第三部 君と甘い一時を

恐れないで

一歩前へ

 元カレとの一件が落ち着いてから、隼人はやととは会わなくなった。メッセージアプリを介しての連絡は続けてる。けれど、どんなにチャットや電話を繰り返してもその先にはなかなか進まない。それどころか、隼人に会うことを恐れるようになってしまったんだ。


 隼人と会うのが怖くなったのは、元カレに未練があるからじゃない。未練なんて、別れを告げられたその日に消え失せた。会うのを恐れている理由は、帰り道に公園で話した時のことが忘れられないから。


 あの日、冬の大三角形の見つけ方を教えて貰った。雰囲気に流されて隼人の肩に寄り添ってみた。その時に感じた温もりと、微かに甘くて爽やかな香りが忘れられない。あの日感じた、隼人への温かい気持ちを忘れられない。忘れられないことが辛いの。


 隼人に会うと、その肌に僅かでも触れると、心臓が早鐘を打つ。あの甘くてどこか懐かしい香りを嗅ぐと、意識してないはずなのに体が熱くなる。元カレとの一件で恋愛にはりたはずなのに、隼人に恋をしてしまった。それを自覚したから、どんな顔して会えばいいのかわからない。


 まだ会ってそんなに経ってないのに、なんでこんなにも隼人のことを考えてしまうんだろう。連絡先を交換したのは偶然だった。最初の傘のやり取りがなかったら、知り合ってすらいなかったな。また会いたい。でも、会うのが怖い。この矛盾する気持ちが苦しい。


 恋愛が怖いのも、隼人への思いも嘘じゃない。会いたいのに、会うことで今以上に隼人に夢中になってしまいそう。それが怖くて会えないまま、もう何週間かが過ぎてしまった。恋におぼれて辛い目に遭うのは嫌。でもこのまま心のおもむくままに、この恋に身を任せてしまいたい気持ちもある。


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、スマホの液晶画面にはメッセージアプリのポップアップが映し出されている。送信者は「たちばな隼人」。このポップアップが表示されてから、もう十分以上は放置してる。


「よかったらまた、一緒にご飯に行きませんか?」


 なんてことない内容なのに返事に困るのは、隼人への思いに気付いてしまったから。胸の高鳴りの正体に気付くまでは、こういった誘いに何も考えずに答えてた。抱いていた気持ちを知った今、どう返事をするのかでしばらく悩み続けている。





 隼人のこと、どこまで信じていいんだろう。確かに助けてくれた。でも、私に対する気持ちが本当だなんて夢にも思ってない。あれはきっと、私に気を使わせないための言葉だ。私のことを「好き」だなんて、信じられない。


 今声を聞けば、私は勘違いしてしまう。今会えば、隼人から離れられなくなる。ずっと隼人に寄り添って歩いていけたなら、どれほど幸せなんだろう。残念ながら、そう上手くいく人なんている数える程しかいないけれど。


 それでも私は、隼人を信じるべきなのかな。隼人の好意を信じていいのかな。このまま感情に任せて隼人と恋に落ちてしまったら、そのあとには何があるんだろう。もう少し若い時は、もっと素直に感情に従って恋愛出来ていたのにな。


 恋愛はしたい、結婚もしたい。けれど、どっちも怖いの。別れるのが怖くて、隼人との関係が変わるのも怖くて、何より隼人が私から離れてしまうのが怖い。いつか離れてしまうなら、最初から付き合わない方が楽。恋愛感情抱かずに済めば、こんなに辛い思いはしなくて済んだのに。


 私はどうしたいんだろう。何を期待しているんだろう。もう、そんなことすらわからない。もう失恋はしたくない。恋愛に慎重になるのは、それだけ私が歳をとった証拠、なのかもしれないな。


 いつだったか隼人のくれた「大好き」の言葉は、果たして本物だったのかな。少なくとも私への態度を見れば、人として多少の好意を持ってくれているんだとわかる。だからこそ、隼人のくれた言葉を信じてみたくなる。


 私の覚悟と送る言葉が、今後の関係を左右する。そんな気がした。別れを告げるなら今が良くて、この微妙な関係を続けたいなら今こそ自分を奮い立たせなきゃいけなくて。最初から言葉の真偽とかそういう余計なものを考えないで済めば、どれほど楽になることか。


 ……とりあえず今回は、勇気を出して隼人に任せてみよう。何も期待しなければ、願わなければ、あとで辛くならないから。隼人に会って、その言葉の真意と私の抱いてる気持ちを確かめる。それもアリなのかもしれない。


「いいですね。せっかくなので休日を使ってどこかに行きたいです」


 文字を打っては消してを何度も繰り返してようやく、隼人に送るメッセージが完成した。やっとの思いで送信ボタンをタップすると、送ったばかりのチャットにすぐ既読がつく。同じ画面を今、隼人も見ている。そう考えただけで体が熱くなる気がした。チャット一覧を眺めている間に、隼人からメッセージが送られる。


「そうだね。美穂みほさん、行ってみたいところはある?」


 短い文章だけど、読んだ瞬間に無意識にガッツポーズをしていた。行きたいところ、か。ふっと頭に浮かんだ観光場所を文字にして送信してみる。「嫌なら、言ってくださいね」の文字を添えて。


「いいね。じゃあ、一日ここで過ごすつもりで、スケジュールを合わせよう」


 送ったのは、デートスポットとして有名なある場所。私の知る限り、女子でそこを嫌いな人はほとんどいない。少なくともそこが嫌いだという女子に遭遇したことがない。女子なら一度は、好きな人と行きたい場所だから。


 でも男子は違う。嫌がる人も多いし、デートとかでないと行かないらしい。人によっては、その場所が出てきたら好意があると感じるんだとか。わざわざそんなデートスポットを選んだのは、私なりの覚悟の証だったりする。


 私が行きたい場所を送った時、隼人はどんな顔をしたんだろう。このデートスポットを知らない、なんて人は日本にいない。だから隼人はきっと、何らかの意味があるって察してるはず。


 どんな意図があって肯定したのかな。それを直接本人に聞けたらいいのに。いや、せっかくの幸運を素直に喜べない方が問題なのか。これはきっと、私が恋愛に対して慎重になっているからなんだろうな。

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