二学期~002
さて、授業も終わり、新学期最初の日、終了だ。
色々考え過ぎて授業が全く頭に入っていないが、まあ、うん。
カバンに教科書等を片付けている途中、隣の席の楠木さんがちょいちょいと服を引っ張って来る。
「なに?」
「あのね、私今日は塾休みなんだよね」
ああいうのって毎日通うものじゃないのか?家庭の事情も多々あるんだろうが。いや、ヒロは週三だったな。
「んでね、昨日まで毎日毎日通っていたんだよね」
「へー。凄いな。休みなしか…」
そうなると、話が違って来るな。たまには休んで息抜きしないとだ。
「んで、ほら」
手を差し出して指先を見せる。
意味が解らず、俺は首を捻った。
「解んない?ネイルしてないっしょ」
おお。言われてみれば。
つか、実は今知った。爪に何かしら施していたのかと。
「爪も切って短くなっているっしょ?」
「うん。そうだね」
ごめん。それも初めて知った。爪長かったっけ?家事をこなしているから、爪は普通だと思っていたが、付け爪くらいはしていたのかも知れない。
「そこで、これ」
カバンから取り出したのはチケット二枚。
見ると、ボーリングのタダ券だ。
「ボーリング行こうよ。いいでしょ?」
いいけど…
俺は焦り気味に春日さんと槙原さんを横目で見る。
二人は淡々と片付けて、こっちには興味を示さずに、既に机から去るところだった。
横槍が来ると思ったが…
安堵したが、不気味ですらある。
彼女達の間に、一体何があったんだ?国枝君は心配いらないと言っていたが…
「じゃ、お先。隆君」
俺の肩をポンと叩いて教室を出た。
何も言わないのか?
「……隆君、また明日。さようなら」
春日さんは俺の目を見てニッコリ笑って立ち去る。
春日さんも何も言わない?何で?
一人で軽くパニくっていると――
「で?どう?行く?行かない?行かないならこのチケット、誰かにあげるけど」
咄嗟に俺は頷く。
「行くの?」
「あ、ああ…」
ぱああああ、っと楠木さんの顔が明るくなった。
「よっし!!デートだデート!!久し振りのデートっ!!」
はしゃいで俺の腕に自分の腕を絡めてくる。程よい形のおっぱいが当って、気持ち良かった。
電車に揺られて五つ先の駅。つか、ここは春日さんのバイト先や、西高の行きつけの喫茶店や、でっかい本屋や、色々ある町。西白浜駅。俺も何度も使わせて貰っている駅だ。
ボーリング場もこの町にあるのだ。
つか、教室からここまで、楠木さんは腕を放してくれなかった。
ぎゅうぎゅうと身体を密着させてくる。
俺は成すが儘だった。女子はいい匂いがするなあ、とか思いながら、成すが儘にさせておいたのだった。
「着いちゃった!!えっと、チケットは…」
カバンからチケットを取り出す為に、漸く解放された。
物凄く密着されていたから温かかった。つか、暑かったが、名残惜しい。実に。
「ゲームは無料だけど、靴は有料だって。隆君、サイズどれ?」
「あ、それくらい俺が…」
出すよ、と言いかけて思い出す。
俺は今日財布を忘れて来たのだった。
電車賃も楠木さんから借りたんだった。
物凄いカッコ悪い…悪すぎる…
無料チケットは2ゲーム分。
その分だけ楽しもう。財布を忘れた俺に、ゲーム追加の選択肢は無いのだ。
しかし…意外と上手いな…
ストライクは無いが、いい感じにスペアを取っている。
「上手いじゃないか?1ゲーム目180とか」
「あはは。まあね。中学時代は暇潰しに結構やっていたんだよ。隆君は運動神経良さそうなのに、意外と…」
俺は39。ハッキリ言って下手くそだ。何故ならば…
「初めてやったからな」
「初めて!?」
驚かれたが、よく考えてみれば不思議な事じゃない。
俺は友達がいなかったのだ。そして一人ボーリングに行ける程、豪胆では無い。
