時だけだ。


 そんな訳で、ヒロは朋美を警戒して、俺の早朝ロードワークに付き合ってくれているのだ。つか、お前が言いに行けっつったんだろうに。

 しかし、あれから別に何かあった訳じゃ無い。

 チンピラも時々朋美の家の前で見かけるが、ただそれだけ。静かなもんだ。俺が絶縁したからって、親が報復する筈も無いし、朋美が言ってもうんと言う筈も無い。

 更に、組の者に何か言い付けたとしても、前科が前科だから、言う事を聞く筈も無い。

 だから必要無いと言ったのだが、こいつも頑固で心配性。自分が納得しないと引き下がらない。さっきも言ったが、お前が言いに行けって言ったんだが、その事を気に病んでいるようにも見える。

「お前も訳解らん事を言ってないで、ロードワーク終わったら、ゆっくり歩いて帰るんだ。だが、あまりゆっくりもしてられないぞ。今日から新学期だからな。新学期早々遅刻はまずい」

「それはお前の事だ。俺は此の儘家に帰ればいいだけだが、お前はそれから自分家に帰るんだろ?時間が足りないのはお前の方だ」

「それはホラ…俺は遅刻ギリギリが好きだから…」

 しどろもどろで言い訳し始める。

 だからいらないって言っているの。。お前を遅刻させてまで付き合わせたくないんだよ、こっちは。

「うお…もうこんな時間…」

 ヒロが時計を見て真っ青になる。

「早く行けよ。遅刻するぞ。マジで洒落にならん」

「お、おおお、お前がちゃんと家に帰ったのを確認してからだ!!」

 解った解った。俺が早く帰ればいいんだろ。

 そう思って駆け出す。

「だから歩けって言ってんだろ!!クールダウンもしないのかお前は!!」

「早く帰れっつったり、歩けっつったり、どうしろって言うんだお前は」

「黙れ。ゆっくり歩け」

 はいはい、と歩く俺。どんな過保護だ。

「よし、それでいい。それでいいぞ…」

 言いながら時計を見て足踏みしまくっているぞ。

 時間が無いのは解っているんだから。お前こそ急いで帰れよなあ…

 家に着いたと同時にダッシュして立ち去るヒロ。

 なんなんだ一体。自分はクールダウンしなくていいのかよ?

