さよなら~004

 玄関先に着いて、俺の脚が止まった。

 誰かいる?

 今は警戒する必要が無くなった筈だが…それでも過去にぶち砕いたバカが、報復 宜しく張っている場合もあるかもしれない。

 ゆっくりと、じりじりと人影に近寄る。それは小柄な女子のシルエットに見える。

「え?春日さん?」

 玄関先で待っていたのは、先に帰った筈の春日さんだった。

 春日さんは俺の姿を見ると機械的に辞儀をした。

「え?何時からいたの?」

「……学校から帰ってから、ずっと…」

 そんな時間から!?寒いだろ!!

 俺は春日さんの手を取り、言った。

「は、早く家に入りなよ。寒いでしょ?」

 春日さんはその手をやや遠慮がちに振り払い、首を横に振った。

「……用事済ませたら、すぐに帰るから」

「で、でも、それにしたって夜空は寒いでしょ?用事なら家の中でゆっくり…」

 だが、春日さんは首を横に振る。

「じゃあ温かい飲み物でも…」

「……お別れに来ただけだから…」

 心臓が跳ね上がった。

 寒さも気にならない程に、鼓動が激しくなって行く…

 言葉が全然出て来ない俺だが、春日さんは構わずに進めた。

「……私、隆君を諦める事にしたから…」

 ストレートを顔面に喰らったような感覚。

「……私には隆君にあんな表情させる事が出来ないって気が付いたから…今まで我儘言ってごめんね?」

 あんな表情って…どんな表情だったんだ?

「お、俺の顔って、どんな顔だったの…?」

 質問したが、逆に質問で返される。

「……映画の演技中、隆君は誰の事を考えていたの?」

 強烈なリバーブローを喰らった気分。

 俺でも自覚している。麻美の事だ。それで時折寂しそうに笑っていたのか…

「……勝てないって解っていたけど、負けても傍に居られればいいって思っていたけど…何でかな…予想以上に痛かったの…」

 なんて言ったらいいか解らなかった。だから俺は無言になって俯いた…

 春日さんが何か言っていた。だが、俺の耳には雑音しか入らない。

 まだ言っている。しかしよく聞き取れない。

 俺の耳は一体どうしたんだ?いや、耳と言うより、頭に入って来ないのだ。

 軽く頭を振ってよく聞こうと顔を上げた。

 口元が辛うじて見えた。なんでだ?これ以上頭が上がらない…

 それでも必死に聞き取ろうとする。

 春日さんの唇が動く。


 さ


 よ


 な


 ら


 俺は強引に頭を上げた。

 春日さんの顔を良く見る為に。

 しかし、それは叶わない。

 春日さんはもう振り向いていたからだ。

 もう歩き出していたからだ…

 さよなら…そう言っていた。

 俺は振られたのか…意外とキツイな…こんな気持ちを、あの三人に与えようとしていたんだな…

 春日さんはかなりの勇気を振り絞って、俺に最後の言葉を告げに来た。それを聞かなかった、聞けなかった。立派なクズだ。大和田君や花村さんの事を言えない。

 自己嫌悪に自己嫌悪が重なった一日だったな。

 消えてなくなりたい……

「おい」

 うるせーな。感情に浸らせてくれよ…

「おい隆」

 身体を揺するなよ鬱陶しいな…

「おい隆!!」

「なんだよ!!って…ヒロ?」

 いつの間にかヒロがいて、俺の身体を激しく揺すっていた。

「お前、何時の間に?」

「お前こそこんな寒い中、外で何突っ立ってやがるんだ?いつから外に居た?」

 何時からって…つか、今何時だ?

