第7章 徒(ただ)の背景(2)

「お前も知っての通り、俺はちゃらんぽらんな性格で、世界の何処かで戦争が起こっていようと一向に構わないんだが、この件に関してだけは見過ごせない。人間の臓器は祖先の恩そのもの、先祖代々受け継がれてきた英知の結晶だ。それを善意ではなく金品で売買しようとする奴は絶対に許さない」


「売買しているのは宗像源蔵ですか?」


「そうだ。宗像源蔵はホーエン製薬と一緒に臓器売買を行っている。あの会社は表向き、ただの製薬会社だが、グループの母体であるホーエン・カンパニーは兵士育成、兵器製造を生業としている戦争屋だ。兵士と兵器を戦地に送りながら、同時に薬も売りつけてやがる。この二つは両輪だからな、うまいやり方だよ。だが、戦争に死は付き物、死んだ人間に薬はいらないし兵器もいらない。ホーエンにとって死者は不良債権であり、産業廃棄物でしかなかった」


「それで臓器売買を?」


「ああ、売り手はホーエン、買い手は富裕層向けに運営されている世界各国の大病院、もちろんその中には日本の病院も含まれていて、日本国内の一手を引き受け、仲介しているのが宗像源蔵だ。ホーエン製薬の日本支社長に腹心の城島を立てるなど、まさに阿吽あうんの呼吸で取り引きが行われている。全く隙がない」


「なるほど、お話は大体わかりました。でもそれは結局、先輩が彼らを許せなかった、ただそれだけの話でしかありません」

「違う、それだけじゃない」

「違う? 何が違うんです? 何の権限も無いのに」

「それは……」

「どちらにしても、この件はもういいでしょう。これ以上、先輩が首を突っ込む必要はありません。あとは警察に任せましょう」

「お前は動かないのか?」

「動きます」

「は? いや、お前さっきと言ってることが違うぞ」

「言いたいことはわかります。でも僕はあなた方の不毛な争いに巻き込まれた被害者ですから、当然、ケジメをつける権利があります」

「……すまない。お前を巻き込むつもりはなかったんだが」


 上泉は首を振った。


「これは僕の意志です。それよりも先輩、今はもっと別のことを考えてください」

「別のこと? 何だ?」

「ご家族のことです。先輩が死んだと聞かされたおじさんとおばさん、円がどれだけ悲しんだかわかりますか? 生きていたなら、どんな形でもいい、ご家族に知らせるべきでした」