 何ならシャワーと朝飯食って行けばいいのに。

 まあ、俺はゆっくりと支度するかね。

 定例のシャワー浴びの朝飯、次は着替えだ。今日から新学期。制服も冬服になるが、まだ暑いしな。

 よし、夏服で通そう。暑いからな。

 そうと決まれば早速着替えて、だ。

「さて、行くか」

 玄関を開けて空を仰ぐ。

 まだまだ太陽は全盛期。冬服にしなくて良かったな。

「おはよう緒方君」

 声を掛けられて振り向く。

 国枝君が俺と同じく夏服を着て、門前に立っていた。

「お、おはよう国枝君…な、何でここにいるの?」

 国枝君の家は最寄駅の二つ先で、俺ん家にわざわざ寄ったら、学校と逆方向に向かう事になるから、遠回りになるんだが…

「何でって、一応気にはしているんだよ。僕も焚き付けたしね」

 笑いながら頭を掻く。

「まさか迎えに来たのか!?わざわざ学校と逆方向に歩いて!?」

「わざわざって程じゃないよ。一駅分だけ歩いたと思えば、大した問題じゃないしね」

 それを一般にはわざわざと言うんじゃないかな……

 俺は恐縮しまくってぺこぺこ頭を下げる。

「気にかけてくれてありがとう国枝君。だけどマジで問題ないから。本気で気にしないでよ。何にも起こってないんだからさ」

「うん。本当に何も起こっていないようだね。だから緒方君も気にしなくていいよ」

 さあ、行こうか。と、一人で勝手に歩き出す。

「う、うん…」

 戸惑いながら返事をし、俺は国枝君の後を追った。

「二学期だっていうのに、まだまだ夏だね」

「う、うん」

 呑気に世間話をする俺達だが、何故か俺だけキョドっている。

「そう言えば進路は決めたかい?確かまだ提出していないのは、緒方君と春日さんだけだったよね?」

「春日さんも?いや、決めるも何も、普通に就職か進学かのどっちかだから、焦らなくていいかなと…」

「その就職か進学かと決めなきゃいけないんだけどね…」

 そうなんだけど。これ以上勉強したくない気持ちもあるし、もっと勉強したい気持ちもあるしな…早く働きたい気持ちもあるし。

 因みに、と聞いてみる。

「国枝君は勿論進学だよな?」

「うん。楠木さんと槙原さんも進学だったような。あと大沢君もか」

 ヒロが進学!?あの頭で入れる学校あるのか!?だったら俺もそこに行きたいわ!!

「緒方君が知っている人だと、蟹江君、吉田君は就職か専門学校。赤坂君はラノベ作家だったような」

「赤坂君らしいな…寧ろ赤坂君そのものだ」

 素直に感心する。自分が成りたい、やりたい道に進むとは、やるな赤坂君。デビューするまではフリーター、もしくはニートって事になるんだけど、そこは触れないでおこうか。

「あ、木村君も進学だって言っていたよ」

「あいつも進学!?マジで!?」

「木村君、結構頭いいんだよ?おかげで黒木さんは偏差値上げなきゃ同じ大学いけないって、半べそ掻いてたよ」

 黒木さんより頭良かったのか…えっと、俺と黒木さんの成績はどっちが上だったっけ?俺も結構成績上がったからなあ…

「そっか。みんな色々考えていたんだなあ…俺も本腰入れなきゃ」

 何となく感じる、置いてけぼり感。

 何か気持ちがせかせかし出した。

 学校に到着。靴を履きかえている最中、国枝君が不思議な事を言った。

「緒方君、何か感じても、いつも通りにね」

 肩を叩かれ、笑顔で言われて、俺はなんのこっちゃかも解らないのに「うん」と頷いた。

 教室に入る。

 俺の席の周りに陣取っていた女子達も既に登校し、座っていた。

 しかし、何か違和感があった。

 なんだろう?なにかいつもと違う…

 首を捻っていると、国枝君に肩を再び叩かれる。

 耳元で「いつも通りに」と念を押すように言われる。

 いつも通りか…俺は自分の席に座り、隣の春日さん、楠木さん、そして斜め前の 槙原さんに「おはよう」と挨拶をした。

「あ、おはよー隆君」

「……おはよう」

「おはよー」

 ……何も変わった所は無いように感じるが、違和感バリバリだった。

 何と言うか、俺が席に着くまで、それぞれが自分の世界に閉じ籠っているような…

 違和感の正体を探るべく、隣の楠木さんに話し掛けた。

「そういや海に行った後、誰とも連絡取っていなかったんだよな。あれから何か集まりあった?」

「いや、何も無いよ?みんなそれぞれ夏を満喫していたんじゃない?私は塾に通い始めたから、遊ぶ暇無くなっちゃったけどね」

 楠木さんが塾通い?なんでまた?

