第四部 遠過ぎる関係
君を想えば
すれ違い
隼人の出張先はアメリカだった。日本との時差は十四時間以上。そう簡単に会いに行くことの出来ない距離になる。海外出張の話を聞いたのは四月だったから、そこから出発まではあっという間の出来事だった。
隼人が日本を出発してから最初の一ヶ月はなんとかやり取りをしようと必死だった。朝起きたらメッセージアプリを使ってチャットをして。夜か休日には、都合が合わせて電話をしようとしたんだ。だけど――。
「おはよう。これから仕事に行ってくるね」
「こんばんは。こっちは今、仕事が終わったところだよ。お仕事、気を付けてね。無理しないように」
「ただいま、今仕事が終わって帰宅中だよ。そっか、日本の朝はアメリカの夜なんだね」
「おはよう。今から出勤だよ。そうそう。時差が十五時間もあるからね」
時差のせいか、まともに会話が続くことなんて全くといっていいほどなかった。私が出勤前に送ったメッセージは、向こうの夕方――仕事中に届く。隼人が寝る前に送ったメッセージは、こっちの午後二時頃――仕事中に届く。そのせいかチャットは朝晩の挨拶と些細な近況を簡潔に報告することしか出来なくて。
休日も、連絡を取るのは大変だった。私が朝起きて連絡する時間は、隼人にとっては寝る前の準備時間。逆に隼人が朝起きて連絡する時間は、私にとっては深夜ですでに寝てる時間。しかも日本とアメリカでは時間によっては日付と曜日まで違う。
当然のことながら既読はすぐにつかない。チャットでのやり取りはなかなか進まないし、どちらかが電話をかけても相手の都合が悪くて出られないことの方が多い。その事実に気付いた私達は一週間かけてチャットで相談を行った。
「時差の関係で電話のタイミングがほとんど合わないね」
「正直、こうなるのは想定外だった。アメリカって結構遠いんだなって、出張して初めて知ったよ」
「離れちゃうと、前みたいにチャットや電話で関わることも難しくなっちゃうんだね」
「電話は、やめよう。留守電で声を聞けるのは嬉しいけど、ちょっと虚しいから。でも、近況報告はやってほしいな」
「生存確認のため?」
「うん。『おはよう』と『おやすみ』だけ、互いの近況を添えてチャットしよう。それなら
時差があまりに大きすぎて、連絡手段を変更した。留守電ばかりが溜まってしまうから、電話はやめた。直接話せないのなら電話をしても虚しいだけ。これは隼人も同じ気持ちだったみたい。
チャットも、すぐに返事を返せないことを考慮して、必要最低限にした。朝晩の挨拶は欠かさずに送る。そこに近況報告を入れることで、チャットのマンネリ化を防ぐ。互いの声が聞きたくなったら、ボイスメッセージを送る。
ボイスメッセージは電話と違う。一方的に声を送るだけ。相手が電話に出ないことを示すビジートーンを聞かずに済む。それだけでも精神的ダメージが大きく違うから。これが私達の導き出した最善の方法だったんだ。
隼人が海外出張に行ってから二ヶ月目に入った頃から、隼人との思い出を懐かしむようになった。文字でしか伝えられない、すぐに返事の来ない虚しいチャット。十五時間も時差のある土地にいるという現実。それを忘れるように、昔の思い出に
初めて会ったのは、元カレから別れを告げられた直後だったっけ。雪の日なのに傘を忘れて電車に飛び乗った私は、最寄り駅から帰る術を無くして困ってた。そんな時にビニール傘を差し出してくれたのが隼人だったんだ。
あの日、隼人から貰ったビニール傘は今でも家に置いてある。いつかの喫茶店で二人一緒に買ったビニール傘と一緒に、傘立てに並べてあるの。でも、同じビニール傘のはずなのに、隼人から貰ったビニール傘だけは輝いて見えるんだ。
いつだったか、隼人に貸した折りたたみ傘もある。傘を貸したのは、二回目に最寄り駅で会った時だっけ。折りたたみ傘を貸した時に初めて、隼人の名前と連絡先を知ったんだ。傘を返すって口実の元、喫茶店でお茶をして、その帰りに映画館に行って。一緒に行った映画館で、新しい彼女とイチャつく元カレに会ったんだよね。
元カレからのしつこい連絡をどうにかしようと手を貸してくれたのも隼人だった。その過程で一度、告白されたんだよね。元カレのことで頭がいっぱいだった私は、そんな隼人の言葉をすぐには信じられなかった。恋愛はもういい、なんて思っていたんだ。
元カレとの騒動が落ち着いてから、だったかな。一緒にテーマパークに行って、柄にもなくはしゃいで、互いの気持ちを伝えて。初めて隼人と
テーマパークのに行った時は驚いたな。帰り際にホテルを取ってあることを知らされて、二人で泊まった。だけどやましいことは何一つ起こらなくて。隼人は理性を保つためとか言って、ベッドじゃなくて部屋の椅子で寝ていた。
「ベッドで寝なくていいの? 椅子で寝るの、辛いでしょ?」
「……いい。同じベッドで寝たら、自分を抑えられなくなるから」
「抑える?」
「同じ部屋にいるだけで理性保つのが精一杯なの! これ以上近付いたら俺……美穂さん、襲うかもしれないから」
初めて気持ちを伝えあった日、隼人は私のことを考えてなのか手を出さないようにと必死だったな。お互い異性と付き合うのが初めてってわけでもないのに、不思議なくらいぎこちなくて。そのぎこちなさに思わず顔がニヤけたこと、今でも覚えてる。
このまま幸せな日々が続くと思ってた。でも、平和は長くは続かなかった。寂しくなることを知った上で隼人に海外出張を勧めたのは、私だ。勧めた時は、待つことがこんなに寂しくて辛いものだなんて想像すらしなかった。今になってあの時の選択を後悔しても、もう遅い。わかっているのに後悔せずにはいられない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます