第11話 大人のなり方
エミルの脱走は明白だった。近衛の証である軍服が不寝番のメイドの足元に畳んで置かれており、リュックから平服のワンピースが消えていた。また、一班の天幕には毛布と携帯天幕を除いた背嚢の上に軍刀と空のホルスター、短い置手紙が添えられている。班長を誰に委任するのかということと、離隊に伴うフィアスへの謝罪だった。一時間ばかり捜索したが既に敵占領区域に入ったとみられ、奔敵も考えられる、中断するとすぐに撤収を決定した。
不寝番のメイドはずっとフィアスとカノンに謝り倒していた。
「私が、私が居眠りなどしなければ、ああ、申し訳ありません!どんな罰もお受けいたします!」
「あなたのせいではありません、歩哨も気づかなかったといいます。私の叱責がいけなかったのです。やり過ぎました」
「しかし、私は任務を」
「殿下のことをお願いします」
カノンの視界にフィアスの姿もあったが、目を合わせまいと視線は固定されていた。フィアスはカノンの口から「殿下」という言葉を聞き、まるで赤の他人の如くで、心臓を掴まれる思いがした。カノンが去り、噂話をしながら背嚢に天幕を縛着する少女兵に話しかけた。
「教えていただきたいのだけれど」
「殿下!」
「かしこまらないで。私はもう王女でないのだから。それより、スクナー軍曹が去ったのは、何が原因なの?」
「それは、その・・・」
「私はあなたたち警護隊のことをちゃんと把握しておきたいの。包み隠さず教えてくださらない?」
少女たちは顔を見合わせると、重い口を開きぽつぽつと話し始めた。包み隠さずとはいえ話題が話題、高貴清純な王女にどのように伝えようかと、自らのウブさも手伝い非常に曖昧な報告となった。セックスしただの、ヤっただのという言葉はもちろん出てこない。それでも、赤面し指先同士をこねくり回し、やたら小さい声で告げると、フィアスは流石に理解した。
「あの、あのですね、スクナー軍曹と特務隊の人が、あの、お互い服を脱いで」
「脱いだって、どこまで?」
「それはその、全部」
「全部脱いで、何を?」
「ですから、脱いでしまってから、身体を重ね合わせて・・・赤ちゃんを作ることを」
フィアスは赤面しなかった。正直、彼女の中では、年頃の少女が男とそのような行為に興味を持ったりしたりすること自体は当然と思っている。後宮の純潔性は、フィアス自身がカノンの唇を欲しがれたこともあり他の後宮の人々よりもそこまで重視していなかった。ただ、伝統と規律であるというだけで。
エミル・スクナーという二つ歳上の少女に限ってそれは意外だった。カノン以上にボーイッシュ、勤務態度評価こそは芳しくなかったが剣以外の戦闘技術は他の追随を許さず、何より背伸びが要らない、またしようともしない大人らしさを備えていた。遊び人だとは思ってもみなかった。しかし思えば、この大人らしさがエミルを自立させ、自らの判断でしたいことをしていたのかもしれない。
だからか、フィアスは自分が子どもであるとの考えが浮かんだ。カノンとの愛を育みたいと本心では願っているが、大人なフリをして最後の一線を越さずにいた。フリをしていたというのは、言い訳のようにカノンの将来をと浮かべて、濡れる秘所に求められているのに彼女の手が伸びるのを防ぎ、そうなってしまえば男と女というまともな人生は歩めまい、社会から爪弾きにされると、行き着く愛の拒絶。だが本当に大人であるのなら、中途半端なことはせず共に地獄の側咲く百合の香りを嗅ぎ、針山に血で足を洗いながら痛みの代償を笑い合って愛を紡ぐと、決心できるはず。または全てを止め、恋人としてではなく友達として、社会が認めうる姿を象り生きていくことを。
間も無く出発となり、フィアスは誰とも会話を交わさず先頭にぼんやり浮かぶカノンの背を見つめた。近くに男のジータがいるからか、彼女の将来として無限の可能性が小さな背に広がる気がした。
平和な時代なら、もっとゆっくり考えて大人になることができたかもしれない。だけれど、カノンの最近無鉄砲な行動や荒みつつある心は、フィアスの中途半端さを原因として崩壊を招きかけている。だとしたら、大人のなり方、愛を確かめ合ってしまうのは、側に戻ってきてくれても危険な状況となれば自分の盾となり、死を招くかもしれない。自分に構わずとも順当に生きていかせる術として、恋のわがままを捨てねばならないと決心した。男と寝たエミルを、カノンは汚らわしいと激怒したとも聞いた。ならば、採るべき方法は。
ジータに視線を向けた。カノンと一番距離の近い男は彼であるのだろう。
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