「なんで意外そうな顔してんのよ?受験生になるんだよ?当然じゃん?」

 笑いながらの返し。あー。この笑顔、可愛いなあ。いつもの楠木さんだ。

 ならばもう一人の隣人、春日さんにも同じ質問をぶつけてみよう。

「春日さんは?何してたの?」

「……私はバイト…いつもと変わらないよ」

 そうだよな。いつもバイトしているのが春日さんだ。

 因みに、と、聞いてみる。

「バイトしたお金って貯めているの?」

「……うん。前は使い道があまり無かったから漠然と貯めていたけど、今は目標があるから、余程の事が無いとバイトの休み、貰わなくなったかな…」

 余程の事、あのコテージのキャンプは余程の事なんだろうな。休み無理やり貰ったみたいな事言っていたからな。

 じゃあ最後に、槙原さんに聞いてみようか。

「槙原さんは?やっぱり塾?」

「私は塾にはまだ通うつもりは無いよ。あの後は、まあいろいろとね」

 思わせぶりだな。良いけどさ。

 だが、これで全員と話が出来た。特に変わった事は無いが、違和感が消えない。

 何だ一体?いつもならここで麻美に頼る所だが、生憎と自分から出て来るなと、全部自分で解決すると言った手前、泣きつくにはカッコ悪すぎる。

 つか、頻繁に出過ぎたから悪霊化した訳で、これ以上はなにもさせたくない。ただ見守ってさえいてくれたらそれでいい。

 じゃあやはり、自分で違和感の正体に気付くしかない。

 もう一度三人を見る。

 三人とも静かなもんだ。楠木さんはスマホを弄っているし、春日さんは文庫本を読んでいる。槙原さんは音楽を聴いているのかな?イヤホン付けているし。

 ……ん?楠木さんがスマホを弄っているのは解る。何度も見たから。

 だが、春日さんが文庫本を読んでいるのを見た事は無かったし、槙原さんが音楽を聴いているのも、ホームルーム前に限定すれば見た事は無い。

 つか、以前は、ホームルーム前はチャイムが鳴るまで三人でお喋りしていた。そうじゃ無かったら、俺に話し掛けて来ていた。

 だが、今はそれが無い。俺を避けている?

 いや、そんな感じじゃなった。少なくとも普通に接してはいた。

 なら、もしかしたら、ひょっとして…

 何か解らないが、背筋が寒くなる。

「おおおお!!セーフ!!まだ鐘鳴ってないよな!!」

 ヒロが汗だくで教室に飛び込んできて、俺の思考は中断された。

「ギリだよ大沢。ちょっとヤバかったよね」

 にしし、と笑う楠木さん。

「……隆君に付き合っていたから仕方ないけど」

 淡々な春日さん。つか、ヒロが俺に付きあってロードワークしているの知っているのか?

「波崎がぼやいてたよー。もうちょっと余裕持って欲しいって。全てにおいて」

 こっちも悪戯に笑う槙原さん。

 だが、互いに目を合わせようとしない。

 話をしようともしていなかった…

 つまり、三人が三人とも無視をしている?

 前は仲良かったのに?

 あのキャンプから帰って数日の間に、何が変わったんだ!?

 俺が感じた違和感はこれだったのか。

 うすら寒くなった感覚はこれだったんだ…

「どうした隆?顔色悪いぞ?」

 ヒロが顔を覗き込んで言う。

 まさか女子って怖いとは言えず、ただ引き攣り笑いで返すしかなかった。

 そして丁度いいタイミングで鐘が鳴る。

「ホームルームが始まるな…良かった、新学期早々遅刻じゃ無くて…」

 安堵しながら自分の席に戻るヒロ。

 それを目で追うと、国枝君と目が合った。

 国枝君は少し笑いながら頷いた。

 俺が気付いた事を気付いたんだろう。

 国枝君はこうなる事が解っていたんだ…

 三人がそれぞれ距離を置く事を…

 授業もそっちのけで考える。この状況をどうにかできないものか、と。

 少なくとも、周りには三人が無視し合っている事はバレていないが、時間の問題だろう。

 そうなると、三人とも居心地が悪くなるんじゃないか?