 スマホを見て愕然とした。

「……三時間前からのようだな…」

「アホかお前は!?早く家に入れ!!」

 ヒロに引っ張られて家に入る。此処は自分の家なのに、おかしな感じだった…

 ヒロは勝手知ったる何とやらで、俺の部屋のストーブを付けて台所に行った。

 かと思ったら、手にはマグカップが二つ・

「コーヒーだ。あったあまるぞ」

「…俺ん家のコーヒーなんだが…」

「うっせえな。いいだろ。俺も寒いんだから」

 そう言って一口啜る。釣られて俺も。

「…あったけーな…」

「だろ?」

「いつものネスカフェの味だ…」

「それを言っちゃあ…」

 無粋なのは解るが、言わざるを得ない。こういう時はココアだろ。家に無いから買いに出なきゃいけないけども。

「んで、何があった?」

 直球で訊ねて来る。ヒロらしいが、もうちょっと遠回りしてもいいと思う。

 俺の気持ちも察して欲しいが、奴なりの気遣いなんだろう。回りくどく聞いて来ないのは。

「…別に…」

「何も無い訳じゃねえな。大和田の事や花村の事でも無い。映画の事じゃ無い。そんくらい解るぜ。長い付き合いだからな」

 …そうだったな。俺が何か抱えている時に、一番早く気付いてくれたのはヒロだった。

 麻美が死んだ後、俺を支えてくれたのは紛れもない、こいつだ。俺の嘘誤魔化しなんて楽勝で見抜く。

「……振られた」

「ん?」

「…春日さんに振られた」

 俺はそう前置きしてあの出来事を語る。

 聞いて欲しかった?促されたから?解らないが、素直に、事実だけを述べた。

「……そうか。だけどよ、振られたって事はねえだろ?」

 一通り聞いたヒロ、そして続けた。

「だってお前等、付き合っている訳じゃねえし」

「そうだけど、言ってしまえばそうだけど」

 身も蓋も無い返しだったが、その通りだ。しかし、何と言うか…気持ちが離れて行くのを実感した事が…

「お前は追いかけられる側だったから戸惑うのも無理はねえけど、そんなもんだぞ?」

 そんなもんって…春日さんは他の女子と違う…

「お前、今春日ちゃんは他の女と違うとか思っただろ?」

 ギクリとする。エスパーかこいつ?

「春日ちゃんだって、可愛くなってコミュレベルも上げて、お前に振り向いて欲しくて頑張って頑張ってだ、当のお前が他の女の事考えているって知ったら、心折れるだろ」

 そうだけど…それを理解してくれていると思っていたんだが…

「理解している振りをするのが限界だっただけだ。やっと自分に素直になったんだと俺は思うよ?」

 理解している振り、か…かなり無理させていたんだな…やっぱり俺ってクズだ。

「自分から解放された春日ちゃんは、お前よか幸せになると思うぜ?いつまでも死んだ女に未練たらたらなお前よりも」

 激しく胸に刺さる言葉だった。

 何の反論も出来ない。全く以ってその通りだと、俺も思うからだ。

「…まあ、春日ちゃんが離れて行ったのは仕方ねえ事だとして、本題はお前が帰った後の事だ」

「仕方ねえって…本題って…」

「だって俺が来た理由はそれだもの」

 そうだろうけど、傷心の俺にもうちょっと気遣いが欲しい。

「お前が帰った後、俺とか楠木が宥めていたんだけど、花村とかクラスの一部が、お前の事ぼろくそに貶してよ」

「やっぱり居ない奴の悪口で盛り上がったんじゃねーか」

 俺の言った通りじゃねーか。予想通り過ぎてコメントがねーわ。

「俺もキレそうになったけど、槙原が堪えろ、ってうるせえから我慢した」

 槙原さんの名前が出て来なかったから、どうしたんだと思っていたが…

「……何か企んでいるよな?」

「多分な。こっそり動画を撮っていたからな」

 …一応言いたい。

「俺は何とも思っていない…てのは嘘だけど、揉め事は嫌だぜ?」

「俺に言われてもな…」

 そりゃそうだ。槙原さんがどうするのか、俺にもヒロにも測れない。

 解らないので、槙原さんの企みは一旦置いておく。

「で、明日どうするよ?あんな空気になったんじゃ、クラスで協力なんて不可能だぞ?そうじゃ無くても、お前春日ちゃんと顔合わせ難いだろ?」

 …春日さんの事は、俺が振られたっつー事なら…

「…こういう場合はどうしたらいい?」。これまでと同じように接する」

 まあ…それが理想だが…

「避けられた場合は?」

「そりゃ仕方ねえから、あいさつ程度のクラスメイトになるさ」

 そうなるか…それしかねーよな。俺春日さんに対しては受け身だったし。自分から何かやって来た訳じゃねーし…

「んで、話戻るけど、明日どうするよ?サボるんなら付き合うぜ」

 う~ん…文化祭はもう冷め捲っているからどうでもいいけど、責任ってのがなぁ…一応主演だし…そうなった場合春日さんはどうするんだ?主演女優だろ?性格上サボるとは思えないけど…

 もしも俺がサボったら、ヒロもサボる訳だ。

 ひょっとしたら国枝君も出て来ないかもしれない。黒木さんと里中さんも同じだろう。

 最悪春日さん一人で回す?

