木村明人~002

 一気に間合いを詰める。虚を付いたか、木村はガードの型を取った。

 だが、関係無い。俺は半分壊れている右手に力を込める。

 びりっ!!と痛みが走ったが関係ない!!

 ガードごとぶっ飛ばすのには、利き腕の渾身のパンチだ!!

 見事に大きく身体を引き、これから右ストレートをぶっ放しますよと宣言し!!ガード越しにぶっ飛ばした!!

「ぐっ!!」

 肉と肉、そして骨と骨がぶつかる音と、木村の呻き声。

 しかしガードはぶっ壊せない。

 右手首の負傷も関係あるが、それ以上に木村のガードが強固だったからだ。

 クロスさせた腕に俺の右が止まった形になる。

 睨み合う俺と木村。

 ……いや、違うな。木村曰く、俺は笑っているのだから、睨んでいるのは木村だけって事になる。

「……緒方ぁ…お前マジで…おっかねえなぁ…右手、痛い筈だろうが?」

「そうだったっけ?やせ我慢はまだ効くんだろうな。それより…」

 右を引いてもう一度叩き込む!!

 びりっっっ!!

 やせ我慢はまだ効く。ガードをこじ開けるまで、何度でも叩き込んでやるさ!!

 木村の眉間にシワが寄る。ガードした腕が痛いのか。

 もう一発叩き込めば、こじ開くかも知れない。

 またまた大きく振り被る俺。

 隙だらけだった。木村も三度も喰らう筈が無い。

 振り被ったと同時に、木村の膝が俺のボディに入った。

 だが、それは百も承知。大振りの振り被りなんて隙しかない。

 必ずどこかに反撃を喰らう。今回はたまたまボディに膝だっただけ。

 要するに、俺は喰らう覚悟をしていた。どこかに反撃が入っても耐えるように。

「あ!!ああああああぁあ!!」

 解き放つ右!!

 膝を入れた木村は油断したのか、躱す素振りも見せず、ガードすら上げずに、まともに右を頬に喰らった!!

「がっは!!」

 木村はぶっ飛んだ。派手に。堪えていたならそんなに飛ばなかっただろうが、膝を入れた安心からか、完全に油断していた。

 地面を二回程転がり、漸く止まる。

 俺は残心を以って木村を見つめる。糞共や木村の仲間がざわめくのを聞きながら。

 動かない木村。糞共から終わったのか?とか木村君が負けた?とか囁かれたのが聞こえた。ほんとクズだなこいつ等。

「まだ終わってねえよな?木村あ?」

 糞共のさえずりを止めるように言う俺。

 木村の身体がぴくりと動く。

 歓声が沸いた。主に糞共から。

 ゆっくり、ゆっくり立ち上がる。

 流石に無傷じゃない。口の中が切れたようで血が滴っている。

 俺に物凄くガンを飛ばして来た。

「……死ぬかと思っただろうが?洒落になんねえだろ、そのパンチは…」

「馬鹿言うなよ。ホントなら死んでいるぜ、お前」

 軽口じゃない、本心だ。

 俺の殺す気の右。渾身だった。防御を捨てて、全て一撃に回したものだ。

 それでも木村が死ななかったのは、俺の右手首が負傷していたからだ。これで破壊力がかなり殺された。

「福岡に感謝しろよ木村。尤も、俺も人殺しを免れたんだ。後で礼言うけどな」

 構え直す俺。右がビクンと痛みで響いた。

 今の一発で完璧にオシャカになったな。少なくとも、この喧嘩中に回復する事は無いだろう。

「……右手、完全に壊れたようだな?ツラ歪んだぜ」

 バレた。一応我慢して表情に出ないようにしたんだが。

「左手一本で俺に勝てると思ってんのか!!」

 また離れた間合いから何か投げるモーション。今度は余裕を以って目を瞑る。

 つか、しまった。目ぇ瞑ったら駄目じゃん!!

 気付いた時は遅い。目を開けると、目の前一杯に拳があった!!

「あぶねぇ!!」

 言いながら首を捻って回避。同時に脇腹に激痛が走る。木村のミドルが入ったのだ。

「く!!」

 苦痛にまた顔が歪む。

 少し前のめりになる俺の髪が掴まれた!!