 確かに友達と呼べる人は数少なくとも居るようだが、仲良しって訳じゃ無かっただろう。

 と言うか、三人が仲良しだった訳で、その三人が仲違いした訳で…

 考えれば考える程、訳が解らなくなって来る…

 苛立ちで頭を激しく掻いてしまう。

 隣の春日さんが俺の様子を察知したのか、小声で「どうしたの?」と聞いてきた。

 どうしたもこうしたも…言える訳が無いだろ。

 引き攣った笑いで返すのが精いっぱいだった。

 またまた気付いた事があった。

 この場面だと、もう一つの隣の席の楠木さんも、俺の様子を気にしてどうしたの?と聞いて来ていたのだが、楠木さんは真面目にノートを取って、こっちを見なかった。

 ちゃんと授業に集中している。これも驚くべき事だ。いや、塾にまで通う事にしたんだから、やる気が出たって事なんだろうが…

 一体何があったんだ?俺はパラレルワールドに迷い込んでしまったのか?と真剣に疑った。

 漸く昼休みになった。

 俺は速攻で国枝君をとっ捕まえて、教室から出た。

 其の儘屋上に向かって早足で歩く。

 引っ張られている国枝君も抵抗する様子は無い。何の話か大体解っているみたいだ。

 屋上まで来たが、生憎鉄製のドアには鍵が掛かっていて外に出られない。苛立ちながら必死にガチャガチャやっていると…

「此処でいいんじゃないかな。誰も来ないと思うし」

 そう…だったな。

 過去何度も繰り返して、何度も屋上に足を運んだが、邪魔が入った事は無かった。

 まあ、あの時の俺は、触れたら殺されると思われていた事もあるんだろうけど。

「で、何の話だい?」

 ニヤニヤしながら国枝君が聞いて来る。やっぱ知っているようだ。

「……もう知っていると思うけど、楠木さんと春日さんと槙原さんが、お互い無視しあっているんだよ」

「そうだね、それで?」

「それでって…」

 それで?どうしたい?どうなればいい?

 俺はいったい何を思って、何をしたいんだ?

 腕を組んで考え込む俺に、国枝君が見かねたように助け船を出す。

「緒方君は折角仲良くなったんだから、喧嘩しても仲直りした方が良い、と思っているのかい?」

「そ、そうだ。何か違う感じするけど、そうだ」

 概ねそんな感じだ。若干違うような気もするが。

「言っておくけど、彼女達は別に喧嘩した訳じゃ無いよ」

「え?じゃあなんで?」

「距離を置いた。馴れ合いはしないとの意思表示。此処からはガチ。そんな感じかな?」

「やっぱ喧嘩じゃねーか!!」

 これを喧嘩じゃ無いと言うのなら、一体何だと言うのだ?

 国枝君はやはり微笑を浮かべて答える。

「違うよ。敬意を表して戦うべき敵。ライバル。だよ緒方君」

 ライバル?何の?

 意味が解らず首を捻るばかりだ。

 今度は呆れたように溜息をつかれて、やれやれと言って口を開いた。

「緒方君を取り合うライバル、だよ。緒方君が腹を決めて須藤さんに縁切に行ったように、秋までに完全決着を着けると決心したように、彼女達もいよいよ本気で殴り合おう、って思ったんだよ」

 殴り合う?いや、比喩かなにかだろうが、色々と洒落にならんのじゃないのかそれは?

