第3章 動機(2)

 ドアをノックして取調室に入る。

 薄暗い部屋、窓に備え付けられた鉄格子の間から弱々しい光が射し込み、椅子に腰掛けた青年を照らし出している。

 青年は上半身を捻り、光を、自分の背後にある、すりガラスの窓を見上げていた。


 葉室がじっと待っていると、青年が振り返った。

 逆光で影がかかってはいたが、やはり美しい顔をしていた。

 間近で改めて観察する。


 青年の肌は色白ではあったが、不健康な青白さではなく、どちらかといえば透明感のある白さがあった。

 それに眉の形、鼻筋、顔つきの端正さ、引き締まった身体つき、どれをとっても整い過ぎていて浮世離れしていた。


 もしもこれが人為的な整形ではなく自然の造形だとしたら、この青年は自分たちとは何かが違う、異質な存在なのではないかと、ふと不安やおそれを感じさせた。


「座ればいい。その椅子は誰のものでもない」


 青年の言葉に葉室は、はっとして我に返る。

 歩み出て、青年の前に座った。

 青年の、砂漠に浮かんだ太陽のような目を見つめる。


 今すぐにでも破滅してしまいそうな、ぎらついた眼差し、その眼差しに物悲しさを感じるものの葉室はその人間らしさに少しだけ安堵し、一息ついた。

 口を開き、切り出した。


「はじめまして上泉義道さん、私は葉室兼定はむろかねさだと申します。これから先は私があなたの取り調べを行います。朝から事情を聴かれ、お疲れでしょうが、先ほどの者たちと私は部署が違っているので、また一から今回の件についてお話を聴かなければなりません」


 ふいに上泉が視線をやや上方に向けた。

 葉室は不審に思い、自分の背後を見上げる。

 上泉は言った。


「あなたは窃視のぞきが趣味なのか?」

「窃視?」


 葉室は隣室で感じた、上泉の視線を思い出す。

 鏡に目を移した。


「やはり、あちらから監視していたことに気づいていましたか。テレビドラマや映画やらで、あの鏡もそこそこに有名ですからね」

「いや、そういう意味じゃない。僕はフォーカスで、あの鏡に映る別のものを観ていただけだ」

「フォーカス?」

「今はあなたの背後に観える」

「何が?」

「あなたの体には先祖から脈々と受け継がれてきた伝統が息づいているようだ。あの鏡を媒体にすればあなたにも観えるかもしれない。失礼」


 上泉が左手を伸ばし、葉室の右手に触れた。

 右手を上げ、葉室の鼻先に置くと、白くほっそりとした指先が横へと滑る。

 葉室は目で追った。


 鏡に葉室と上泉の姿が映っている。

 葉室の背後には白い影がゆらゆらと揺れている。

 葉室が目を凝らすと白い影に輪郭が現れ、人影となった。


 人影は顔に、長いヒゲを垂らした翁のおもて・ハクシキジョウをつけている。

 すっと面をこちらに向けた。


 葉室は思わず立ち上がり、目をしばたたかせた。

 気づけば、いつの間にやら鏡の中の白い影は消えている。

 振り返り背後を確かめたが何もいない。


「観えましたか? 今のがフォーカスされた世界です。取り調べを受けている間、ずっとあの鏡に映っていました」

「今のは一体?」

神霊しんれい。神の霊と書いて神霊」

「神の霊? それは神、ということですか?」

「違う。神という漢字が宛てがわれてはいるが本物の神ではない」


 上泉は鏡に目を向けた。


「僕の知り合いに魔術師がいるのだが、彼の言葉を借りるなら、『この世界は幾つもの思想や観念、イデオロギーが混ざり合いけがれている』らしい、つまり、あの鏡に映る世界もそう、窓に見えている世界もそう、あなたのそばに寄り添うその神霊もまたそう。『全ては我々人間の生み出したくだらないものでしかなく、そのセンスデータでしかない。我々は己自身を再認識しているだけに過ぎないのだよ、上泉』と、こんな感じで彼は偉そうに言っていたが、本当にそうだろうか?」