 其の儘下に引っ張られる。木村の膝が視界に飛び込んできた。

 傷めた右手でガード。びきびき!!と痛みが響く。ひょっとして、捻挫を超えて骨折したかも知れない。最低ヒビくらいは入っているのかも。

 一旦引き上げられる俺の頭。充分な高さから思い切り下に引っ張られた。

 また膝か!!髪引っ張るの反則だろ!!

 俺は膝目掛けて左のショートフックを放つ。

 浅いながらも内腿にぶち当たり、膝が若干逸れた、だが、髪はまだ掴まれたままだ。無理に逃げようとすると、ごっそり持って行かれるかも知れない。

 なので、俺は木村に身体を預けた。

 そして、小さい隙間からショートパンチの連打をかます。

「ぐううう!!」

 倒れる木村だが、髪はまだ放さない。

「いい加減にしろ木村あ!!」

 マウントを取った形で上体を起こす俺。引っ張られている髪が、かなり痛い。

 俺達が今やっているのは喧嘩だ。

 喧嘩は何でも有り。現に木村は砂を投げて視界を奪った。髪も引っ張っている。

 マウントを取っていながら、髪を未だに掴まれている俺が取れる有効な技は、頭突き。

 木村が自分に引き寄せるように引っ張っているのだから、比較的簡単に決まると思う。

 だが、俺はそれをしない。

 俺は拳は徹底的に鍛えたが、頭は外も中身もあまり鍛えていないからだ。

 だから拳で戦う。一番信頼できる武器で。

 体勢不十分ながらも壊れた右を叩きつける。

 この至近距離で逃れられる筈が無い。

 木村は首を捻って躱すようにしてはいたが、やはり喰らってしまう。

 右じゃやはり決定打にはならない。なので左を放つ。

 すると、掴んでいた髪をいきなり放した木村。そして俺の左に頭突きを合わせた。

 ヒットポイントがずれた分、ダメージは少ないだろう。それとも、俺の左を壊す狙いがあったのだろうか?

 それならば残念だが、期待外れだ。

 俺は素拳で戦う事を想定し、巻き藁にパンチを放つ練習もしていたのだから。

 尤も、ヒロ曰く、これは手首の強化だと。なので普通はグローブ着用で行う練習だと。

 だが、俺は素拳で練習していた。だってそうだろう?糞共がグローブを着けるのを待ってくれる訳が無いじゃないか?

 まあ、いずれにせよ、俺にもあまりダメージは無い。

「残念だったな木村あ!!」

 勝利宣言のように言う。

 だが…

「残念なのはお前だ緒方あ!!」

 吠えたと同時に伸びきった左腕を取られ、そして思いっ切り逆方向に捻じられた!!

 びきい!!とおかしな音がした。

 同時に叫びたい程の激痛。

「ぁぁああああああああああ!!」

 フリーだった壊れた右で横っ面をぶっ叩く。

「がっ!!」

 掴みが浅かったのか、元より放すつもりだったのか、それは簡単に外れた。木村はそのまま倒れる。

 追撃したいが…

 俺は左手首を押さえて顔を顰めた。

 やべえ…超いてえ…右よりもいてえ…

 木村が口を拭って笑う。

「左もぶっ壊れたか?」

 解らんが、右よりも痛む。右は辛うじて使えるが、左は無理だ。痛すぎる。

「やってくれたな木村あ!!」

「両手もがれて吠えるなよ緒方ぁ…」

 木村はそう言って、笑いながら立ち上がった。

「どうするよ緒方?もう戦えねえだろ?」

 俺は無言で睨み付ける。

「目が死んでねえのが流石だが、自慢の拳の方はどうだよ?」

「……問題ねえよ」

 比較的マシな右拳を掲げて見せた。

「左は?言っとくが、ハッタリは無しだぜ。やったのは俺だからな」

 自分がやったんだからダメージくらいは解るってか?

