第6話 旗

 メイドとカノンは案内された部屋を確認した。農家の老夫妻の寝室で、装飾品といえるような物は何もない。メイドは腹部の違和感を思い出し舌を出した。


「いけない、ピストル入れたままだった」

「そんな物騒な物、もう要らないわ。よかったわね、王国に好意的な方たちで」

「はい!またエプロンを着れそうです」


 ホルスターをトランクにしまうメイドは早速エプロンドレスを取り出していた。彼女はエプロンの紐をきゅっと結ぶと手を上げた。


「私、台所を借りて参りますわ。エルタさん、あとはお願いします」

「ええ、わかりました」


 メイドが出て行き、部屋には二人だけ残された。ベッドの端には旗竿が掛けられており、窓から飛び出た先には王国旗が。ガラス越しの王国旗を見つめるカノンはいてもたってもいられない嬉しさ、自身の身体を抱きしめ震えるとフィアスに飛びついた。彼女の中に、あまりにもポジティブすぎる空想が膨らんで収まらない。


「フィス様!はた、王国の旗です!」

「ええ、美しいわ」

「王国旗のお側にいると、ますます王室の方々に護られてるって感じがします」

「護ってくれてるのはカノンたちよ。感謝に耐えないわ」

「いえいえ!フィス様たちがいらっしゃるから、私たちの存在意義があるんです!」

「でも、まだ気は抜けないわね。道のりは長いわ」

「それより、もう首都に戻ってもいいんじゃないでしょうか?こうした地方の王国派の臣民を集めればかなりの数になるはずです。そして軍隊を組織して、王都を奪還するのです!」

「まだ王国派の人々はここの夫妻だけよ。それは危険かもしれないわ」

「でも、もしまた王宮に帰ることができれば、ベルジュなぞへ行って嫌な思いしなくても!」

「権力が王家に帰しても、改革がなければまた動乱が起きるわ。王家内での改革はできそうにないし。それにこのままベルジュへ行く方がみんな無事に生きられると思うの」

「そんな!私たちはフィス様に命を捧げているんです、危険なんて!」

「カノン、私はあなたを愛しているのよ」


 少しだけ、慈愛の瞳に厳しい光が宿る。二人味方を見つけただけで舞い上がる、カノンはたしなめられ黙った。自身に仕える人々の身を案じる心の優しさとカノンへの愛情が厳しい眼差しとなって現れるのは、彼女自身が一番よく解っていた。


「キス、して」


 そっと耳打ちする。カノンは急に落ち着いてしまった心を唇に宿し、フィアスに被さった。


『エルタ少尉、ここだと聞いたがいるか?』


 扉のノックとジータの声が重なった。カノンは慌てて身体を起こし、乱れかけた服を直した。惚けたようにカノンを見つめるフィアスに毛布を被せ深呼吸して扉を開けた。


「急に失礼でしょう。ここはフィス様の御寝所」

「農夫のだろ。王女サマは寝たのか?」

「いまおやすみになられた」

「あっそ。あれ、お前口紅なんか引いてたっけ」


 はっとして唇に手を当てる。今は化粧すらしない警護隊、別に化粧しなくとも皆美しい少女たちなのだが、フィアスの口紅がキスで付いたことは明白だった。


「ひ、久しぶりに安全地帯に来れたから!フィス様にご無礼ないように」

「ふーん、呑気だな。斥候を出したい。俺の隊から三人出すが、そちらからも誰か出して欲しい。ここら辺の地理に明るいやつを」

「わかったわ。ここの隣村出身の子がいるから、その者に行かせます」

「頼む。あと、警護隊にベルジュ軍兵器の取扱を説明したい。斥候には会敵に備えて機関短銃を持たせたいからな。では」


 いい加減な敬礼をしてジータは部下の所へ戻った。カノンは溜息吐くとフィアスの方へ振り向いた。彼女は寝たふりをして閉じていた目をぱちりと開けた。


「フィス様、私行かなきゃです」

「おあずけね」

「ごめんなさい」

「ううん、行ってきて。斥候って何かしら」

「偵察隊のことです」

「そう。それに出る方たちに、くれぐれも気をつけるようにって」

「はい。むしろ、一緒に行く男どもの方が心配です」


 隣村出身という少女を指名し、彼女はジータの機関短銃と小銃を交換した。取扱自体は簡単で、発砲はボルトのレバーを引いて引鉄を握る、安全措置はレバーを機関部上の切り欠きに掛けること、弾倉交換はボタンを押して弾倉を外すこと。少女は弾の抜いた銃を何度も操作して真剣な表情だった。


