第9章 能面シカミの男(3)
上泉、クライヴ、源蔵たち三人は城島を置いて離れを出た。
原因は明らかに源蔵だった。
砂利の中庭を抜け、芝生の広場に出る。
坪数一二〇〇の敷地は伊達ではない。
一面に芝生が敷き詰められ、広大で平坦、樹木が一本も植えられていない。
敷地の外とは木造の塀で仕切られていて、電灯などの照明も少ないので客もおらず、シカミの男と相対するには絶好の場所だった。
上泉は空を見上げた。
虚空に散らばる幾万の星と一つの月が浮かんでいる。
何と壮麗であろうか。
かつて先人たちはあの無数の星を見上げ、神話を創造したが、それは人間の身に余る無秩序な行為だった。
何か大いなる意志が、そう、例えば彼らの信じる神とやらが星々を配置したわけではないのに、彼らは夢を見てしまった。
ただただ、この壮麗な現実から目を逸らし、この世界ではないどこか遠くに、アイデンティティの力を失っても行きたいどこか遠くにと、救いを求めてしまったのだ。
上泉は源蔵に目を向けた。
源蔵は杖を刀でも持つかのように左手に持ち、立っている。
表情が険しい。
救いを求める心、それは現代も変わらない。
どんなに年齢を重ねようとも……。
「義道、クライヴ」
マリアが大型のボストンバッグを持って駆けつけた。
クライヴが受け取り、地面に置いた。
ファスナーを引いて中から定め駁、ケルベロス、ヴィヴィアンを取り出した。
上泉は定め駁を受け取ると、上着のボタンを外し、ベルトを緩め、鞘を差し込んだ。
ベルトを締め直す。
鞘の
クライヴはケルベロスに
マリアはホルスターの付いた弾帯ベルトを腰に巻き、右手でヴィヴィアンを握って抜いた。
折り曲げ、砲身が空なのを確認する。元に戻し、ホルスターに戻した。
弾帯ベルトに込められた砲弾を一つ一つ指で触り確認している。
上泉は源蔵に聞いた。
「爺さん、戦えるか?」
「あれは、わしが殺した男だ」
「殺した?」
「あれは狂っておった。人を殺すことを正当化しておった。自分の信じるもののためなら敵味方区別なく死んでもいいと考えておった。だがわしは違う。敵味方区別し、法のもと自分を厳しく律してきた。だが結局は勝ったのは君、わしという存在は君という存在によって否定された。わしはあの男に殺されるべきなのかもしれぬ」
「わざわざ殺される必要はない。その刀を抜けばいい」
「あの男をまた殺せと?」
「そうだ。今までもそうしてきたんだろう?」
「それはわしがあの男よりも正しかったからだ。だから斬った。でも今は違う。わしのほうが間違っていた。違うかね、上泉君?」
「違う、あなたは正しかったわけではない。始めから、いや事の起こりから間違っていた。だから今こそ、その刀を抜かなければならない。抜いて、真実と向き合わなければならない――」
上泉は腰を落とし両手を鯉口に寄せた。
定め駁を抜いて逆袈裟に源蔵の頭上を払う。
青い火花が散り、金属音が鳴った。
源蔵に体当たりして押し退けると、自らの上半身を倒しながら追撃する。
何もない空間に向かって半身から半身の突きを入れた。
また火花が散り、金属音が鳴った。
フォーカスしても正体が観えない。
気配しか感じない。
襲撃者が距離を取り、右に移動していくのがわかる。
クライヴが飛び出した。
走りながらケルベロスを放った。
閃光と発砲音、広範囲に赤い火花が飛び散り、それらは三つの頭を持つ巨大な犬になった。
犬は大口を開け、気配に噛み付いた、ように観えたが、何の事象も現れない。
数メートル先の地面が弾け、ちぎれた芝生が舞い上がった。
もう一発放ち、追撃する。
クライヴが空になった薬莢を排出し、上着のポケットから新しい薬莢を取り出して装填した。
もう一度撃とうと構えるが、銃口を上に向け、首を傾げる。
気配はすでに消えていた。
源蔵が上泉に聞いた。
「これは、何が起こっているんじゃ? 君たちは何と戦っている?」
「何者かがあなたを殺そうとしているようだ」
