第6章 羽毛の罪

第6章 羽毛の罪(1)

「え? はあ、はい、はい、……わかりました」


 課長の村田が受話器を置いた。神妙な面持ちで上泉に声をかける。


「上泉、お前、何かやったか?」


 上泉は自分の席で椅子の背もたれに深く埋まり、眠そうにモニターを見ていた。そのまま、顔を向けることなく言った。


「いいえ、何も」

「即答するんじゃない! 電話の相手が誰かもわからんくせに」

「誰です?」


 課長は首を振った。


「もういい、俺について来い」


 上泉は欠伸をしながら課長について行った。エレベーターで一階に降りる。

 ロビーを横切って、役員専用の最上階直通エレベーターに乗り込んだ。


 ドア上部にある電光掲示板が階数をカウントする中、課長がしきりにハンカチで顔をぬぐっている。

 最上階に到達すると音が鳴り、ドアが開いた。

 ふわり、甘い香りが籠の中に押し寄せた。


 これは麝香じゃこうか、と上泉が考えていると課長はさっさと降りて行ってしまった。

 上泉も後に続いた。

 灰色のタイルカーペットを歩き、話し声一つしない廊下を進むと広間に出た。


 天井がドーム状になっていて、広間の中央にはカウンターが設置してある。中にはモスグリーンのスーツを着た男性が座っていた。

 初老の男性で、以前、ホーエン製薬の入る赤場ビル前で見かけた源蔵の運転手だった。

 課長がカウンターに近付き、男性に言った。


「営業部の村田です。上泉を連れてきました」

「ご苦労様です。相談役から言い付かっております」


 受付の男性が腰を上げ、カウンターから出てきた。


「上泉さんはどうぞこちらへ」


 男性が手で指し示したのは広場から奥へと続く廊下だった。男性は課長に言った。


「あなたはお戻りください」

「私は行かなくてよいのですか? もし何か、この上泉めが粗相そそうをしでかしたのでしたら、私も一緒に謝罪したいのですが」

「いいえ、その必要はありません。相談役は個人的に上泉さんとお話したいことがあると仰っています」

「ええ? 相談役が個人的にですか?」

「はい。ですから、あなたはお戻りください」


 課長は上泉を睨みつける。舌打ちすると立ち去った。


「こちらです」


 受付の男性に案内され上泉は奥へと進んだ。廊下は左へと緩やかに曲がり、全てのドアが右側にあった。

 受付の男性が一番奥のドアをノックすると声がして中に入る。

 上泉も入った。


 その部屋は役員室だけあってそれなりの部屋だった。置かれている物に対して何もない空間のほうが広い。余裕がある。調度品の質も高い。

 上泉はエイジス家に下宿していた際の見聞けんぶんから、これらの品がいずれも高価な外国製だとわかる。

 いずれも世界的に著名なブランド品だった。


 灰色のタイルカーペットに敷かれた大型の絨毯じゅうたんは巨大なメダリオン柄でセピア調、植物の蔓や、無数の小さな花が事細かに刺繍されている。

 その絨毯を挟むように黒い革張りのソファーセットが対面で置かれ、間に、丁度メダリオン柄の上に、大理石のセンターテーブルが置かれている。


 上泉は部屋の奥に目を向けた。

 壁一面のガラス窓、その前に置かれている実用に向かないアンティークの机、そこに宗像源蔵が埋まっている。手を振った。受付の男性が出て行った。

 源蔵が無言で見つめる中、上泉はソファーに歩いていき、座った。上半身を前に傾け、目の前にあるテーブルを見る。


 ミルクにコーヒーを入れたような大理石に白いレースマットが敷かれ、レースの中で多数の蝶が羽を広げ飛んでいる。

 テーブルの隅には葉巻きを保管するための黒い箱と、ごつごつとしたガラスの灰皿が置かれていた。

 源蔵は椅子から腰を上げ、言った。


「まさか本当に剛心の社員だったとは驚いたわい」

「僕は正直者なんだ」

「君のことは調べさせてもらった」


 源蔵は上泉の前に座り、保管箱を手元に引き寄せ、ふたを開けた。葉巻とギロチンを取り出す。


「社員としては劣等、外に出せば苦情が入り、ノルマを達成したこともない」

「だから言ってるだろう。僕は正直者なんだ。先方によかれと思って本当のことを言ってあげたら、彼らは相当に頭に来たらしい。で、僕はどうしたらいい? 顔を赤くして暴れればいいのか?」

「大鷲紀人君、彼は君と違って優秀だったようだね」

「だから、ひき逃げに遭った?」


 源蔵は何も答えず、今度は灰皿を手元に引き寄せた。

 葉巻をギロチンの穴に入れ、先端をダブルブレードで切り落とす。先端が灰皿に落ちる。

 断面を眺め、やはり何も言わない。


「ご用件はわかりました。僕は戻ります」


 上泉は腰を上げた。


「仇を討たなくていいのかね?」


 源蔵が断面を眺めたまま言った。


「そんな無意味なことはしない。僕は誰が大鷲を殺したのか、それを知りたかっただけだ。この先、大鷲の家族に危険が及ばないよう知っておきたかっただけだ」

「君は……」


 源蔵が目を向けた。


「彼がなぜ死んだのか興味がないのかね」

「ない。世に起こった殺人のほとんどは、どれもこれも取るに足らないことで起こっている。一々、動機を考えるのは馬鹿らしい。失礼」


 上泉はドアのほうに向かって歩き出した。


「待ちたまえ。まだ話は終わっていない」

「僕は終わった」

「そうか、では最後に言っておく」


 上泉は立ち止まった。


「わしの邪魔をする者は誰であろうと許さん。それが神であろうと英雄であろうとな」


 上泉は振り返った。


「僕の言葉を信じないのか? 情けない、もっと器の大きな爺さんかと思っていたが、どうやら見込み違いだったようだ」

「何じゃと?」

「せいぜい保身に走れ」

「保身ではない」

「じゃあなぜ大鷲は死んだ?」


 源蔵は葉巻を口にくわえ、黙ってしまった。


「もういい」


 上泉が再び歩き出すと、ドアがノックされ、声がした。


「城之崎です」

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