第16話 ゲートルの香り

「この野郎、手間かけさせやがって。あとはあのクソ潜水艦、なんだあんな物、泳いで爆薬仕掛けて、皆殺しにしてやる」


 撃った少女が崖下に崩れ落ち、彼女の手から離れた軍刀だけ、地面に刺さり残っていた。黒い影を落とす軍刀の墓標に、部隊長は脚を上げて蹴り倒そうとする。寸前背後に足音が聞こえ、部下に生き残りがいたのかと歪んだ笑顔を向けた。


「近衛兵を一人殺った。指揮所に中隊長集合、泳げる者を選抜し、潜水艦に肉薄攻撃をかける。復唱よろし、早く行け」

「復唱よろし、じゃねえ、部隊長、指揮逸脱の罪で、貴官を射殺する」

「は?」


 細めた目を開けると、そこには鬱陶しい青年軍事顧問、横腹を押さえながら片腕を向けてきていた。手には拳銃、馴染みのない中型自動拳銃で、他国製のそれは、高級将校がよく所持していた。部隊長は蒼ざめて自らの拳銃を向けようと、しかし手汗で滑って取り落とした。一瞬屈んだ隙を逃さず、青年はジェスタ人に向かって立て続けに引鉄を握った。

 落としたスイカがざっくり割れる、そんな風に、二度と思考も奸計もできない頭部が色づいた。倒れかける死体を横に蹴り飛ばし、青年は軍刀を取って沖を見た。急速潜航する潜水艦の潜望鏡が筋を残して、陸地から遠のいて行くところだった。刀身を月にかざして、血で汚れた美しいはがねが目に映えた。


「部隊長を射殺しました。奴の側にこの軍刀がありました」


 監視哨に戻ると包帯巻かれた中年が横たえられ、呼吸はもう安定していた。彼は鼻で笑うと脱ぎ置かれた背広を取り、ポケットからゲートル煙草を出した。


「ご苦労。近衛兵は死んだか?」

「おそらくそうだと思います。死体はありませんから、崖から海中に落ちたかと」

「一応捜索する。見つからなければ、任務の失敗を報告して、我々は帰還する」


 煙草を一本抜いて青年に差し出した。彼は礼も言わずに受け取るとくわえて、紫煙をくゆらす。


「ああ、飽きるほどこれ喫いたいな」


 辛いとも甘いともつかない、無個性な故郷の香り。彼の鼻から抜ける煙は襟の徽章を霞ませた。

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