第12話 間違い

 猟師の山小屋が見つかり、フィアスはそこを自分の寝所として使うことを申し出た。ジータは小屋を指揮所として利用したかったが、珍しく強い主張をする彼女の前で渋々了承した。


「感謝します曹長。人払いして、忌憚《きたん》なく話せる場所が欲しかったのです」

「話すって、カノンとですか」

「いいえ、あなたと」


 側にいたカノンは背を向けて部下に指示を出していたが、フィアスの言葉を聞き一瞬顔を向けかけた。フィアスはそれを見逃さずと感じ、意に反する行動だが、ぐんとジータに近づき耳に唇を寄せた。


「今夜あなたと二人だけで、深いお話を」

「は?」


 フィアスはくるりと踵を返し額にジータの鉄帽の縁が当たった。軽くなびく長金髪が鼻をくすぐり、ジータは盛大にくしゃみをする。カノンはフィアスが去ったのを確認しジータに向き直った。


「殿下と、何の話を?」

「わからん、夜に話すんだと。カノンも来るか?」

「私は呼ばれてないから。それに、いつまで私のことを名前で呼ぶの?」

「俺の気が済むまで」

「やめてほしいわ」


 ぶっきらぼうになるのが自分でも不快で、「カノン」と呼び始めた彼を黙認していたはずなのに詰りたくなって、脳裏には急遽嫌というほど浮かぶ、ジータとフィアスの並ぶ姿。血に汚れた手を持つ自分は彼女の横に立つまいと諦めにも似た決意があるはずなのに、理解している、これは嫉妬であると。いくら注いでもらっても行き場のない愛情を償うため無理に兵士たらんとして、悔やみきれない拒絶をフィアスに向けているという自覚は、意外にも脆かったことに気づいた。ジータも血に汚れていることは百も承知だが、彼は自らの任務と立場を受け入れ、要はしっかりしている。それに男。凹凸は凹凸であるから成り立つのであり、凹凹であれば成り立たたず、凹同士の隙間を埋めるものは何もない。隙間ができるくらいなら、相手がジータであろうとも諦めなければならなかった。

 エミルの一件から一度考えたことがある、いっそジータに抱かれてしまえば、今の自分の心を壊して、何もかも解決して、恋を捨て、自分はただの近衛兵として死んでいけるのではないかと。しかしフィアスのあの態度、いつジータを見初めたのかは判らないが、もし惚れているのであるとすれば、もう何も必要ない、自分自身を、後悔まみれだとしてもこのまま処すことができる。望むのだ、ジータがフィアスを犯すことを。


「楽しんだら、殿下と」


 吐き捨てて、地図を出して残りの行程を確認した。順調に行けば、脱出地点の西海岸まで幾日もない。自分の寿命を数えるようだった。


 メイドに呼び出されたジータは、小屋に着くと人気の無さが不気味で、窓から漏れるランプの薄い灯が艶かしく目に映った。案内のメイドは小屋に着きジータの到着を告げるとそそくさと皆のいる方に戻ってしまい、見える味方は遠く森林内を動哨する部下の影だけだった。


「タミヤ曹長参りました」

『どうぞ』


 唾を飲み込み扉を開けると、粗末なベッドにフィアスが座り、ネグリジェから晒される腿の脚を崩していた。床に置かれるクラブバッグに細い腕を入れ、引き出したのはウィスキーの瓶。ジータは彼女のいる空間をしげしげと見回し、敬礼すると鉄帽を脱ぎ壊れかけた棚に置いた。編上靴に当たる板切れの残骸は脚の折れた椅子だった。


「曹長は、お酒は嗜みますの?」

「ええ。好きな方です」

「よかった。グラスなんて気の利いた物をご用意できなくてごめんなさい、ティーカップでもよろしいかしら?」

「結構です。殿下もお飲みになるんですか」

「私は嗜みません。あなたのためのお酒です。おかけになって」

「椅子がありませんが」

「よろしければ私の隣に」

「失礼します」

 