 そんな真似させられねーだろ!!いくら顔合わせ難いっつっても、それとこれとは話が違う!!

「いや、出るよ。責任は果たさなきゃ」

「一番責任取らなけりゃならない奴が逃亡したんだが…」

「それでも、クラスは巻き込めないだろ。花村さんもそこら辺は空気読むだろ。実行委員だし」

「お前の言い分にムカついている奴、花村だけじゃねえんだが…」

 正論を言われると逆ギレするもんだ。それによって孤立するのもいいさ。

 例え誰も協力しなくても俺は出る。筋は通してナンボだろ。

「俺にムカついている奴がいようが、クラス展示の主役は俺だ。俺が行かないでどうするよ?」

 ヒロは大きく溜め息をついた後、力無く頷いた。

「お前の頑固は死ぬまで治んねえなあ…」

 何回も死んでいるんだが…まあ…直った事は無いかな?

「俺は正直ぶん投げたいんだが…お前が出るっつうなら、付き合うしかねえよな…」

「いや?お前はお前の道を行けばいいと思うが?」

「優を招待した手前ってのもあるからな…」

 結局行くんじゃねーか。さては俺をダシにして、行けなくなったと言うつもりだったのか?

「しゃあねぇ、行くなら行くで早い所休むか…おい隆、俺の布団」

「え?お前泊まって行くつもりなのか?」

「家帰るの面倒くせえ」

 ゴロンと横になるヒロ。此の儘寝てしまえば風邪を引いてしまうな…

 俺は仕方なくヒロの布団を敷いた。

 いや、仕方なくじゃねーか。

 正直一人で居る事は苦痛だったかもしれない。春日さんの事を思い出すから。


 灰色の風景…テーブルに椅子が二脚…

 これは…またいつもの夢か…

「呆れられちゃったねー、隆」

 周りを見回していた俺に、いつの間にかそこに居た麻美が、からかうように話し掛けてきた。

 俺はじろっと麻美を見て、椅子に腰掛ける。

「…自業自得だからな。しゃーねー」

「そう。自業自得。どうすんの?私を本当に成仏させる気あるのかな?」

 咎めるような瞳。俺は咄嗟に目を逸らす。

「これって残り二人も危ういんじゃない?今日のマックでもやらかしちゃったしねー」

「あれは俺は悪くない」

「悪い悪くないの話じゃない」

 低く押し潰した声が俺を捉えた。

「…やらかした事をどう思っているのか?って訊いてんのよ…」

「…正直後悔はしているが、謝罪はしたくない。俺は悪くないからだ」

 少しの沈黙の後、大きな溜息を吐く麻美。こいつも呆れているようだった。

「まあ…気持ちは解るけど…恋人だけじゃ無く、友達も作れないよ。それじゃ」

「陰口叩いて笑っている奴と友達になりたくねーよ。責任丸投げで逃亡する奴と同様にな」

「…ホント頑固だねえ…」

「頑固で結構。友達作れなくても、恋人作れなくても、お前は絶対に成仏させる。力付くでもな」

 本当は本人の望みを叶えて、心残しが無くなるようにして成仏させるのが望ましいが、そうで無く、強引に『送る』ってヤツの方だ。

 麻美は半分悪霊だからその手が使える。しかしながら、話が通じる相手なので、強引には送らないのが普通だそうだ。

 だから、それをやっちゃあ、俺は死ぬほど後悔するだろう。実際に自殺するかもしれない。

 だが、成仏させなきゃ駄目なのだから、悪手とは言え選択する場合だってある。それが俺の覚悟だ。

「…カッコつけているつもりだろうけどさ、単純に負けだよね、それ」

「お前相手なら負けでも全然構わない」

 これも本心。だが、やはり悪手の選択は最悪の場合だ。期限ギリギリまで、自分なりに精一杯頑張る事には変わらない。

「…私もさ、隆を責める気にはなれないんだよね、実際。だってあいつ等、隆の悪口を楽しそうに言っていたからね」

 灰色の背景が濃さを増す。

「だから私が殺してもいいかな?って思ったりもしたんだよね………」

 背景が渦を巻く。灰色を完全の飲み込むように。

 これ…ちょっとヤバくないか?今は半分悪霊だけど、殺したくなるとか言っちゃったりしたら…

「麻美、ちょっと落ち着け」

「落ち着いているよ。でもこの思考はヤバい。ホントヤバい。あ、でも完全に『あっち側』になったら強引に除霊も出来るよね。そっちの方が隆の負担も少なくなっていいのかな……」