「わしを殺す? はむ……あの能面の男ではないのか? じゃとしたら、いつものことだ。わしは数十年あれと戦ってきた。じきにその姿を現すはずじゃ」
上泉は首を振った。
「爺さん、あれはあなたが考えているようなものではない」
「どういう意味じゃ?」
「あなたはあれを亡霊か何かと考えているようだが、僕から言わせればあれはあなた自身だ。その証拠に、あなたがあれに襲われ、今まで負けたこと、怪我をしたことが一度でもあったか?」
「……いや、ない」
「当然だ。あれはあなたの心の一部、あなた自身が生み出した鬼なのだから。だからあなたを襲っても、あなたを傷つけることはないし、勇気を持って戦ったとしても勧善懲悪の童話のように絶対にあなたが勝ち、鬼が負けるようになっている」
源蔵はうつむいた。
思い当たる節があるのだろう。
「でも今はもう、違う。すでにあれは鬼ではなくなった。あなたを殺しに来ている」
「兄弟」
クライヴが上泉に目配せした。
風が吹いて、芝生の葉が揺れている。
全体ではない、芝生の一部だけ、上泉たちの周囲をぐるぐる回るように、不自然な揺れ方、動き方をしている。
上泉はその動きを目で追いながら言った。
「気配はあるが、姿が観えない。おそらく降臨したばかりで、彼自身も自分が何者なのか分かっていないのだろう。それに、彼の神威は虚しさを覚える。宇宙に漂う枯れ果てた星のようだ――」
揺れがなくなり気配が消えた。
そしてすぐに現れる明確な殺意、上泉は一八〇度の方向転換、源蔵に向かって駆け寄る殺意に刃を落とした。
金属の手応えを感じ、そこから相手の重心の位置を感じ取る。
引き、崩し、鍔迫り合いに持ち込んだ。
「僕の名は上泉義道、君は何者だ? この世界に干渉したいなら、まずは名乗るがよい」
触れ合う刃を通し、息遣いが聞こえる。
剛心の最上階で嗅いだ、あの麝香の匂いがした。
瞬きをすると、次の瞬間、上泉の目の前にシカミの能面が現れ、帝国陸軍の軍服が姿を現していた。
闇しかなかった目の穴には二つの鋭い眼光がくっきりと浮かんでいる。
低く唸るような声と共にシカミの膝が飛んできた、上泉は後ろに飛び退いた。
それから何度か切り結ぶ。
隙はいくらでもあった。いつでも切り伏せた。
だが、それでは無意味だ。
何の解決にもならない。
再び降臨を許すだけだ。
上泉は正眼に構え、説得を試みる。
「爺さんを精神的に追い詰めて完全降臨を果たしたいようだが、僕がここにいる以上、無理だ。諦めろ。その上で、これは提案なのだが、爺さんにもう少しだけ時間をくれないか? このまま僕に斬られ、痛い思いだけを残して虚無に還るよりも、浄化されて理に回帰したほうがお互いのためだと考えるが」
シカミは鼻で笑った。
くくっと笑い、あははと笑い始めた。
狂ったように様々な方法で笑う。
その姿を観てマリアが言った。
「自我が目覚めたようですね。義道、お知り合いですか? それとも初めまして?」
「初めましてだ」
上泉は笑うシカミの男を観て、何が降臨したのか、その正体を察した。
「彼はまるで名もなき
「もうよい」
源蔵が杖を投げ捨てた。
その場にしゃがみ込み、芝生に尻をつけ、あぐらをかいた。
「わしは疲れた。このまま大人しく殺されようと思う」
「逃げるのか?」
「君だって死のうとしたではないか?」
「僕は神に
「意志?」
「そう、意志だ。あなたは空気に流されるだけの埃ではない。自由意志を持つ人間なのだ。あのような一方的な価値観を体現せし存在とは違うと、今こそ自覚すべきなのだ」
上泉は定め駁の切っ先をシカミに向けた。
刀身からぱらぱらと粉雪が舞い、すっと夜の暗闇に消える。
「いいかげん、その面を取ったらどうだ? 君は人ではない。人の振りをしているだけだ。虚空より来たる幾万の星が
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