秋中盤~003
あと1レースで午前の部は終了だ。
ヒロが気合い入った顔を作って立ち上がる。
「行くぞ隆」
仕方ねーな。と俺も立つ。あと美木谷君と梶原君も。
そう、男子400メートルリレー。
今は一年が走っているが、その後は俺達二年の番だ。
「いいか。トップは俺、二番手美木谷、三番手梶原、アンカーが隆だ」
勝手に決められて仕切られる。釈然としない。途中棄権のアホが、何カッコつけているんだか。
一応みんなにも聞いてみる。
「ってヒロが言っているけど?」
「まあ…全然練習に顔出さなかったから、口を出す権限もないからさ。それでいいよ」
と、美木谷君。
「俺も別に構わんけど。つか、アンカーじゃないだけいいや」
と、梶原君。
『次は~二年男子400メートルリレー~』
若干間の抜けたアナウンスなれど、気合は充分だ。主にヒロが。
所定の位置に付く俺達。
「2-Eがんばれー!!」
救護班のテントの前ででっかい応援が聞こえる。楠木さんだ。ナースコスで応援してくれている。アレちょっと恥ずかしいが、かなあり嬉しいな。
「2-Eファイトー!!」
クラスの陣営の方からもでっかい応援がした。槙原さんがチアコスに再び着替えて、ポンポンを振っている。滾って来るなあ…
ん?いつの間にかでっかいノボリが立っているな。2-E勝利、か…春日さんが他の女子に支えられながら立てている。春日さんのお手製か?嬉しいなあ…
「……ちょっと取って来るか。1着5点!!」
リレーだから俺だけの力では勝てない。取り敢えずトップのヒロ、途中棄権の汚名返上、名誉挽回で1位でバトンを繋いでくれ。
ピストルが鳴ると同時にダッシュするヒロ。そしてその儘勢いに乗り、駆けた。スタミナ配分なんて考えていない。
「何やってんだ大沢!?」
次の美木谷君が青くなって叫んだが、それでいい。力尽きる前に全力でダッシュする。頭を使って走るのはヒロらしくない。
「ほら!言わんこっちゃない!」
美木谷君が更に青くなる。2位に付けていたDクラスが追撃してきたのだ。代わりにヒロが失速してきた。
逃げ切り作戦は後ろなんか気にしない。ただ前に進むのみ。例えDクラスのトップが運動部であろうともだ。
「あいつは去年まで陸上部の短距離走っていた奴だぞ!!」
なに!?現在陸上部じゃないから、ルール違反じゃないのか!!
「ヒロお!!死ぬ気で逃げろ!!つか死ね!!」
トップでバトンを渡せるかどうかでこのレースが決まる!!ような気がする!!
ヒロとDクラスが遂に並んだ!!つか、このリレーに結構運動部が投入されているのか、左程距離が開いている訳じゃ無い。ちょっとしたミスで最下位転落もある状況。要するにほぼ横一列だった。
「おおおおおおお!!」
ヒロが吠えながら美木谷君にバトンを渡した。しかし全く練習していなかったため、多少もたつく。そして、その間にDクラスがトップに躍り出た。
ちくしょう!!やっぱ一回でも練習しとくべきだった!!
「畜生!やっぱ一回くらい練習するべきだった!!」
第二走者の美木谷君も、同じことを零しながら駆ける。
それでも現在2位。差も殆ど無い、逆転可能だ。しかし、それは他クラスも同じ。3位のAクラスとの差も殆ど無い。
美木谷君の激走。しかしDクラスとの差は縮まらない。
代わりに4位に付けていたBクラスが、Aクラスを抜いて3位浮上。しかも勢いが治まらない。
ぐんぐん美木谷君に肉迫してくるBクラス。遂に並ばれた!!
やばいやばいやばい!!Bクラスの奴はええ!!
遂に抜かれた美木谷君だが、意地で再び抜き返す!!いい勝負だ!!デットヒートってヤツだ!!
ほぼ同時に第三走者にバトンを渡すも、練習全くやっていない我がEクラスは再びもたついてしまい、3位転落!!
「やっぱ練習しとくべきだった!!」
梶原君が悔やみながら叫んで走る。
第三走者のBクラスの奴は、Dクラスを抜いて1位となる。
「Bクラスはえええええ!!」
やはり叫びながら激走する梶原君。気持ちは解るが落ち着いて走って欲しい。
梶原君がDクラスと並んだ!!此の儘ぶっちぎってくれ!!!と願う俺。いや、俺達Eクラス。
「ぬおおおおおおおおお!!」
絶叫して腕を振り捲る梶原君!!遂にDクラスを抜いた!!2位浮上!!
アンカーの俺は若干緊張して梶原君を迎える準備をする。
Bクラスがバトンを受け取った。アンカーもはええ!!
「緒方ああああああ!!」
「よっしゃこい!!」
バトンが俺に渡された。
だが、全く練習していないのでまたもやもたついた。受け取った時にはDクラスに抜かれてしまった。3位転落!!
「バトン渡しの練習くらいしとくべきだった!!」
やはり俺も後悔しながら、叫んで走った。
アンカーのDクラスはええ!!
トップのBクラスとの差はほんの僅か。
「がんばれー!!」
ナースコスの楠木さんが!!
「ぶち抜けー!!」
チアコスの槙原さんが!!
「…………!!」
体操服の春日さんが、俺の為に声を枯らして応援してくれている。いや、春日さんだけはノボリを握って軽く痙攣しているけども。
「ぬおおおおおおおお!!」
俺は今年一番に真剣に走った。激走と言っていい。
「たかしー!!」
ムサイ男の応援はいらん!!
「緒方くーん!!」
国枝君の声援!心強い!!
「ぁぁぁあああああああああああ!!」
毎日毎日欠かさずランニングしてんだよこっちは!!
己のバックボーンを信じて腕を振り、腿を上げた!!
パパン!!
ピストルが鳴る!!
俺の最後の追い込みは、確かに先頭に届いた筈だが、B、D共にほぼ同着。
誰が一番先にゴールテープを切ったんだ!?