「え?じゃあ面白く無いよね…?」
何か申し訳無さそうな楠木さんに対して、俺は首を振って否定する。
「いや、面白いよ。前から興味はあったし」
と、言うか、友達と出掛けたくて仕方なかった小学時代。
中学時代は糞共にフルボッコにされていたから、友達すらいなかったし。
「そ、そう?だったら良かったけど…」
「うん。だからまた来よう。今度は俺が奢るからさ」
「………うん…」
赤くなって、はにかむ楠木さん。
何か地雷踏んだのか?ボーリングデートのフラグが立っちまったような気がする…
俺は鍛えているから何ともないが、楠木さんは1ゲーム目で疲れてしまったようだ。
なかなか次のゲームが始まらない。他愛の無いお喋りが続く。
しかし、その他愛の無いお喋りが唐突に終わりを告げる。
「今日学校に来て、なんかおかしいと思わなかった?」
確かめるような楠木さんの口調。俺は言うかどうか悩んだが、生唾を呑みこむ音で、楠木さんに知られてしまった。
「気付いたようだね。流石に鈍い隆君も気付くか」
「……楠木さん、春日さん、槙原さんと話もしなかったな。目も合わせなかった」
「正確には全員が全員、そうしたんだけどね」
苦笑を浮かべる楠木さん。
ちょっと言い方が悪かった。
「そうだな。ごめん。それぞれが意図的に無視していたように見えたよ」
お詫びを言って、率直な感想を述べると、苦笑からほんわかに笑顔が変わった。
「うん。そう。そうしたの。みんなで示し合わせてね」
国枝君も似たような事を言っていた。無視じゃ無いと。敬意を持って戦っているのだと。
独り言のように話を続ける楠木さん。
「今日私が誘ったのに、春日ちゃんも遥香も何も言わなかったでしょ?今日は私の番だから、それが通ったの」
「私の番?」
頷いて更に進める。
「私の塾が休みな日、春日ちゃんがバイト休みな日、遥香が都合がいい日、その日には他の二人は邪魔しないって」
「それって…」
俺の意志はどうなるんだ?誘われたら必ず応えなきゃならないのか?
「あ、もちろん隆君は断る権利があるからね?私達だけで勝手に決めたルールだから」
そりゃそうだ。勝手に決めんなっつう話になるし。
だが、ルールか…
「じゃあ喧嘩したとかじゃないんだな?」
「喧嘩なんかしないよ。私達仲良しだし」
安心するも、そんな事が可能なのか?と疑問にも思う。
余りにも綺麗すぎる。妥協案にすらなっていないような気がする…
どうやら深刻な顔をしていたようで、楠木さんが慌てながら立ち上がり、お尻の埃を叩く。
「さって、あと1ゲーム!!せめて100は取らなきゃカッコ悪いよ隆君!!」
「お、おう…」
考えたいが、後回しにしなきゃいけないようだ。
アベレージ100か…余りにも難関。今の俺にとっては、極限まで集中しても取れるかどうか…
最初に投げた楠木さん。6-3で惜しくもスペアならず。悔しそうに装ってはいたが、あまり気にしていない様子。
つまり、無心で投げればどうと言う事は無い!!
集中しながらの無心。物凄い矛盾を感じるが、俺のイメージのみで進めていく。
じっと並んでいるピンを見る。
じっと。じっと…
狙うはど真ん中。他はどうでもいい。ど真ん中のピンを目掛けて、力を振り絞って投げる!!その一点のみ!!
「見えた!!」
ど真ん中のピン以外、視界に無い状態。極限の集中力が成せる業!!
「おおおおおおおあああ!!」
当初のプラン通り、俺は全力を以てボールをぶん投げた。
ガン
足元にボールが強ヒット。其の儘ゴロゴロとボールは転がる。
ボールは横の溝に吸い込まれ、並んだピンになんか全く行く事無く、溝掃除をして吸い込まれた。
「おおおおおお…」
ガーター…何度目の溝掃除だコレ?
