第6章 羽毛の罪(3)

「久し振りだな、紀人。君が私に連絡をしてくるとは、また何かトラブルでも起こしたか?」


 母国語でもないのに相も変わらずよどみない日本語を話す。

 その声は低く落ち着いていて鼓膜を優しく揺らし胸の奥までよく響いた。

 エイジス家の守護者、騎士たちを束ねるグランドマスター、グレン・アックス、大鷲紀人はグレンの個人的な番号に直接電話をかけていた。


「サー、挨拶はいい。それよりも上泉にトラブル発生だ。騎士を何人か寄越してほしい」

「義道君がトラブル? それは違うな。彼は自分から問題を起こす人間ではない。いつも起こすのは君のほうだ」

「いいえ、俺じゃありませんよ。俺みたいな凡人が滅相もない」

「その卑屈ひくつさ、今の今まで忘れていたが、まだ治っていないようだな。まあ、いい。凡人は凡人なりに慎ましく生きて、彼に面倒をかけないでもらいたい。彼は我が主にとって、イージスの盾にとっても欠かすことのできない存在なのだから」

「わかってますよグランドマスター、あなた達にとって英雄は必要ですからね。でも俺はあいつの親友として、エイジス家の身内として、上泉を助けて欲しいと頼んでいるんですよ」

「随分、トゲのある言い方をする。そもそも君は以前から何か誤解をしているようだ。我々は別に、彼が英雄だから特別扱いをしているわけではない。エイジス家の皆が彼を必要とし、愛している。ただそれだけのことなのだ」

「その愛している人間を、あなた達は何度も危険な目に遭わせてきた」

「仕方あるまい。相手がテロリストなら何の問題もないのだが、背後に神霊、特に魔王や邪神クラスが関わっているとなると流石に我々騎士だけでは手に余る。彼のオリジンとしての力、英雄としての力がどうしても必要になる」


 大鷲は奥歯を噛み締めた。


「俺は今、とても後悔してますよ。上泉をあなた達に会わせたことをね」

「やはり君は誤解している。今までの戦いは彼の意志によるもので、私たちが強要したわけではない。彼は彼の意志で戦っているのだ。その神聖なる戦いを、君は自分の一方的な考えで汚すつもりなのか?」

「汚すも何も俺は……」

「どちらにしても君の言葉と行為は矛盾している」


 大鷲は言い返せなかった。


「だが、このまま捨て置くわけにもいかんか。よかろう。私の権限でデイム・マリアとサー・クライヴを彼のもとに送ろう」

「……サンキュー、サー」


 大鷲は電話を切った。

 借り物のスマホに一四時〇五分と表示されている。

 天井を見上げた。

 笑わない男、ユーモアのない男、合理主義者、電話越しに伝わるグレン・アックスの強烈なプレッシャーから解き放たれ、息を吐き出す。


 これでいい。

 マリアとクライヴ、あの二人が来れば上泉も何とか生きようとするだろう。

 それにしても、大鷲は自分がひき逃げに遭った、あの夜のことを思い出す。


 車にひかれ、雨の中で気を失い、タクシーの運転手に発見されて病院に運ばれ、医師の適切な処置を受けて何とか一命は取り留めたものの、またいつ狙われるか分からないからと病院に駆けつけた葉室が証人保護プログラムを適用させた。


 公式には死んだことになり、このホテルの一室にかくまわれて数日、その間の状況は葉室から逐一報告を受けているので粗方つかんでいるが、流石に円の所に男たちがやって来たと聞かされたときは焦った。


 でも、そこは上泉、きっちり護ってくれた。

 白衣を着た、黒髪ベリーショートの女性が部屋に入ってきた。


「気分はどう?」

「このまま君と添い遂げたい気分。何なら今すぐこのベッドで――」

「これを脇に挟んで」


 白衣の女性は検温すると部屋から出て行った。

 クールビューティ、役人らしく無愛想なのもまたよい。

 金髪だったら惚れていたかもしれない。

 ドアをノックして葉室が入ってきた。


「大鷲さん、セクハラはやめてください」

「ただの社交辞令ですよ」


 大鷲はギプスで固定され、器具で吊るされた右脚を揺らした。


「社交辞令にロマンスは必要ないでしょう?」


 葉室はベッド脇に置いてある椅子に座った。

 スーツがしわにならないよう、手で一つひとつ伸ばしながら言った。


「彼が宗像源蔵に接触しました」

「そうですか、援軍を呼んでおいて正解でしたね」

「援軍ですか? 彼には必要ないのでは?」

「いいえ、必要です。確かにあいつは強いが万能ではないんです。弱点があるんです」

「弱点?」


 大鷲はうなずいた。


「あいつは運命に抗わない」


 葉室はしわを伸ばすのをやめた。

 大鷲が続ける。


「本当に馬鹿な奴ですよ。その気になれば金も女も権力も全て手に入れることができるのに、逆に自分の心臓を差し出して天秤にかけようとする。罪の重さを量ろうとする。だからあいつには鎖が、仲間が必要なんです」


 葉室は少し考える素振そぶりを見せ、すぐに逆ナイロールの眼鏡を外し、ポケットから黄色いクロスを取り出して拭き始めた。


「彼が犯した罪とは一体どのようなものなのですか?」

「俺から言わせれば罪でも何でもないんだが、でも、あいつからしてみればどうしても許せない罪なんでしょうね」


 大鷲は子供の頃の上泉を思い出した。


「あいつは生まれながらの英雄でした。俺のような凡人には理解できないんだ、きっと」

「そうかもしれませんね。あの美しい風貌ふうぼう、神霊、衝撃的な出会いでした。とくに神霊については、私にも理解できないところがあります」

「神霊? 葉室さんは神霊を見たんですか?」

「ええ、ほんの一瞬ですが、観ました」

「……そうですか。羨ましい。俺には見えませんから」


 大鷲は窓の外を見た。

 まだ昼間なのに薄暗い。

 雨が降りそうだ。


「……葉室さん、英雄という存在は早世と放浪が宿命付けられているんです。俺はあいつがそうならないよう、ずっと見守ってきました。あいつが特別な宿命を背負っていると知る前から、ずっとです。何故だか分かりますか?」


 葉室は眼鏡を拭いている。何も答えない。大鷲は言った。


「なぜなら、あいつは俺の幼馴染で、親友で、弟だからです」

「それで勝手に援軍ですか」


 葉室は眼鏡をかけた。

 レンズが透き通っている。

 先ほどは汚れていたのだとよくわかる。

 つるをつまみ、焦点を合わせ、中指でブリッジを押し上げ整える。


「その援軍。あなたや円さんでは駄目なのですか?」

「葉室さん、それ、わざと言ってますよね?」


 葉室が微笑んだ。

 大鷲はため息をつき、続けた。


「残念ながら、俺たちでは駄目なんですよ。俺たちは付き合いは長いが、ただ一緒にいるだけ、アックス姉弟のように、いくつもの死線を乗り越えた戦友ではありませんからね」

「なるほど、そういうことですか。あなたの上泉さんに対する想いはよくわかりました。でも、それは私が思うに、ただの欲でしかない。なぜなら、あなたがそうであるように、彼にも彼の意志というものがあるのですから」


 レンズの向こうに葉室の鋭い眼差しがあった。


「そんな目で見ないでくれ」


 大鷲は目を逸らした。


「俺はあいつとずっと遊んでいたいだけなんだ」

「そうでしょうね。あなたは子供、無邪気なだけですから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る