判定の体育教師を同時に見た。
体育教師は放送部にごにょごにょと耳打ちし、放送部はそれに頷いて消える。
俺は取り敢えずみんなの場所に戻る。
「ぜったい勝った!!勝ったって!!」
「いや、同着じゃないか?同着1位ってあったっけ?」
「緒方が負ける筈ないだろ!!」
「アナウンスを待とうよ!」
その通りだ。俺は息を整えながらアナウンスを待つ…
『二年400メートルリレー、一着~』
ごくり、と唾を飲み込む俺達。
『2-E~』
………!!
「「「「おっしゃああああああああああああああああああああああ!!!」」」」
クラスの全員が叫んでガッツポーズを作った!!
美木谷君と梶原君が。飛び込んでくる。
「やった!!やったぜ緒方!!」
「お前スゲーよマジで!!」
便乗してきたクラスメイトに揉みくちゃにされる俺。
応援のチアコスの女子達もはしゃいでいるし、治療所の楠木さんは万歳している。
良かった。勝ったんだ。
漸く実感できた。俺もみんなと一緒にはしゃごうとしたその時!!
「まあ想定内だな。これも俺がトップで繋いだおかげだ」
「大沢…」
美木谷君が心底哀れそうな顔で、ヒロを見つめながら言った。
「バトン渡しのミスで2位だったんだけど…」
ヒロは一瞬固まって、軽く頷いてどこかに行った。
わざわざ水差しに来て返り討ちに遭うなよなあ…
リレーの疲れが此処で一気に出て来た。
「……隆君、お疲れ様…」
春日さんがタオルを持って来てくれる。
俺は有難くそれを受け取って顔を拭いた。
水で湿らせてあった。火照った頬に気持ちが良い。
「ありがとう春日さん。あのノボリも」
フルフル首を横に振る。
「……これくらいしかできないから…」
いやいや、充分だ。応援が力になったと実感できたんだから。
「……それにしても凄いね。2冠だよ」
「2冠?」
こっくり頷き。
「……借り物競争とこのリレー。隆君だけ10点取っているよ」
「いや、借り物競争は槙原さんが1着で、リレーはみんなの力だからな」
俺はあくまでも借り物だし、リレーは一人で走る物じゃない。
それを踏まえると、俺はただ1着に絡んだだけだ。
春日さんは軽く微笑む。
「……きっとそう言うと思ってた」
いや、実際そうだから。つか、午後の二人三脚も、そう言う意味じゃチームプレイだからな。
つか、もう直ぐ昼休みだが、まだ何かあったけ?
「春日さん、レースはもう終わったんだよな?なんで昼飯のアナウンスが流れないの?」
「……応援合戦が残っているから」
おお!そういえばそうだった!!槙原さんのチアコスがまた見られるぜ!!
「応援合戦も点数入るんだよな?どうやって入るの?」
「……審査員に演武見せて、投票で順位が決まるんじゃなかったかな?」
なるほどそうか。ただポンポン振ってりゃいいってもんじゃないようだな。
さっきから他クラスの女子が長ラン着ているのも、その演武の演出の為か。
『次は~応援演舞~』
おお、始まったか。グランド中央にとたとたと集まってくる。応援演舞の選手(?)達。
女子だけかと思ったが、男子も出ているクラスもあるな。ウチのクラスは女子だけのチアだけど。
一年Aクラスから順に演技を見せて行く。審査員はPTAの役員らしき奴等。十人ほどいて、プリントとペンを持っている。見て点数を付けるんだろう。
んで、その点数が多い順から5点、4点、3点、2点、残り1点。
つか、もう一組の演技終わったのか?5分程じゃねーか。まあ、数が多いから、そ んなに時間も掛けていられないんだろう。
取り敢えず、我がクラスの演技が始まるまで、適当に流して見ていよう。
組み体操したり、ブレイクダンスもどきだったりと、意外と楽しめるな。しかしそれって応援なのか?まあ、深く考えないのに越した事は無いのだろうが。
さて、漸くウチのクラスの番だ。
チアコスで雪崩れ込んでくる我がEクラスの女子達。その中には槙原さんもいる。
「さあ!みんないくわよ!!」
リーダーらしき梅田さんの号令に「おー!!」と応えて。
ポンポンを振って定番のチアダンス。
可愛いが…あんまり練習していないのか、動きが揃ってない。弱弱しい。
最後に組み体操からのジャンプという見せ場があったが、着地失敗で尻餅をついている。
「……1点かな?」
「い、いや、まだ解らんぞ?」
「……いや、解るでしょ」
辛辣な春日さん。ま、まあ…同感だけど…
こういうのは参加する事に意義があるのであって、点数云々は別の問題だ。うん。
全クラス終えて結発表。
1位から4位まで呼ばれる。他は一律1点だから、呼ばれても意味がないからだ。
で、残念な事に我がEクラスは呼ばれなかった。よって1点。
「まあ納得だよね」とか「練習時間余り無かったからね」とか。応援女子も納得の結果だ。つか、もっと頑張れよ。
「ウチ等はクラスを応援したいんだから、点数はどーだっていいの」
いや、その気持ちは有難いんだけどな。横井さんだけが悔しそうな顔をしているのが印象的だが。
まあ、おつかれ応援女子達。さって、昼飯だ。
「隆、どっかにシート広げようぜ」
ヒロが当然のように誘って来る。断る理由もないからいいけど。
「緒方君、僕もいいかな?
