相合傘

 ホテルに泊まった二日間、これまで会えなかった記憶を埋めるように互いのことを語り合った。隼人はやとが帰ってきたのが金曜日でよかった。そうじゃなかったら二日も一緒に過ごせなかったから。平日に仮病使ってまで仕事を休むなんて、私には出来ない。


 でも幸せだった休日も今日で終わり。今晩は早めに帰って体を休めないと、仕事に支障が出る。この二日間、調子に乗って夜遅くまで話してた。寝不足なはずなのに体が軽く感じるのは、もう独りじゃないから。隼人が私のところに帰ってきてくれたから。



 問題が起きたのはホテルを出る時だった。隼人はスーツケースに旅行鞄という大荷物。対する私は必要最低限の荷物を詰め込んだリュックが一つ。私達は自分の荷物を持ったまま、ホテルの出入口で立ち止まっていた。原因は、自動扉の奥に見える光景のせい。


 外は、弱すぎず強すぎずの雨が降っていた。耳をすませば、ロビーに聞こえる物音とは別に雨音が聞こえるんだ。自動扉越しに見える外は水溜まりが出来ていて、道を歩く人々はみんな傘をさしている。そういえば日曜は朝から雨ってどこかの気象予報士が言っていた気がしなくもない。


 隼人は外の光景を見て、スーツケースの持ち手に引っ掛けていたビニール傘を取り出す。再会した時は気付かなかったけれど、隼人の荷物にはビニール傘が含まれていたみたい。隼人ですら傘を持っているのに私は……。


「あれ、折りたたみ傘は?」

「忘れたの。い、いつもは二本持ち歩いてるわよ? でも今回はその、急だったから……か、傘を入れ替えるの忘れてたのよ」

「へぇ。それはを聞いたな」


 普段は折りたたみ傘を二本持ち歩いてる。隼人と出会った日に傘がなくて苦労したから、その教訓で。二本あればいざって時に人に貸せるし、もし折りたたみ傘をどこかに置き忘れても困らない。だから持ち歩いていたはずなのに……今日に限って二本とも家に置きっぱなしだ。


 傘を忘れたことの何がそんなに楽しいんだろう。隼人が今まで見たことがないような満面の笑みを浮かべている。ここまで笑われると逆に困るんだけどな。私、こう見えて結構真剣に悩んでいるのに。


「傘、なんとかなると思うよ」

「それは何の根拠があって言ってるの?」

「まぁ、それは外に出ればわかるって」

「雨が降ってるのに傘無しで出られるわけないじゃない」

「あー、じゃあ、ちょっと待ってて」


 何を言いたいのかわからなくて、隼人が動くのを待つことにしてみる。隼人はビニール傘をさしてホテルの外に出た。スーツケースと旅行鞄がビニール傘の下に入る。かと思えば傘の下で私に手招きをしている。これって、私も隼人のビニール傘の下に入るように言われてるのよね。


 一瞬、その下に入ることを躊躇ためらった。だってビニール傘の下は隼人と隼人の荷物で一杯になってる。私がそこに加わればきっと、隼人の荷物が濡れてしまう。それはなんとなく嫌で、一歩外に踏み出す勇気が出ない。


「大丈夫だから、俺に任せてごらんよ」

「そんなことしたら濡れるってば」

「平気だって。そのまま来ないなら……こうするしかないか」


 隼人がビニール傘をたたみ、荷物と一緒にホテルの中に入る。そして外に出るのを躊躇ちゅうちょする私の手を優しく掴む。かと思えばそのまま手を引っ張って外に出る。雨に濡れることを覚悟して目を閉じたけれど、いっこうに濡れる様子はない。頭の中で十秒数えてから目を開けた。





 目の前には隼人の顔と傘の柄を握る大きな手があった。そのまま頭上に視線を逸らすと、そこにはビニール傘の傘布がある。本当にビニール傘の下に入ったんだ。なんて思っていたら、隼人が私の体を引き寄せる。


 傘の下で密着したせいか体感温度がやけに高い。なのに隼人は私から離れようとしないし、離れることを許さない。かと思えば唐突に私の手を離し、代わりにその手を私の背中に回した。大きな手のひらが腰を優しく押さえつける。


「もっとくっついて。じゃないと、鞄が濡れちゃうよ?」


 隼人に言われ、目線を隼人から自分の荷物に移す。見れば、私の左肩にかけてある鞄は雨に濡れていた。よくよく見れば隼人の旅行鞄とスーツケースも雨に濡れている。ううん、それだけじゃない。傘の柄を掴む隼人の腕もその肩も、雨に濡れている。


 荷物と自分を犠牲にして私が濡れないようにしてくれたんだ。これ以上あなたの体を濡らしたくない。その一心で、恥ずかしさをこらえて隼人の体に抱きつく。隼人の手の上に右手を重ね、傘の柄を持ってみる。傘の柄を握っている方の手は、雨に濡れて冷たくなっていた。


 相合傘って意外と密着するんだな。これは同性はともかくとして、異性とならよほど仲良くないと無理かな。傘の下で密着した体が、体に微かにかかる相手の吐息がくすぐったくて、顔から火が出そう。誰にも見られてなければいいな。多分傍から見たら傘の下でイチャついてるようにしか思えないだろうから。


「夢で見たんでしょ? だから、現実にしようかなーって」

「夢の中で相合傘してたのは私とじゃない!」

「いいじゃん。夢は夢、現実は現実。それに、俺が相合傘してもいいって思うのは美穂みほだけだし」


 耳元でささやくように告げられた言葉。熱い息が耳たぶにかかってくすぐったい。歯が浮くような台詞を平然と言うから、言われてるこっちが恥ずかしい。まさか、小説やドラマの台詞みたいなことを言う人が現実にいたなんてね。


 いつかこんな小さな思い出も今までのことも、そしてこれから起きることも。隼人と一緒ならその全てが、最後にはいい思い出になる。そんな予感がした。きっとこの予感は、一昨日感じたのと同じで、間違ってないと思う。ううん、私と隼人の二人でこの予感を現実のものにするんだ。

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