 葉室が口を挟んだ。


「上泉さん、証人保護プログラムの運用上、連絡はできなかったのです。お察しください」


 大鷲が続ける。


「親父やお袋、円には申し訳ないことをしたと思っている」

「本当にそう思っていますか? もし、あの時、僕が円のそばにいなかったらどうなっていたことか」

「俺はお前の流儀を知る男だ。お前は将来、自分の妻になる女を、自分の子供を産む女を見捨てたりはしない。あの女教師を救ったようにな」

「必ずそうするわけではありません。僕の行為には必ず僕の意志が伴う。あなたの言う通りになるわけではない」

「いいや、お前は必ず守る、絶対にな」

「僕の意志は無視ですか?」

「お前の意志は関係ない。俺がそうだと言ったらそうなんだよ、上泉」

「そうですか」


 上泉はぬるくなったコーヒーを一気に飲み干すと、椅子から立ち上がった。

 隣に座っていたマリアも立ち上がる。

 カップとソーサーを手に、円卓から離れた。

 葉室が座ったまま何事かと見ている。


 上泉は大鷲に近寄ると右手で彼の首を絞め上げ、円卓から車椅子ごと引きずり出した。

 そのまま床へと押し倒す。

 車椅子が激しい音を立て、車輪がくるくると回った。


 窓の外を眺めていた白衣の女性が振り返る。

 葉室が警察官の習性か、上着の内側に手を滑らせた。

 それを横目で見ながら上泉は言った。


「僕は誰の言う通りにもならない。それは、あなたもよくご存知のはずだ。それに自分の妹をそんな風に言ってはいけない」


 大鷲が笑みを浮かべた。


「俺は友として、兄として、二人の幸せを願っているだけだ。何の問題がある?」

「先輩、クレバーなのは結構。だが外道になってはいけない。人間をやめてはいけない」

「お前はやめないのか、それだけの力を持っているのに?」

「僕はただの人間です。両親がいて愛する人がいる。あなたと何ら変わらない、ただの人間です」

「だったらもっと人間らしく生きたらどうだ? 欲望のままに女を抱き、金を儲け、力を行使すればいい。なぜ、そうしない?」

「あなたがそれらの行為を人間らしさの表現だと思うのならば、そうすればいい。でも僕はしない」

「なぜだ? お前が言う罪のせいか? だったら、今すぐ忘れろ。お前の罪など誰もとがめはしない」


 上泉は大鷲の首から手を離した。


「鈴が、僕と付き合う前に一度だけ言ったことがあります。『人にはそれぞれ生き方がある。自由意志があり、他人とは違う生き方を選択するからこそ、誰でもない自分でいられる』と、彼女はそう言っていました。そもそも人間らしさとは? 欲望のままに生きれば人間らしい? 反対に無欲に生きれば、良心に従えば、成長や進化のために毎日を活動的に過ごせれば、人間らしい? 僕はそうは考えない。僕に言わせれば、いずれも物の見方の一つでしかない」


 上泉は立ち上がり、大鷲を見下ろす。


「僕には僕の生き方がある。あなたにはあなたの生き方がある。だからもうこれ以上、僕の人生に構う必要はない。あなたはあなたの人生を生きるべきだ。人間らしく」


 大鷲は気が抜けたように身動き一つしなかった。

 その無様な姿を見兼ねたのか、葉室と白衣の女性が近寄り、大鷲を車椅子に座らせる。

 大鷲がぼそぼそと言った。


「……上泉、お前は馬鹿な男だ。本当に馬鹿な男だ。だから死ぬなよ。俺より先に死ぬな」

「何言ってるんです? 僕は死にません。死ぬのは先輩のほうが先です」

「俺が? なぜだ?」

「なぜって、僕よりも年上じゃないですか」

「おい、こら! 俺たちは一つしか変わらんだろうが!」


 喚く大鷲を葉室がなだめる。

 白衣の女性は首を振りながら窓のほうに歩いていった。

 マリアは円卓と椅子を整えている。

 ドアが素早くノックされ、外からクライヴの声が聞こえた。


「開けてくれ」


 葉室がドアを開けると、両脇に白木の箱を抱えたクライヴが入ってきた。

 クライヴは円卓のコーヒーカップを片付けさせると箱を次々に置いた。

 三つ。

 ふたを開ける。

 葉室が驚きの声を上げた。


「これは一体、どうやって?」

「いずれあなたの上司から説明があるはずだ」


 クライヴが開けた箱の中にはマリアのシングルショット『ヴィヴィアン』が入っていた。

 大口径、中折れ式、銃身は銀色でグリップにはマドンナリリーが彫られた黒檀こくたん、美しい銃だった。

 ホルスターの付いた弾帯、砲弾の入った黒い箱も同梱されていた。


 もう一つの箱にはクライヴのソードオフ・ショットガン『ケルベロス』が入っていた。

 銃身は艶消しの墨色、グリップは赤樫、マドンナリリーの彫り物は同じで黒い箱も同様だった。

 そして最後の一つには……。


「マイロードのコレクションから一本、持ち込んでおいた」


 ふたを取ると日本刀が入っていた。

 青みを帯びた黒漆の鞘に藍色の下緒、立鼓をとったつか天正拵てんしょうごしらえだった。


「この刀は」


 上泉は日本刀を手に取った。


「どれを持ってこようか迷ったんだが、それでよかったかい?」

「ああ、流石だよクライヴ、ジャストだ」


 上泉は刀を抜いた。

 刀身に駁模様まだらもようが浮いている。

 焼き入れに夜明け前の新雪を溶かした水を使い生まれた自然の美、フォーカスすると剣先から粉雪がゆっくり舞い落ちて、つばに結晶の紋様を刻んでいるのが観える。

 潔い、落ちて溶けるだけ――。


さだまだら


 大鷲が言った。


「お前たち、戦争でもする気か?」

「いいえ、違います。ただの説教です」 


 上泉は定め駁を納刀した。


「またそれか、お前はいつもいつも、それだけの力があるのに……」


 大鷲がぶつぶつ言っている。上泉はつぶやいた。


「あの爺さんは嫌いじゃない」

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