いいもなにも、歓迎するよ国枝君。
「じゃあ春日さん、一緒にどう?」
誘ってみるとコックリ頷く。こうなりゃいつものメンバーを召集して一緒に食べよう。みんなでガヤガヤやりながら食えば、きっとうまく感じるだろうから。
「隆君、おべんとたべよ!!」
誘う前から楠木さんが重箱を持ってやって来た。ナースコスを辞めて体操服になっているのが若干不満だ。
「隆君、ご飯たべよー」
こっちも誘う前からやってきた槙原さん。でっかいバスケットを持っている。赤ちゃんでも入れるのか?ってくらいデカい。
「んじゃどっか適当な所に…」
ん?あれは蟹江君と吉田君だ。木陰に陣取って涼しそうだ。
俺達に気付いたようで、こっちに向かって手を振っている。
「お前等まだ場所取ってねえんだろ?一緒にどうだ?」
「今は敵だが、一年の時は同じクラスだったしな」
俺達はその申し出に有り難く乗せさせてもらった。場所取りにこれ以上時間を使いたくない。腹減っているのだ。
シートを広げて弁当を開く。
「じゃーん!!」
楠木さんが重箱を広げると、おお~と歓声が挙がった。
「すげーな…五目お稲荷と卵焼き…」
それだけじゃない。エビフライとか肉団子とか…三段のお重に、ぎっしり詰められている。
「いやー。張り切り過ぎちゃって…食べて食べて。蟹江と吉田も」
いただきまーす。と手を伸ばそうとしたその時。
「んん、ん、ん!!」
槙原さんがワザとらしい咳払いをし、バスケットを開ける。
「こっちもすげえな…サンドイッチか…」
でっかいバスケットにこれまたぎっちりのサンドイッチ。良く見ると、果物を挟んだ奴もあった。
「このツナサンドがちょっと自信あるんだ。食べて食べて。吉田君と蟹江君も」
いただきまーす。と手を伸ばそうとしたその時。
「…………」
無言で発砲スチロール製のデカい箱をシート中央に滑らせる春日さん。これって鮮魚を入れるトロ箱じゃねーか…?
一体何事だ?との空気が場を支配する。
誰も開かないのを見て、春日さん自らトロ箱を開ける。
「……巻き寿司…?」
俗に言う手巻き寿司がトロ箱にびっちり詰まっている。かんぴょうやカニカマが具材だが、中にはサーモンとかマグロも見える。イクラもあったぞ。
食中毒大丈夫か?場のみんなが言葉には出さないが、そう思っている。俺もそうだ。
「……保冷剤、底に敷いているから大丈夫。あと温度低い場所に置いておいたから」
一本ひょいと取って退けて見せると、確かに底には保冷剤が隙間なく敷かれていた。
ちょっと怖いが、対策は万全と言える。見た目も美味しそうだし、これは食べてみたい。
「……朝早く作ったの。食べて食べて…吉田君と蟹江君もどうぞ」
つまり、作り置きはしていない。鮮度も問題ないと言っているのだ。
いただきまーす。と手を伸ばそうとしたその時。
「あ、こんな所に居た!!」
と、黒木さんと里中さんがやってきた。手にはジュースが沢山入っている袋を持って。
「場所取り遅れちゃってさ。ジュースあげるから混ぜてー」
「つか、何このご馳走!?え!?食べたい!!いい!?」
俺達は楠木さんと春日さんと槙原さんを見た。作ったのは彼女達だから。
「え~!?この五目稲荷入っているお重、美咲が作ったの!?」
許可を得る前に一つ取って摘まんだ黒木さん。
「……!!美味しい!!」
「良かった良かった。遠慮しないで食べてねー」
楠木さんが嬉しそうに許可を出した。同調するかのように春日さんと槙原さんも、自分のお弁当を薦めた。
「サンドイッチも美味しいい!!」
「手巻き寿司!?春日ちゃんの!?チャレンジャーだね!!」
勢いよくぱくぱく頬張る里中さんと黒木さん。俺達の分が無くなっちゃう!!
慌てて俺達も参加する。
先ずは楠木さんと言ったら卵焼き。これは絶対死守だ。
「やっぱ美味いな卵焼き!」
「でしょー!お稲荷さんも食べてね!」
五目稲荷も美味い。ひじきと白滝が入っているのが優しくていい。
「ツナサンドどーぞー!!」
槙原さんが自信のツナサンドを勧めてくるので、有難く戴く。
「こりゃ美味いな。ツナ缶から出して、油を絞っただけじゃない」
生玉ねぎのシャリシャリ感。マヨネーズと胡椒の絶妙なブレンド。はっきり言って俺好みの味だ。
「美味しい?」
聞いて来るので、食べながら無言で頷いた。
「でしょー!!好みバッチリ反映させているからね!!」
と言う事は、このサンドイッチは俺の為に作った訳だ。有り難いやら恥ずかしいやら。でも美味くて止まらない。
「……」
無言で手巻き寿司を押し付けてくる春日さん。マグロとイクラの手巻き寿司…これも美味しそうだ。
齧り付くと、中からねばねばした物が…
「……長芋とオクラが入っているの」
夏バテ防止か!!こりゃ有難い。
夢中で頬張る俺。春日さんはニコニコとそれを見ている。
「……こっちも食べて。ウナギの手巻き寿司。午後一番に走るんでしょ?」
二人三脚だけどな。それにしても、精が付く物でスタミナを付けろって心遣いが有り難い。
「「「ごちそーさまー!!」」」
ほぼ全員一緒に食べ終わる。女子達のお昼は売れに売れて、お重もバスケットもトロ箱もすっからかんだ。
だが、問題が残っている。
「持って来た弁当どうすっかな…」
余りの旨さに、自分達が持って来た弁当に全く箸が入っていなかった。と言うか蓋すら開けていない。
「家に持って帰って晩飯にするか…」
「だけど傷まないか?」
肌寒くなってきたとは言え、まだ日中は暑い。持ち帰ってもいいが、食中毒が心配だ。
「……この箱に入れればいい」
春日さんがトロ箱に指を差す。まだ保冷剤は有効なのか?