あんなに集中したのにこの体たらく…俺は球技に向いていないんじゃないかと心が折られる。
「力一杯投げるんじゃ無く、置く感じだよ」
見かねた楠木さんがアドバイスをくれた。
成程、置く感じか…
このボーリングと言うゲームの良い所は、一度目が失敗しても二度チャンスがあるというところだ。
まあ、その一投目が大事なのだが、初心者には有り難い。
さっきと同じように集中する。
辺りが真っ暗になり、真ん中のピンのみが目に映る。
ここだ!!だが、アドバイスでは置く感じだ。。
しかし、置くってどんな感じなんだ?取り敢えず、さっきのように力一杯投げるんじゃない。カウンター狙いのように合わせる感じ…
つか、ボールにカウンターを合わせるようにとか、自分で言っても意味不明だ。
取り敢えず言葉通りに置いてみるか…
俺はボールを置いた。レーンのど真ん中に。
「あ」
楠木さんが、あ、とか言ったが、もう遅い。
ボールは弱々しく転がって行き、やはり溝にゴトリと落ちて、其の儘溝掃除を行った…
何度も見た『G』の文字がモニターに映し出される。
同時に俺は膝を付いて伏した。
「なんでだ!?」
「なんでもなにも…」
楠木さんは呆れを通り越して、困ったような顔だ。
「私のフォームは見ているよね?」
「勿論!!投げる時にスカートが翻るから、見ない訳が無い!!」
「……嬉しいような困ったような…」
そう言って投げるフォームを俺に見せつける。
「で、投げ終わった時に足がこう。手は真っ直ぐ上に…」
「……」
生足に見惚れる俺。楠木さんはバランスがとてもいい。程よい胸に程よい身長、程よい足。
「ちゃんと見てる!?」
「見てる見てる」
ちゃんと見ているさ。勿論別の意味でだけど。
楠木さんの、見えるか見えないかのスカートの中身と生足を堪能して終了したボーリングだが、結局俺は2ゲーム合わせて100行かなかった。
「ま、まあ、初めてで80だから…うん」
「慰めなくてもいいんだが…」
スコア345の人に78の俺を慰める資格は無い。ちくしょう。
「まあまあ…そんなに悔しがらないで。ほら、これ」
俺に差し出したのはオレンジジュースだ。今日は幸運な事に、ストライクの数だけジュースがもらえるイベントがあったのだ。
楠木さんは3つストライクを出した。ジュース三本ゲットだ。俺はノーストライクだよちくしょう。つかスペアすらねーよちくしょう。
微炭酸の無果汁ジュースを妬け酒のように煽る俺。
温い。保冷してなかったんじゃねーかこれは?
「お腹空いたね」
頷く俺だが、生憎と財布が無い。
「ご飯いこっか?」
「いや、財布忘れたからさ。今日は帰るよ」
流石に夕飯代まで借りるのは男子としてどうかと思うし、ご馳走するとか言い出しかねないから、遠回しにやんわり断ろうとして言った。
「んじゃ、ウチ来ない?晩御飯作ったげる」
ぎょっとしたが、平静を装う。
以前一度行ったが、女子のいい匂いの部屋とか、台所から聞こえてくるまな板を包丁で叩く音とかで、理性を失う所だったし。
「で、でも迷惑じゃ…」
またまたやんわり断ろうとしたが、楠木さんはグイグイ俺を引っ張り出す。
「いいからいいから。スーパーに寄ってからウチいこ?何が食べたい?」
「え?えーと…」
「おっけー。カレーだね」
有無を言わさずに決定されて、有無を言わさずスーパーに連行される俺。
自分の優柔不断に嘆きながらも、お腹はすっかりカレーモードに入っていた。
「隆君、お肉はどっち?牛肉?豚肉?」
「え?えーっと、豚…」
「あ、鶏肉が安い!!鶏肉でいいよね」
「う、うん」
「カレーは甘口?辛口?どっちがいい?」
「え?えーっと…」
「ウチに辛口のルゥの残りがあった筈だから、それでいいよね?」
「お、おう…」
「野菜も摂らなきゃね。サラダも作ろう。レタスとプチトマトにしようかな?それでいいかな?」
「う、うん…」
「あ、キャベツ半分残っていたっけ。キャベツの千切りでいい?」
「お、おう…」
と、一応俺の意思を聞いてくれるのだが、結果は全然俺の意思とは関係なく、結局食材の残り物の片付けになってしまった。
幸いに、俺には好き嫌いがないので、特に困らない。
つか、わざわざ買い足ししなくて良かったと、逆に思った。
スーパーで買った鶏肉は俺が持った。それくらいさせてくれ、と頼んだのだ。
楠木さんは、いいよいいよと断ったのだが、俺は無理やりそれを引っ手繰った。
鶏肉軽い!!仕事した気になれない!!