 差し出されたティーカップにウィスキーが並々と注がれた。おそらく本物の金が使われた模様煌びやかに、底に王家の紋章が燈色を通して淡く、一口含むと舌が痺れた。


「いかが?」

「酒を飲むのは久しぶりですから、辛いですな。美味しいですよ。部下に持って行っても?」

「ええ、後でお持ちになって」

「それで、お話があるとか・・・」


 フィアスは小さな口の端からちろりと紅い舌を出し唇を舐めた。ジータは彼女の口元に釘付けとなり、グラマラスに光る唇に女の匂いを確かに感じた。意識すると身体全体が急に鮮明さを持って目に飛び込み、開かれた胸元深い鎖骨の下で隆起の影が主張し、ネグリジェは薄く僅かに浮かぶ肌色、二点の薄桃を頂点に服を盛り上げていた。脚が出ているのはネグリジェが短いからとも思ったが、初対面で覚えているネグリジェはくるぶし近くまであって、間違いなくわざとたくし上げている。腿の肉付きは良くそれでいてバランスの取れた華奢な脚を、ジータに見せつけるように。

 徐々に熱を持って膨らみ始める股間を悟られまいと背を丸め、喉を鳴らしてウィスキー を飲み込んだ。だがおかしな挙動で喉に流れたウィスキーは間違って気管に入り盛大にむせた。


「がはっ!ぅええええ!」

「大丈夫曹長⁉︎」


 フィアスは慌てて背中をさすってくれる。以前、酔っ払った状態でウィスキー でむせた時そのまま吐いたことを思い出し、流石に高貴な人間の前でそこまでの失態はできないと無理やり唾を飲み込む。なんとか堪えると、背に熱い肌が柔らかく密着していることに気づいた。紅潮する頬はフィアスの身体を離せなかった。


「あの、もう大丈夫です。そこまでしてくださらなくても。それより、お話とは?」

「ほんとうに大丈夫なのかしら。頬が真っ赤で熱いわ」

「あっ」


 頬に突き刺される冷たい痛みは、この上なくきめ細かい肌の心地よさがなければ零下に冷え切った鉄でも当てられたと考えただろう。しかし違う、唇がセクシーに開かれる水音がある。ジータの頬にフィアスの冷たい頬が重なった。腕が胸の前に回されさらに胸が押しつけられる。行為の意味が全く判らない。


「私が、慰めてあげましょうか」


 カタカタ震えるジータのティーカップからウィスキー溢れ床に滴った。フィアスは手をジータの拳に重ねるとティーカップを取り滴りの上に置いた。そのまま腹に手をかけピストルベルトのバックルを外そうとしたが、特殊な形状の金具に手間取った。荒い呼吸のジータはフィアスの手を上から押さえ、確かめる声を漏らした。


「殿下、何を」

「わかるでしょう、慰めるって意味。あなたのような、強い男の方が好きです」

「しかし、駄目です。身分が違いすぎる。それに任務中だし、ついこの前不逞を犯した部下を罰したばかりです」

「ジータさんが言ったのでは?私はこれから、ただの市民になるって。私も王族に戻れるなんて、思ってはいません。それに、露見しなければいいではありませんか」

「だけど、自分は」

「あなたのはなに?私はあなたが好きです。あなたも、私を好きにしていいのよ」


 一瞬股間に手が添えられ、フィアスは素早く前に回り込むと脚を開いてジータの胴に組みついた。頭を抱きこまれると重なる唇、力が抜けベッドに倒れ込み、少女の舌が男の口腔を犯し尽くして、ようやくネグリジェに手をかけた。純潔と信じていたフィアスのキスがこんなにも上手いことが不思議でならなかった。ジータはようやくピストルベルトを外しズボンのベルトも緩めた。

