幸せはすぐそこに

 テーマパークで最初に選んだのは絶叫系じゃないアトラクションだった。アトラクションの仕様で仕方ないけれど、隼人はやとと隣り合わせになる。互いの腕が微かに触れる距離。そのせいか、隼人の香りと体温がより近くで感じる。


 どこか懐かしい、甘さの中に爽やかさのある匂い。人の温もりと、服越しに伝わる人肌の感触。至近距離で聞こえる声すらもが、私の心拍を速めてしまう。そんな状態でまともな思考回路を保てるはずがなかった。


 アトラクションの内容なんか少しも頭に入ってこない。最初に乗ったアトラクションは、隼人との距離の近さに驚いたまま、呆気なく終わってしまった。ううん、その一回だけじゃない。そのあとも何回か同じことが続いた。


 テーマパーク内にはいくつかお気に入りのアトラクションがある。そのどれに乗っても、アトラクションを楽しむ余裕なんて少しもないの。幸か不幸か、私の好きなアトラクションは全部隣の人との距離が近い。だから、普段より緊張してしまう。だって、今日隣にいるのは仲のいい友達じゃなくて隼人なんだもの。


 パーク内を移動する時も余裕なんてなかった。自分から繋いだ手がやけに恥ずかしくて、ほほに熱が集まるのを感じる。でも手を離せば混雑してるパーク内ではぐれてしまうから、離せない。繋いでる手は汗ばんでいないかな。変なことしてないかな。そればかりが気になってしまう。


 友達と遊びに来る時は、絶対にポップコーンを食べる。すごい時はパーク内を歩いてポップコーンの食べ歩きをするくらい。なのに今日は不思議とそんな気分にならなくて。隼人に変な風に思われないかばかりを気にしてしまう。食いしん坊と思われたくないからか、食欲はほとんどない。


 私達は周りの人からどう見えているんだろう。友達に見えるのか、恋人に見えるのか、はたまた夫婦に見えるのか。隼人といることに浮かれて変なことをしていないか、気が気じゃなかった。せっかくテーマパークを選んだのに、楽しむより人の目が気になってしまう。


「そういえば隼人さん、もしかして雷とか苦手?」

「…………残念ながら」

「だから、いつかの雷雨の時は耳塞いでたんだね」

「えー、見られてたの? うっわ、恥ずかしい。情けないよね、男のくせに雷が怖いなんて……」

「怖いのは音? それとも雷? 雷の音がするアトラクションはやめた方がいいかなーって思って」

「怖いのは雷だから、音だけなら平気だよ。だから、雷の音がするアトラクションは乗れる。心配しないで」


 アトラクションの待ち時間やパーク内の移動時間は、少しも退屈じゃなかった。話せば楽しいし、沈黙も嫌じゃない。待ち時間に他愛のない話をして、隼人の新しい一面を知ったり新しい表情を見たりすることが出来た。


 隼人といる時間が長くなるにつれて、私の心を隼人が占領していく。パズルのピースが揃っていくみたいに、隼人との思い出が空虚だった心を埋めつくしていくんだ。今日まで抱え込んでいた不安が一つ、また一つ。絡んだつたほどけるように、心にまとわりつく負の感情が消えていく。


 このまま時が止まってしまえばいい。もしこれが夢なら、覚めないでほしい。今この瞬間が永遠に続いてくれれば、苦しまずに済むのに。隼人と過ごす今この時間を、私は手放したくない。私には、隼人が必要なんだ。私は……隼人と離れたくない。それが、この気持ちが、答え。




 隼人と過ごすテーマパークはあっという間に時間が経ってしまった。色んなアトラクションに乗って、一緒にお店を眺めて、一緒に食事をして、そして一緒にパレードを見る。そんな日々を過ごすうちに、「このままずっと一緒にいたい」なんて思うようになってしまった。


 一緒にいて落ち着くんだ。一緒にいるだけでいいんだ。この人と一緒に歩んでいきたい。そんな馬鹿なことを考えてる。元カレとの一件でさんざんりたはずなのに、まだ恋愛に未練があるみたい。それとも隼人なら平気って無意識に感じ取ったのかな。「絶対」なんて有り得ないって、痛いほど実感したはずなのにね。


 小説やドラマでうたわれる「永遠なる愛」なんてこの世には存在しない。愛はいつか終わりを告げる。いつか別れが来ると知った上でそれでも相手といたいかどうか。それが大切なんだ。


 私はいつか離れてしまうとしても、隼人といたい。限られた今を、隼人と過ごす時間を、むさぼりたい。過去なんて未来次第で変わるから。隼人と過ごす未来で、過去の嫌な記憶を上書きしてしまいたい。これが、私の心が導き出した答え、なんだろうな。


 パークの中から空を見上げると、見渡す限り広がる真っ暗な夜空。パークがやけに明るいせいなのか、雲は出てないのに、星が少しも見えない。今日はオリオン座も、隼人に教えてもらった冬の大三角形も見つからない。それが少しだけ悲しい。どうせならここで一緒に星を見たかったな。


 華やかなパレードが終わると、来場客のほとんどが出口に向かって歩き出す。パレードが終わってしまったことより、今日一日があっという間に過ぎてしまったことの方にびっくりして、私はその場から動けないまま。隼人がそんな私を心配そうに眺めている。


美穂みほさん、大丈夫? とりあえず、一旦外に出ようか。じゃないと、あと三十分で閉園しちゃうよ?」


 隼人の言葉で我に返る。よくよく耳をすませば、パレードが終わったからなのか閉園のアナウンスが聞こえてくる。もうそんな時間なんだ。魔法のように素敵だった時間はもう、終わっちゃうんだな。このあとに帰る事を考えると、胸が締め付けられるように苦しい。


「もう少し一緒に、いられないかな?」


 やっとの思いで吐き出した言葉に隼人が赤面する。かと思えば口元を手で覆って顔を背けてしまった。でもそれは数秒と続かない。代わりに、繋いだままだった手を引かれ、隼人の胸元に体を引き寄せられる。


 急に視界が変わって、顔を隼人の胸部にうずめる形になる。今だけは私以外の心臓の鼓動を感じることが出来た。息を吸えば、冷たい空気と同時に甘くてどこか懐かしい香りを感じる。額に柔らかい感触があった。隼人の腕が背中に回される。


 何をされたかに気づいた途端、顔から火が出そうな感覚に襲われる。恥ずかしさを感じるより先に、感情任せに隼人の背中に手を回した――。

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