「ストックは展開したままでいいな。行ってきなさい」

「は、はい」

「行こうぜ嬢ちゃん」

「嬢ちゃんじゃありません、近衛上等兵トウコ・ノルシュテインです!」

「はは、悪かったな。一等兵の俺より上官だ」


 男三人の笑い声とトウコの抗議の声が稜線の先に消えていった。カノンは隣でジェスタ軍小銃をいじくるジータに冷たい目を向けた。


「大丈夫でしょうね、あの者たちは変な気を起こさないでしょうね」

「大丈夫だろ、あんなちっこい小娘を。あ、あの中に強姦未遂でぶち込まれたやつがいた」

「なんですって⁉︎」

「狙ったのは年増だよ。返り討ちにあって全治三ヶ月だった」

「まったく、あなたの隊ときたら・・・」

「重いテッポーだなあ。こんなの担いで、可哀想な嬢ちゃんたちだ」


 呆れたカノンは屋内に戻った。フィアスの部屋に戻ろうとすると、鍋を持ったメイドが右往左往している。


「どうしたのです?フィス様のお食事なら、早く持っていかないと冷めたらたいへん」

「殿下は、ここを借してくださったご夫妻に食事がお済みであるかどうか聞いて、まだであれば先にお出しするようにって。でもどこにもいないんです」

「いない?外にもいなかった」

「畑の様子でも見に行かれたのかしら」

「外の兵隊に聞いてきます」


 再び屋外に出て夫妻の不在をジータに告げた。彼は顔色を変え持っていた五連繋ぎの弾薬クリップを小銃に詰め装填した。


「誰か、ここの持ち主を見なかったか!ジジババだ」

「さっき畑の様子見に行くって言ってましたよ」

「畑?見える限りにはいないぞ」

「ほんとだ」

「ほんとだじゃねえよ、探してこい!」


 煙草の火を消す下士官を銃床で軽く叩いた。分隊長の彼は部下を集めると方々に四散して畦道を駆けた。


「どうしたの一体」


 ただならぬ様子のジータは、なぜ色をなして部下を急き立てるのかわからないといった風のカノンに苛立った。彼は通信兵を呼び斥候を呼び出した。


「王女様を起こしてこい。杞憂ならいいが、あの農夫が敵に通じていたらどうする。おい、連絡つかないか」

「ウンともスンとも」

「小隊長殿!農夫はどこにも見当たりません!」

「決まりだ。全員聞けえ!直ちに撤収準備、完了次第一分隊は稜線に展開、二分隊は斥候の救援に向かえ、三、四分隊は稜線手前左右の畑に展開、その後ろに警護隊の配置を。エルタ少尉!」

「は、はい!」

「王女様を頼んだ!」

「でもあの旗が!」

「囮だよやっぱり!裏切られたんだ!」


 カノンは一瞬蒼ざめ、次に怒りが込み上げた。フィアスの部屋に戻ると挨拶なしに入室し、窓の旗竿をサーベルで斬り払った。旗は地面に落ち残った旗竿を何度も斬りつけた。


「こんな!こんなことって!」

「どうしたのカノン。外も騒がしいようだけど」

「フィス様、私たち裏切られたんです、あの夫妻は敵に通じてたんです、親愛なる王女殿下って、そう言ったのに!」


 メイドが持ち物を詰める横で、カノンはフィアスの肩で泣いた。数人の足音が廊下を駆けて来た。


「隊長!斥候が戻りました!」

「ノルシュテインは⁉︎」

「怪我してます!特務隊は二名戦死!」

「フィス様、戦闘になります。ですが我々が必ずお護ります」

「カノン」

「行きましょう、急いで!」


 カノンは革製ヘルメット型制帽のライナーを首に掛けフィアスの手を引いた。警護隊はジータの言う通り特務隊の後方に伏せていた。フィアスとメイドを連れ彼女らの中に走るとトウコが左腕に包帯巻かれている最中だった。彼女は錯乱寸前だった。


「私が!私が悪いんです!一番初めに敵を見つけたのに、動けなくって、撃てなくて、だから特務隊の兵隊さんが死んじゃって!」

「落ち着け、私たちの誰も戦闘を経験してない。急に人に銃を向けて撃つことなんてできない」

「その敵、隣村のお兄ちゃんだったんです、見逃してくれるかもと思った。でも撃たれた!」

「ノルシュテイン!」

「あの人たち死んじゃったんです!私が死ねばよかった!」

「警護隊うるさいぞ!そんなに寄るな、散開しろ。それからエルタ少尉殿、小隊長殿の所へ」


 カノンは部下にトウコとフィアスを任せ散開を命じた。フィアスも表情には出さないが、動揺しているのかカノンの手をきつく握ったままで、一本一本指を解かなければならないのが辛かった。

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