 渦が激しくなって来る。灰色の背景が麻美に吸い込まれるように。

「俺は諦めた訳じゃねーからな?まだちょっと時間はあるだろ」

「私だって諦めてないよ。まだちょっと時間が残っているから」

 そこで漸く渦が止まった。

 灰色の背景は、より黒の方に近くなっている。

 まだギリギリ留まっている。そういう感じだった…

「…助けて…」

「え?」

「…私、悪霊になりたくない…」

 麻美が抱き付いて来る。

 冷たい体温…細い腕…しかし、しっかりと力強く。

 俺の胸の辺りが冷たくなって来る。水?いや…涙…

「怖いの。自分が自分で無くなるような。頑張って踏み止まっている状態の今がしんどいの!!」

 俺は麻美の身体の腕を回…せない…

 先考えていた強引な除霊を、こんな細いか弱い女子にやろうとしていた。その罪悪感、その無責任さに、抱き締める資格が無い。

 俺は…やっぱりクズだ。

 考えているようで何も考えていない。ただの棚上げしか出来ない、クズだ…


 …おい…


 俺は…


 おい!!


 …俺は無力すぎる…


 おい隆!!


 誰の期待にも応えられない…中学時代から少しマシになったと思っていたのは、ただの驕りで…


「おい隆!!」


 ……


 光が目の飛び込んでくる…なんだ?ヒロの顔がぼやけているような…

 上体を起こして、改めてヒロを見る。やはりぼやけている。

「…もう朝か…」

「ちげえよ。まだ三時過ぎだ」

 夜明けにもなっていないじゃねーか?何で起こした?

「…お前、酷く魘されていたぞ。それで目が覚めて、取り敢えず起こしてみたんだが…」

 魘されていた?麻美の夢を見て?そんな馬鹿な…

「…お前、泣いているのか?」

「え?」

 言われて袖で拭う。

 そうか。それでぼやけて見えたのか…

 そうか…俺は泣いていたのか…

「大丈夫かお前?」

「…大丈夫に決まっている…」

 勿論強がりだ。ヒロも当然それを知っている。

「そっか。んじゃ寝ろ。朝走るんだろ?」

 そう言ってゴロンと布団に横になる。

 強がりを知っているからそれ以上は聞かない。俺が言わないのも知っているからだ。

 俺もベッドに横になる。

 瞼を閉じるも眠れない。思い出す麻美の涙。弱音…

「ちくしょうが…」

 つい口に出る、悔しい時に出る言葉。

 何も出来ない。何もしていない。自分の不甲斐無さに。

 弱い俺は失いっぱなしだ。麻美を失い、春日さんには呆れられ、遂には麻美の希望まで奪ってしまう。

 ……そんな事があって堪るか…どんな手を使っても、麻美はちゃんと送り届ける。

 こうなれば、やっぱり川岸さんの案を採用して…

「楠木と槙原がまだいるな。春日ちゃんみたいに心折れなきゃいいけどなあ…」

 飛び起きてヒロを見る。

 クークーと軽い寝息。モロ演技だ。バレバレだ。

 つか、その寝言のチョイス、キツイよ。

 川岸さんの案に乗ろうとした矢先なのに…こいつ、俺の心を読んでいるのか?

