三年越しの言葉

 隼人はやとは本当に、泊まる予定だというビジネスホテルに二名で予約を入れていた。ホテル代は会社の経費ではなく自腹だと言っていたから、少しだけ安心。これで経費を使っていたら怒っていたと思う。会社のお金は無駄遣いしちゃいけないもの。


 ホテルに来る前に家によって、急いで必要な荷物と着替えをまとめてきた。二泊三日で予約しているらしい。幸いにも明日は土曜日だから仕事がない。だから、思う存分隼人と二人きりで過ごせる。三年ぶりだな、隼人と一緒にホテルに泊まるのは。


 明日はどこにも行かない。この三年間の空白を補うために、たくさん話すんだ。互いに起きたことも、思っていたことも、三年間で何があったかも。もう、一人きりで寂しい休日はおしまい。つかの間かもしれないけれど、久々に恋人と過ごす休日ってのも悪くないと思う。


 もしかしたら神様が願いを叶えてくれたのかな。帰り際、オリオン座を見て願ったんだ。「もし神様がいるのなら……」って。隼人への思いを知って、神様が願いを聞き入れてくれたのかな。それともこれは、私が現実と勘違いしている覚めない夢なのかな。



 ホテルの一室に入るとすぐに扉を閉められる。そして扉に体を押し付けられ、隼人の体と扉に体を挟まれた。スーツケースや鞄をドアの近くに乱雑に置いて、触れるだけの優しい接吻くちづけを何度も何度もする。紅潮した顔が、いかに興奮しているのかを伝えてくれる。


「待たせて、ごめんね。ただいま。もう、こんなに長く離れることはないから」

「隼人」

美穂みほ、大好き。愛してます。よかったら、俺と結婚してくれませんか?」


 ホテルの一室で投げかけられた言葉はド直球だった。よほど焦っていたのか我慢出来なかったのか。荒い呼吸で、耳まで赤く染めて、私を見下ろす形で聞いてくる。扉と隼人に挟まれたこの状態で聞くなんて、ズルい。


 何のために三年も待ってたと思ってるのよ。私は、隼人を信じて待ってたんだから。そんなこと聞かれたって、答えなんて一つしかないじゃない。私の出す答えなんて三年前から決まってたんだ。そうじゃなきゃ、今日まで隼人のこと、待ったりしない。


「私こそ、お願いします」


 一言答えてから、隼人の腰に腕を回す。その胸元に耳を当ててみる。トクントクンと確かな鼓動が聞こえて、思わず微笑んでしまう。今のこの平和な時間を守りたい。そう思いながら、隼人の心臓に私の心臓を重ねる。


 たった一人をこんなに愛しく思うことが出来るなんて、知らなかった。言葉で思いを伝えようとしたけど伝えきれなくて。言葉にしても、この愛しさの半分も表せない。声を出すのももどかしくて、抱きついたまま隼人の鎖骨に優しくキスをする。


 その時、隼人が急に体を反転させた。かと思えば驚く間もなく背負われ、ダブルベッドまで運ばれる。そして壊れ物のように優しくそっと、ベッドの上に乗せられた。ベッドがギシリと音を立てる。背中に伝わる弾力が妙に心地いいのは、隼人がそばに居るからなのかな。





 私をベッドに横たえさせると、隼人はその隣に倒れ込んできた。顔だけを私の方に向けて、嬉しそうに笑う。笑顔を見るだけで嬉しくて、幸せで、言葉だけでは表せない温かな感情が溢れてくる。このまま死んでもいいかな、私。


 隣にいるだけでいいの。そばにいるだけでいい。近くにいて顔が見れる、それだけで嬉しくなる。ついこの間まで顔をあわせることも出来なかった。話すことも叶わなくて。すぐに返ってこないチャットは、絶対に返って来ると知っていても不安で、ただ信じて待つことしか出来なくて。それなのに今は、手を伸ばせば簡単に届くほど近くにいる。


「さっきのプロポーズ、あとから撤回なんてしない?」

「しないに決まってるよ。本当は、三年前に言おうと思ってた言葉だからね。……三年も待たせてごめんね」

「私に会いに来てくれた。こうして今、私の傍にいてくれる。それだけでいいの。帰ってきてくれて、本当によかった」


 隼人の体に手を伸ばす。温かい体に触れて、また涙が出てくる。悲しいからじゃない。嬉しいから、涙が止まらないんだ。


 約束通り、本当に帰ってきた。真っ先に私に会いに来てくれた。私を忘れずにいてくれた。それだけでいいんだ。今はもう、隼人の気持ちを疑わないよ。待ってる間は辛かったけど、今は待っててよかったと思える。待っていたから、今こんなに嬉しく思えるんだって、わかるから。


 この関係が永遠に続くかなんてきっと誰にもわからない。けれど、隼人はきっと私は裏切らないでいてくれる気がする。隼人のこと、もう疑わない。今は、どんな時でも信じられるよ。何度季節が巡っても、あなたの隣でその横顔を見続けたい。


 乾いてしまった心を潤すように、隼人が愛をささやく。三年前までならバカにしてたはずの愛の言葉が今は、耳に届く度に脳が溶けてしまいそうな不思議な感覚を引き起こす。私は今のこの幸せを、手放したくなかったんだ。そのことにやっと気付いた。


 涙の数を数えても、どんなに涙しても、強い私にはなれなかった。零れ落ちた雫が心の糧になる、なんて何かの曲の歌詞みたいなことは現実には起きなくて。泣いた後に残ったのは刃のように突きつけられた悲しい現実と虚無感だけだった。


 だから私は泣くのをやめて、笑えなくなって、そして喜怒哀楽の表情が消えた。消えていた、はずだった。なのに隼人に会った瞬間に、連絡を貰った瞬間に。無くしていたはずの表情が私に戻ってきたの。


 欠けたピースがハマったパズルのように、私の心を隼人の存在が埋め尽くす。どうかこの関係が永遠に続きますように。もう、これ以上の試練がやって来ませんように。私はもう、長かった恋愛と独身人生に終止符を打ちたい。


「ねぇ、美穂。近々君の両親に会いに行きたい。俺の両親にも会ってほしい。結婚の話、ちゃんと進めよう。来年の四月までには結婚したいんだ」


 私の願いを知ってか知らずか、隼人の口から具体的な予定が飛び出てきた。

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