「別にいいのに。重い物じゃないし」
「いや、カロリーが重い」
「カロリーの事を言いますか…」
しまった!!女子にカロリーは禁句だった!!
俺は慌ててフォローする。
「く、楠木さんは軽いから気にすんな」
「誰と比べてんの?」
う…
凄まじいジト目で睨まれている!!
「だ、誰って事は無い!!見た目の話だよ!!」
「見た目なら、春日ちゃんの方が軽そうだもんね」
うおー!!なんか藪蛇だ!!確かに春日さんの方が軽いけども!!
俺は何にもしてないのに、針のムシロに座った気分で歩いた。
精神的に疲れる!!
その時、ちょうど俺のスマホが鳴った。
見ると、ヒロからの電話だった。
「ヒロからだ。ちょっとごめん」
断ってから電話に出る。
「もしもーし」
『おい、お前今どこにいる?』
「え、えーと…」
もごもごと口ごもる俺。別にやましい事は無いんだが、何となく。
『楠木か?槙原か?』
「なんで春日さんが出て来ない…」
『今日は優と一緒のシフトだからな』
ああ、成程。そう言う事ね。つか、用事は何だ?
『何ともないか?』
「何がだよ?つか、なんだ用事は?俺はこれから楠木さん家に行って、カレー食うんだよ」
『そうか。何とも無かったか…』
物凄い安堵した感じだったヒロ。一体何があったんだ?
『だから、何も無かったなら、いいんだって。』
馬鹿だろこいつ。気になる事を言って来たのはお前だろーが。
「言えよ。気になるだろ。言わなきゃお前ん家の壁に落書きするぞ」
『俺ん家の壁に落書きしやがったのはお前か!?』
マジで落書きされていたのか。何と言うか、いちいちツイてない奴だ。
「俺じゃねーよ。俺はこれからだ」
『マジですんな!!消すの大変なんだぞ!!』
「だから、落書きされたくなきゃ言えっつーの」
暫しの沈黙。重い。何なんだ一体?
「おい…なんかあったのか?」
『いや…もう解決したんだが、その前に、お前になんかあったかと思って…』
「何も無いってば。解決したんだろ?じゃあ言ってもいいだろ?」
一つ大きな息を吐くヒロ。
そして仕方なくと言った感じで、吐くように言う。
『須藤が病院脱走した。もう捕まって病院に戻ったが…』
朋美!!
お前は一体何を…!?
気付かない振りをしたが、誤魔化せなかった。
心臓が激しく鼓動している事を…!!
気が付くと、俺は明かりも点いていない、自分のベッドの上であおむけになって、天井を見つめていた。
確か、あの後電話を終えて、カレーを御馳走になって、少し休んでから帰ったんだっけか…
記憶に全く留まっていない。上の空にしても酷過ぎるレベルだ。
それ程まで、朋美が病院抜け出した事を驚いたのか?
いや、怖かったんだ。常識は通用しない相手だってのは解っていたのに。
一方的な縁切りで安心できる相手じゃ無い。その認識も甘かった。
だが、解った事もある。
やっぱりあいつはまともに動けない身体なんだ。
もっと動けるんなら、何かしらのアクションは起こっていた筈。俺じゃ無くても、春日さんか槙原さんにでも。
あいつ相手に俺がこれ以上打てる手は…
「……ないな…」
無力を痛感し、呟いた。
話合いと何度も病院に出向くのは、あいつを結局喜ばせる事になる。無視は構ってちゃん相手の鉄則だ。
かといって放置も出来ない。動けないと言っても全く動けない訳じゃ無い。それも今回証明された。
どうすっかなあ…俺の頭じゃ、やっぱ無理なのかな…
考えても考えても、考えが纏まらない。
今まで俺が無事に呑気に過ごせたのは、麻美が頑張っていたからだと、今更気付く。
いや、知ってはいたが、悪霊化しなきゃいけない程頑張っていた理由が、漸く理解できた、と言った方が正しい。
どうにかしなきゃ…
俺は兎も角、周りに迷惑が掛かる。それだけは阻止しなきゃいけない。
どうにかしなきゃ…
どうにか…
結局何も対策は浮かばず…
いつもの日課をこなし(やはりヒロはランニングに付き合いに来た)学校に向かった。
その間も朋美の事が頭から離れない。
「顔色が悪いけど、須藤さんの事かい?」
「国枝君、心配いらないから待っていなくても…」
今日も国枝君が家まで迎えに来た。ヒロが来た事も踏まえて、もしかしたら、と思ったが、案の定だった訳だ。心配性だな、みんな。
「とは言ってもね、昨日の今日だしね。病院を抜け出したんでしょ?彼女?」
やっぱり知られているか。俺は無言で頷く。
「じゃあ、病院を抜け出した彼女が、どこで見つかったか知っているかい?」
そう言えば、知らないな…俺は首を横に振る。
「君の家の前だよ」
……っ!!
