第10話 情交の末

 エミル・スクナーというにとって、後宮警護隊の純潔性を求める規律は馬鹿らしく、正直不満を抱いていた。思春期盛りで当然の欲を許されず、王女を護衛するという任には何も関係がない禁欲が疎ましかった。

 元より奔放な性格である彼女は、警護隊に採用された後男を知った。おそらく後宮唯一である。後宮に勤める女たちは結婚をするとそこから追い出され王宮一般の仕事に就かされるか辞めていく。純潔でなくなるからだ。それでも二十代後半に至るまで後宮で過ごす女は多く、エミルには覚えたての性欲や男への興味をどう処理しているのか理解できなかった。代用の恋愛として少女同士の愛を育む者は確かにいる。あの王女とカノンも、並々ならぬ親愛があると噂されているほどだ。彼女はその考えを持たず、時折の休暇で思い思いの恋人とひっそり身体を重ねていた。悪いこととは全く思っていないし、むしろ警護隊の純潔性の方が不健全と見做していた。

 男と別れたこともあるし、崩れかけの王宮でそのまま居座っても近衛兵である身分が新政府でどう扱われるのかという恐れもあり、王女脱出護衛の任に志願した。

 男が目の前にいなければどうという感情もなかったはずだが、ベルジュの兵隊たちが現れたことによって、久しく忘れていた疼きが身体に直接呼び覚まされた。


「いいのかこんなことして」

「いい、いい。バレなきゃ」

「まずいんじゃねえの。王女様を護る純潔の兵士が、処女じゃなくなって」

「私処女じゃないから。ね、早くしよ」

「そういうんなら。俺もご無沙汰だったし」


 エミルは特務隊員の中から一番顔の良い男を選び、親密な関係を築いた。初戦のゴタゴタから隊列は入り乱れていたし、鬱陶しいカノンもそこまで目が行き届かなくなっていて簡単だった。行軍と戦闘の疲れから鬱憤も溜まり、宿営が決まるとコトに及んだ。

 燃え上がるエミルは声を抑えるのに必死で、その姿が男をより昂らせる。相性も良く久々の快感を二人は堪能した。


「どうしてどうして、色良い声上げるじゃねえか。後宮の人間とは思えねえぜ」

「はあ、はあ・・・床上手ね、あなた」

「まだ収まんねえ」

「時間はあるし、やれるだけやろうよ」

「もう一発だ」


 その調子で互いに三回ずつ果て、流石に疲れが出る。心地よい倦怠感に二人は携帯天幕の上に横になり、裸のままエミルは男の背に重なった。男は腿に感じる彼女の濡れた股の陰毛と肩甲骨をなぞる指先が愛しく、首を伸ばしてキスをした。


「俺あんたが好きだぜ」

「私もよ。きっとこの場限りだけど」

「だけどよ、無事脱出できるとなりゃ、あんたと所帯持つのもいい」

「なにそれ、口説いてるの?」

「違いねえ。俺も帰りゃめでたく放免、綺麗な身体になるし、そろそろ30だ。結婚せにゃなんねえ」

「私まだ18」

「ちと歳の差か?」

「ううん。まだ遊び足りないけど、考えとく」


 惚けた顔で微笑み、またキス。男の言うことはいい加減な口約束の愛情で、そうとは解っているが、ここだけの恋愛を楽しみ、エミルもまた愛情ある唇を与えた。

 高く登った月は木々の切間から二人を照らし出している。エミルは部下に用を足してくると言って出てきており、遅れた言い訳は敵影らしき物を見て追跡したとでもしようと考えていた。男も似たようなことで、偶然会ったエミルと偵察していたと、そう言おうと思っている。