「右一本ありぁ充分だ」

「お前、その右で俺を仕留められなかった事、忘れてねえよな?」

 忘れるか。あの時左一本でやるって決めたんだから。

「……右しか使えねーのなら、右一本でやるしかねーだろが?」

 またまた構え直す。

 右と左の手首に痛みが走った。特に左…拳を握る事すらも拒みたいような痛みだった。

「もう小細工は無しだ。俺も真っ正面からお前をぶっ叩いてやるよ」

 砂とか関節とか、小細工だと思っていたのかよ。

 これは喧嘩だ。何でもあり。勝てば何でもいいんだよ。

「お前もいちいち甘いな木村あ!!」

 言う暇があったらぶん殴って来い!!

 俺はそうする。既に地を蹴っているしな。

 木村も今回はガードに回らない。同じく向かって突っ込んできた。両手がオシャカな俺だったら怖くないってか?

 間合いに入っての右ストレート。

 木村が喰らいながらもミドルのキックを繰り出す。

 ボディに貰った俺だが、俺も構わず右の連打。

 殆ど入った。浅かろうが入った。だが木村は倒れない。

 仕返しとばかりに、俺相手にアッパーを放って来た。

 確かに右でも木村にダメージは与えられていない。反撃してくる位だからな。

 だがな、壊れたパンチだろうが、使い方次第なんだよ。

 俺は木村のアッパーに右フックを被せた。 カウンターだ。破壊力は言うまでも無いだろ。

 木村のアッパーが俺の顎に届く前に、右フックが顔面を捕らえる。

「ぐっ!!」

 タイミングは完璧。木村の身体が流れるが、足が踏ん張ろうとしている。

 カウンターでもダメージが通らないのかよ!!

 だったら!!

「あああああああ!!」

 右より損傷が激しい左でのフック!!

 いてえ!!尋常じゃねえくらいいてえ!!

 だが、止められない。止めたら俺の負けだ。

 耐えろ!傷みに耐えろ!!木村がぶっ倒れるまで撃ち続けろ!!

 返す刀で右フック!!

「ぐ!!」

 木村の顔が反対側に向く。

 そこに右!!左!!右!!左!!

 木村の顔が右に左に傾いた!!

 スタミナが尽きるまで打つ!!

 そう腹を決めたその時、左フックが空を切る。

 木村の膝が折れ、地べたに座るように崩れた。

 だが油断しちゃいけない。死に体がフェイクである可能性だってある。

 丁度いい具合に打ち下ろしの距離。俺は右を握り固めた。

 もう握力もない。ただ手首に痛みが走るのみの右拳だが、殺さない程度のとどめなら、寧ろこの方が良かったかもしれない。

 歯を食いしばり、振り抜く。

 ゴッ!!と鈍い音と共に、手首から全身に駆け巡るような痺れ。

 木村は座っていた状態から倒れた形に移行した。

 これでどうだ?まだ終わってないか?

 残心し、倒れている木村を見降ろした。

 暫く経ったが動かない。

 本当に気を失っているのか?これもフェイクじゃないのか?

 数々の実戦経験から疑い深くなっていた自分に驚く。

 動かない木村だが、イマイチ不安だ。俺の両手はもう使い物にならない。

 立って欲しくないが、立たれでもしたら、俺の負けは確定だ。

 なら、もうちょっと痛め付けておいた方がいいんじゃないか…?

