助けたい理由
結局、
アプリの天気予報によれば、今日は夜には雨が降るそうだ。もしかしたら雨が早まるかもしれない。雲の分厚さからそう考えて、念の為にと折りたたみ傘を持ってきた。ちょっと用心深いかもしれないけど、濡れて帰るより断然いいから。
だけど持ってきた折りたたみ傘は一本だけ。普段通り二本の折りたたみ傘を持ってきたかったけど、無理だった。昨晩も雨が降っていて、仕事帰りに折りたたみ傘を使ったんだ。帰宅してから干した傘は、出かける直前になっても乾いてくれなかった。そのせいか少し不安だ。
こんな天気の中、私と隼人はカフェで向かい合って座っていた。私達の間にあるのは私のスマホ。電源ボタンを押してスリープモードを解除すれば、液晶画面にはメッセージアプリのポップアップが現れる。送り主は私の元カレ、
既読を付けないようにするため、ポップアップをスライドで操作してメッセージを確認している。メッセージを読み進めるにつれて隼人の顔が険しくなっていった。宏光から送られた全てのメッセージを読み終えると、ため息を吐いてから私の方を見る。
「すごい失礼なこと、言っていいかな?」
「聞いてから決めるわよ」
「じゃあ、言わさせてもらうけど……この人、気持ち悪いね。別れ話を無かったことにしてるのもそうだけど、『これでお互い様』って、何様のつもりなんだろ」
「チャットで話したりしたけど……全然話聞いてくれないんだよね」
隼人に会っていない間も、宏光からのチャットや電話が続いていた。話したくなくて、電話はかかってきたら即座に拒否ボタンをタップ。チャットだけは仕方ないから、既読を付けたらなるべく返してる。けれど、何を言っても「
実は一日に百件近くもチャットが送られている。下手に既読をつけるのは嫌だから、寝る前にササっと流し読みしてそのあとは放置。そうしないと、既読をつけた瞬間に電話がかかってくる。もう宏光と電話で話すつもりはなかった。
今隼人に見せているのは、昨晩から今の時間までの間に送られたメッセージ。それだけでもすでに五十七件も来てる。内容は変わり映えもせず、似たような文章が言葉を変えて並んでいるだけの状態。毎日飽きずにこれだけチャットを送ってくるなんて、暇人なのかな。
一応宏光は社会人だったはずなんだよね。本当に仕事をしているのかは知らない。仕事の合間にこまめにメッセージを送っているのか、仕事をサボってまでメッセージを送っているのか。どちらにしたって私にとって迷惑であることに変わりはない。
「そもそも、最初は『別れて』って言われたんでしょ?」
「うん。でもその晩には『やり直してくれ』って言われて。今は『お前もやり直したいだろ?』になってる」
「そこが妙なんだよね。話を聞いて色々考えたんだけどさ、美穂さんの気を引こうとしてるんじゃないかな? あとは、美穂さんに対する思い込みがある、とか」
知り合ってそんなに経っていない隼人がここまで親身になってくれるのは、偶然巻き添えを食ってしまったから。隼人と一緒にいるのを目撃されてから、隼人が何者かを問うチャットが時折送られてくる。宏光の中では「隼人は美穂の浮気相手」で確定しているみたい。
気を引きたいんだとしたら、ここまで回りくどいやり方をしなくてもいいと思うんだ。浮気相手を妊娠させて責任を取る、とか言ってたもの。だったら、私と別れて他の人と結婚すればいい。どうしてここまで私にこだわるのか、とてもじゃないけど理解できないな。
そこまでして私とやり直して、どうしたいんだろう。嘘を吐いたところで、浮気を暴露したところで、信用は確実に消えるのに。それに、私はこの目ではっきりと見たんだ。宏光が他の女性とイチャついているところを。だから、今更「浮気は嘘だった」なんて言い訳は私には通じない。
隼人が
「……ねぇ、美穂さん。やっぱり俺が彼氏のフリした方が諦めるんじゃない? それだけだと弱いだろうし、あまりにしつこいなら被害を覚悟してブロックして様子見よう。必要なら警察に連絡しよう」
「いやいや、それは申し訳ないからダメだってば。隼人さんが困るでしょう?」
「そのことなんだけどさ。……俺が迷惑じゃないとしたら、どうする?」
隼人がグラスに入った水を一気に飲み干すと、言葉を発した。他のお客さんもいるカフェなのに、私の耳には隼人の声だけがやけに明瞭に聞こえる。店内に流れていたジャズも他の人達の会話も、隼人が話した途端に耳に入ってこなくなる。
隼人の言いたいことはわかる。隼人に彼氏のフリをしてもらったら確かに、宏光は諦めるかもしれない。諦めずにあまりにしつこいようなら、こっちも警察に相談するしかない。メッセージアプリをブロックして、その上で危害を与えられれば、さすがに警察も動くはず。でも、問題はそこじゃないんだ。
隼人が私の恋人のフリをするってことは、それだけ負担をかけることになる。もし隼人に今付き合っている人がいるなら申し訳ない、とすら考えてる。ただでさえ宏光の一件があるのに、これ以上厄介事に巻き込まれたくない。私はそんな小心者だから。
「あれ、通じてないかな?」
「え? 何が?」
「うーん。言い方を変えよう。美穂さん、よく聞いて」
隼人は何を言いたいんだろう。何回か深呼吸をして、両手で頬を軽く叩いて、私の方を見る。隼人の顔が若干赤いのは、店内の暖房のせいなのかな。
「俺は、美穂さんが……好きになってしまいました。大好きです。今すぐにでも恋人になって欲しいくらい、好き。だから俺は、美穂さんの恋人のフリをすることは迷惑に思わない。むしろ、ありがたいとすら感じています」
その言葉の真意を悟った瞬間、指先から水の入ったグラスが滑り落ちた。
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