「……多分こうなるかな?って思って、保冷剤沢山入れて来たから」
確かに、手巻き寿司を傷ませない工夫もあるんだろうが、後の事を考えての行動だ。アフターフォロー万全の春日さんだった。
「これは…」
「一本取られた…」
くやしがる楠木さんと槙原さん。ナイス心遣いだと認めている。
ただ食べさせて終わりじゃない。その後もちゃんと考えていた。そりゃ悔しいだろうな。俺もそこまで気は絶対に回らない自信がある。
「ありがとう春日さん。入れさせて貰うよ」
俺が弁当を入れた途端に、俺も私もと弁当が入って行く。
全部入ったら蓋をして、持って来たガムテープで密閉。完全にこの事を考えて持って来たのが丸解りだ。
「ガムテープまで…」
「今回は春日ちゃんに持って行かれたなー…」
本気で悔しそうな楠木さんと槙原さん。
ご飯うまかったから誇っていいとは思うが、敗北を全力で感じているようだった。
午後の部まで少しまったり。
黒木さんと里中さんが持って来てくれた、大量の飲み物の中から、適当に貰って蓋を開ける。
「緒方、午後に二人三脚出るんだろ?」
聞いてきたのは吉田君だ。
「うん。楠木さんとね」
「楠木か…あの三人の中じゃ、一番運動神経良さそうだな…」
あの三人とは、楠木さん、春日さん、槙原さんの事だろう。そしてそうなると運動神経が一番いい、と言うより、一番運動出来るのは楠木さん。
「それがどうかした?」
「いや、俺も二人三脚出るからさ」
吉田君が出るのか…なんか…意外だ。
「ほら、二人三脚って女子と組むだろ?」
「うん」
「クラスの中に気になっている子がいてさ。拝み倒して二人三脚にエントリーして貰ったんだ」
ほー!!じゃあカッコイイ所を見せたいだろうな。此処で一緒に一着取ったら好感度爆上げになるだろうし。
多分。
「悪いけど、俺もクラス代表だから、勝ちは譲らないよ」
「いや、わざと負けてくれとか言う気はねえよ。言いたいけど。お前の凄さは知っているから、組む相手の出来次第でどうにか…ってしか思ってねえよ」
それで聞いてきたのか。楠木さんと聞いてちょっとガッカリした感があったもんな。
「お前、借り物競争と400メートルリレーで一着取っていただろ?今回は…」
「だから、譲らないって。つか、やっぱ言ってんじゃん」
がはは、と笑い合う。いいな、こんなの。すげー良い。クラスメイトじゃなくて他クラスだって事もかなりいい。こんな経験無かったからな。
「それに借り物競争は槙原さんが一着で、リレーはみんなの力だろ」
「いやいや、俺は見ていた。槙原を強引に引っ張っていく姿とか、バトン受け取りでもたついて3位になった後の脅威の追い上げとか。あれはお前じゃ無かったら勝てなかった」
褒めて貰えて嬉しいが、やっぱり俺だけの力じゃない。俺はただ少しだけ手伝ったようなもんだ。
吉田君と喋っている最中、いきなり楠木さんが後ろから抱きついて来て、俺の肩越しから吉田君に言う。
「吉田には悪いけど、私達に負けは無いね。二人三脚って絆の力で走るんだからね。片思いの吉田じゃ、ビリを逃れるので精一杯じゃない?」
「片思いって…お前もだろ!!」
吉田君が楠木さんに豪快に突っ込んだ。槙原さんはうんうん頷いて同意しているが。
厳密に言えば片想いじゃないんだけどなあ…俺がクズなだけで。
「それに俺だって絆くらいはある!!感じている!!」
心外だ、と吉田君。楠木さんはほほーとにんまり笑う。
「どんな絆なのさ?」
「……同じクラス?」
「アンタじゃ無くても同じクラスの人達なら全員そうじゃん!!」
そうなるな…その絆なら俺だってあるし…
そんな楠木さんを春日さんが肩を叩いて自分に向かせた。
「なに?春日ちゃん?」
「……二人三脚勝てたら、私のおかげ」
「え!?なんで!?」
「……私の手巻き寿司食べたでしょ?山芋とかオクラが入っていたヤツ。あれは精力付けて頑張って貰う為だから」
「私だって五目稲荷にオクラが入っている奴あったよ!?」
「……そう?でも量が圧倒的に足りないんじゃないかな?具の一つとしてのオクラと、願いを込めたオクラとじゃ、質が全然違う。解るでしょ?」
「ぐぬぬぬ…」
どこらへんがぐぬぬかサッパリ解らんが、槙原さんもうんうん頷いてその通り、とか言っているし、俺の預かり知らん何かがあるんだろう。女子的に。
「おい、そろそろ片付けようぜ。午後の部始まっちまう」
もうそんな時間か。片付けるっつっても、シート畳んでゴミを袋に入れる程度だが。
手分けして進めると、あっという間に終わった。呆気ない程に。
「じゃあまた二人三脚でな、緒方」
「なんかカッコつけているけど、私達に勝てる筈無いじゃん」
「だから穴のお前がヘマする事を願うんだよ!!」
楠木さんが俺を見ながら吉田君に指を差す。「コイツ何言ってんの?」みたいなリアクションだった。
「まあまあ、本番になったら解るだろ」
「まあそうだね。ケチョンケチョンに蹴散らしてやれば、納得するってもんだよね」
どこからそんな自信が湧いて来るのか不明だが、俺も勝ちを譲る気はない。
二人三脚でこんなに熱くなれるなんて思ってもみなかった!!
午後の部のアナウンスの後に、直ぐに呼び出される俺と楠木さん。スタートラインに移動してくれとの事だった。
スタートラインで互いの足を結ぶ。俺は左で楠木さんは右。練習はずっとこの結びだ。
「隆君、ほら…」
促されて見ると、吉田君がキメ顔で女子と足を結んでいる。と言う事は、あの子が意中の子か。
「渡さんか…吉田には高嶺の花じゃない?」
いや、確かに結構可愛いが、吉田君だって…うん。
「げ、Bは元陸上部のコンビじゃん」
そうなのか。だが、個人競技と二人三脚は違うだろ。
「後マークするような奴いるか?」
「う~ん…特に…あ、Aの水野のヤコって、つい最近付き合ったらしいよ?」
「いや、それがどうした?」
「今一番息が合っているのはAじゃないかな、と」
成程…個人の能力よりも、そっちの方が重要なのかもしれないな。
じゃあ警戒すべきはAクラスと元陸上部コンビのBクラス、そしてこの競技に掛けているDクラスの吉田君か。つか、ほぼ全クラスじゃねーか。
まあなんにせよ、だ。
俺は楠木さんの腰に手を添える。
「うほう!!」
……喜んでいるようだが、敢えて無視してスタートラインに向かう。と言っても数歩程の距離だが。
一年の決着が着きそうな頃合いを見計らい、どのクラスよりも早くスタートラインに立ちたかっただけだ。意味はあるような無いような。
「逸っているねえ隆君」
そうか?楠木さんだって滾っているように見えるぞ?
俺達は笑い合う。なんだろう。負ける気がしない。
「一着取るぞ」
「当然!!」
俺達より遅れて他クラスがスタート地点に付いた。そしてアナウンスが流れる。
『次は~、二年二人三脚~』
「作戦は?」
「無い」
「そっか。了解」
楠木さんの腕に力が入る。いつものスキンシップの強さじゃない。俺に振り回されても大丈夫なように、より強い力で密着したのだ。
「……あ、やっぱ一つだけ作戦あった」
「んん?なになに?」
「俺に引き摺られても文句は言わない事」
「それは文句言っちゃうよ!!傷物になったら、責任取って貰うからね!!」
う~ん、責任か~…
いや、いいんだけどね。これが切っ掛けで決めてもさ。
だけどな~…
「せめて修学旅行まではっ!!」
パン!!
スタートの合図が鳴る。
練習通りに俺達は一歩踏み出した!!
「いち、に!いち、に!」
「いち、に!いち、に!」
練習の甲斐あってか、結構息が合っている。歩幅は俺が合わせているとはいえ、俺のペースに付いて来ている楠木さんも結構な頑張りだ。
「いち、に!いち、に!」
「いち、に!いち、に!」
足元を見ずに前を向いて走る事を心掛けていた為に解る事。俺達の前には誰も居ない。即ちトップだと言う事だ。
「おおおおおおおおおお!!」
Eクラスから声援が聞こえる。二番手をどれだけ離しているのか。恐らく結構引き離しているんだろう。
「いち、に!いち、に!」
「いち、に!いち、に!」
ゴールテープはすぐそこだ。このままコケたりしなければ……!!
「いち、に!いち、に!」
「いち、に!いち、に!!」
パーン!
俺達は一着でゴールテープを切った!!よろ付く楠木さんを抱え、顔を見合わせる。
はーはー!!とかなり息が荒かったが、辛そうな顔はしていない。すんげえ可愛い笑顔を向けてくれている――
一着でゴールして余裕が生まれたようだ。俺は楠木さんを抱きかかえた儘後ろを見る。
物凄く驚いた…
「楠木さん…ぶっちぎりだったぞ!!」
「はー!!はー!!…え?」
楠木さんも振り返る。二番手のCクラスはまだ半分。つか、ノーマークのところじゃねーか!!
「はー!!はー!!ほ、ほんとだ!!吉田なんかビリッケツじゃん!!あ、またコケた!!」
マジだった。吉田君は最下位。しかもコケ捲っている。この前付き合い始めたAクラスが三位で、元陸上部コンビが四位。しかもコケた。
「なんつーか、他クラスがコケているから一着取れたみたいだな…」
「何言ってるの!!私達のコンビが息ぴったりだったって事じゃん!!」
嬉しそうにはしゃぐ楠木さんおかげで縛っている足が痛い。
「楠木さん、ちょっと大人しくしてて。足解くから」
「えー、名残惜しいなあ…」
そうは言われても此の儘って訳にはいかない。幸い後続がゴールする気配はない。安心してゆっくりと解く事ができる。
クラスの応援席に戻った俺達は、揉みくちゃにされた。手荒い出迎えだが嫌じゃない。
「緒方!三冠だって三冠!!」
「い、いや、あれは楠木さんと二人で…」
「緒方君凄いよ!!ダントツだった!!」
「だ、だから俺のペースに合わせてくれた楠木さ…」
「隆!!この野郎!美味しい所持って行きやがって!!」
「美味しいのはお前の0点だ。」
その一言で執拗に脇腹を叩いて来る手が止まった。やっぱお前か!!
女子の方を見ると、やはり楠木さんも揉みくちゃにされていた。
「凄い凄い!!一着だよ!!」
「うん!めっちゃうれしい!!」
「緒方君と息ぴったりだったね!!」
「うんうん!愛し合っているからね!!」
「あはは~。だけど借り物競争も一着だったよねぇ~」
「………」
その一言で楠木さんが黙った。
まあ、女子の方はノーコメントだ。女子の争いに加わると碌な事が無いと誰かが言っていたし。
漸くクラスメイトの手荒い出迎えから逃れた俺は腰を降ろした。
これで俺の出場競技は終り。一息ついて振り返ってみる。
うん、俺って個人競技全くしていない。俺だけの力で一着取った種目が無い。
それに関しては全然いいけどな。寧ろ嬉しいくらいだ。
風が吹いてきた。火照った体に気持ちいい。この気持ち良さも、みんなで取った一着がそう思わせるんだろうな。
俺って大抵一人だったから。ヘタレな中学時代も、凶器を持ったその後も。みんなの力でどうこうってのは無かったから余計だ。
「何物思いに耽ってんだ?もう直ぐ次の競技だぞ」
三年の二人三脚が終わったのか。次は…
「春日さんのスプーンリレーか」
「全学年混合競技だぜ。気合入れて応援しようぜ」
全学年混合競技はこのスプーンリレーと障害物競争だったはず。
よし、と俺は腰を上げる。
四着以下一律1点だが、逆に四着以上なら全学年で四着以上という肩書が付く。別に大した事は無いだろうが、何となく自信に繋がると思う。
流石に全学年のリレーだからトラックがエライ事になっている。横にぎゅうぎゅうだ。
これもスプーンリレーと言う競技の難易度を上げる為、要するに、横の選手が障害物になってスプーンに乗っけたピンポン玉が零れやすくなるから。らしい。
因みに全学年混合でもあるが男女混合でもあるレースだ。当然リレーと謳っているのだから、襷を繋ぐ。この場合襷じゃ無くピンポン玉だが。
リレーは三名。一人50メートルの150メートルリレー。ウチのクラスは第一走者の春日さん、第二走者の初田君、第三走者の有田さんの順だ。
春日さんは既にスタートラインにスタンバっている。スプーンに乗せたピンポン球をじーっと凝視している最中だ。
いい感じに集中しているのか、それとも単に周りから視線を外す為なのか。
『次は~スプーンリレー~』
やはり間の抜けたようなアナウンスと同時に、スタートラインに第一走者が群がってくる。
その光景は一言で言ってカオス。トラック一列に所狭しと並ぶ第一走者。小さい春日さんは既に揉みくちゃ状態だった。
「だ、大丈夫かな…」
俺の呟きにヒロも首を捻った。
「春日ちゃん小さいからな。ちょっとやべぇかもな」
ちょっとどころじゃないような気がするが…もう既に春日さんの姿が見えないんだけど。
埋もれた、って表現がぴったりだ。この競技、来年には消えるんじゃねーか?