「……逃げんな、って事か?」

「すーすー」

 寝息で返事すんな。

「……麻美を早く安心させようって思った俺は馬鹿なのか?」

「…まだ二人居るんだぜえ…短絡的な行動取ったら後で絶対後悔するくせによ…かーかー」

 …話が嚙み合っているような、いないような…

 だが、間違いじゃない。どんな行動を取ろうが、俺は後で絶対に後悔する。


 朝…いつも通りに柔軟して、走って。朝飯食って、ヒロにもついでに食わせて。

「あー。文化祭最終日だなー。打ち上げとかするのかな?」

「あっても俺は出ねーぞ」

 その前に誘われないと思うけど。

「そりゃお前は出ねえだろ…お前だけじゃ無く、国枝も黒木も里中も出ねえだろうな」

「お前は出るのか?」

「義理も何にも感じないモンに出るより、優と遊びに行くわ」

「その波崎さん今日来るんだろ?どうすんの?」

「普通にその辺回る。映画観たいっつうなら観りゃいいし」

 そんな他愛の無い事を駄弁りながら教室に向かうと、俺達より早く来ていたクラスの連中がざわめいていた。

「どうしたんだ?何の騒ぎだ?」

 ヒロがクラスの中を覗き込み、絶句した。

 クラスの中が荒らされていたからだ。

 並べられていた椅子は全部倒され、スクリーンは破かれ…そして…

 肝心のフィルムが無くなっていた…

「誰がこんな真似…」

「つか、これじゃ上映できなくね?今日どうすんの?」

「言ってもカス映画だからな。クラスの恥晒すより、上映中止の方が良いかも」

 騒ぎになってはいるが、誰も焦っていない。寧ろホッとしているような…

「うわ!?なにこれ!?」

 実行委員の花村さんが惨状を目にする。

「誰がやったの!?つか、一人しかいないか!!」

 昨日の事でちょっと気まずいが…聞いてみる。

「花村さん、心当たりあるのか?」

 俺を一瞥して、吐き出すように言う。

「大和田以外にいないでしょ!!」

 …そうだよな。大和田君以外に誰がやるってんだ。

「あの男!!ホントに足引っ張るような事しかしないんだから!!」

 花村さんの怒りも解るが…

「そりゃ、誰だってネタにされりゃキレるでしょ?」

 さも当然とばかりに話しに割り込んできたのは槙原さんだった…

「槙原…!!っ…言ってもアンタも笑い者にしていたでしょ!?」

「え?私何も言ってないけど?言い掛かりでしょそれ?」

「そ、そうかもしれないけど!!」

「因みに僕も言ってないよ」

 槙原さんと花村さんの言い合いに参戦してきたのは国枝君だ。

「みんな言っているみたいな言い方されちゃ困るよ、ねえ緒方君?」

 振られて頷く俺。

「そ、そりゃ言い過ぎたとは思っているけど!!こんな真似までする事無いでしょ!!」

「そうだなあ。こりゃやり過ぎだ。そう思うだろ隆?」

 ヒロに振られてまた頷く。

「緒方君もそう思って…」

「でも、隆は言い過ぎだ、やり過ぎだってお前に言っていたよな?気に入らないってよ。同じ事されて、お前はキレんのか?あ?」

「そ、それはそうだけど…」

 ビクつく花村さん。ヒロが若干キレ気味だからか。結構迫力あるんだよこいつ。

「うわ!?なにこれ!?」

 遅れて到着した黒木さん、里中さん。そして…春日さん。

「ああ、今朝来たらこうなっていたのよ。多分大和田の仕業じゃないかって」

「大和田の…そりゃそっか。あそこまで馬鹿にされて…いや、馬鹿にされるのは仕方ないけど」

「うんうん。駄作を売りにされてコケにされたんだから、その作品の上映を阻止したくなる気持ちは解るわ~」

 なんか槙原さんの振り(?)に軽快に答えているけど…打ち合わせでもしたのか?

「で、でもあいつが先に投げ出したから…」

「……言い過ぎで弄り過ぎ…拡散までさせるなんて悪趣味」

 春日さんが非難した!!これには全員吃驚だ!!