なんなんだあいつ!?俺を精神的に追い込むつもりか!?
「じゃあ、それを発見して通報したのは誰か、知っているかい?」
「近所の誰かだろ…俺ん家は日中誰もいない」
親父やお袋が見つけたとは考えられないから、隣のおばちゃんか、向かいのばあさんか。
「須藤組の人だよ。須藤さんを捜して、君の家まで来たようだね」
そうか。言っても朋美ん家と俺ん家は近いからな。心当たりを捜したらそうなるか。
「須藤さんは思いの外交友関係が少ないようだね」
「外ヅラはいいから、結構知り合いはいるだろ」
「じゃあ、なんで君の家で見つけられたんだろうね?」
「俺ん家は朋美の家から近いからな。連絡を受けて飛び出して、家から一番近い俺ん家に駆け付けたんだろ」
「ああ、成程。そういう事か」
納得したと頷く国枝君。
なんか気になる事でもあったのか?あんま聞きたくないが…
「…少し急ごうか?ちょっとマズイかも」
「何?おお!!結構ヤバい時間だ!!」
とは言っても俺一人なら―で何とでもなるが、国枝君を置いては行けない。人として。
なので国枝君のペースに合わせて、小走りで進む。
「さ、さっきの話だけど!!」
「今は喋らない方がいいぞ。余計疲れるから」
「い、言っておきたくてっ!!」
「学校に付いたらゆっくり聞くよ」
ゼエゼエ言っている国枝君。これ以上の負担はマズイ。
「ぼ、僕は槙原さんから聞いた!!昨日の事!!」
槇原さんか。そりゃ納得だ。情報収集であれ程頼もしい人はいない。
「須藤さんが捕まる前に!!聞いたんだ!!」
「解ったよ。だから喋るな」
「須藤さんが捕まる前に、緒方君の家の前で捕まったって聞いたんだ!!」
俺の足が止まる。
そしてゆっくりと国枝君の方を向いた。
「……朋美が捕まる前に、俺ん家の前で捕まったって聞いた?」
それってどう言う事だ?順番がおかしくないか?
「だ、だから、槙原さんには気を付けた方が良い…」
「だからそれってどういう…」
「今は駄目だ!!遅刻しちゃう!!疑われたらマズイ事になるかも知れない!!」
ちょっとした変化も厳禁か?槙原さん相手の警戒ならそうだろうけど…
「兎に角、詳しい事は昼休みにでも話そう…」
肩で息をしながら、真剣な顔で話を切る。
なんだ?何か掴んだか?
この騒動に、槙原さんが絡んでいるのか?
ただでさえぐちゃぐちゃな頭が、更にかき乱される…
肩で息を切らせながら教室に滑り込んだ。国枝君は流石に声も出ないようだ。
「大丈夫か国枝君?」
「だ…だい…じょぶ…」
あんま大丈夫そうには見えない。一先ず着席させる。休ませる為だ。
だが、俺は休むわけにはいかない。注意深く、そしていつものように装う事を心掛けて、ゆっくり自分の机に向かった。
「おはよー隆君。昨日は楽しかったね!」
一番に声を掛けて来たのは楠木さん。隣の席だから、当然っちゃ当然だ。
俺は財布から昨日借りた電車賃やらを取り出して渡す。
「昨日は助かった。ありがとう」
「いえいえ。こっちから誘ったんだしね。あれくらい」
お金を受け取り、財布に入れる仕草を観察する。
どこも痛めていないようだ。様子も昨日と変わらない。
楠木さんは何も被害を受けていない。
漸く少しだけ安堵できた。
「……おはよう」
「おはよう春日さん」
挨拶だけして着席する。
春日さんは昨日バイトだった筈。そして槙原さんの友達の波崎さんも同じシフト。槙原さんが仕掛けるに、比較的容易な所に居る。
って、槙原さんが何か企んでいるって、勝手に決めつけんなよ俺!!
