第7話 民兵

 ジータは稜線の中心で伏せていた。彼は広げた地図の上に肘を置き双眼鏡を覗いていた。


「エルタ少尉!」

「来たか。姿勢を低く」

「そちらの損害は」

「おたくの部下に伝令に行かせたけど。戦死二、負傷一」

「負傷の内容は」

「右側頭部に銃弾による擦過傷。大したことない」

「戦死の人たちは・・・」

「認識票も持ってくる暇なかったと。それより、あれ」


 淡白なジータの態度に納得がいかなかった。初対面の時声を震わせて認識票を突き出したのとは対照的で、彼の精神状態が測りかねた。


「部下が死んだのに平気なの?」

「平気なもんか、ハラワタ煮えくり返ってる。初陣が急な遭遇戦だったからそちらの嬢ちゃんを責めるわけにもいかんが、怒りは後だ。それよりあれ見ろ。あれは王国の旗じゃないな」


 押しつけられた双眼鏡で指差す方を見ると、前方数百メートル、森林の隙間から槍と小銃散弾銃の銃身、一枚の旗が垣間見え、民主政府軍の印。民兵たちは、印を簡略化したデザインを腕章に記し平服の上から巻いていた。家の夫妻も見えたが彼らも同じ腕章を巻き水平二連銃身の猟銃を抱いている。怒りに駆られたカノンは拳銃を抜こうとした。ジータは広い掌でカノンの腕を抑えた。


「やめなよ、拳銃で当たる距離じゃない。逃げる算段がいる」

「じゃあどうするの⁉︎王国派を騙った裏切り者を放っておけない!」

「敵は俺たちを確認してる。攻勢に出るだろう。突破は無理だから申し訳程度に反撃して、退路を塞がれる前に、手前の森、来た道を幾分か戻って迂回する。こちらの位置が判明してるのに突撃支援射撃がないあたり、曲射砲や機関銃は無いものと思う。エルタ、君の意見は」

「鉄槌を食らわせたいわ」

「アホ、逃げる方法だよ」

「・・・フィス様を連れて森へ」

「そうだ。俺たちが援護する」

「了解」

「小隊長殿、来ます」

「射撃開始は分隊長の判断に任せる。三、四分隊も稜線へ。エルタ、合図したら警護隊を連れて森へ!」


 民兵は雪崩を打って森林から飛び出し、稜線手前で射撃を始めた。双眼鏡をケースに押し込むジータはカノンを後ろへ引き下げ、同時に第一分隊長が命令を下した。


「前方の民兵、撃て!」


 敵は数百人もいるかと思われた。それでも銃を持たない者もまちまちで、木で作った槍を投げたり、突撃を敢行しようとする者がベルジュ軍自動火器の餌食となった。

 カノンは部下を集めいつでも逃げ出せるように待機していたが、ジータがトウコの小銃を撃ち続ける姿を見て機関短銃を返そうと思い立った。トウコに代わりメイドが持っていた機関短銃を受け取るとジータの元へ走ったが、釣られて全員ついてきてしまった。


「なんだよ逃げる準備しとけって!」


 ジータは打殻を出し弾倉が空になったのを確かめ、横に置いたトウコの弾入から新たな弾薬クリップを出した。カノンは銃床を掴み機関短銃を差し出した。


「なんだよ!」

「あなたの銃!」

「いらねえよ、お前持ってろ。ノルシュテインの銃は返す」

「でもあなたの武装が」

「指揮執ってる最中だから拳銃だけありゃ十分だ。おい、お前は撃てよ、もしものことあったら」


 彼の言うが怖かった。ずっとフィアスの側につき、彼女に何かしらの危機が降りかかれば近衛将校として万難を排する覚悟がある。もしもというのは、敵が目の前に現れたら即時殺害しなければならない事態ということだった。フィアスは自分が殺人者となる姿を目の当たりにしなければならない。

 フィアスを見た。ジータの言葉は耳に入っていたはずで、カノンが何をさせられようとするのか理解していた。澄んだ瞳に小さくカノンが映し出され、強力な兵器を持つ自身がひどく惨めだった。


「手榴弾!」


 ジータが叫んだ。特務隊員はサスペンダーや弾帯から手榴弾を抜くと安全ピンを抜き投擲した。軍服と同じ色に塗られた丸い鉄塊は敵の群衆に落ち、数秒後大轟音が地響く。手榴弾戦に慣れない少女たちの耳に痛く響いた。ジータの次の命令が遠くに聞こえるようだった。


「警護隊は退避!」

「みんなさっきの道へ!」

「ベルジュ兵の方々は?」

「後で追いつきます、お早く!」


 全員前屈みになって立ち上がり、フィアスを守るようにメイドが両脇に立った。敵からの銃弾が飛び交う中、硝煙の向こう側に留まる特務隊をフィアスは気にして時折後ろを振り返った。

 森の茂みに飛び込むと、銃声が木々によって遮断されるのか急に静かになった。僅かに聞こえる戦いの音も次第に途絶えがちになる。安全地帯へ逃げれたと感じた警護隊は、安堵からへたり込み激しく肩を揺らした。カノンは機関短銃を背に回すとフィアスの前で跪いた。


