第17話 ベルジュで

 2日後、航路に異常なく潜水艦は帰港した。通常各国要人の到来には軍楽隊の演奏がつきものだが、既に王族としての資格を失ったフィアスに大仰なパレードはなく、軍、政府関係者でなければ新聞記者とテレビ局のリポーターのみ閑散としていた。実はどこからか漏れた情報によりフィアスのファンが大勢付近に駆けつけてきていたのだが、軍事施設のため彼らの立入は許可されない。一行の姿も、報道陣の前には幕が張られ姿は映らなかった。救出成功が政府に報告されるとようやく情報が開示され、人道保護を目的にフィアスの亡命を援助したことが報じられたのだった。

 ただ、軍装の特務隊警護隊が先に上陸し捧銃の敬礼を行った。特務隊の、当初あった囚人部隊であるからという自暴自棄な雰囲気はもう全くなく、彼らのポケットや首で戦死者の認識票が小さく音を立てる。警護隊も、カノンとエミルの二人が欠けただけだったが、良くも悪くもその存在は大きい、心に秘め、最後の任務を小銃握る手に込めた。メイドに付き添われタラップを降りるフィアスの、瞳は淀んでいた。まるで死人のような濁り方に皆息を呑み、纏う悲痛はトゲとして各々に突き刺さる。


「王女殿下に対し奉り敬礼、捧げーッつつ!」


 包帯巻いた首が痛むジータは、耐えて絶叫した。風が吹き、たなびく金髪を鬱陶しそうに押さえたフィアスは黙ったまま頭を下げ、虚に士官室で書いた謝辞を読むのはメイド。


「後宮警護隊並びにベルジュ共和国空軍特務隊の皆様、長旅ご苦労様でした。私フィアス・ネル・ゾルギアは礼に耐えません。改めて皆様にお礼申し上げ、名誉の戦死を遂げられた方々のご冥福を祈る次第です」


 謝辞が書かれた通信紙をメイドが畳んだ。ジータの号令、再び荘重な鉄音が響き、これより、全てのジェスタ王国近衛兵と専属使用人、そしてジェスタ王国そのものが滅亡した。フィアスは政府に出向くため待機している公用車へと向かう、その時。


「・・・誉高き王国の、鉄華側咲く足下に」


 小さな声、当初は誰も聞こえなかった。トウコの震える小さい口から注い出るのは、後宮警護隊の隊歌である。歌は少女たちに呼応し、流れる涙を止めぬまま、幼い青春捧げた思い出消すために詰まる声を引き絞る。


「並ぶ長靴軍刀の、小さき我ら濃紺に、包まれ輝く王章は、歴史刻みし二千年。王女殿下の御身に仕え、栄誉照らさる純潔を、守りし乙女十二花」


 足を止めたフィアスは少女たちを向き、自らの純潔を信じる彼女らに目を見開いた。十二花、そう、十二の花が有るはずだった。それが、未だ自分を王者と慕い、そうであるから涙を流す忠誠、身を張り裂いて、痛々しくむしろフィアスを責めた。涙の一滴宙に飛び公用車に走る。車内に飛び込むと横に腰を下ろしたメイドにすがりついた。声は出ずとも口だけは動く、ごめんなさいと。

 何のために謝るのか自分でも判らない。だが思わずにはいられなくて、いっそ自分が存在していなければ、誰もこんな目に遭わず、特にカノンは命を落とさなくても済んだのだと、恋人喪う苦痛に身を焼かれて、同じく涙流すメイドに抱き包まれた。


 特務隊は軍装を解き憲兵隊のバスに乗った。中には法務将校がいてそのまま軍法会議送り、犯罪でなく借金の肩代わりなんかで所属していた奴も一緒。しかし形ばかりで、全員無罪を言い渡され原隊に戻って除隊した。警護隊は武装解除され、着替えと日用品を支給され首都の高級ホテルへ。ほとぼり覚めるまで留め置かれることになっており、その後は特殊市民権が付与され国からの補助を受けて、職を都合されるか希望すれば学校に通うかを選択できた。