 俺は屈んで拳を振り上げた。

「そこまでだろ緒方。木村君を殺す気か?」

 声に止められ、振り向くと、福岡がおっかない顔で俺を咎めるように見ていた。

 そこで漸く安堵し、俺も地べたにへたり込んだ。

「そっか…終わったのか…」

「……気を失っているのが解らないのかよ?」

「何となくそうかな?とは思ったが、騙しかも知れないしな。一応保険のつもりで…」

「……やっぱりお前、危ねえよ緒方。正直怖い。関わりたくねえ」

 そうだよな、俺は色々おかしいんだよ。

 だから、だからこそ。

 慕ってくれた春日さんに、ふざけた真似をしてくれやがった、お前ん所の糞共が許せないんだよ。

 だが、俺の拳はもう握力が無い。手首も物凄く痛いし、糞共をこれ以上痛め付けて、朋美の病院に治療に行かれたくも無い。

「おい福岡、木村がケジメつけてくれたんだ。馬鹿野郎共を連れて帰れ」

「そうするつもりだよ。おい、お前等…」

 福岡が糞共を睨む。殺すような目つきで。

 当然糞共は震えあがり、俯いたり、キョドったりしていた。

「今後一切あの店に近付くんじゃねえ…木村君が身体を張ってお前等を助けてくれたんだって事を忘れんな。もしも破ったりしたら、俺達が緒方の代わりにお前等を殺すぞ…?」

 いや、俺は殺す気は無いんだけど。殺すつもりでぶち砕いた時は多々あったけど。

 糞共は無言で頷く。と言うか顔を伏せる。

 そりゃそうだろ。この喧嘩は木村と俺とのケジメであり、糞共を助けに来た訳じゃ無い事くらいは解っているだろ。

 改めて木村が粛清する筈だ。友達の俺との約束を破った償いを、糞共に食らわすだろう。

「解ったら散れ!!真っ直ぐ帰れ!!間違ってもあの店の前をうろつくな!!」

 福岡の怒号と共に、散り散りになりながらも帰って行く糞共。残ったのは木村のシンパのみだ。

「で、お前等は木村の仇を取らないのか?」

 未だ気を失っている木村を担いだ福岡が、怖い目で俺を睨み付けた。だが、すぐに視線を外した。

「木村君をこんなにボロボロにしたお前に向かっていけるかよ」

「今なら俺も両手使えないぞ?仕返しするなら今しかない」

「……やめとくわ。正直今一斉に掛かっていったら気分よく勝てるだろうけど、後が怖い」

「俺も仕返しされるのを覚悟していたんだがな…」

 そしてその事に対しては恨み言を言うつもりも無い。こういうもんだ、と解っているからだ。

「お前が報復に出ないのは何となく信用するけど、怖いんだよ、単純に。お前の相手は木村君に頼ることにするわ」

 次もあるのかよ。木村とのバトルが。

 俺も正直もうやりたくないんだけど。

 そして福岡は木村を背負って歩き出す。

 他の連中も同様に。一切こっちを振り向かずに。

 振り向いて俺の顔見たら、ぶん殴っちゃうからなんだろうな。つか、既に仕返ししたい衝動に駆られているに違いない。

 だが、木村から厳命されているんだろう。俺に手を出すなって。木村も負けを覚悟して、俺との勝負…ケジメに臨んだんだ。勝っても無傷には絶対にならないと。

 あいつ等は木村との約束を守ったに過ぎないんだろう。だから、仇がボロボロの状態でも見逃したんだ。

 ズキッ!!と身体が痛み、しかめっ面を拵える。

 両手首だけじゃ無い、結構ボディにも貰ったし、何より木村の一発一発は強烈だった。

 ぶっ倒れなかったのが不思議なくらいだ。喧嘩の最中は、痛みなんかあんまり感じないけども。

 俺は地面に大の字になって寝転んだ。

 もう少し回復するまで、このままでいようと。

 暫くそうした。星を見ながら。ってのは嘘だが。要するに動きたくなかったから。

 だが、俺は痛む身体で飛び起きる事になった。

 誰も来ない筈のこの建設現場に、スマホの明かりが灯ったのだ。

 それは遠くに光っていたが、ウロウロしながらも俺の方に向って来る。

 やっぱ仕返しに来たのか?だが、あれは捜し歩いているような感じだ。さっきまで居た連中なら俺の居場所なんか解って当然。つまりさっきの連中じゃ無い。

 なら、どこかで情報を貰った糞か?今なら俺に勝てるだろとか思ってやって来たか?それだったら明かり一つなのはおかしい。奴等は徒党を組んでやってくる、  弱っている俺相手なら尚更だろう。以前の仕返しとか言って仲間を集め捲る連中だ。

 じゃあ誰だ?

