第9話 鬼

 明くる日、森林を出ないうちに戦闘になった。民主政府軍は森に慣れた猟師の案内で待ち伏せし、一行は動けなくなった。カノンは、横にある山道の崖が登攀とうはん可能であると思い、ジータが協議を申し出るより早く部下に命じた。


「一班は私について来て。崖の上から急襲する。タミヤ曹長は援護を」

「おい、待て少尉!」

「今!」


 カノンは威嚇射撃をくわえると部下を連れ躍り出た。ジータはカノンに言われた通り、舌打ちして援護射撃を命ずる。腕だけ出した射撃はロクに当たらなかったが、怯んだ隙に手榴弾を投げ、突撃を予感した敵は射撃を一瞬止めた。崖は乾いていて足掛けになる突起もあり、弾が飛んでこなければ登りやすかった。


「これで目標が分散されるはず。スクナー軍曹、前へ」

「はいはい」

「ここから当てられる?」

「拳銃じゃちょっと無理かな。小銃なら」

「なら、ここから狙撃を。敵が逃げるようなら突撃して制圧する」

「そんな危ない手、いいんですか?」

「あなたに向いてると思うけど。私が前に立つ」

「そう言うなら。みんなこっちへ、目標前方の敵、撃て!」


 エミルの号令で射撃を始める。エミル自身小銃射撃の腕は下手であるが部下は名手揃いで、カノンが機関短銃で展開する弾幕の下思いもよらない正確な弾着に敵はたじろいだ。夢中であるからなのか、距離があり実感がないからなのか、それか自分の弾ではないと思い込んでいるからなのか、眉間を撃ち抜かれ脳漿散らす敵がいても怯えることはなかった。

 カノンは瞬きひとつせず引鉄を握り続けた。彼女は弾幕を張るから特定の目標に照準を合わせなくてもいいのだが、しっかりと目を据え、敵の頭が弾けるのを凝視した。自分が何のために何をしているのか、掴み切っているわけではないけれど、死を見つめることで前のような恐怖は起こらなくなった気がする。そしてふと一瞬フィアスの顔が頭に浮かぶと、機関短銃を置き上体を上げた。


「突撃に、前へ!」


 フィアスのためという愛情から来る危険な動作ではない。むしろ、これまで受けてきたフィアスの愛情が耐え難いおぞましさを持ち、背をゾクゾクと伝ってくる。抜いた拳銃を左手に持ち替え、軍刀が鞘を削る振動がそれをかき消してくれた。

 敵は逃げかける。彼らの装具が吊るされるハーネスの背に左腕を伸ばし立て続けに発砲した。二、三発は当たり、体勢を崩すそ奴の背目掛けて刺突、声にならない悲鳴を上げ倒れた。

 こうなるとカノンは強い。殺人への恐怖が浮かばない今、夢中で剣を振るった。警護隊の白兵戦は軍刀と決まっていて小銃の先に着けて槍と為す銃剣は持たない。だが追いついてくる部下は軍刀も抜かず小銃抱えたままで、彼女たちは、射撃ならまだよろしい、しかし直接の感触が手に伝わる軍刀を使えなかった。一人の敵が部下に食ってかかり少女は横倒しの小銃で必死に防ごうとしている。カノンが駆けつけて首に一振り、頸動脈がブツ切りとなって血が吹き出した。


「しっかりなさい!」

「わ、わ、わ」


 返り血をモロに浴びた少女は暴れる敵を蹴り飛ばし大の字に倒れた。間髪入れず、カノンは心臓にトドメを突き立て、彼は絶命した。


「なに倒れてるの!起きて追いなさい!」

「ち、血が、身体中に付いて」

「だから⁉︎あなたも今の今まで殺してきたのよ!いちいち怖がるな!」

「隊長、もういいでしょう。敵は遁走します。ほら、特務隊も来た」


 エミルは足元に転がる死に損なった敵を射殺し、硝煙立ち昇る向こうからジータたちの姿が見えた。先任軍曹が走ってきて倒れたままの少女を抱き起こす。彼女は放心したように揺さぶられ、直後顔を背けると嘔吐した。血が混じる吐瀉物をジータは避け、敵死体の傍に携えられる自動小銃を取った。


「少尉、損害は」

「無し」

「そうか。無茶するな、たまたま運が良くて敵は逃げ、損害はない。だがいつもこうなるとは限らない。事前に連携の打合せを多少なりともしなくちゃ危険だ」

「この援護が功を成したのではなくて?」

「それは感謝します。血を拭け」


 カノンは血染めの軍刀を拭い鞘に納めた。彼女自身の身体にも返り血がこびりつき乾きかけている。付近に水場はなく、噴き出す汗で頬の血をこそぎ落とした。


 一班の少女がフィアスの許へ連れてこられ、側近護衛の一人と交代させられた。彼女は雨衣を着て血を隠していたが、吐瀉物の臭いと混じった異臭はフィアスの鼻にも届いた。


「あなた、何があったの?」

「殿下、ああ殿下、鬼です、隊長は鬼です!トウコが怪我した時はすごく優しかったのに、今じゃ、ああ!」


 泣き崩れる少女はどうすることができず、ただメイドが差し出す水筒を呷り、空にした。フィアスは転がる水筒をメイドに返し少女を抱くように包んだ。


「だめです、殿下、私は汚れております」

「・・・あの子も同じこと言ったわね。ちっとも汚れてなんかいないのに」


 溜息と入れ違いに、また少女を一人不幸に落としめた責任が、肺を介して身体を満たし始めた。彼女の言う鬼という意味は掴みかねている。だが想像はできた。

 カノンはあの一件以来無理に変わろうとし、また自身を追い詰め、見えざる影に脅迫されている。それもまた、王女である自分の存在あるからこそ。

 実に奇妙な関係であることがそうさせている。互いの許されざる愛情、恋が、可憐で強かであった彼女を無理な変革を強制し、死に追いやるかもしれなかった。手の込んだ自殺ともいえる。しかも周囲をも巻き込んだこと。カノンは愛する自分のために、穢れた身を処置すべく、自身を危険に晒していると。

 一つの事件が、フィアスにあることを決意させた。

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