浅ましく疑った自分にムカついて、自分の頭をぶん殴った。結構本気で。
「……だ、だ大丈夫!?」
「だ、大丈夫大丈夫…」
自分でぶん殴って机に伏したとか、どんだけ馬鹿なんだ俺は!?
「……な、なら良かったけど…」
マジで心配そうな目だ。頭を心配してくれたんだな。二重の意味で。
「……今日はお弁当?」
「ん?ああ、いや。この頃弁当作ってくれねーんだよなあ、お袋は」
二年に上がってから弁当をあんま持たせてくれない。
その分昼飯代貰えるからいいんだけど。
「……じゃあ購買で…」
「パンでも食べようか。久し振りに一緒に」
言い終える前に返事をした。春日さんが俯いて頷く。赤くなって可愛い。
「……じ、じゃあまた…」
着席する春日さん。
俺も倣って着席する。そしてその斜め前…
振り向いて、ニコッと笑い――
「おはよう隆君」
槙原さんがいつもと変わらない調子で挨拶してきた。
「おはよう槙原さん」
俺もいつもの調子を崩さないように努めて返した。
「もう知っていると思うけどさ、須藤さん」
「ああ、病院を脱走したんだろ。俺ん家の前で保護されたらしいけど」
注意深く、表情を見ながら言う。
俺如きが、槙原さんから違和感を感じ取れるか自信は無いが。
「そうなのよねー。病院を抜け出した時に隆君の家に行くのは解りきっていたから、家の人に匿名で連絡しておいて正解だったよ」
あはは~、と、いつもの調子で笑う。
「え?それって槙原さん、朋美を見張っていたって事?」
「見張っていたって言うか、集まった情報にそれが入っていたから」
その言葉を疑う余地はどこにも無い。槙原さんは常にそうしてきたのだから。
だが、国枝君の言葉…
ただの杞憂?それとも何かあるのか?
解んねえ…
「しかし大沢君も遅いねえ。遅刻するんじゃない?」
そう言われてみれば、ヒロの姿が無い。
俺のロードワークに付き合って遅刻とか、本当に勘弁してほしい…
予鈴と同時に飛び込んできたヒロ。さっきの国枝君よりも息が荒い。
「はあ!!はあ!!マジでキツイ!!」
アホの子を見る目で、ヒロを見て言った。
「だから付き合わなくていいって…」
「アホかお前!?昨日の今日でそんな…」
慌てて口を噤むヒロ。
流石に朋美脱走事件を口には出来ない。少なくとも公の場では。
「……チッ、めんどくせぇが、明日も行ってやるからな隆」
面倒ならくんなよなあ…俺の方が居た堪れないだろ。少しは気を遣え馬鹿。
「それと、一つ頼みがある」
「なんだよ一体…」
「シャワーと朝飯食わせてくれ」
……重荷にしかなんねーじゃねーか!!終いには俺ん家に住み込みそうだぞ!!
だが、まあ、アレが続けば結局そうなりそうだったしな。ちょっと早い(まだ二日目だ)がいいか。
俺は心底嫌そうに繕う。
「しゃーねーな…だけど着替えくらいは持ってこいよ」
「朝飯は冗談だったんだが…」
それも知っているわ。お前も居た堪れない気持ちになれ。
「いや、ホント。朝飯はいいからな?」
「はあ?お前マジいい加減にしろよ?お前から言って来た事だろうが?」
ちょっと虐めてやれ。その方が面白い。
ヒロはアタフタし始める。
「だ、だってお前、朝飯食わせろって本気にする方が…おじさんやおばさんにえらい迷惑掛かるだろ…」
多分迷惑には思わないだろうけどな。
俺が友達を連れてくる事の方が嬉しい人達だから。
もうちょっと弄ってやろうと思ったが、予鈴が鳴って、この場は収めた。
ヒロと軽口を叩いて幾分心に余裕が生まれる。何とか感傷的にならずに考えられそうだ。
果たして槙原さんの腹の内は何だろう?