「そろそろ戻るか。心配して探しに来るといけねえ」

「そうしようか。またできそうだったらしようよ」

「もちろんさ。キスしてくれ」

「うん」


 上体を上げた男はエミルのくびれに腕を回して抱き寄せ、片手で乳房を楽しみながら最後深いキスをする。彼女も彼の頭を掌で包み舌を入れた。


「きゃーっ!!」


 突如として上がる奇声に二人は振り向いた。正体は軍服の少女が二人、一方は小銃を構え一方は恥じらいをかき消そうと銃を抱きしめている。エミルの部下だった。


 少し前、指揮班壕は狩猟用の罠の跡が大きく開かれていた穴に決め、上に天幕が張られた。中ではジータと先任軍曹、カノンが鹵獲した自動小銃を眺めていた。


「ズーランの制式小銃だ。刻印は潰されているがな」

「あいつら正規兵ですか」

「軍服が無いからなんとも言えんが、民主政府委員会の手帳を持ってた。民兵は持っていないからおそらくそうだ」

「威力はどれほどのものなの」

「俺たちの小銃と双璧を為すが、射程と貫通力じゃ小口径の俺たちの方が上、破壊力なら敵さんの方が上だ。ただ、俺たちのは20連弾倉、これは30連で弾が多い」

「面倒ですね。この隊を追う特殊部隊だから特別に配備されているのか、それか全面交付を目指しての供給なのか」

「ズーラン軍でも旧装備からの全面切り替えが終わってない新型銃だ。民主政府軍への全面交付はおそらくない、と思いたいが、前の戦闘での火力からして一定数は持っていると考えた方がいいだろう」


 カノンは、政治の話はよく解らない。だが他国からの武器が流れているとあっては、この争いがただの革命で済むとは思えなくなった。ベルジュの元宗主国であったジェスタは、まだベルジュに近しい意識を持つ国家体制である。だがズーラン連邦は目新しい国家体制を敷き勢力を拡大していた。国民の間でもどのような国家体制が望ましいか派閥ができていると聞いたことがある。新たにできた国で、もし父が生きているのだとしたら、結局彼はどの派閥からも敵でありどのような扱いを受けるのか。覚悟はできているつもりだが、身を案じずにはいられない。

 目前の任務、顔を思い出すと心が深く刻まれるフィアスは、一体どのような思いで他国からジェスタを見つめるのか。少しだけ気になったが、ジェスタを見つめる彼女の隣に自分は立つことはないのだと瞼をきつく閉じ、カッと開いて小銃を手に取った。


「これ、いくつあるの」

「鹵獲したのは四挺。なぜ?」

「私たちにください。機関短銃は返す」

「これは俺たちが使うよ。カービンの数を減らして前衛か斥候の兵隊に渡す」

「それも私たちがやる、私が戦う。強力な武器が欲しい」

「あんた、死に急いでいるのか?戦闘の様子を見てると目がおかしいぞ」


 ジータの瞳はきつかった。鉄帽下に被る略帽の庇をぐっと下げ、上目遣いに睨んでくる。カノンは図星を突かれたような、それか投げやりな覚悟をたしなめられた気がして、どちらにしても真を問いただされたのは同じ、視線を突っ返す如く眼を釣り上げた。


「べ・つ・に」

「不貞腐れるな、可愛くないぜ。技術もないのに危ないことしようとするな」

「私の剣術が役立ったのは確かよ」

「そうかもしれんね。戦争してるのはあんた自身だ。だけど、君は部下を尻尾に持つ将校であり指揮官だ。その意識が、不貞腐れてた顔に良い風に芽生えたと思ったんだけどね」

「指揮官不適格ってこと?」

「そうとまでは言わんさ。部下の前に立つ姿は、あんたがどう思ってそうしているのかは知らんが立派だ。だけど、自分の立場と任務が何のためにあるのか、よく考えてくれ」

「偉そうね」

「下士官だって、士官学校じゃなくとも教導学校で学ぶことさ、カノン」


 ジータはカノンを初めてファーストネームで呼んだ。妙な甘さを持って脳に響く声は心に届くと酸味を伴う苦さに変わり、以前彼が言った「好きだ」という言葉が生々しく蘇った。

 ジータが自分に気があるのではないかというのは自惚れた考えである。それにカノン自身は、もしそうであっても彼に身を寄せる気はさらさらない。しかし、不快を理由に拒絶できるだけの感情はなかった。