「フィス様、お怪我は?」

「ないわ。みんなは?」

「全員無事です。銃声も止みつつあります」

「そうらしいわね、よかった」


 メイドが汗を拭こうとフィアスの額にタオルを当てたがそれを留め、自分のハンカチで汗を拭った。白いハンカチに汗と土の混じった染が移った。


「たいちょお、もう敵はいませんかね」


 エミルが喘ぐように息を吐く。制帽を脱ぐとカノンより短い髪から汗の玉が飛んだ。


「いないらしい。特務隊は、そっちから見える?」

「はい。ああ、だんだんこっちに走ってきます」

「負傷者は?」

「大丈夫らしいです。トウコ、大したことないじゃない」


 エミルは自分のともう一つ担いでいた小銃をトウコに倒した。自分の班長が嘲るようにして馬鹿にするから、彼女は頬を膨らませた。


「だって、突然だったんだもん。小銃あっても、私撃てません」

「怖いから?」

「負傷してるからです!」

「けんかは止して。確かにノルシュテインは撃てないから銃は捨てていく」

「王家の紋章が入ってるのに、そんなことしていいんですかあ?」

「いちいち突っかかるな。余計な荷物があったらフィス様をお護りするのに支障が出る。スクナー軍曹、銃を簡単にでいいから分解して、捨ててきて」

「私疲れちゃいました」

「最近のあなたって口答えばかりね」


 叱る元気もなく、トウコの足元に横たわる小銃を取った。一行から少し離れた場所まで行き分解を始める。弾倉底を開き出てきた板バネを取り、ボルトを抜き撃針とバネに分けるとバネを出来るだけ捻ったり伸ばしたり、これでもう撃てない。それぞれの部品を茂みへ投げ捨てたり埋めたりして、残った撃針だけ布で包んでポケットにしまった。それから、機関部上に刻まれている王家の紋章をどうしようかと首を傾げる。近衛の小銃には王家の紋章が刻まれていたのだが、この度の動乱で持ち出せない物には、敵の手に渡っても王家の誇りが奪われないようにと、紋章を削る措置が行われた。

 紋章を完全に削り取る時間はないからせめて判別つかない程度の傷はつけておこうと小刀を出して刃を当てた。鉄材に使われることを想定しない小刀だからなかなか傷はつかなかった。こんな行為に一生懸命になる自分が悲しく、身体が切り刻まれる思いがした。縦横何本かの傷がついた。切り屑を吹き刃こぼれしかけた小刀を収めると、涙が溢れ傷の上に落ちた。傷は暗澹とする未来が刻まれているようで、頭を振って銃床を掴み投げ捨てた。

 背の高い草が落ちた小銃に倒され、異様に長い人工物が自身の方に向いていた。横に二本並んだ棒にはくすんだブルーイング、黒々とした穴が空き、穴から何が飛び出してくるのか理解した。棒は持ち主を伴って茂みから現れた。カノンは肩に吊っていた機関短銃を反射的に構えボルトを引いた。

 拳銃弾が連発して吐き出される音と重い一発の銃声が重なった。警護隊が慌てて駆けつけると血溜まりに斃れる一つの死体、制帽に散弾の傷をつけたカノンが立ち尽くしていた。背を向けて槍を持つ民兵が二人逃げる。イの一番に着いたフィアスは汗ばむ手でカノンの頬を包んだ。


「カノン!銃声がしたけど無事⁉︎」

「ふ、ふぃすさま」

「怪我は無いみたいね、よかった・・・」

「殿下、横を失礼」


 エミルが拳銃を抜きまっすぐ腕を伸ばした。撃鉄を上げると一糸乱れず引鉄を握り、続けてもう一度、逃げる民兵二人はそれぞれ急所を射抜かれ即死した。


「簡単じゃない。トウコも隊長も、何をそんなにビクついてるんですか」

 

 エミルの嘲はカノンの耳に届かなかった。フィアスの腕の中、彼女は放心したように身を預けた。おそるおそる横目で死体を見る。ついさっきフィアスに跪いた形そのままで農夫が死んでいた。


「フィス様、離れてください」

「カノン?」

「私汚いんです。汚れているんです。穢れがフィス様に移っちゃう」

「汚れてるっていうなら、私こそ汚れているわ。カノンは私のために引き金を引いたんですもの」

「違います!私は私の身を守るためだけに!」


 カノンの腕が急に軽くなった。特務隊を率いるジータが到着したところで、彼は取り上げた機関短銃のボルトを安全位置に掛けると二人を引き離し、カノンの首に銃をを掛けた。


「馬鹿じゃないのか。お姫様もあんたも。俺は何を見せつけられてんだ」


 カノンの反応は無い。フィアスは再び抱きしめるとより強く頭に腕を回した。


「随分とご挨拶なことですのね、タミヤ曹長」

「確かに無礼でしたね。しかし臨戦状態で将校がこの調子では困る。ノルシュテインという上等兵は、まだ責任を負う立場ではないしあれでもいいかもしれないが。エルタ少尉は何も間違ったことはしてない。殿下を護るという任務を遂行しているだけです。殺したのは敵です。汚れでもなんでもない」

「放言ね。この子たちは将校や下士官兵である以前に女の子ですもの。曹長のような考えは恐ろしいわ」

「恐ろしくて結構。しかし警護隊のお嬢さんたちには、その恐ろしい考えを持ってもらわなくちゃ困ります。できれば、殿下も」


 フィアスはきつい瞳でジータを睨んだ。彼は意に介さず死体を調べ、残った一発のショットシェルを猟銃から抜いた。カノンはフィアスを離すと警護隊に向き、落ち着き払って機関短銃を肩に吊り直した。


「出発」


 おぼつかない足取りで草を踏みしめた。

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