第8話 壕の中で

 森林の山道、警護隊と特務隊の隊列は入り乱れていた。疲労が重なって取り決め通りの隊伍は組めず、また追撃を警戒して特務隊の一個分隊は殿に位置している。カノンは指揮班を率いて前方にいることが多くなった。すなわち、フィアスの側から離れていた。休止の度にメイドがフィアスの状態を伝えに来ていたが、いちいち走ってくるメイドを気遣って報告を断った。


「私が見てくるわ」

「しかし・・・殿下自らがお出になられたら、私共の立場が」

「カノンの様子が心配だもの」


 実際状態を知られたがっているのはカノンの方だった。民兵射殺の件以来、フィアスはまともにカノンと会話を交わしていない。前方にばかり行ってしまうのも避けられているように感じた。フィアスはカノンが極端に自身の穢れを信じていることが嫌でもあり可哀想でもあった。また、カノンが人を殺したことへの責任は自分であると理解していたが、それでいて彼女ほど自分を追い詰めることができなくて悩む。心と身体の一部が欠けてしまったようで、ぴったり寄り添ってくれるメイドたちに申し訳なかった。


「今はそっとしておいた方がいいのではないでしょうか。敵に機関銃を撃って以来、どこか塞ぎ込んでいる感じがあります。あんなことは初めてでしょうし」

「塞ぎ込んでいるのなら、なおさら」

「無礼を承知で申し上げますが、エルタさんは殿下のためにお撃ちになったと、そう考えていると思います」

「それは、その通り、だから気に病むことなんて」

「しかしもう一方、自分のためだけに撃ったという考えも。それから単純に人をあやめてしまったという自責の念に、板挟みになっていると思います」

「それは・・・」

「難しいことです。殿下のために人を死に至らしめたということは、殿下が間接的に殺人を行なってしまったという妄想もありえます。もちろん正当な防衛なのですが。タミヤ曹長さんは経験深そうな軍人ですから、いい意味で、この旅と戦闘を任務としか捉えてないから動揺はないのだと思います。しかし我々にとっては・・・」

「わかったわ。しばらくはそっとしておきましょう」

「野宿の用意が整いました。殿下、こちらへどうぞ」


 自然壕群がありそこが宿となった。降り始めた雨に身体を冷やし、メイドが作ってくれたスープは温かかったが、調味料の節約に味は薄くなる一方で、無表情にスープを啜った。

 カノンはベルジュとジェスタの指揮班同士で壕に入り濡れた上衣を脱いだ。ジータは上半身裸体となり、岩の間に差し込む小銃同士を繋いだ通信線に服をかけた。彼の部下もそれに倣う。中心に焚いた焚火により筋肉質な影が浮かび上がった。


「君たちも全部脱いだらどうだ。横向いててやるぜ」


 ジータは部下と共にせせら笑った。カノンの部下二人は彼女より歳下で互いに身を寄せ合っていた。


「こんなガキンチョ、襲うやついねえよ」

「ふん」


 カノンは敵愾心露わにシャツを脱いだ。ズボンも脱いでしまい下着一つの姿。部下の少女たちが怯えるように自らのシャツボタンに手をかけた。


「あ、あの、私たちも」

「あなたたちはいいわ。好きにして」


 最近すっかり軍隊口調の抜けたカノン優しく言い、少女たちは胸を撫で下ろし男の裸体から目を背けた。濡れた服が冷たいが、男の前で裸体を晒すよりはいいとくしゃみ一つする。


「エルタ少尉、やるな」


 ジータが口笛吹いた。引き締まったカノンの身体に地味な下着が纏わられ、フィアスのものとまではいかなくとも形良く膨らんだ胸にシミーズが張られていた。


「いい身体してんじゃんか」


 ジータが焚火の横から足を忍ばせようとする。カノンは見逃さず軍刀を取り目の前に突き立てた。睨みつける彼女の目にジータは息を呑み、豪快に笑った。


「いいねえ、やっとこさあんたが気に入った。スパイ殺した時を思うとすごい成長ぶりだ」

「あんなこと成長とは呼ばない。口にしないで」

「安心したよ。アレで全部が嫌になって叛乱でも起こされたらって気が気じゃなかった」

「今ここで起こして見せましょうか。あなたのこと嫌いよ」

「叛乱はごめん被るね。俺はあんたが好きさ、フィアスさまのことはそうでもないが」


 フィアスさま、と軽薄に響く言葉で反射的に手が出た。カノンは自らの手がジータの頬を張る音が遠くに聞こえるようだった。


「おお痛て」

「殿下の名を気安く呼ばないで」

「それは悪かったが、いつからあんた、殿下呼びになったんだ。フィス様と呼んでたじゃないか」

「それは・・・あなたが知る必要はない」

「あっそ。おい、嬢ちゃんたちに毛布くれてやれ。被って脱げば身体見られることもないだろ」


 ジータに命令された部下は自分の背嚢に縛着されているOD色毛布を外し少女たちに与えた。彼女たちは礼を言うと大きな毛布に包まり服を脱いだ。ジータも自分の毛布をカノンに投げた。