 葉室は鏡に映る上泉の姿を見つめながら、その言葉の意味を考えたが、結論を出す前にやめた。

 首を振る。


「申し訳ない。仰っている意味がよく分からないのですが」

「ええ、僕にもわからない。この世界はそういうものだから」

「わかりました。これ以上、分からない話をしても仕方ありませんので、これからは分かっていることだけを話しましょう」


 葉室は椅子に座り直した。

 眼鏡が落ちて、焦点が合っていないことに気づいた。

 つるをつまんで引き上げる。

 それからブリッジを押し上げ調整した。


「よろしいですか?」


 上泉は背もたれに寄り掛かった。


「どうぞ。ご自由に」


 葉室は咳払いをして気持ちを切り替えた。


「今回の件を聴く前に、上泉さん、あなたは日本剛心重工業にお勤めのようですね。あなたが病院送りにした彼らも同じ会社の人間のようです。名刺を持っていましたから」

「彼らは偽者だ」

「はい、それはわかっています。彼らは一体何者なのでしょうか?」

「それを調べるのは僕ではない。あなたたち警察の仕事だ」

「そうです、だから聞いているのです。彼らの素性に心当たりありませんか?」

「なぜ僕に聞く? 彼らに聞けばいい」

「彼らは黙秘を続け、自分たちのことを一切話さないのです。ご協力願えませんか?」

「僕は彼らの弁護士ではない」

「それはそうですが」


 とりつく島もない。

 葉室は椅子から腰を上げ、上泉の背後に回った。


「そう言えば、昨夜ひき逃げに遭った大鷲紀人さん」


 上泉が肩越しに目を向けてきた。


「幼馴染だそうですね。妹の円さんからお聞きしました」

「……」

「犯人が憎いですか?」

「別に。大鷲には悪いが、死んだのは大鷲であって僕ではない。それに、見ず知らずの人間を憎むなんて僕にはできない」


 上泉は真っ直ぐな眼差しで見つめてくる。その表情からは何の感情も読み取れない。

 先ほどのハクシキジョウの面と重なり、葉室は耐え切れず、窓に目を向けた。

 すりガラスで外の景色は見えない。


「じつは、大鷲さんをひいた車は盗難車でした。昨夜十九時ごろ、月代市本町にあるコンビニから盗まれたものでした。持ち主はそのコンビニの常連でいつもその時間に立ち寄るらしく、もちろん、当然キーは抜いて、しっかりとドアをロックしたにも関わらず、盗まれてしまったようです」


 葉室は上泉の表情が気になったが、すりガラスに話し続けた。


「そういえば、本町と言えば、彼らもそうでしたね。あなたが病院送りにした彼らも月代市本町にある赤場ビルによく出入りしていたようです。これは彼らの正体を探るために、大鷲さん宅付近の防犯カメラを分析し、追跡した結果なのですが」


 返事がない、無反応、葉室はちらり、上泉のほうに目を向けた。

 上泉は鏡を見ていた。

 葉室も鏡を見る。


 鏡には対面の壁が映っていて、葉室の影が揺れていた。

 影は鉄格子の影に閉じ込められ、動けなかった。


 ドアの向こうから靴音が聞こえた。

 音からヒール付きのパンプス、女性か。

 取調室の前を通り過ぎ、離れていった。

 上泉は言った。


「この世界に偶然はない。全ては起こるべくして起こる。が、そこに意味はない。ただ起こるだけ、ゆえに人は意味を創造する」


 日が陰り、暗い部屋がさらに暗くなった。


「私にも理解できるよう、ご説明願えますか?」

「ドアの向こうに世界は起こっているが、そこに意味はない。だが、あなたの言葉はどうだろうか?」


 脇の下から冷たいものが滑り落ちた。

 話の展開があまりにも強引すぎたようだ。

 葉室は平静を装いながら上泉の前に座った。


「今日はお帰りください。また後日改めて」

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