 以前一度だけ、行きつけであったレストランの店員から愛の告白というものをされたことがあったが、彼は容姿も人柄も良いのにも関わらずカノンは心に一種のを覚えてしまった。年頃の男女、恋愛の内容に何が含まれるかは理解している。一番大きなネックは「性」だった。フィアスに対しては寧ろそうした行為を求めたい禁断の我儘が有るのに対して、自分でも不思議なほど素直に拒絶した。

 しかし男から身体を求められることが、カノンの中で拒絶理由から外されつつある。以前なら愛情深いフィアスとのみ身体のやり取りをしたいことを拒絶の明確な根拠とできたのに、彼女への負い目にも近い背徳感から、自分が男との性行為を行うことについては抵抗が薄くなっていた。


 少女の悲鳴が遠くに聞こえた。壕に残っていた先任軍曹が鹵獲小銃を掴んで飛び出しカノンも後に続いた。ジータの指示なのか、引き連れられてきた部隊は横隊になって悲鳴が聞こえた森林に踏み入った。


「少尉殿の部下で、誰かこっちに行きましたか」


 先任軍曹は弾を装填し隣で早足に進むカノンに言った。彼女は、ジータに呼ばれる前エミルの帰りが遅いから探してくると申告した一班の班員を思い出す。


「一班班長が用便に出たまま帰らないと報告があったので彼女の部下が捜索に行った」

「じゃあその子たちですね。ここらに敵はいなかったし銃声は聞こえない、何があったのか」


 先任軍曹が肩に備える懐中電灯の丸い光が濃紺軍服の上衣を照らし出すのはすぐだった。二つ棒立ちになるそれは、振り返ってカノンに蒼ざめた顔色を見せた。


「何があった⁉︎」

「隊長!あの、その」

「班長を見つけたんですけど、まさかこんなことになってるなんて」

「こんなこと?」


 先任軍曹が懐中電灯を外し前方を照らした。少女たちが怯える理由は鋭い刃となりカノンの脳に認識される。一瞬起きた震えが脊椎を伝い形容し難い音が耳を貫いた。


「なるほど、おたくの部下はウブですなあ」

「隊長!・・・見られちゃったか」


 慌てて着たのが誰にでもわかるはだけた服、エミルの履きかけたズボンの下天幕にギラギラとぬたつく液体の跡、ボタンを閉じ切っていないシャツの隙間から覗く、膨らんだ胸の谷間横に赤い跡。ジータが前に出て男を立たせた。


「馬鹿野郎!」


 張られるビンタは音からしてかなり強いはずだが男は微動だにせず不動の姿勢をとり続けた。続いて立つエミルにも彼は向き彼女はきゅっと目を閉じたが、男よりは軽い音で頬を張られた。ジータはエミルの様子から強姦ではないと判断していた普段のエミルのベタベタと男に寄りつく様子も知っている。


「抱きに来てんじゃねえんだ、戦争してるんだぞ!婦人部隊との共同作戦、それに後宮の部隊であるからそののことは厳に慎めと命令されたはずだ!」

「はい!」

「作戦にどんな影響が出るか考えてもみろ、馬鹿!」

「はい!」

「このことは不問に付す。さっさと服着て陣地に戻れ。班長も、さっきから黙ってるが、いいな!」

「・・・はい」


 男は服を完全に着ると一度エミルを見てバツの悪そうに仲間に混じった。笑う奴、悪態吐く奴がいて、彼は分隊長から「こいつう!」と羨望垣間見えるビンタを頂いた。

 シャツのボタンを閉じながら、エミルは不貞腐れたようにカノンを見た。彼女の赤黒くなって震える顔を認めると不意に優越感が起き、頬によじ登る神経を抑えられなかった。

 あんたなんかとは違う、私は普通の女で、やることはしっかりやっている。不健全なくせに背伸びしたつもりの女とは違う。言葉が浮かび、歪んだ顔に鼻で笑った。


「ふん」


 蔑むような視線と鼻から出る短い吐息、吊り上がる唇の端はカノンの怒気を呼び覚ました。くだらない、とあくびをする先任軍曹の緩んだ手から小銃を取り上げ三歩飛んだ。銃床を彼女に向けるとハッとした顔を凝視し腹に床尾板から打ち込んだ。


