子供みたいに

 今後の行動を決め終えた時、店内の時計は午後四時を示していた。五時間はこのカフェで話していたことになる。よく店員さんに追い出されずに済んだな。長居してごめんなさい。ここまで長々と話すつもりはなかったのに……。


 水に濡れたスカートは話している間に少し乾いた。今はもう、濡れているのが気にならない。そもそも私の不注意が原因なんだけどね。店員さんにはなんとお礼を言えばいいのか。


 会話が一段落したからと外を見る。テーブル席から見える外は、雨が降っていた。ぽつりぽつりと降る弱い雨。大雨じゃないからかな。外には傘をさしてる人とさしてない人、両方いた。外の景色に、隼人はやとの顔が少しくもる。


「どうしたの?」

「……雨が降ってるなぁ」

「今日は朝から曇ってたものね。雨が降ってもおかしくはないと思うけど?」

「そうなんだけど、さ。……傘、持ってきてたっけな」


 傘を持ってきたのか自信がないんだろうな。店内で鞄の中を漁り始める。最初は苦笑いを浮かべながらだったけど、次第に表情が険しくなる。ついには鞄の中身を全部出して確認し、落胆した。


 そんな隼人を見てすぐに事情を察する。折りたたみ傘、鞄に入ってなかったんだな。貸せたら良かったんだけど、今日に限って折りたたみ傘は一本しか持ってないの。


 いつも持ち歩いているもう一本の折りたたみ傘は、昨日使って濡れてしまったから、家の中に干してある。このままだと隼人が雨に濡れて風邪を引くかもしれない。傘を売っている売店までも少し距離があるだろうし。


 そこまで考えたら、答えは一つしかなかった。頼りないかもしれないけれど、私の折りたたみ傘に入ってもらえばいい。落ち込んでいる隼人の顔を見て、息を吸う。


「隼人さん。傘がないなら、私の傘に入って駅まで行く? 何も無いよりマシだと思うけど」

「ダメだよ。美穂みほさん、ただでさえ服が濡れてるんだから。これで雨にも濡れたら風邪引いちゃうよ?」

「短い距離だし、大丈夫よ。隼人さんこそ、傘もささずに歩いたら風邪引いちゃうわよ」

「よくない! 美穂さんはよくても俺がよくない。大丈夫大丈夫。これくらいの雨なら傘なんてささなくても――」


 隼人が傘を探している間に天候は悪化していたみたい。稲光と雷鳴が、私の代わりに隼人の言葉を遮った。突然鳴った雷によほどビックリしたのか、隼人が両耳を塞ぐ。それだけで雷の音が聞こえなくなるはずがないのにね。


 泣きそうな顔で耳を塞いだ隼人は、すぐにその仕草をやめた。私の顔を見て、苦笑いを浮かべる。よほど恥ずかしかったのかな。隼人の顔は耳まで赤く染まっている。隼人は雷が苦手なのかもしれない。そんなことを、その顔を見て思った。


 弱い雨はいつの間にか、雷を伴う大雨に変わっていた。この雨の中を折りたたみ傘一本で帰るのも少し辛い。たらいをひっくり返したような雨の中じゃ、折りたたみ傘をさしても濡れてしまう。


 私がどうやって駅まで行くか考えていると、隼人が席を立って先に会計を済ませてしまった。さっきまで雷鳴にびっくりしてたのに、こういう時の反応は早いんだ。なんて感心している場合じゃない。慌てて席を立って隼人を追いかける。席に戻ろうとする隼人と店内ですれ違って、思わず笑ってしまった。


 会計を済ませたところで状況は変わらない。店の入口付近で思わず立ち止まる。雨がひどいのもあるけど、隼人が傘を持っていないのが問題だった。私の折りたたみ傘だときついし、かといってこのままここで立ち止まるわけにもいかない。


「お客様。よかったらこちらの傘、買われますか?」


 外の様子に気付いた店員から見せられたのは、一本のビニール傘だった。その存在に気付き、隼人がすぐさま財布を取り出す。私も急いで財布を鞄から出した。





 結局私達はビニール傘を一本ずつ買うことになった。買ったばかりのビニール傘をさして、駅まで並んで歩く。せっかく並んで歩いているけれど会話はない。ううん、会話をする余裕なんてない。


 二人して駅まで急いでいる。雷雨の中でのんびり話す人なんて、そうそういない。私達もそうだった。最初こそ歩いていたけれど、雷鳴を聞いて足を早める。次第に早足は駆け足へと変化していった。


 ひどい雨の中、駅まで全力で走ることになってしまった。駅構内に入って傘をたたんだ時には、私も隼人もすっかり息を切らしていて。互いに顔を見合わせて、思わず笑い合う。


「隼人さん、顔、真っ赤」

「美穂さんこそ、赤い、よ」

「髪が、濡れてる」

「コート、濡れてる」

「こんなに、走ったの、いつ以来?」

「運動会、以来、かな」

「私も」


 隼人はひどい顔をしていた。顔を真っ赤にして、黒髪は雨に濡れてしんなりとしてる。ズボンのすそは雨に濡れて少し変色してるし、びしょ濡れになった靴は見るからに冷たそう。ビニール傘をさしていたけど、雷雨の前じゃほとんど意味がなかったみたい。


 閉じたばかりのビニール傘から雨水が垂れる。冬の雨に打たれた両手は、氷みたいに冷たくなっていた。そのせいか、手の感覚がなくなって微かに震えている。かじかむ手でなんとかビニール傘をたためば、先端から流れ出た水が足元を濡らした。


 でも、ここまで全力疾走したのは久しぶり。雨の中でも、思いきり走ると気持ちいいし風を感じる。せっかく整えた髪はボサボサになってるし、全身濡れて少し寒い。けれどそんなことより気持ちよさの方がまさる。すごく不思議な気持ち。


「風邪、引いちゃうよ。タオル、買わなきゃ」

「そんな都合よく、あるかしら」

「仕方ないよ。タオルなんて持ってないから」

「私、持ってるよ」


 濡れた髪と服が、シャワー後の姿を連想させる。頬を伝う雨水が汗のように見えた。隼人のことを色っぽいなんて思う私は、少しおかしいのかな。鞄からハンドタオルを取り出して渡す。その動作すらも躊躇ためらってしまうほど、雨に濡れた隼人は素敵に見えた。


 もっと、隼人の色んな表情を見てみたい。笑顔も泣き顔も全部、私の記憶に集めたい。どこかのアーティストが歌う曲の歌詞みたいな言葉が頭に浮かんでは消えていく……。

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