パーン!とピストルが鳴った。俺がどきどきしているにも拘らず。俺の緊張は関係ないが。
同時に走り出す第一走者。しかし、その光景もカオスだった。
ぽろぽろピンポン玉を零す選手が多数。誰一人まともに走っていない状態。絶対競技として成り立たないだろこれ!!
つか、春日さんはどうした?やっぱり埋もれたまんまなのか?
捜している俺にヒロが肩を激しく叩いてきた。
「お、おい!あれ見ろ!」
ヒロが指差す先。ピンポン玉が転がり、それを追う競技者達から離れたトップの位置に、春日さんが居た!!
「マジで!?」
仰天とはこの事だ!!春日さんは運動は決して得意じゃない。にも拘らず、あのカオスから逃れて、ててて、と走っていた!!ちゃんとスプーンにピンポン玉を乗せて!!
「驚く事は無いよ」
ドヤ顔で登場したのは槙原さんだ。
「驚く事は無いって?」
「春日ちゃんはウェイトレスさんだよ。毎日お客様のご注文の品をお盆に乗せて歩いているんだよ。たまには小走りだってするし」
そ、そうか。あのピンポン玉のバランス感覚はバイトで培ったスキル…
今一納得出来ないが、納得するしかない!!
「そ、それはまあ、納得するにしても、何で序盤のゴタゴタに巻き込まれない?春日ちゃんは言っちゃなんだが、そんなに反射神経いい方じゃないし、足も遅いだろ?」
ヒロの疑問に、またまた槙原さんがふふんとドヤ顔で説明する。
「春日ちゃんは、今は眼鏡外して可愛くて注目されているけど、前は気配を消すのが得意だったよね?」
そうか!!そのスキルで、敢えて後方に移動して、ゴタゴタの最中大外から抜いたのか!!
………
「そんな事ってあるの?」
「目の前の現実が全てだよ隆君!!」
な、成程!そう言い切られれば、そうなんだなあとしか言えない!!
あの混戦、いや、混乱の中、春日さんがトップを走っているのは紛れもない事実なのだから!!
大方の予想を裏切り、トップを独走する春日さん!!其の儘第二走者にピンポン玉を渡す。
そして一仕事終えたと言った体でクラスの応援席に戻って来た彼女を「すげええええええええええ!!」とクラスメイトが揉みくちゃにした。
なんか胴上げされている。優勝したような勢いだ。
「……!!」
春日さんは無言で表情を硬くしていた。やめて、と言っているようだ。言いたいが言えないんだろうなあ。
「流石春日ちゃん!!それでこそ春日ちゃんだね!!」
「そのドヤ顔、いつまで続けるの?」
あと、言っている意味が解らないから。私が育てたみたいになっているぞ。
「……………」
漸く解放された春日さん。リレーよりもヘロヘロになっているが、気のせいだろうか?
「お疲れ春日さん。凄かったよ!」
俺は本心で称えた。
「……三冠の隆君の方が凄いよ」
「だからあれは…」
「隆君の三冠は全部協力だからね。正確に言えば、一着に貢献したって事だよ」
借り物競争の覇者の槙原さんが代弁してくれた。そうなのだ。借り物競争は槙原さんが一着を取った。
「……でも隆君の力が無ければ…」
「うん。そうだよ。その通り。私だけで走っていたら勝ってなかったよ」
「……400メートルリレーだって…」
「僅差でアンカーまで持ち込んだのは第一から第三走者の頑張りだよ。もっと差が開いていれば、隆君も一着は取れなかったんじゃないかな?」
「……二人三脚…」
「美咲ちゃんが頑張って付いていったのも大きいよね?他の女子なら根を上げていたよ?あのペースじゃ」
「……」
正論だから返せない。一人だけの力じゃ、協力する競技で勝てない。
その意味を、春日さんはもう直ぐで知る事になる。
第二走者の初田君は大差でピンポン玉を受け取ったのはいいが、ぽろぽろ落として先頭集団にあっさり抜かれてしまった。
どうにか中段をキープしてアンカーの有田さんに繋いだのはいいが、やはりもたもたして、遂には最終グループに転落。
結局15クラス中13位でゴール。
クラスの盛り下がりが酷かった。初田君と有田さんが可哀想なくらい。
「……そっか」
納得した春日さん。リレーでは一人が奮戦しても仕方が無い。全員でちゃんと臨まなければ。
勿論、初田君も有田さんも手を抜いた訳じゃ無い。精一杯頑張った。スプーンリレーが相性悪かった。
練習不足もあるが、それでも限りある時間で練習していた。俺が出場した400メートルリレー以上に。
あの競技がリレーじゃなかったら春日さんのぶっちぎりだったが、個人の力だけじゃ勝てないのがリレーなのだ。
「……みんな頑張った」
俺は頷く。初田君何か引くくらい泣いているのを見ながら。少しはケラケラ笑って気にしていない有田さんを見習ってほしい。
「私達の応援演舞も散々だったからね。練習不足は負けて当然」
頷く春日さん。
「……隆君は毎日いっぱいボクシングの練習をしているからね。練習不足はないよね」
「いや、だから、俺だけの力じゃねーってば」
「……うん。解ってる」
ホントに解っているのか?まあいいけどさ。
しかし、そうなると、俺も個人競技に出たかったなあ。
この後は大玉転がしと2000メートルと、後なんだっけ?
