愛合傘

暁烏雫月

プロローグ

オリオン座の下で

 仕事からの帰り道は変わり映えしない。いつもと同じ路線に乗って、いつもと同じ区間を移動して、そしていつもと同じ最寄り駅で降りていつもと同じ改札を通る。でも、今日だけはいつもと違った。ううん、違う気がしたんだ。


 改札を抜けてふと空を見たの。すっかり暗くなった夜空と、それと対照的に眩しく輝くビルの看板。ネオンライトのせいか、都会の空気のせいなのか。雲が少ないのに、夜空に星はほとんど見えない。でも、その中に冬の大三角形を見つけた。


 冬の星座の一つ、オリオン座がやけにはっきり見える。特徴的なシルエットは、星にうとい私にもすぐにわかる。あの綺麗な星に、今なら手が届くかもしれない。つい衝動に駆られて手を伸ばす。でも、星に手が届くはずがなくて。


 頭上に伸ばした手は虚しく空を掴む。代わりに、コートからはみ出た手と腕に冷たい北風が絡みついた。手袋を身に付けてないからかな。今日の北風は、皮膚を突き刺すような痛みを伴っている。こんな時はふと、思い出してしまう。懐かしい、人肌の持つ温もりを。


 遠い夜空に浮かぶオリオン座。少し冷たくなった夜風。それが、もう冬なんだと教えてくれる。冬は、好きじゃないなぁ。冬は、彼を思い出してしまう季節だから。


「オリオン座が見えるだろう? その中でも、左上の星、わかるかな? あれが冬の大三角形の一つなんだ。そしたら……」


 今でもはっきり覚えてる、彼の声。最後に会ったのは何年前の話だろう。もう何年も話してないのに、その声も仕草も、姿さえもが鮮明に思い出せる。すぐに思い出せることの方が逆に苦しく思えるのはきっと……。


「一番明るいのが、おおいぬ座のシリウス。オリオン座の左上と、シリウスと……あった。こいぬ座のプロキオン。この三つを結べば、冬の大三角形の、完成」


 吐いた息がすぐに白くなる。望みもしないのに、指は冬の大三角形をなぞり始めた。ビルの電飾で彩られた街じゃ、見える星は限られている。他の星は見えないくせに、冬の大三角形だけは見える。それが、なんだかとても悔しくて悲しい。


 神様がいるのならどうか、願いを叶えてください。もう一度「彼」に会いたい。会って、言葉と接吻くちづけをかわしたい。願わくば、そのまま抱き合って夜の闇に消えてしまいたい。思い出は何度季節が巡っても消えたくれなくて、辛いだけだから。


「もう一度会いたいよ、隼人はやと


 口から零れた言葉は、白い吐息となって街の風景に消えていった。

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