過去に言っていた事を思い出す。
目的の為なら、ずるい事でも平気でする。みたいな事を言っていた事を。
……じゃあ仮に、朋美を俺ん家に誘導したのが槙原さんだとして、何の目的があるって言うんだ?
と、言うか、誘導も何も、脱走したんなら俺ん家に来る確率は高いだろ。
じゃあ脱走を傍観したのか?槙原さんの言う通り、先回りして朋美ん家に通報しただけか?
なら、国枝君は何を警戒しろと?
うん。やっは俺頭悪いわ。幾ら考えても解らない。
ヒロと話して気が紛れた程度で、導きだせる頭は無い。
……と、明るく自虐したのはいいが、本当にどうしたもんか…
悶々としながらも昼休みとなった。
弁当が無いから学食でカレーでも…と腰を浮かせた。
「……じゃあ、買いに行こうか」
春日さんが俺の手を取り、そう言った。
あ、そっか。春日さんと麺麭だったっけ。
忘れていた事を心の中で詫びながらも、俺は解っていると言った体で頷く。
「……良かった。忘れていたんじゃないかって思ったから…」
うーむ、胸が痛い…
「忘れている訳無いだろ」
渇いた声が自然と口から出る。
「……なにか考え事をしていたようだったから…」
ギクリとした。
考え事しまくっていたのを看破されたからだ。
それは楠木さんや槙原さんにも、看破されていると言う事にもなる…
購買での熾烈な戦いにおいて、俺は狙いのパンを逃がした事は無い。売り切れ以外は。
今回新しくラインナップされた、ハニーシュガーチョコホイップクリームサンドが春日さんの狙いだろう。
これは食パンにチョコとホイップクリームをアホ程盛り付けた物をサンドにして、その上から蜂蜜をひたひたになるまで掛けて、仕上げに砂糖をくまなく振り捲った、激激甘甘パンだ。
誰が買うんだこんなもん?と思うだろうが、それを欲している奴は意外に多い。
限定10食と言うプレミアム感が、購買意欲を活性化させるのだろう。
だが、当然ながらリピーター率が悪いらしく、意外に売れ残ったりするのだ。
俺は念の為に聞いてみる。
「春日さん、アレもう食べた?」
「……うん」
「どうだった?」
「……ちょっと物足りないかも…」
ほほう。カスタード&生クリームDXより劣るのか。
……どっちにしても俺は要らんが。
「じゃあ、あのパンは無し、と言う事だな?」
「……でも、二つも売れ残っているのは珍しいかも…」
ギクリとした。二つ?俺食べないよ?ホント勘弁してよ!?
「……でも…二個も同じ味は要らないかな…」
ホッと胸を撫で下ろす。どうやら俺の分じゃないようだ。
……それはそれで少し悲しいような気もするが。
「……隆君は何食べるの?」
「俺は適当に。調理パンなら何でもいいかな」
菓子パンは要らないと暗に釘を刺す。
「……一個はあのハニーシュガーでいいよね?」
よくねーよ!!要らないからマジでっ!!
どう断ろうかと思案している最中、あの群れ進んで行く春日さん。
まさか!?自分で買いに行くつもりか!?
華奢な春日さんは、あの野獣の群れに弾き飛ばされてしまう!!
俺なら常勝無敗!!俺だったら確実にゲットできるのに!!
だがしかし!!そこにはかつて見た事のある光景が!!
春日さんが購買の前に立ったと同時に、餓鬼のように群がっていた男子共が鎮まり、モーゼの十戒のように道が出来たのだ!!
素顔の春日さんは困ったように笑って会釈をして、目当てのハニーシュガー何たらパンを二つ取った。
そしてこっちに振り向いて、天使のような春日スマイルを俺に向ける。
「……隆君、あとどれがいいの?」
チッッッッッッッッッッッッッッ!!!
俺に向けられた敵意の塊の舌打ち!!
出来るだけ声を潜めて言う。
「な…何でもいいよ…」
「……あんこまみれパンでいい?一緒に食べよ?」
チッッッッッッッッッッッッッッ!!!