 戦略で槙原さんに敵うとは思えないし、追い込みすぎれば、春日さんは刺し殺してしまうような気がするんだが…

 俺の不安を察知したのか、国枝君が大丈夫。と言って続けた。

「緒方君が嫌う事は絶対にしないよ彼女達は。例えば楠木さんは身体を使って薬と用心棒を雇った過去があるけど、それをあの二人にしたとしよう」

「つまり、身体を使って、どこかの糞をゲットして、春日さんと槙原さんを脅かす、もしくはぶん殴って脅す、もしくは強姦させて精神的に殺すって事だな。うん、それで?」

「随分と飛躍させたような気もするけど、まあそんな感じ。だけどそれをやったら緒方君にどうしてもバレちゃうよね?」

 そりゃそうだ。槙原さんか春日さんが俺に言うだろうし、言わないにしても、いくら俺でも様子がおかしい事には気付くだろう。当然問い詰めるだろうし。

 頷いて肯定し、話を進めて貰う。

「そうなると楠木さんには完全に勝ち目が無くなる。ばかりか、緒方君が同情して他の二人とくっついちゃう可能性が大きくなる。だからそんな事はしない」

 同情で付き合ったりしねーよ。と言いたい所だが、否定できない…

 有り得る。充分に有り得る。俺って優柔不断だし、慰めている内に、なし崩し的に…って感じで。

「じゃあ槙原さんが得意の情報操作で他の二人を潰そうとする。だけど緒方君は槙原さんのやり方を間近で見て来たから、直ぐに槙原さんの仕業だって解っちゃう。直ぐじゃなく、それが成功してめでたく槙原さんと付き合ったとして、後に解ったらどうなるだろう?」

「そりゃあ、そんな奴と付き合う訳無いし、心底嫌うようになるだろうな。朋美のように」

 頷く国枝君。

「槙原さんはとても慎重だろ?もう病的なくらい。そんな槙原さんが、そんな戦略を組む筈が無い」

 そうだろうな。槙原さんは石橋を叩いて叩いて叩き捲って渡るタイプだ。

 だから何回も繰り返した過去でも、槙原さんと付き合った事は一度しかない。逆に俺の方が不審に思って。

 槙原さんの性格が過去にも現れている証拠だ。

「で、春日さんだけど、春日さんは嫌われるのが怖い。一人になりたくないって気持ちが大きいと思うんだ」

 それは確かに、俺もそう思う。

 だけどそれは多少改善されたんじゃないのか?

「そんな春日さんが完全に一人になる可能性がある。楠木さんと槙原さんを殺しちゃう事」

 心臓の鼓動が大きくなった。

 春日さんは過去に俺ばかりか、槙原さんも刺殺した事がある。

 何かのきっかけであの二人を刺し殺す?

 ……残念だが、その可能性は否定しきれないな…

 何と言うか、衝動的?追い詰められて?兎に角危ういんだ、春日さんは。

 それもあの二人と仲良くなって、だいぶ改善された筈だが。

「万が一、何かの拍子に、痴情の縺れでも何でもいいけど、あの二人を殺しちゃったら、緒方君にも完全に嫌われる。そして友達を殺すなんてことはしたくない。絶対に」

 そりゃそうだろ。春日さんにとっては、あの二人は多分初めて出来た親友なんだ。失いたくないだろう。俺の事を別としても。

「だから距離を置いたんだ。万が一を無くする為に」

 ……別の言い方をすれば、万が一を覚悟しているとも取れるな…

 俺が思考していると、パン。と手を叩いて鳴らし、俺の意識を自分に向けた。

「まあ、そんな感じだよ。だから緒方君は何も心配しなくていい。彼女達が決めて実行しているだけだから」

「だ、だけど俺が一人を決めるって事は、二人はアレになる訳で…」

 その話も海でしたけど、やっぱり俺って駄目だよな…どうしても、残った二人の事を考えてしまう…

「彼女達は多分ちゃんと祝福すると思うよ?だって互いに大切な友達だからね」

 友達…そっか、あの三人は友達同士…どうなっても友達の儘で居るって事も言っていたし…

 俺の気にし過ぎなんだろう…な…

「二学期が終わる頃、秋まで決着付けるんだろうから、それが過ぎたら元の友達に戻ると思うよ。早く彼女達を友達に戻したいって思うんなら、緒方君がその分早く決めちゃえばいい話なんだよ」