 俺はその明かりをじっと見る。

 遂に俺の目の前まで到着した明かり。それは俺が思っていたように、スマホの明かりだった。

 だが、照らしていた人は俺の想像外の人…

 春日さんだった……

 俺を見つけた春日さんは、辛そうな顔をしながら駆け寄って来た。

 俺も上体を起こして春日さんを待つ。

 息を切らせて、俺の直ぐ前まで来て目線に合わせて屈んだ。つか、バイト先の制服の儘だった。イコールスカートが短いのでパンツが見えそうだった。

「よく此処が解ったなあ」

 精一杯の笑顔で出迎える。

「……黒木さんから電話あったから…」

「黒木さん?」

 コックリと頷き、進める。

「……木村君から電話があって、隆君、此処で伸びているから私に伝えてくれって…」

 誰が伸びているんだ。勝ったのは俺だろ。

 つか、気絶から覚醒して、直ぐに黒木さんに連絡したのかよ。

 あいつ…気にしていやがったな。春日さんの噂で西高生が迷惑掛けていた事を。

 だからヒロでも無ければ楠木さん、槙原さんでも無い。春日さんに伝言させたのか。

「……どうしたの?」

「え?」

「……さっきの無理やり作った笑顔と違う…」

 バレていたのか。

 今度は苦笑いで応える。

 なんか…嬉しいんだ。木村が気にしていたのが。

 なんか嬉しいんだ。覚醒して直ぐに俺を案じてくれたことが。

 そんな事が言えず、ただ苦笑いで応えた。

「それよりバイト途中じゃないのか?」

「……早退してきたから…あまりお客さんもいないし、みんなも早く行ってって…」

 おおお…愛されているな、春日さん。

「でも、俺は大丈夫だから」

「……手首を怪我しているって聞いたよ?」

 そこまで言ったのかよ木村の奴?

 俺本当に勝ったんだよな?気を遣われるほどダメージは受けていないよな?寧ろ 木村の方がダメージデカい筈だよな!?

「……病院、行く?」

 心配そうに小首を傾げる春日さん。眉根も寄せて、俺より痛そうだった。

「いや、大丈夫だよ。捻挫みたいだし」

 グーパーと手を握ってみせる。痛みが走るが、我慢できない程じゃ無い。ヒビはやっぱ大袈裟だったか。

「……そう」

「うん」

「……」

「……」

 ……な、何だこの沈黙?気まずい!!

 春日さんもそう感じたようで、無理やり話題を作ったように言った。

「……お腹、大丈夫?」

 確かにボディにも何発か貰ったが、腹筋には自信がある。

「うん。そんなに貰ってないから」

「……そうじゃなくて…ご飯食べてなかったじゃ無い?」

 あ、そっちか。今は腹減っていないから気付かなかったけど、時間が経てば腹減るかな。

「……ウチ、行こ?」

「ん?」

「……捻挫でも湿布くらいはした方が絶対にいいし、ご飯も作るよ?」

 ここからなら春日さんのアパートに行くより、自分家に行った方が早いんだが…

「……今帰っちゃったら、お家の人がビックリしちゃうよ?」

 そ、そうかな?確かに沢山貰ったけど、スパーの方が見た目のダメージは酷いんだが…

「……ね?行こ?」

 そんな懇願されるように見られたら…

「う、うん」

 頷くしかねーじゃねーか!!