まあとにかく、もう少しで体育祭が終わる。
その後の競技でも俺達のクラスは、一着は取れなかった。
結果、2-Eは二年3位。総合で8位。
まあ、頑張った方だろう。目標は達成されたし。
程よい満足感を感じながら帰路に着く。春日さんに預かって貰った弁当を片手で揺らしながら。
それにしても…
隣で項垂れて歩いているヒロに目に目を向ける。
「お前さあ。0点なんてお前だけだから、誇っていいんだぞ?」
「うるせえ。んな不名誉な名誉いらねえ」
不名誉な名誉ってなんだ?お前はもっと勉強した方が良いだろ。
「400メートルリレーで一着取ったんだからいいじゃねーか」
「俺は二着だった…」
そう言えばそうだったな。だけどいいじゃねーか。結果オーライだろ。
「お前が美味しい所みんな持っていった…」
じゃあ手抜きして二、三着でも良かったってのかよ?
卑屈になるのは結構だが、とばっちりはやめて欲しい。
駅への分岐に着いた。ヒロとはここでお別れだ。
「じゃあな」
そう言って自分の家に足をお向けると、ヒロが肩を掴んで止める。
「?」
「……おい…」
なんか凄んで前方を見ているんだが、なんかあったか?
「!!!」
「……遂に隠さなくなったかよ…」
前方からゆっくり、ゆっくり歩いてくるそいつは…
病院で入院中の朋美だった!!
退院したのかと思ったがそうじゃない。パジャマ姿のままだったから。
それに、あの細い身体…ガリガリに痩せこけている…!!
そんな朋美が、俺達に向かって、ゆっくりゆっくりと近付いて来る!!
朋美から目を放せない。当たり前の事だった。
なんで白昼堂々と出歩いている?疑問ばかりしか浮かんでこない。
朋美はゆっくり、ゆっくりと近付いてくる。表情が解る距離まで来た時に、俺達はぞっとした。
笑っている…まばたき一つせずに…それに…髪の毛が所々ごっそり抜けている…
遠目では気付かなかったが、首をかっくんかっくんと歩く度に揺らしている。しかし視線はこっちを向いて、逸らした事は無い…
麻美が悪霊化しそうになってから少しおっかない所があったが、それの非じゃない。夜中に出くわしたら間違いなく絶叫していただろう。
「……あいつ…狂ったか?…いや、前からおかしかったけどよお…」
ヒロの言葉に無言で応える。というか言葉が出て来ない…!!
そして………
朋美は遂に俺の目の前までやって来た!!
朋美は俺を真っ直ぐ見ている。笑いながら。やはりまばたき一つせず。
喉がカラカラに渇く。知らず知らずに拳を握り固めていた。
朋美は首をかっくん!!と傾けて更に笑った。
「久し振り…隆…」
ごくり、と喉が鳴った。本気で怖いと、言葉すら出ないのか…
「ねえ?どうしたの隆?何で何も言ってくれないの?」
かっくん!!と反対方向に首を傾ける。
「……おい須藤…お前…」
何も出来ずにいる俺に代わって、ヒロが朋美の前に出ようと踏み出した。
「………………!!」
その足をヒロが止めた。朋美がヒロを睨んだからだ。それも憎悪剥き出しの目で!!
あのヒロが完全にビビッている…
俺もそうだ。朋美を直視しているのは単に動けないからだ。蛇に睨まれたカエルってヤツか…
朋美はもう一度かっくん!!!と反対方向に首を傾けて、俺の方を見直した。
鉛筆で塗り潰したような黒い笑顔を向けて…
「……退院したようには見えないけど…」
漸く絞り出せた言葉。その言葉も、自分の心臓の音で聞こえない。
「……なんで此処に居る…?」
何とか言葉を繋げられた。こんな短い言葉なのに、かなりの心労を要した。
「それは…病院から許可を得たからだよ?」
ぐん、と俺に近付く朋美。目と鼻の先に、その死神のような顔がある…
「……嘘言うな…そんな状態の患者に、外出を許す訳が無いだろ…」
必死に目を逸らさずに言う。一瞬でも逸らしたら死ぬ。そんな感覚だった…!!
朋美は相変わらずまばたき一つせずに俺を見ている。
いや、どこかでしているのだろうが、俺にはそれが見えない。解らない。呑まれているからだ。朋美の異常さに。
「だって体育祭だよ?私も生徒だよ?学校行事には参加しなくちゃ」
クックッと笑いながら当たり前だと言い切る。
「……学校行事だから外出を許されたって?じゃあもう帰れ。体育祭は終わったんだ」
一瞬キョトンとし、また笑う。
「隆は優しいねえ…まだ私の身体を気遣ってくれているんだ?」
そうじゃない。見たくないだけだ。怖いから。恐ろしいから見たくないだけだ。
「そんな事言ってくれるのはもう隆しかいなくなっちゃったよ。お父さんも組の奴等も、私を腫物を扱うようにしか接してくれないんだあ…好きにしろ。そして死んでくれ、ってさ」
腫物云々は何となく解る気がするが…死んでくれまで言われているのか…
自業自得だろうが、親父にまで突き放されるとは…
「でも、体育祭終わっちゃったか…残念だけど仕方ないよね。まだまだ楽しみがあるからいいか」
楽しみとは一体…?
「……もしかして文化祭と修学旅行か…?」
ヒロがそう言ったと同時にぐるん!!と首だけヒロに向けた。
「……大沢ぁ…アンタ空気読みなさいよ…?今隆と喋っているでしょうがアアああああああああ…」
一瞬身体が硬直したヒロ。俺もそうだった。なんだこの反応速度!?
「……つってもお前は入院中だろうが?文化祭も修学旅行も来れねえよ…」
「外出くらいはできるのよ…ほら、今もしているでしょう?」
両手を広げてヒロを『見下ろす』。実際は人の方が身長が高いから見下ろせるはずが無いにも拘らず…
俺達はハッキリと見下ろされたように感じたのだ。
気圧されているからだ。俺達はこいつにビビってしまっている…
次の句はヒロから出て来ない。奥歯を噛みしめて必死に喰らい付くのが精一杯のようだ。俺もそうだが…
しかし、そうも言っていられない。俺は当事者なのだから。
「……お前は文化祭も修学旅行も俺達と一緒に楽しむ事は出来ない」
ぐるん!!
