第5章 宗像源蔵(3)
ドアをノックする音が聞こえる。
源蔵は目をこすりながら言った。
「入れ」
城島が入ってきた。
彼は源蔵の顔を見ると言った。
「お疲れのようですね、相談役」
「わしも年だ、昔のようにはいかんよ」
「ご自愛くださいませ。相談役には一日でも長く元気でいてもらいたい。それが私の、皆の願いです。それに父からも頼まれていますゆえ」
「ふむ、お父上のお加減はどうかね?」
「お蔭様で、相談役とまた囲碁を打ちたいと言っておりました」
「そうかそうか」
源蔵は笑みを浮かべた。
「今度、時間を作って行くことにしよう。それから、ご子息のほうはどうかね?」
「
城島が深く頭を下げる。
「お気遣いありがとうございます」
「うむ、よかった。本当によかった。大変な取引ではあったがやってよかった。ホーエンの会長には改めて礼を言わねばならぬな」
「それが……じつはその件でお話が……。今、ホーエン・カンパニーのヴォルフガング・ガーランドが来ているのですが、例の調査を終えたとか」
城島が困ったような顔をする。
源蔵は机に両肘を立て、手を組み合わせると上半身を前に傾け、楽な姿勢を取った。
「彼が、また何か問題でも起こしたかね? 先日は繁華街に飲みに出かけて泥酔、迷子になってタクシーの運転手に送ってもらったようだが」
「……なぜです? なぜホーエンに依頼されたのですか? 命令さえしていただければ私が調査しましたのに」
「調査? 大鷲紀人を殺したようにか?」
城島は憮然としている。
源蔵は続けた。
「ホーエンに依頼したのは、彼の留学中の記録が不明だったからだ。それに、わしは殺せと一言も言っていない。君の忠心は嬉しく思うが大鷲紀人を殺すべきではなかった」
「しかし、あのまま放置しては――」
「それでもだ、まずはわしに報告するべきだった。人の生死にかかわることだ。手順を踏み、責任の所在を明確にした上で行動する必要があった。君の独断は処罰されてしかるべきだ」
城島が渋い顔をする。
「申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた。
「よい。わかってくれたならそれでよい。罰として、今月の報酬、君とわしの分から少しばかりを慈善団体に寄付しておこう。さ、彼を早くここに」
城島は再度頭を下げると部屋から出て行った。
源蔵は椅子から腰を上げた。
机の前に置いてある応接用ソファーに歩いていき座った。
センターテーブルの箱に手を伸ばし、ふたを開いて葉巻を一本取り出した。
ふたに備え付けられたギロチンで先端を切り落とす。
口にくわえ、上着の内ポケットからガスライターを取り出した。
長年連れ添った妻から喜寿の祝いにと貰った外国製だった。
ふたを開けると澄んだ金属音が鳴った。
源蔵は妻との出会いを思い出す。
戦争が終わり復員して母に勧められ、見合いをしたのが彼女だった。
出会った際には全く口も利かなかったのに、とんとん拍子に話が進んで、ひと月も経たぬうちに結婚、それから五〇年と数年、いまだにこんな田舎者のどこが気に入ったのかわからないが、自分を好いてくれる女ぐらい幸せにせねばと精一杯やってきた。
義父の跡を継いで剛心の社長となってからも、それは変わらなかった。
源蔵はガスライターのローラーを回し、火花を散らした。
炎が噴き出す。
葉巻の先端を近付けた。
ドアが勢いよく開いて、男性が部屋に入ってくる。
「やあ、ムナカタ氏」
ホーエン・カンパニーの使者ヴォルフガング・ガーランドだった。
白人、金髪の短髪、
部屋の中に漂い始める酒の臭い、源蔵は葉巻を口にくわえたまま、眉をひそめた。
ライターのふたを閉じて火を消した。
「ミスター・ガーランド、いきなり走らないでくれ。それにドアをノックなしに開けるなんて失礼じゃないか」
城島が遅れて入ってくる。
源蔵は手を上げ制止した。
その指先で口元の葉巻をつまみ、離した。
「よい、城島。ガーランドさん、何度も言っているが、氏ではなく『さん』だ。相手が自分よりも若く、親しみを感じるなら『くん』で呼ぶのもよいだろう。そのほうが自然だ。早く直したほうがいい」
ヴォルフガングが源蔵の前に座った。
ダレスバッグをテーブルの上に置いた。
「すまないね。テレビとネットで学習したせいか、おかしな日本語になってしまったよ。気を悪くされたら申し訳御座らぬ」
源蔵は改めて葉巻の先端に火を当てた。
今度は口にくわえないで指に持ったまま葉巻を
葉巻の断面が燃え、火が点いた。
口にくわえ、何度か吸う。
吸うたびに先端が赤く燃え、口を開けると煙が漏れ出た。
空中で渦巻き、空気と混ざり合い、何もない空間が濁る。
源蔵は濁った
「それで彼の資料は?」
「そう、それね、ムナカタ氏。依頼のメールを開いてびっくり仰天。まさか、あなたが彼を雇っていたなんて」
「君は彼を知っているのかね?」
「ちょっとだけね。全く、偶然とは無意味過ぎて恐ろしい。あなた、とんでもない男を雇っていたんだよ」
「とんでもない?」
ヴォルフガングはダレスバッグのベルトを外し、入り口を開くと、中をまさぐり始めた。
瓶と瓶のぶつかる音がする。
源蔵が首を伸ばし、中を覗くと、バッグには大量の酒瓶が入っているのが見えた。
それも四合瓶とカップ酒ばかりで、貼られたラベルから日本各地の地酒ばかりだと分かる。
「んん、昨日の夜に入れたはずなんだけれど。ん、ん、ん? うん、あった。これこれ」
バッグの底から黒い封筒を取り出した。
「さ、見たまえ。ボスの秘蔵資料を日本語に翻訳したものだよ」
「ボス? 彼女の?」
「そうそう。ボスは彼について世界一詳しいからね。最初は資料の存在自体を否定していたんだけれど、んなわけないからね」
「なぜ否定するんじゃ?」
「それはツンデレだからさ」
「つんでれ?」
源蔵は言葉の意味がわからなかったが、とりあえず受け取り、目を通すことにした。
封筒の中には黒い紐で
二枚目に上泉義道の経歴が事細かに書かれ、三枚目からは経歴についての補足情報、十二枚目からは彼に関する写真が印刷されていた。
「これは、もしかして?」
源蔵がある写真に目を止める。
ヴォルフガングを見ると、彼はうなずいた。
「若かりし頃、と言ってもまだ数年前だけれども、ボスと上泉さ」
写真は、どこか大きな図書室らしき場所だった。
背景には壁一面、分厚い本がぎっしりと並べられた書棚があり、その前に三人掛けのソファーが置かれ、二人の人物が座っている。
一人は上泉、ソファーの端に深く腰掛け、背もたれに体を埋め、隣に座る女性と話している。
その女性は白人の娘で、容姿がとても美しく、上泉とは一人分の空間を空けて反対側の端に座っていた。
脚を組み、本を太ももに置いた姿勢で上泉に微笑んでいる。
源蔵はこの白人の娘に見覚えがあった。
髪型や服装は違えども、この美しさは間違えようがない。
かつて源蔵が一度だけ契約時に会った女性、ホーエン・カンパニーの会長だった。
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