「……緒方君もそれを何回も注意した筈だけど、花村さんはやめなかったよね。報復の報復をされても仕方ないんじゃないかな?」

 一部が別の事で驚き、目を見張る。

「…春日ちゃん、今なんて?」

「……報復の報復?」

「じゃなくて!!緒方君って?」

 コックリ頷く春日さん。言い間違いじゃないと解って、更に驚いていた。

「……そんな事より」

「「「そんな事お!?」」」

 声が裏返る槙原さん達。彼女達の中では相当な事件なのだろう。春日さんなりのケジメだろうけど。

「……そんな事より、上映出来ないなら、事情を説明してクラス展示、中止にしなきゃいけなくない?」

「そ、そうだね。春日さんの言う通りだ」

 キョドりながらも同意する国枝君。国枝君的にも意外だったのか。

「じ、じゃあ花村、先生に報告宜しくね」

 驚きながらも続ける槙原さん。確かに報告は必要だ。

「な、なんで私が…」

「だって実行委員でしょ?」

 槙原さんの言う通り、その仕事は実行委員である花村さんの仕事だ。しかし、この不祥事は確実に怒られる。

 備品管理もできない、後片付けしていないからこうなった、と注意される。

 つまり実行委員の力不足、能力が無かったと見做されるだろう。

「そ、そうね。この有様じゃあ展示は無理だし…」

 職員室に行こうとする花村さん。

「これって内申に響くよね」

 槙原さんの一言で足が止まる。

「花村って進学だっけ?」

「う、うん…そう…」

「学校側が不祥事にしなきゃいいけどね。盗難なんて事件だけど、うまく揉み消してくれればいいよね」

「不祥事い!?」

「そう。不祥事。盗難は事件性あるから警察に訴えれば介入してくれるけど、そうなったら確実に内申が、ね。」

 脅してやがる…えげつねー。

 つか、学校が警察呼んで大袈裟にする訳が無いじゃないか。揉み消して厳重注意で終わりだろ。学校の評判を落としなくないんだからさ。

「ど、どどどどど、どうしよう!!困るよ凄く!!」

 慌てふためく花村さん。超へっぴり腰になって、槙原さんに縋るように。

「どうしようって…実際問題フィルムが無いんだから…暗幕とか座席とかはどうにかなるにしても…」

 上映しようが無い。物理的に無理。

「お、緒方君!!アンタどうにかしてよ!!主役でしょ!!」

 なんか発言したら、超無茶振りが返って来た!!

「主役だからどうにかしろって…それ、実行委員の仕事放棄?」

 いつの間にか現れた楠木さん。物凄い怒りの眼を花村さんに向けている。

「だ、だって緒方君主役だし…」

「ほーん。なんだ。あんな大口叩いた割には大和田と変わんないね。責任転嫁で逃亡か」

 花村さんは言葉が出なかった。その通りだから。

 そして、俺の陰口を叩いていたであろう連中も、気まずそうに俯いていた。

 何もしない癖に、便乗してその場の空気に飲まれていた連中。

「緒方君、どうしたの?難しい顔して?」

「いや…なんか面白く無いって言うか…」

「だったら言えばいいんだよ。大口叩いて陰口で笑っていたくせに、何か起こった時はダンマリか?って」

 おお…国枝君も怒っているな…

「…つか、どうすんのマジで?実行委員さん、判断してよ」

 苛立ちながら花村さんに詰め寄る楠木さん。

「ど、どうするって言われても…上映出来ないから…」

「……だったら先生に報告して、クラス展示を中止にしなきゃ」

 その通りの事を言う春日さん。

「だ、だけど内申が…そ、そうだ!!フリートークを回せば!!」

「観ていない奴が大半来るだろう、今日にフリートークだけで回せって?来た客は全く意味解らなくて困惑するだけだろうが」

 ヒロにしてはド正論。花村さんはとうとう顔が見えなくなるまで俯いてしまった。

 このままじゃ埒が明かない。上映不可能は決定なんだし、要するに、誰が叱られるかだろ。

 しゃーねーなと踏み出す俺。

「どうした隆?小便か?」

「どうしたもこうしたもね-だろ。誰かが言わなきゃいけないんだろうが」

「……緒方君が…行くの?実行委員でも無いのに?」

「一応主演だしね。だけど春日さんは来なくていいよ」

「……どうして?」

「春日さんが言いに行っても、誰かに押し付けられたんだろうってくらいにしか思われないからさ」

 その押し付けたのが俺だと誤解されちゃ堪ったもんじゃない。だったら最初から俺が行けばいい。

「流石隆君!!私が好きな人なだけはあるね!!」

 槙原さんの言葉にムッとした表情を見せた楠木さん。春日さんは…無表情だった。

「…マジなんだ…」

 槙原さんが確信したようだった。それを確認する為に、そんな恥ずかしい事を言ったのか…

「まあ…それは一旦置いといて、主役に丸投げした監督さんを非難して恨みを買うように回した実行委員さんは、その監督と同じ事を主役に押しつけました。で。OK?」

 問われた花村さんは全然言葉を出さない。だんまりを貫いて俯いたまま。

「その主役に陰口を叩いたその他の連中は?なんで誰も何も言わないの?陰口じゃなきゃ何も言えない?」

 え?実は俺以上に怒ってんの?槙原さん、追い込み方がパネエんだけど?