 ……やっぱりそこに戻るんだ。全て俺次第だと。

 まあ…そうだよな。全部俺次第。俺が全ての元凶で、全て俺が悪い。

 だから俺が責任を以て全てやり遂げなきゃならない事なんだ。

「あまり考え過ぎる事は無いよ。自然体でありの儘に、心の儘にだよ。さあ、お昼の時間が無くなっちゃうよ。早く昼ごはん食べなくちゃ。緒方君はお弁当かい?」

 言われて首を横に振る。今日は弁当を持って来ていない。

「じゃあ学食かい?それとも購買のパンかな?」

「……えっと、決まってないけど…」

「じゃあ僕に付き合ってくれないかな?僕も今日はお弁当を持って来ていないんだ。カレーでも食べようと思ってね」

 俺は頷いて答える。

 正直あまり食欲が無いが、こんな時間まで付き合ってくれた国枝君に対して、勝手にカレーでも何でも食え、とは言えない。

「じゃあ付き合ってくれるお礼に何か御馳走するよ。幸い食券を二枚持っているんだ」

「い、いや、悪いよ。俺の方が最初に付き合って貰ったんだし」

 拒否る俺だが、国枝君はいいからいいから、と言って先に歩き出す。

 凄い申し訳無い気持ちでいっぱいだ。かくなる上は、食券で支払う前に、俺が現金で二人分支払うしかない。

「緒方君はラーメンだったよね。はいどうぞ」

「……ありがとうございます…」

 俺はテーブルに置かれたラーメンを前にして、深々と頭を下げた。

 このラーメンは国枝君が持っていた食券で買ったもの。つまり結局奢って貰ったのだ。

 理由は簡単。財布を忘れてお金を持っていなかったからだ。

 恥ずかしい!!ものすっごい恥ずかしい!!

 さっきまでの俺に落ち着け!!財布確認しろ!!と過去に遡って言ってやりたい!!

「いいよ。有効期間が明日までだったからね。使わないと勿体無いじゃないか」

 国枝君が持っていた食券は金券タイプだった。

 なのに有効期限を設けているとか、せこ過ぎる学校だな。

 いただきますを言い、箸を割る。

 学食のラーメンは食べ盛りの高校生相手に考案されたもので、基本大盛りだ。早く食べないと麺が伸びてしまう。

 ハフハフ言いながらズルズル啜る。

 旨いって程じゃ無いが、まあ食える。

 いや、旨い。店のラーメン程じゃ無いにしても。国枝君に奢って貰ったんだから、まあ食えるとか、失礼過ぎる。だからこのラーメンは旨い。

「そう言えば」

 そう、国枝君が発したので、俺は首を其方に傾けた。

「さっきの話の続き…って訳じゃ無いんだけど、須藤さんは本当に動いてないんだよね?」

 動くも何も、あいつはベッドの上。組の者に指示も出せない。出したら自分の父親にとんでもない目に遭わされる。つか、そんな糞くだらない我儘に付き合う程、組の者も暇じゃないし、組長に迷惑が掛かる事はしないだろう。

 だが、一応警戒はしているし、万が一、あの三人が標的になる可能性もあるので、あの日家に帰ってから、三人には言ってある。

「今のところは、としか言えないな。スマホで証言録ったってのもハッタリだし」

 あれは咄嗟に出た口から出まかせ。俺にしてはナイスハッタリだっただろう。

「そうなんだ。うん、だったらいいや」

 頷いてカレーを口に運ぶ国枝君。

 ちょっと気になった事を聞いてみる。

「国枝君はなんか俺を誘導しているように思うんだが、ひょっとして川岸さんの指示か何かか?」

 一瞬固まり、微笑する。

「よく解ったね」

 やっぱりそうか。先回りしたような感じの言い方は『知っている』風だったからな。

「霊視ってヤツか?」

「う~ん…僕もよく解らないんだけど、そんな物かもね。川岸さんはほら、アレだから」

 俺達にはあんま縁のない世界だからな、解らないのも当然か。

 つか、縁はバリバリあるか。俺は幽霊に憑かれて人生を何回もやり直したし、国枝君はそれを見切った程の、霊感の持ち主なんだから。

 因みに、と、聞いてみる。

「川岸さんから、今回の結果とか聞いてない…?」

 もう控えめに言った。声がめっさ小さかったし。

 国枝君は苦笑いしながら答える。

「残念ながら、緒方君の聞きたい事は聞いてないよ」

 そ、そうか。答えが解っているのなら、そのように行動するが吉、との俺の浅ましい考えはバレバレだったか…

 恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だ。

「と、言うか、緒方君がどこに居るのか解らないから知りようが無いらしいよ」

 何?俺ってそんなに存在感無いの?空気なの俺?