 ネグリジェを剥がされたフィアスは下に何も身につけていない。自らもパンツ以外の服を脱ぎ捨てたジータはキスを与えながら性感帯を探し身体中を愛撫した。耳、首筋、胸、くびれ、尻、全てを指先巧みになぞっていくが、時折陰毛に指を沈めても一向に濡れてこない。また、あれだけ積極的に見えたフィアスは打って変わって動かなくなり、されるがままに身体を貪られていた。色気のある態度で誘ってきたのに声一つ上げない。ジータはパンツを下ろして愛情の確認を試みた。禍々しく象られた、性欲の権化。フィアスは目を見開いて臍下に当てられるぬめりと熱さを確かめ、顔を背けた。ジータは彼女の表情からはっきりと汲み取れる、恥じらいによって自分の陰茎を見れないのではない、恐怖と後悔一色であると。


挿入れます、殿下」

「え、ええ・・・来て」


 フィアスが濡れていないことは承知で、かつては将来王となる人間にしか触れられなかったはずの割れ目に亀頭を押し当てた。広がらない秘所はジータの粘液で無理に受け入れようとした。

 フィアスの、ジータを招き入れてから逡巡していた内情の全てが一つの言葉になり、小さく口から漏れた。もう、呼ぶことすらないと思っていたのに。


「・・・カノン」


 ジータは寸前で行為を止めパンツを手に取った。冷静な動作は起床ラッパを聴いた新兵の如く、素早く服装が整えられる。呆然とするフィアスは投げられるネグリジェを受け取れず腹に当たった。愛しい後悔の名を口にしてしまったと今更になって気づく。俄かに蒼ざめ、続けなければカノンを助けられないと、ジータにかじりついた。


「抱いて、私を抱いて!めちゃくちゃにして!もう少しだけ、そしたらカノンが来てあの子は助かるの!」

「早く服を着なさい」

「お願いカノンを助けて!」

「こんなこと馬鹿げてるんだよ!」


 張飛ばされたフィアスは編上靴まで履いてしまったジータに絶望し、涙が溢れた。ジータは惨めな慟哭に一瞥くれてやると足元のティーカップを取り少なくなったウィスキーを一呷りした。


「俺上手い方なんだ。その上俺に好きって言ってくれてんのに、全く濡れなかった。わかったよ、あんたは俺のことを好きなんかじゃない」

「だって・・・私があなたと結ばれなきゃ、カノンが助からないもの」

「意味が解らない、カノンを助けたきゃあんたが抱きゃいいだろう!」

「見せないと!私は男の人と身体を重ねる女だってことを!」

「あんたとはしない。だけど、どうしてだ。なぜ俺に抱かれるとこ見せなきゃならないんだ。それもカノンに」

 

 ジータは酒瓶を取りキャップを外した。フィアスの隣に座ると、泣くばかりで服を着ない彼女の晒された乳房に毛布をかけキャップにウィスキー を注いで突き出した。


「素面でそれだけ泣くんなら飲んでから泣き上戸になることはないだろう。飲みなさい」

「でも、私はお酒を」

「飲んだことないってんだろ。いいから飲め」


 フィアスは震える手でキャップを受け取り、ためらいがちに口をつけた。初めての酒、王女が酒を口にするのは婚礼の時からと決まっている。だが奇怪で強烈な苦みは何もかも忘れさせてくれそうで、そのまま喉に流す。唐突な熱さに咳をすると腹の中から髪先爪先まで浮かぶような火照りが身体を纏った。無理やり心地よくさせられたフィアスはようやく涙が止まり、一度鼻をすするとジータに身体をもたげてぽつりぽつりと語り始めた。


「私とカノンは恋する仲なの。許されざる恋を。私は男の人に恋をしたことがない、女の子のあの子にだけ、お父上や臣民に対するものとは違う愛情を持ったわ」

「ああそう。よくある話だ」

「よくある話?そうかしら。だとしたら、なぜこうまで悩まなければならないのかしら」

「恋仲ってんなら、カノンもあんたを好きなんだな」

「そうよ、愛し合ってる。それははっきりとわかるわ。だから、あの子を破滅へと導いてしまう。前から、いつかはこの愛を止めなければならないと思ってた。本当ならもっとゆっくりその時期を考えられればよかった。だけどこんな戦争の中、カノンは私のために人をあやめてしまった。私への愛情があったから、全責任は私に帰するはずなのに、亡くなった農夫の方が重圧になってる。でなければ、あんなにおのれを危険に晒すような行動はしない」