二つも甘々麺麭を食べたくないが、速やかにこの場を離れる為に、何度も頷いた。
とてとてと俺の所に戻った春日さん。
「……良かった。今日もすんなり買えた」
素顔を晒した春日さんは無敵なので、メガネ春日さんの時みたいに、おろおろしてパンを買いそびる事は無い。
だが、嫉妬の瞳は常に俺に向けられる。今も無数の殺気を感じる。
俺は引き攣って笑いながら財布を出す。食べたくないとは言え、俺の為に買ってくれたパンの代金を支払う為だ。
「……いいよ。代わりにジュースおごって?」
おおお…背後に光が差し込んでいるわ…後光と言うヤツか。
「だ、だけどそのパン高いだろ?ジュースなんて精々100円…」
「……いいよ。この前バイト料入ったから。たまには、ね?」
チッッッッッッッッッッッッッッ!!!
天使の春日スマイルが俺に向けられている嫉妬の舌打ち。
居た堪れなくなり、俺は飲み物を速攻で二本買い、春日さんの手を引いて速やかにその場を離れた。
さて、無事購買から逃れた事だし、ゆっくりする為に図書室に行こう。
と、したのだが、春日さんは図書室とは真逆の方向に歩を進めた。
「どうした?何か買い忘れでも?」
「……ううん。この頃はこっちで食べているから…」
ふうん?と、後に続く。
底は裏庭のベンチ。しかし…
「日当たりがあんま良くないな…ここより中庭で…」
「……中庭は美咲ちゃんの場所だから」
……な、なんか語尾が強かったような…
「ち、ちょっと肌寒くないか?やっぱいつもの図書室で…」
「……あそこ学食から見えるから」
な、なんだ?迫力がある?絶対にここだとの意思を感じるが…
無言で俯く春日さんに気圧されて、俺は恐る恐る春日さんの横に座った。
此処で漸く笑った春日さん。いそいそとパンの袋を切って俺に渡す。
それを無言で受け取りながら言った。
「喧嘩してんのか?」
一瞬固まったが、フルフルと首を横に振る。
「楠木さんから聞いたが、そこまで分かれなくても…」
「……今でも大切な友達だと思っているよ?でも、それはそれ、これはこれ」
結着が付くまでは距離を置くのは何となく解るが、そこまで線引きする必要があるのかは解らない。だって辛そうな顔しているだろ…
「……食べよ?」
「……ああ…」
一口齧る。
……味解んねえよ。甘々な筈なのに。
こんな状態でパン食ってもうまくないだろ。春日さんだって同じ気持ちな筈だ。
だって初めて出来た友達なんだから。
黙々とパンを口に運ぶ俺達。
食事と言うより作業…
堪りかねて話し掛ける。
「やっぱちょっと甘いな」
味なんて解らないが。
「……そうかな?」
「違うのか?」
「……甘さが足りない」
ふ~ん…と頷く。
「……生クリーム&カスタードDXの美味しさに比べたら…」
「ああ、俺にはあれはちょっと無理だな。甘すぎる」
「……あのパンに蜂蜜たっぷりかければ、もっと美味しくなるのに…」
その瞳は真剣そのものだ。
黙々食べていたのは、甘さに不満だったからか?
じゃあ俺一人で微妙な気持ちになっていたの!?
それはそれで来るものがあるぞ!!
「……昨日、あの人病院から逃げたって…」
ドキリとした。あの話題の後、その話を振ってくるか!?
「……遥香ちゃんから聞いたの」
「そっか。俺はヒロから聞いた」
「……その大沢君は誰から聞いたんだろうね?」
ん?そういえばそうだな。
「……バイト先に遥香ちゃんの友達がいるの、知っているよね?」
「波崎さんだろ。ヒロには勿体無い恋人さんだ」
「……私達がシフト重なった日に来て?」
なんで?と聞こうとしたが、その眼差しが余りにも真剣過ぎるので無言で頷く。気圧されたように。
「……明日の放課後、シフト重なっているから…」
「明日?また急だな…でもまあ、久し振りに春日さんのコス見たいからいいけど」
コックリ頷く春日さん。そしてまた無言に戻る。
何かおかしな空気を感じ、俺は知らず知らずに身震いをした。
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