「……そう。立てる?」

 そう言って俺より早く立ち上がった春日さんは、手を俺に差し伸た。

 俺はその手を取って立ち上がった。

 あったかい手…木村とのバトルで傷付いた身体が癒されそうだった。

 だが、腕を引っ張られた瞬間、びぎ!!と手首の痛みが響き、思わず顔を顰めてしまった。

「……ホントに大丈夫?救急行く?」

「だ、大丈夫大丈夫。どうしても痛みが引かなかったら、明日病院行くから」

「……そう」

 心配そうな顔だ。何か心苦しい。

 俺と春日さんは並んで歩いた。

 暗かったので手は引いていたかったが、春日さんが俺の手首を気にして、直ぐに放したのだ。

 バス停に付く。バスを待っているお客の数もまばらだ。結構遅くなっちまったな。

 と言うか、お客が俺達をチラチラ気にしているが…

「……あ」

「ど、どうした?」

「……私、バイトの制服の儘だった…」

 赤くなって俯いてしまう春日さん。

 成程、春日さんの恰好が目立った為に、周りがチラ見していたのか。

 バスに揺られている間中、春日さんは後部座席に陣取って、俯いて黙っていた。

 だが、得意の気配を消すスキルも、あのメイド服じゃ効果を発揮しない。好奇な視線が注がれる。

 俺が隣に座って威嚇(?)している為にガン見する奴は居ないが、それでもいい気分はしないだろう。

 漸く目的のバス停に到着し、春日さんは逃げるようにバスから出て行く。俺を置いて行くなよと、俺も慌てて後を追った。

 降りた後、バスが行って漸く口を開いた。

「……は、恥ずかしかった…」

 だろうな。気持ちは解らんでも無い。

「バイト中はそのカッコだろ?」

「……あれは仕事だから…ユニフォームだから…」

 まあ、割り切らなきゃやっていけないよな。

「……早く帰って着替えなきゃ…」

 俺の返事も待たずに春日さんは駆け出す。

 そんなに恥ずかしいのなら、別のバイトにすればいいのに。普段はあのカッコで 外をうろつかないから、気が回らないんだろうけど。

 春日さんにしては素早く歩いてアパートに着く。俺が後を追うのにギリギリとは…

 ガチャガチャと慌ただしく開錠する。焦っているのか、鍵穴になかなか入らなかった。ちょっと落ち着け。

 ガチャリ、と、開錠し、飛び込む勢いで部屋に入る。俺を置いた儘。一応招かれた筈なんだが…

「……早く!早く入って!鍵閉めて!」

 ……何か悪い事している気分なんだが…親とか恋人が居るのに、逢引して家に侵入しているようなシチュだな。

 まあ、春日さんの事情もアレだし、言われた通りに入って施錠する。

 と!!

「なんで玄関先で脱いでんだ!?」

 理由は慌てていたからに他ならないが、俺を連れて来ていると言うのに、春日さんは玄関先でメイド服をヌギヌギしていた。

 真っ白いブラが真っ白い肌に映えるなぁ……

 じゃねええ!!

 俺は慌てて両手で顔を覆って目を隠した。

「……も、もういいよ?」

 うっすらと目を開けると、グレーのスエットで地味ながらも、いつもの春日さんに戻っておた。

 安心して漸く靴を脱ぐ。

「……あ、シャワー浴びる?」

「なんで!?」

「……埃っぽいから」

 言われてみればそうか。外でやり合ったんだ。土埃くらいは当然付着している。何より汗を大量に掻いている。

「でも、着替えが無いからな…やっぱいいよ」

 もし、埃っぽいのが迷惑なら帰るしかない。

 だが、春日さんはフルフル首を横に振る。

「……着替え、あるよ?」

 持っていたのは、男物のスエット(オレンジだった)と、トランクス(ケツの方にユニオンジャックがプリントされていた)とTシャツ(これもユニオンジャック柄)!!

「な、なんで!?」

「……ユニオンジャックが好きだから…もしかして星条旗の方が良かった?」

 なんでって、そっちじゃねーよ!!!

 下着なんて、イギリスでもアメリカでもカナダでもなんでもいいよ!!

「い、いや、何で男物の下着があるんだ?って意味なんだけど…」

 ハッとして首と両手を左右に振る春日さん。

「……ち、違うの。誤解しないで。アパートに男の人なんて連れ込んでいないから!!」

 ……いや、そこまで言ってないけど…言われてみたら、そうなるのかな?

 一転、恥ずかしそうに俯いて人、差し指同士でちょんちょんとくっ付けながら言った。

「……隆君が泊まる事になった時に、着替え無いのは可哀想…って…」

 俺が此処に泊まるシチュがあるのか…あるんだろうな。春日さんの頭の中では。

「まあ…用意してくれてありがとう?」

 一応お礼は言った。最後に『?』は付いたが。

 春日さんは真っ赤になって、うんうん頷いた。

 恥ずかしいなら準備しなきゃいいのに…

 折角だから、とシャワーを借りた。

 折角だから、と用意して貰った着替えを着た。

 スエット落ち着くぜ。まるで自分の部屋に居るみたいだ。

「……もう着ちゃったの?もう一回脱がなきゃ…」

 着替えを用意してくれたのは春日さんなんだが、それをまた脱げと?