 これまた果てしなく落ち込むんだけど…

「そんなにズーンとなる事は無いよ。そんな事が解るのはほんの一握り以下だって話だし。川岸さんも話のついでに聞いたって言っていたしね」

 何?全く解らんのだけど?つか、話のついで?誰かに俺の事を話したのか?

 俺が馬鹿なのが悪いのは言うまでもないのだが、もうちょっと順を追って説明して欲しい…

 国枝君はそんな俺の意を汲んで話はじめる。

「並行世界、って知っているかい?」

「え?何それ?知らない…」

 首をぶんぶん振る俺。

「そうだな…緒方君はこれまで何回か高校生活を繰り返して来たんだよね?」

「そ、そうだけど…」

「で、全て死んじゃった訳だけど、その世界では緒方君が亡くなった後も当然時間が進んでいる訳だよね。歴史が刻まれていくと言ってもいいかな?」

 そ、そりゃそうだ。俺中心で世界が動いている訳じゃ無い。俺がいなくても、世界の時間は進む。

「緒方君はこれまで100以上の繰り返しをしてきた。つまり100以上の世界に住んでいた。その世界が並行世界だよ」

 ……そこまで聞かされて朧気ながらに思い出す。

 麻美が似たような事を言っていたような…だが、俺の理解力じゃさっぱりで、今も実はよく解っていないのだが。

「緒方君の繰り返しは、多分だけど、無事に過ごせる未来を探す旅じゃないか、と川岸さんは考えている。無数に存在している並行世界にきっとある一つの未来を探す旅だって」

 うん。やっぱりよく解んない。

 勉強だけじゃ無く、雑学も鍛えた方が良さそうだな。

「要するに、今の世界が無事な世界かは解らない。と言う事?」

 頷く国枝君。

「もっとも、僕もよく解らないんだけどね。川岸さんも実の所あまり知らないみたいだし。受け売りって言っていたよ」

 ふ~む…川岸さんもよく知らない事なのか…だったら俺が解らなくても、何の不思議も無いな。

 解っている事は、やっぱ俺次第だって事。つか、いつもこの結論に戻るな。

 だったら何も考えなくてもいいような気がするが、やっぱ色々考えてしまう。

 俺は基本ヘタレなんだから、チキンなのは仕方が無いんだ。

 どっちにせよ、これがラストチャンス。

 死ぬも生きるも、不幸になるも幸福を掴むのも、これで終わり。どんな結果になろうとも、受け入れるしかない。

「おっと、ちょっと時間食い過ぎちゃったね。早く食べないと午後の授業に遅れちゃう」

「え?マジ?つか、ラーメン伸び伸びになっているな…」

 話に夢中になってラーメン食うのを忘れていた。

 結果ラーメンは倍増した。ちっとも有り難くない倍増だ。

 麺がブヨブヨしてコシが全く感じられない。スープも麺が吸収して、だいぶ減ってしまった。

 しかし、これは国枝君の奢り。残すような不躾な真似は許されない。

 俺は一気に麺を啜る。

 柔らかくなり過ぎて歯が全く必要無い状態の麺になったが、これを完食。スープは少なくなってしまった為に、難なく飲み干せた。。

 ごちそうさま国枝君。今度は俺が奢るよ。

 ちゃんとゆっくり食える環境と場所で。

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