「……と、もう時間切れ」

 槙原さんが教壇の反対側の方を見る。

 そこの天井にはビデオカメラがひっそりと設置されていた!!

 上手く蛍光灯の陰に隠れていた為、注意して見なければ気付かないレベルの設置だった!!

「え?な、なにあれ?」

 花村さんが明らかに動揺した。今の会話の全てを撮られていたから。

 非難した、大嫌いな大和田君と同じ事をした映像をだ。

「見れば解るでしょ?これを上映すんのよ。そしたらさ、花村は先生に言いに行かなくても済むし、内申も問題ないでしょ?」

「ち、ちょっと待って!!じゃあフィルムとか機材とか隠したのは槙原!?」

「まさか。今朝一番に登校して来て、この状況を知ったのよ。だから代わりに上映出来るのを撮っただけ。昨日の動画も含めて上映すれば、きっと面白いよ。アンタが昨日呼んだ同級生また呼んでよ?あ、今日の司会は私ね。アンタは主役だから、ちゃんと質問に答えてね。昨日の隆君達みたいに」

 真っ青な花村さんに対して納得した様子の国枝君とヒロ。

「昨日言いたい放題を許して、動画を撮っていたのはこの為か」

「しかも、不祥事の責任を取りたくないって、緒方君に無茶振りしたのも含めてね。この事件が起きなきゃどうしていたんだろ?やっぱりどこかで動画をアップしていたのかな?」

 つか、そっちの方が本命だったんだろう。たまたま盗難が起こっただけで、それに便乗したんだろう。

 しかし、それはクラス展示じゃない。槙原さんの作品だ。

「槙原さん、それってクラス展示じゃないからノーカンになるだろ」

「まあね。誤魔化しね。だって花村、責任取りたくないって言うんだもん。協力しなきゃでしょ。」

 槙原さんは物凄く悪い顔で笑った。その笑顔も見慣れたけど、見慣れないなあ…

「でもやっぱり却下だろ」

「じゃあ花村が先生に言いに行けばいいんだけど。どうすんの?私はどっちでもいいよ?」

 そう言って花村さんをじっと見る。花村さんは青い顔をしたまま動かないし、答えない。


 ちっ


 舌打ちしたよ。何か好戦的だな、今日の槙原さんは。

「私はどっちでもいいよ。花村に選ばせてあげるよ」

 もう一度同じ事を言うが、花村さんの反応は変わらない。

 そうこうしている間にも、刻々と時間は過ぎて行く。

 誤魔化しを上映するか、先生に言って展示を辞めるか。どっちを取ろうが、決めなきゃいけない時間だ。

 動かない花村さんを見る。拳を握って青い顔のまま。内申ってそんなに大事か?まあ、人それぞれだし、そもそも自分は傷付きたくないのかもしれない。

 じゃあやはり、と俺が口を開く。

「俺が言いに行くよ。上映不可って」

 槙原さんはちょっと残念そうな顔をした。

「せめて実行委員に仕事させた方が良くない?」

 まあ、それには同感だが…つか、それが筋なんだが。

「このままじゃ埒あかねーから。どうせ叱られるんなら、誰が行ったって一緒だろ」

「だよね。どっちみち後で怒られるもんね。実行委員は」

 そう。実行委員は遅かれ早かれ叱られる。躊躇していたのを誰かがチクったりしたら、もっと叱られる。

「仕方ねえな。俺も一緒に行ってやるよ」

 ヒロがしゃしゃり出て来た。一応これも仕事のつもりなのだろうか?