「俺の毛布使えよ」

「いらない」

「意地張るな。風邪ひくよりはいい」


 カノンは黙って毛布を取り身体に巻き付けた。頑丈な軍用毛布は荒く肌に痛かったが無いよりはマシだった。


 しばらくして少女たちが静かな寝息を立て始め、乾いた軍服を羽織るジータはカノンの寝顔をじっと見つめていた。

 彼は、はっきりと正直に、目の前の彼女が美しいと感じる。短い髪が艶やかに光りを帯び、二重瞼から伸びる睫毛は長かった。化粧気のない頬は触れずとも心地よい肌が纏われていると確信できる。少し開く薄桃の唇は、未だ誰にも侵されたことがないと信じたかった。

 多き悩みを秘めるであろう頭の、黒髪に手を伸ばしかけ、部下の声を聞いた。


「小隊長殿、飛行機です」

「飛行機?」

「こちらへ」


 伸ばしかけた手を引っ込めズボンを手に取った。ベルトを締めながら壕外に出ると遠く爆音が響き、星を割って飛ぶ大型機の機影があった。爆音に目を覚ました特務隊員や少女たちが出てきて口々に予想を噂し合った。


「あの溶け込み方からして夜間塗装、形はズーラン連邦の輸送機です。落下傘を確認しました」

「数は」

「一つです」

「物資輸送かな。歩哨以外壕に戻させろ、それから先任軍曹を呼んでこい」


 寝ぼけ眼を擦る先任軍曹を壕内に呼び入れ煙草に火を点けた。カノンは疲れたのかまだ寝ていたが、奥で寝ている少女が目を覚ました。彼は手で、寝ていろと指示を出し煙を吐く。

 ズーラン連邦は、ジェスタから大森林地帯を隔てた国だった。ベルジュとは対の体制を持つ国であり、国際社会においては仮想敵国となるくらいは国交が穏やかではない。ジェスタとの関係は沈黙を守り不明瞭だった。


「ズーラン連邦の輸送機がいる。ジェスタの航空隊にズーランの機体はないな」

「ええ、この国で使われてるのは我が国の輸入機です。軍事介入ですか?」

「まだ解らん、そんな情報はないからな。しかし落下傘が降りたことを考えると何らかの援助があると思われる」

「革命政府はズーランと交渉を?」

「革命政府自体はズーラン派じゃない。が、幾らかの派閥がある可能性は否定できない。どうなると思う?」

「面倒なことになりますな。ズーランの兵器が秘密裏に持ち込まれているとすれば、あの国の突撃銃が革命政府に渡っている可能性がある」

「それもそうだが、俺たちのしていることの意味がだ」

「意味?」

「革命政府がズーラン派に転んだ場合、お姫様の持つ情報は使えない。ズーラン政府自体にこの国が降る可能性もある。そんな国で国家が絡んだ大事業は行えないだろう」

「それはそうでしょう」

「俺たち、ただ女の子を迎えに行っただけにならないか」

「革命政府が公正な選挙を行うことに賭けるしかないでしょう。結果次第で、我が国の方につけば、所期の任務は達成されます。なんとも言えんですな」


 先任軍曹は少女たちを見た。薄目を開けて聞いていた彼女たちは慌てて背を向けわざとらしい寝息を作る。煙草の火を消しポケットから携行食糧のチョコバーを出した。


「曹長殿、大義が欲しいんですか」

「大義?」

「国への。あまりそんな風には思いませんが」

「大義ってのは変かもしれない。俺は不良下士官だし。でも、お姫様迎えに行くだけってのは、なんかおとぎ話みたいで」

「それも、いいじゃありませんか。救けに行っただけでも。童話も悪くないもんです」

「そうか?」

「これ、あの子たちに渡してやってください。喜ぶはずです」

「いいだろう」

「エルタ少尉にズーランのことは?」

「起きたら話すよ」

「わかりました。自分は帰ります」


 出したチョコバーをジータの膝に置き先任軍曹は出て行った。一回りも歳上の彼の背は広く、月明かりで影が歪んで見えた。


「大義ったって、ほんとのところは金の荒稼ぎじゃなあ」


 先任軍曹のぼやきは誰にも聞こえなかった。

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