「殿下と呼ぶようになったのは?急に素っ気なくなって」

「カノンも、あの子はあの子で私を突き放そうとしているのかも」

「わかんねえな。それがわかってんなら、こんな真似せずに突き放されればよかったじゃないか」

「だから、私の愛情に縛られてるからよ!突き放した上で、私の心を離して、その上で、私を守ったという大義だけを土産に汚れた身体を処して死のうとしてるの!もし万が一重圧から解き放たれたとして、あの子は私の盾になって死んでしまう」

「ふーん、めんどくせえ」

「あの子を助けるためには私の愛情を消さなければいけないの。お解り?曹長」

「わからん」

「私の愛情を失くせば、恋を知らない一人の女の子に戻って、きっと、男の人との恋を知っていける。まともな女の子に」

「なにがまともなんだ?それのなにが?」

「まともよ、男女の仲の方が。社会から見たって」

「いいかげんにしろ、まともなんて馬鹿らしいよ。俺は愛なんて高尚なことは語れやしねえ、だけど、社会?そんな馬鹿げたことに自分自身を捨てるのか」

「社会なら、あなたの方がよくわかっているはずよ」

「そうかもしれんね、たしかに、軍隊にいたとはいえその前は一般社会の中で俺は生きてきた。同性同士の愛が奇異に見られるかもしれないということも解る。だけど、そんなもの他人の見てくれだけだ。頭の中で考えること、自分ともう一人が自分で生きていくこと、誰もそこに介入できやしない。なのに、おかしいと思わんか?抵抗しようと思わんか?せめて、互いの心の中だけでも」

「わからないのよ!私もあなたも!あなたは社会に抵抗することを軽々しく言ってみせる、私は、そもそも社会のことを何一つ知らない!」

「じゃあ、却っていいじゃないか、新天地で、何も知らないことの無鉄砲さも世間知らずも勇気にして、ただ一つ知っている二人だけの愛情で世界を築いて、それが君たちの生きる道だろうが!」


 ジータの怒声のなかに小さく光る慈悲があるのは、彼自身が叫びながら涙してることに気づいて理解した。なぜ男のジータがフィアスたちのほつれかけた愛情の中に光を照らし出そうとしたのかはわからないし、諭されたとも思わない。しかし、無知を勇気にという言葉はあまりにも新鮮すぎて、新鮮故に急に頭の中で染み込み始めた。だからか、何の反論も出てこなくなり、少し悔しく唇を噛んだ。


「二人で、君たちは君たちとして生きろ。誰であっても当然のことだ。もちろん俺にだって」

「・・・なんであなたは、優しい言葉をかけてくれるの?私たちがそんな器用に生きていけると思う?」

「器用に、ならわからん。だって君たちはとても不器用じゃないか。あんたも、カノンも。不器用なら不器用なりに楽しく暮らしていける方法がある。考え方一つで」

「そこを、私たちは変わっていけるのかしら」

「どこまでいっても頭ン中のことだ。できるだろうよ。優しい気で喋ったわけじゃないが、なんでこんなこと言ったかって?」

「あなたのことに、私たちのことは本来関係ないはずだし」

「俺も、少しカノンが好きだったからさ。でもやめた。横恋慕は趣味じゃないんでね」

「私たちのことを、恋人として見てくれるのね。世の中あなたみたいな人ばかりならいいのに」

「急に褒めるじゃないか、殿下」


 悔しいはずの唇が緩み、口角僅かに上げると涙の跡を舐めた。舌に感じる辛い塩気にカノンが来ることを思い出し、瞼を擦って唇に指を添え、発してみる。


「カノン。私のカノン」


 少し悔しかったのは、女同士の自分の関係に、男から道を示されたからなのかもしれない。

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