 そんなヒロを、手を翳して制したのが…春日さんだった。

「……私も一応主役だから…私が緒方君と一緒に行くよ」

 ヒロは昨日、春日さんが呆れて離れて言った事を知っている。だからなのか、少し困った顔を拵えた。

「春日ちゃんは、その、隆と一緒に居たくないんじゃないかな~っ…って…」

 ぶんぶん首を振っての否定。

「……緒方君は、大事な大事な、大切な友達だよ、一緒に居たくないなんて事、有り得ない。それに…」

 俺の顔をじっと見てくる。今日初めて直視された。毎日こうだったのだが、これからは…

「……最後だから、こうするの」

 俺は黙って頷いた。

 槙原さんと楠木さんは、少し険しい顔をしていた…

 職員室では先生方が困った困ったとぼやいている。困ったのは俺達の方だってーの。

「じゃあ2-Eの展示は中止…でいいんだな?」

 頷くしかないだろ。アホかこいつ等。

 中止にしろと、どの先生も言わない。俺達から中止を申し出させようってのが見え見えだ。責任取りたくないんだろうな。

「……逆に何かいい手があったら聞きたいのですが」

 春日さんの逆襲。黙る先生方。春日さんもちょっと怒っているようだ。あんな駄作でもヒロインやったんだからな。

「そ、それは今なにも思い浮かばないが…急だったからな」

「……私達のクラスも盗難が起こる事は誰も予測していませんでしたが。急でしたけど」

 言い訳になってないと暗に非難している。

「そ、そもそも備品管理がなってないからこうなるんだ!!」

「……教室に鍵を掛けられるのですか?見たところ、ただの引き戸でしたが。監視カメラは設置してないですが?これを教訓に、その辺りを検討して貰えるのでしょうか?」

 グイグイ突っ込むなぁ…春日さん、マジにキレている。おっかねえ。

「じゃあ聞くが、起こった事は仕方ないとして、今後の対策をどうとれと言うんだ!!経費が掛かるのは駄目だぞ!!」

 逆ギレかよ。マジみっともねえな。ぶち砕いてやろうか?

「……取り敢えず警察に通報しようと思います。そして盗難があった事を全校生徒に伝えて注意を促します。これで大分抑止できるんじゃないかな、と」

「け!警察沙汰はマズイ!!駄目だ駄目だ!!却下だ!!」

 俺も思った通り、警察に通報は無いようだ。評判落したくないって言うやつで。つか、ウチの学校は別に進学校でも何でも無いんだから、そこまで評判気にする必要も無いと思うが。

「……では先生方の方で考えておいてください。私達はもう行きますので…行こう?緒方君」

「おう」

 俺達は挨拶も辞儀もせずに職員室から出た。

 保身ばっか考えて、何もしやがらねえサラリーマン教師を尊敬などできない。だから挨拶も辞儀もしない。

 どの教科の教員でもいい。一人でもいい。ちゃんと警察に通報して、今後の対策に取り組んでくれていたら…また俺達も違った反応をしただろう。

 教室に帰る道…

 何となく無言で並んで歩いていた俺達。だが、やはり気になったので聞いてみた。

「春日さんが報告に名乗り出たのは正直意外だったよ。俺、完璧に呆れられたと思っていたからさ。話するのも嫌なのかもな、と思っていた」

「……呆れてなんかいないよ。私の入る隙間が見当たらなかっただけ…私だけじゃないか。誰もが、かな」

 それはやはり麻美の事…

「……それに嫌ってなんかいないよ。恋人を諦めただけだから。友達なら近くに居てもいいんでしょう?大沢君みたいに」

 麻美の事をまだ引き摺っている俺への罰…

「……先生に報告に行ったのは、並んで歩くチャンスはこれで最後だから…緒方君が他に付きな人ガ出来たら、隣はその子の物だから」

 麻美の事を気にしないで隣に居てくれる女子が現れると言うのか?他ならぬ春日さん、君が呆れた男に。

「……聞いたよ、昨日の事。責任放棄した大和田君を庇ったって」

「庇った訳じゃないよ。花村さんのやり方が気に入らなかっただけだ。危うかったから。現に今朝の窃盗騒ぎだろ」

「……その花村さんも責任放棄…いっぱい陰で悪口言っていた緒方君に責任転嫁するなんてね」

 クスッと笑う。つか、誰から聞いたんだろ?

「……昨日里中さんが怒りながら電話くれて知ったの。緒方君も空気読めなくて大概だけど、って言ってた」

 里中さんが…そうか。つか、やっぱ俺にも問題あるよなあ…

春日さんが歩みを止める。釣られて俺も足を止めた。

 そして俺と向き合い、じっと瞳を直視する。恥ずかしくて目を背けたかったが、それを許さない迫力があった。

「……緒方君はそのままでいいよ。ずっとそのままでいて」

「……」

「私の大好きな緒方君のまま、ずっといてね。隣で歩く女の子が現れても、ずっとだよ?」

 そして微笑み。再び前を向いて呟いた。

「……ばいばい…」


 これを境に、春日さんは完全に俺から離れた…

 それが春日さんの覚悟。覚悟が無いのは俺だけだった…

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