「……湿布とか薬とか塗らなきゃ…」

 あ、そうか。そうだったそうだった。このアパートに来た理由がそれだった。

「でも、手首に湿布だけで大丈夫だよ」

「……そう?」

 …なんでそんなに残念そうな顔をするんだ?貞操の危機を感じるわ。

 一応両手首に湿布を張って貰い、ご飯作るから少し待っててとお茶を煎れて貰った。

 甘々のお茶じゃない、普通の緑茶に安堵しつつも、有り難く啜る。

 ちょっと熱いが心地良かった。喉も渇いていたから。

 ふーっ、と息を吐く。なんつーの?マッタリモード?

 しかし、ちょっと気になった事があったので、マッタリを惜しみながらも聞いてみる。

「黒木さん、どんな様子だった?」

 木村と俺が戦ったのを知っているとして、彼女はどう思ったのか?春日さんに連絡を寄越した時の事を踏まえて検証してみたい。

 最悪朋美側に寝返るとも考えられるからだ。

「……別に普通だったよ?」

 台所から包丁でまな板を叩く音を心地良く奏でながらも、答えてくれた。

 普通だったのか。何か反応とかなかったのか?

「……男ってしょうがないねー、って言ってた」

 それは…俺との勝負にある程度の理解を示してくれていたのか?木村が何と言って捻じ伏せたのかが気になる所だが、それは俺が聞いていいものじゃ無いような気がする。

「……逆に私の方が慌てちゃって…よく話さない内に、電話を切っちゃったから…」

 成程。それ以上の情報は出て来ないと言う事か。本人に明日聞いてみた方がいいな。

「……おまたせ」

 ご飯が出来たようだ。思わずおお~っと声を出す。

 豚の生姜焼きに生野菜のサラダ、豆腐とわかめの味噌汁。そして何故かひじき。なんでひじき?

 兎に角美味しそうなのには変わらない。

「……ジンジャーボークは今作ったけど、ひじきはお惣菜で昨日の残り物。ごめんね?」

 いやいやいやいや。残り物でも充分だ。おかげでひじきの謎が解けた事だし。

「……ご飯は足りないから真空パック物で我慢して?でも、いっぱいあるから遠慮しないでね?」

 そうか。いつもは自分一人分のご飯しか炊かないから、足りないのか。だからサ○ウのご飯の出番だと。

 俺は感謝しながら、いただきますを言って箸を取った。

 ブタショーは旨かった。サ○ウのご飯が進む味付け。

 味噌汁もいい出汁で旨い。カツオだな、これ。

 うまいうまいとがっつく俺を、優しそうに笑って見ている春日さん。

「あ、ちょっと行儀悪かったな」

「……ううん。いっぱい食べて。なんならもう一回焼くから」

 ブタショーは旨いし何枚でも食えるが、流石にそれは悪いので遠慮した。

「旨かった!!ご馳走さま!!」

 そう手を合わせたのは、結局ご飯三杯お代わりした後だった。

「……大丈夫?足りる?」

「うん、もう満足だよ」

 三杯も食べたら充分過ぎる。

「……そう。じゃあお茶、飲む?」

「うん、貰おうかな。普通の緑茶を」

 言っておかなければ、あんこだの蜂蜜だの入れられかねないので、此処はハッキリと意思表示した。

 お茶を煎れて貰ってまったりする。台所からカチャカチャと食器を洗う音が心地よい。ついつい眠ってしまいそうだ。

 そう言えば、寝るで思い出したが、前は睡眠薬を盛られて逆レイプされた揚句、殺されたんだっけなあ。

 そのトラウマからか、それとも単純に悪いからと言う理由からか、瞼が重くなっても決して目は瞑らなかった。腹いっぱい食べて眠気MAXだと言うのに。

 やがて洗物が片付いたのか、春日さんが自分用の飲み物を持って現れた。俺のお代わりのお茶と共に。

 恐る恐る覗いてみると、見た目は普通のウインナコーヒーだった。中身は想像もしたくない。

「……お店での話だけど…須藤さん、夜だけ病院から帰っているってホント?」

「うん。その裏を取る為に、ヒロが一日中病院に張り付いている。これも店で言ったっけか」

 コックリ頷き。礼のウインナコーヒーを一口。

 なにか考えているようだが…

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