 王女保護に軍を使い少なからず被害も出たことも批判され、民主政府と交渉するのに彼らの敵である王女を擁し銃火を交えた矛盾も指摘された。しかし国民の多くは王女自体には親しみを持っており、また政府の息がかかった報道機関が大々的にフィアスを悲劇のヒロインとして持ち上げたこともあって批判は沈静化した。民主政府の反応は、ズーラン派はともかく王女亡命については特に反応がなく、これも亡命に口を出さない限りベルジュ政府よりの支援を将来約束するとの取引によるもの。結局、王女の追跡をしていたのはズーラン派の手引きでもあった。王女亡命の熱気は急速に冷め、ベルジュ国民の関心はベルジュ派とズーラン派に分かれて内戦が始まったらしいジェスタ国内に向けられた。少女たちに目を向ける者はもう誰もいなかった。


「やあ、久しぶり」


 帰還から一月ほど経ったある日。外出を許された少女たちは街に出ていた。その中の一人、トウコはスーパーマーケットに買い物に来ていて思いがけない人物と再会した。


「先任軍曹!」


 籠を左手に抱える彼女は敬礼し、先任軍曹は慌てながらクスリと微笑む。彼も私服で、初めて自分の本名を名乗った。


「先任軍曹はやめてくれ、もう除隊したんだし。名乗る機会がなかったけど、ケイヤ・シモンというんだ。それに、そんな可愛らしい格好して敬礼は似合わない」


 トウコは白いリボンの付いたブラウスにスカートを履き、これはベルジュ国内に元から居たジェスタ人支援団体からの贈り物。戦地をかい潜って王女を護衛した近衛兵にはとても見えない。はにかんで舌を出す仕草も、ただ一人の幼い少女そのものだった。


「ケイヤさん、だったんですね。最後の戦いで助けていただいて、とても感謝しています」

「なんのことはない、元気そうでよかった。君一人かい?」

「はい。みんなは映画観に行ったりしてるけど、私はこれからの生活で家事も覚えなくちゃって思って、食材を買って明日にでも料理の勉強です。護衛の方も、最近は付かなくなりました。今はまだ行ける範囲が限られてますけど」

「そうか、偉いなあ。これからはどうするんだい。職を持ったり学校へ行けたりもするらしいけど」

「私は学校へ行きます!この国についても、ここで生きていくために色々学ばなくちゃだし」

「手助けはいつでもする。がんばるんだよ。そうだ、門限は?」

「夜8時までにホテルに帰ればいいそうです」

「じゃあ今日は夕食を一緒にどうだい。僕の家は近所でね、今も女房子どもと一緒に買い物に来てたとこだ」

「いいんですか⁉︎やったあ!」


 彼の家族は、妻と男女の子どもが一人ずつ。二人ともトウコより少し幼そうだった。事情を聞いている家族は快くトウコを受け入れ、家路を辿る。並んで歩く家庭の姿に未だジェスタに留まる家族を思い出して、涙が落ちないよう、上を向いた。


「どうした、首でも痛いか?」

「い、いえ、なんでもありません!」

「そうか。そういえば、王女、いや、フィアスさんは、その後どうしてる?確か同じホテルに住んでるはずだけど」


 突然思い出す、王女の姿。こちらもまた悲痛な記憶を纏っていて、顔を前に向き直すと結局涙が一筋流れた。


「フィアス様・・・今はみんなでこう呼ぶことにしていますが、あの方は、未だ話せずにいて、部屋に閉じこもりきりなんです。メイドの方も部屋は違うし、どこかみんなを遠ざけてるみたいで」

「やはり、ショックは大きいのか。エルタがいなくなって」

「とても仲良しだったし、なにより突然でしたからね。かわいそうでかわいそうで・・・やっぱり、行方はわからないんですか?」

「軍を離れた今となっちゃ、僕もわからない。悪いな」

「いいえ、いいんです。特務隊のみなさんは、元気ですか?」

「まだ病院にいるやつもいるけど、まあ元気さ。でも、タミヤ曹長がな」

「タミヤ曹長さん、どうかしたんですか?」

「いなくなった。軍法会議から、原隊が同じで一緒に戻ってきたが、気づいたら姿がなくてそれっきりだ。中隊長も訪ねたけど、何も判らんそうだ」

「そうですか、心配ですね・・・」

「彼はまだ若い。そのうちひょっこり戻ってきて、元気な姿を見せるさ。着いた、ここが僕の家だ」

「はい、おじゃまします!」


 涙の跡を拭いて、トウコはシモン家のドアをくぐった。人の家の匂い、だけど家庭の香りが頭でいっぱいになり、悲しくなるよりも先に懐かしくて安心した。

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