今度は俺の方に顔を向け直す。
「……どういう事かしら?」
「お前は去年から休学してんだ。学校に在籍しているんなら、今は一年生…出席日数不足で留年だよ」
「……………」
ぎょろっとした瞳を真っ直ぐに俺に向けてくる。俺は逸らさずに迎え撃つ。
「……そっか。ああ、そっか…そう言えばそうだったね。気が付かなかったなあ…」
「それに俺に関わるなって言った筈だが?」
「……下級生になっちゃったら関われないねえ…ああ、困った困った…困ったなあ…」
くるん、と背を向け、歩き出す朋美。
困った、困ったと、呟きながら…
朋美の姿が見えなくなったと同時にヒロがへたり込む。
「……何なんだあいつ…」
小刻みに震えている。あのヒロが…
「……お前、あんな奴に纏わり付かれてんだよな…知っていたけど…知っていた振りだったって事かよ」
「纏わり付かれているのはお前も知っているだろ。今更だ」
「そうじゃなくて…」
いい、言われなくても解っている。
朋美が異常なのは知っているが、思った以上にヤバいと感じたんだろ。
俺だってそうだ。改めて認識したってのが正しいが。
「……これからどうすんだよ…?」
「どうもこうも、今まで通りだ。ストーカーには無視が一番だろ」
言っててなんだが、気休めだ。無視するだけじゃ、いつかやられてしまう。
次の一手を考えなければならない。
体育祭の代休、とは言ってもいつものように早朝はロードワークの為に起床する。
玄関を出ると、今日もヒロが柔軟をしながら待っていた。
「オス」
「オスじゃねーよ。来なくてもいいっつってんだろ」
昨日の今日だから来ないと思っていたが、ヒロは来た。口ではあんな事を言ったが、有難すぎて涙ぐんでしまう。
「俺も練習してえんだよ。だったら一人より二人だろ」
「そうかい。じゃあ俺の柔軟にも付き合ってくれ」
「俺は一人でほぐしてたってのに…」
文句を言いながらもヒロは俺の柔軟を手伝ってくれた。
やっぱいい奴だなこいつ。ちょっとアホなのが玉に傷だけど。
柔軟終わって走る俺達。そして、並走中にヒロが呟く。
「あいつ、今日も外泊してんのかな…」
「知らね。どうでもいい」
本気でどうでもいい。願わくば二度と顔を見せないで欲しい。その為には…
「俺、あいつん家行ってみようかと思ってんだよ」
「はあ!?」
吃驚し過ぎて声が裏返っている。まあ、そうだろうな。
「ち、ちょっと待てよ、あいつにわざわざ会いに行くのはやめた方が…」
「違う。朋美の親父に会いに行くんだよ」
「お、親父に?」
そう。槙原さんも言っていたが、あの親父は他県にも顏が利くお偉いさんだし、暴力団の組長でもある。
故に朋美の悪さを今まで揉み消して来た。
その為に、言い逃れ出来ない証拠固めを槙原さんはしている筈だ。
だけど、今は事情が違う。
「ほら、昨日朋美が言っていただろ?親父に疎まれているって」
「言っていたけど…」
「今までは娘可愛さと自分の保身の為に色々目を瞑ってきたり、揉み消して来たけど、今は違う。何か体のいい理由を付けて、遠くに隔離したいんじゃねーかな、って」
「何を根拠にそう思った?」
病院を我儘で毎日外泊させているんだ。金と脅しで。不祥事っちゃ不祥事だろう。病院は頑張って隠しているんだろうが、いずれバレる。現に俺達にバレている。
そして、いずれバレる事を、あの親父が思っていない訳が無い。今まで捕まった事がないんだ。いや、あるかもしれないが、少なくとも俺の記憶には無い。危機回避の嗅覚がずば抜けているからこそ、今までの悪さが表に出て来ないんだと思う。
そこで病院の不祥事だ。これが明るみになってマスコミやら警察やらが本気で追い込むと無事では済まない。だから疎ましいんだと思う。
「言いたい事は解るけどよ、その娘を遠くに隔離すりゃ、自棄になって、今までの悪さをバラされるってのも考えるんじゃねえかな?」
ヒロにしてはまともな意見だが。
「朋美が精神的にヤバくなっているのは、誰が見ても明らかだろ?そんな奴の言う事を信じるか?」
本当の心療内科医なら、ちゃんと治療しようとして会話とかして、その言葉を信じるかもしれないが、まともな所には行かせないだろう。疎ましいんだから。
考えたくはないが、自殺に見せかけて殺すとかも考えているかもしれない。実の娘がどうのとか置いといて。
「まあ。考えは解った。だけどそれ一人で行くのか?」
「こんな事、誰が付き合ってくれるっつんだよ」
「……危険じゃねえ?なんなら俺が…」
「いいよ。俺は小っちゃい頃は良く朋美の家に遊びに行ったんだ。あそこの親父にも組の人にも結構可愛がられていたんだから大丈夫だろ」
大丈夫な訳が無い。ああいう人種は信用しちゃいけない。だが、ほっとけばヒロが付いてくる。
それだけは避けたい。
大体俺の考えは、疎ましいから遠くに隔離したいだろう。ひょっとすると自殺に見せかけて殺すかも。だ。
ガキの頃に良くして貰ったから大丈夫とか、おめでたいにも程がある。
「そっか、そうかもしんねえな」
ヒロは良くも悪くもアホだ。いや、アホは悪口だが、まあ、アホで助かった。
「そうそう。まあ大船に乗った気でいろよ。つっても俺へのストーカーをやめるかまでは解らないけどな」
「なんだ?弱みをチラつかせて脅すつもりじゃなかったのか?」
な?やっぱアホだろ?
「弱みをチラつかせたら、俺がヤバくなるかもしれないだろうが?」
「あ、そっか」
直ぐに納得してくれるところもやっぱアホだなあ、と思う。助かるけど。
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