第8章 イージスの盾(2)

 上泉とクライヴはルイスと別れ、ビルから出た。

 強い陽射しに上泉は手をかざし、顔に影を作る。

 クライヴは左右に視線を送り、警戒している。いや、その表情、瞳の輝きから初めて来る日本の風景に関心を寄せているだけなのかもしれない。

 通りはオフィス街だけあって、スーツ姿の男女が多く、時刻も正午近くということもあり、太陽の位置が高くて全体的に日陰が少なくなっている。

 熱気に包まれ、遠く、アスファルトには陽炎が揺れている。

 昨日の土砂降りから一転、今日は雲一つない快晴となった。

 蒸し暑く、首筋が汗ばんでワイシャツの襟が貼り付いてくる。

 ほぼ夏と言ってもいいが、新聞紙にはまだ梅雨明けの見出しは載っていない。この晴れ間は中休みといったところか。


「兄弟、これからどうする? 観光でもするかい?」

「ホテルに戻ろう」

「残念、了解」


 二人はタクシーを拾えそうな場所まで移動する。

 歩きながら話した。

 上泉はクライヴから最近の騎士団の様子や騎士たちの近況などを聞かされた。


「以前メールで知らせた通りだ。みんないつもの調子で世界中を飛び回っている。と言っても、最近はほとんどが武装勢力同士のいざこざで、喧嘩の仲裁ばかりなのだが」

「そうか」

「中には神霊が関わるような案件もあるにはあるが、ルーファスの魔術が功を奏し、大きな事件に発展することもない。以前、君がいた頃のような魔王や邪神などが裏で糸を引くようなものはなくなった」

「ルーファスには苦労をかける」

「『全くだ。君が神霊なぞに情けをかけるから、私の負担が増える。詩を書く時間さえ持てない。今からでも遅くないから、英雄としての役目を果たすんだ。全ての神霊をほふれ』」

「それはルーファスが?」

「そう、兄弟がきっとそう言うだろうから、それに対する伝言を預かってきた。これ以外にも色々と言っていたが、何だったか、忘れてしまった。ほら、彼はセリフが無駄に長いから」

「ルーファスも相変わらずか」

「ああ。そうだ。みんな、君の帰りを待っている。いつでも戻ればいい。あそこは君の家なのだから」


 クライヴが立ち止まり、静かに指差す。


「兄弟、あの赤いのは何だ?」

「あれは鳥居だ」

「トリイ?」


 往路はタクシーで直接ビルに乗りつけたから気づかなかったが、道の途中に赤い鳥居があった。

 二人は鳥居の前で足を止めた。


「ここは神社、日本の神々がいる場所だ」

「神々ね、俺には白い狐にしか観えないが」


 確かに、フォーカスすると鳥居から続く参道の奥、賽銭箱の前に白い狐が座っているのが観える。

 約束により発生した自然の神霊で、どうやら、ここに祀られてしまったため、動くに動けなくなってしまったようだ。

 微弱ながら、黄金色に染まった田園を前にしたような、豊かな実りを予感させる神威が感じられる。

 クライヴは上着の内ポケットから薄い金属のケースを取り出し、ふたを開けた。ケースの中に茶色の紙巻きタバコが綺麗に並べられている。

 それを一本取り出し口にくわえた。

 ケースを戻し、上着の外ポケットからブックマッチを取り出して片手で点火、煙草に火を付けた。

 マッチを振り、空いた手で煙草をつかむと、ふっと煙を吐き出した。

 いつもの流れ、自然な振る舞いに上泉はここが日本なのだと気づくのが遅れた。


「クライヴ、公共の場で煙草は――」


 上泉が言いかけたその時だった。

 マスクをつけたスーツの男性が通りかかり、クライヴが吐き出した煙とぶつかった。

 男性が立ち止まり、クライヴを睨み付ける。が、クライヴの面構え、肉体の見事さに何も言えなかったのだろう、逃げるように立ち去った。

 クライヴはブックマッチをもてあそびながら男性の後ろ姿を冷めた目で見ている。突然、薄笑いを浮かべた。

 上泉は聞いた。


「どうした?」

「今、君と一緒に教会へ行ったときのことを思い出したよ」

「教会? ああ、あの大きな教会か、まるで裸の王様が住んでいるような」

「そう言ってあげるな、あの装飾は神の威光を示すのに役立つんだ」

「僕はその威光を前にすると眠くなる」


 クライヴが肩を揺すった。


「そう、大司教が聖書を読み上げてる最中、君は居眠りをした」

「あれは、眠くもなるさ」


 上泉は鳥居を見上げた。朱が剥げ落ち、黒ずんだ地肌があらわになっている。


「僕はあの教会の煌びやかな装飾を見たとき、なんて欺瞞ぎまんに満ちた世界だと思った。どこを見ても、人、人、人、人間しかいなくて、この世に神なんていないのではないか、そう思ってしまった。だから僕は現実に目を瞑り眠ってしまった」

「兄弟、あまり難しく考えるな。神は全知全能、人間は全知全能ではない。全ては神の思し召しであり、人間如きに神の考えなんてわかろうはずもない」


 上泉とクライヴのそばを、まだ下ろし立てのような、真新しいスーツを着た若い女性が通り過ぎていった。

 タイトなスカートとパンプスの間に、白く形のいいふくらはぎを覗かせている。

 全身のスタイルもよい。

 なのに、歩き方には優雅さがなかった。

 クライヴは残念そうに首を振り、ため息をついた。


「そう、どんなに取りつくろおうと、俺たち人間は神にはなれない。どこまで行っても限りある存在でしかない。性別、寿命、能力、全てに限りがある。心には限りがないと言う人間もいるが、それにも限りがある。なぜなら人間は全く知らないことを想像することができないからだ。未来を想像してもそれは今までの経験や知識の延長線上でしかなく、無から有を生み出しているわけではない。それが人間というものだ。だから世界には男がいて女がいる、敵がいて友がいる。そんな世界で俺たちに出来ることは唯二つ、戦うことと愛することだけだ」


 クライヴは煙草を吸って煙を吐き出した。煙は空気に溶け、見えなくなった。そしてまたブックマッチを弄ぶ。


「わかってる、わかってるさ、クライヴ」


 上泉は白い狐を観た。狐が大きな欠伸をしている。その場に伏せ、尻尾を振った。

 とても退屈そうだ。

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