似たもの同士
ついに心が限界を迎えたのは、桜が咲き始めた三月下旬のことだった。仕事の帰り道、いつもの最寄り駅の改札口付近でふと立ち止まる。空を見上げてももうオリオン座は見えない。かわりに春の大曲線とか春の大三角形が見えるらしいけど、星座に
隼人がそばに居たらきっと、春の星座を教えてくれる。学生時代に培ったという星座の知識は今も衰えていないらしいから。今はそんな隼人の顔すら見たくないけれど。隼人への恋心はオリオン座と一緒に、西の空に消えてしまった。
こんな思いをするために結婚を決意したんじゃない。私はただ、隼人のそばにいたかった。あの時はそれでよかった。なのに今は、そばにいても実感が湧かない。逆に、隼人の存在は付き合っていた頃より遠のいてしまったんだ。私一人だけ必死になって、ほんとバカらしい。
「……ほ、美穂! 大丈夫? すごく体調が悪そうだけど」
すっかり暗くなった夜空と、それと対照的に眩しく輝くビルの看板。ネオンライトのせいか、都会の空気のせいなのか。雲が少ないのに、夜空に星はほとんど見えない。そんな見慣れた夜景に浮かぶ数少ない星達を眺めていたら、突然声をかけられる。
それは、今一番会いたくない人だった。「体調が悪そう」なんてどの面下げて言っているんだろう。疲れてるのは、休日全てを結婚式の準備にあててるからだよ。あなたが決断を私にまかせるから、私が一人で決めているんだよ。本当は一緒に決めたいって、気付いてないんでしょ。
今まで必死に抑えてきた感情が、ついに我慢出来なくなった。「泣いちゃダメだ」って何度も自分に言い聞かせるけど、「我慢しなきゃ」って必死に理性で本能を抑えつけるけど。あなたの前だと弱くなるのは、今日も変わらなかった。あぁ、一粒こぼれ落ちた雫が、感情を制御出来なくする。
「平気なわけっ、ない、じゃない」
抑えきれずに口から零れた言葉は、もう取り返せない。溢れだした涙が止められない。化粧が崩れるとかコートが濡れるとか、そういうことを気にする余裕もない。
「何でわかんないのよ! 隼人のバカ!」
勢い任せに飛び出した言葉は、予想以上に響いてしまった。周りの人たちの視線が一気に集まる。叫び出してしまった言葉はもう、止まらない。
「隼人は『好きにすればいい』って言うけど、これじゃ、私一人で選んでるだけじゃない。私一人で結婚するんじゃないよね。隼人と結婚するんだよね。今のままじゃ、一人きりで結婚式挙げるみたいだよ。私はただ、隼人と一緒に式を作りたいだけなのに……」
ひととおり言いたいことを告げてから、今したばかりの発言を後悔する。あぁ、こんなこと言うつもりじゃなかったのに。私は隼人に嫌われたくないのに。
隼人は、いい歳して大泣きを始めた私の手を掴んだ。そのまま何も言わずに私の手をひいて歩き始める。怒っているかと思ったけど、怒っているにしては歩く速度がゆっくりで、歩幅も私に合わせてか小さめで。手をひく力は強すぎないけど、私の手をしっかりと掴んで離さない。
そうやって連れていかれたのは、駅から三分程でいける公園だった。いつの日か元カレに会った場所で、隼人に冬の大三角形を教えてもらった場所でもある。偶然にも隼人が泣いている私を座らせたのは、三年前に座ったのと同じベンチ。三年前と違うのは、頭上にオリオン座がないことと、公園の桜が咲いていることだけ。
暖かくなり始めた春風が木々を揺らす。風に乗ってひらりひらり、桜の花びらが夜空に舞う。歩いている間に涙はすっかり乾いてしまった。滲まなくなった視界に、薄ピンク色の花びらがやけにはっきり映っている。
「そういうことは、もう少し早く教えて。限界になる前に、ね。そう思ってるって知ってたら、俺も意見言ったよ。手伝ってたつもりでも手伝えてなかったのは、申し訳ないけど」
「意見があるなら言ってよ。そのための話し合いでしょ? そのための準備でしょ? なのに――」
「喧嘩したくなかったんだ。変に意見いうと大喧嘩するって聞いてたから。だから、敢えて言わなかったんだ。下手に意見言って、破局なんてしたくなかったんだよ」
隼人の言葉に思わず息を呑んだ。同じことを考えていたなんて、夢にも思わなかったから。「喧嘩したくないから意見が言えなかった」って何それ。私も人のことは言えないけれど。あまりにも何も意見を言わないから、結婚式なんてどうでもいいのかと思い始めてた。
「それでも……喧嘩しても、意見がないよりマシなの。何も意見がないんじゃまるで、結婚式がどうでもいいみたい。私と結婚したくないみたいに思えるじゃない!」
「どうでもいいわけない! どうでもよかったら、サプライズ企画なんて計画しな……あっ!」
隼人がうっかり口を滑らせたみたい。サプライズ企画って何だろう。私は何も聞かされてないんだけど、それは私に対するサプライズだから、なのかな。どういうことなのかきちんと説明してもらわなきゃ。
「その――と、とにかく! 俺も手伝うから。だからちゃんと不満とかあったら言って? 俺、不満すら言えないくらい頼りない?」
「喧嘩したくないだけよ。『喧嘩するほど仲がいい』なんて言うけど実際は、喧嘩したらそのまま別れて終わりじゃない」
「俺もそう思ってたけど……こういうことは言ってよ。どのドレスが似合いそうとか似合いそうなブーケの色とか、試着や写真を見ながら考えてたんだよ?」
「だったらその時に言ってよ! そうしたら私、こんなに困ったりしなかった」
「強要したくなかったんだ。美穂が満足出来る結婚式にしたい。欲を言えば、ゲストも満足出来る結婚式にしたい。でもそんな事言ったら美穂は、言ったとおりにするだろう?」
その言葉を否定することは出来なかった。隼人の言うとおりだ。私はきっと、意見を言われればそれに従おうとするだろう。それが一番、喧嘩が少ないと思っているから。でもそうして決めたものを私が満足出来るかっていうと必ずしもそうではなくて。
私の心の奥底を、見破られていたんだ。そして二人して、喧嘩別れしたくないからって我慢して。もう少し早く話し合えば、もうちょっといい感じで解決したのかな。
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