「うえ!」

「スクナー軍曹、恥を知れ!」


 仰向けに倒れるエミルに銃口を向け引鉄握る指に力を入れた。だが操作を知らないカノンは安全解除をしておらず、引鉄は固いまま動かなかった。


「やりすぎだ少尉殿!」


 先任軍曹が飛びかかり小銃を取り上げようとした。カノンは銃を離さず格闘し、先任軍曹は仕方なく張り倒した。ようやく手に戻った小銃から弾倉を取り、薬室の弾を抜いてジータに投げた。呆気にとられていた彼は小銃を受け取れず地面に落とし、鷹揚に拾うとやっと何が起きたのか理解した。尻餅ついたカノンは動かずくしゃくしゃの顔から涙を浮かべていた。


「カノン、お前いったいどういうつもりで」

「汚い!汚いわ、スクナー!」


 ジータの詰問を最後まで聞き終えずカノンは叫んだ。エミルは鳩尾の打撃からくる吐き気を堪えて唾を吐く。彼女は、目の前の二歳下の小娘の悪罵を耳にすると、時折見た仲睦まじいカノンとフィアス、愛の噂を思い出し、もはや上官とも思わぬ、負けじと言い返した。


「何が汚いだ、みんな知ってるんですからね、殿下とあんたが深い関係にあるって!それがなに?たかだか男と女のあるべき姿を少し見ただけで、汚いだと、笑わせるな!」


 エミルは腰を上げたカノンに立ちはだかると頬を張った。フィアスのことを言われたカノンは上手く言い返せず、先ほど考えた、ジータから向けられたかもしれない好意への拒絶理由にセックスが含まれないことと、それでいてなぜこうもエミルの行為には殺意すら覚えるのか、矛盾から自己嫌悪に陥り、ビンタを避けられなかった。


「後宮の掟って言いたいんですか。純潔の掟を!ええ、たしかに私は、後宮からしたらふしだらな女かもしれない。私の非処女は今に始まったことではないし。でも悪いこととは思わない。生きていて、人間の機能としても当然のこと、心としてはなおさら当然のこと!それを抑圧して、不健全な道に走ることには何も後ろめたさがないなんて、こんなんだからこの国は滅ぶのよ!」

「不健全なんかじゃない!私と殿下は不健全じゃない!それに、殿下がいる限りこの国は滅ばない!」

「あんたフィス様って呼んでたのに急に最近殿下呼びになって、痴話喧嘩?女同士で馬鹿みたい。滅ぶのよ、この国は。私たちは生きたいから脱出するだけよ。そうでしょ?エルタ」


 吐き捨てると、エミルは天幕を引っ掴みスタスタと陣地の方へ戻っていった。カノンは追うこともなく立ち尽くし、涙を拭けという先任軍曹の言葉にも無反応。ジータが肩を抱くように身体を押して重い一歩を踏み出した。

 ぐちゃぐちゃの思考はまとまらない。フィアスへの愛情が何であるのか、彼女のいう通り不健全であって、自身のフィアスを殿下と呼ぶことや最近の投げやりな思い切った行動もおかしな痴話喧嘩なのか、考えすぎて疲れが出た。


 翌日早朝、陽はまだ上がらず宿営地は朝靄がこもっていた。一班の天幕から一人の影が出て、歩哨の目を忍ぶようにしてフィアスの眠る天幕に近づいた。不寝番に立っているはずのメイドは座り込みうたた寝している。濃霧から現れた影はメイドの寝息を確かめ横に置かれるリュックに手を伸ばした。中には思った通り平服が入っている。素早くそれに着替えると、メイドの方が小ぶりな胸なのか胸元が少々苦しかったが、身体に合うことは合った。軍刀は置いてきた。唯一の武器である拳銃をベルトに挟み天幕を丸めた背負袋を背にくくりつけた。


「お暇します、殿下」


 エミルの低い声が天幕に投げられた。彼女は昨晩身体を共にした男が眠る天幕を一瞥すると、奇妙な哀愁を溜息に変えて森林へ消えていった。

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