百合園の硝煙

森戸喜七

百合園の硝煙

第1話 吸殻

 どこかの世界に、革命を迫られている国がある。革命は王土を呑み込み、封建的な王制を打倒せんと人民は王宮に迫った。

王宮には王女がいた。まだあまりにも若すぎて、革命の原因となった諸々の悪政については何ら関与するところではない。むしろ王女は、王女を産むと同時に若くして亡くなった后妃に代わり周囲から愛情を注がれ美しく育ち、王宮のアイドルとして王室の広告塔的存在ですらあった。そんな王女でも、革命軍の手に渡れば只では済むまい。王は後宮警護隊に命令を下した。


「王女を連れ、隣国へ脱出せよ」


 命令を受けたのは、王宮警備隊の、それも王女の側近として活動する後宮警護隊長の少女。よわい16にして武道、兵道に通じ、少年のように髪を刈った彼女は、動揺せずこの命令を受領した。


「はい、命に代えてでも王女殿下をお守りいたします」


 これもお定まりの言葉とはいえ本人としては相当覚悟の要った発言。彼女はボーイッシュな声で受け答えをし、最後の挨拶を済ませると王女の許へと急ぐ。もちろんその前に、自らが指揮する後宮警護隊に王女脱出護衛の命令を下すのを忘れない。

 王女は従えているメイドとともに旅支度をしていた。端麗な顔立に健康的肉体セクシーな彼女も御年16歳。幼き頃から警護隊長の護衛を受け、幼馴染の二人は姉妹のようだと評判。当然のごとく二人の心は通い合っている。


「フィスさま、ついにその時が参りました。姫は王宮を脱出し隣国へと亡命していただきます」


 王女の本名、その名をフィアス・ネル・ゾルギアという。フィスというのは彼女の幼名で、よほど懇意にしている者しかこの呼び名は使えない。二人の関係の深さが伺える。


「ええ、覚悟はできているわ。わたしはお父様に最期のごあいさつを」

「お急ぎください、すぐに出発です」


 少女が今来た道をフィアスとメイドが足早に去っていった。近くなりつつある銃砲声に紛れてもなお平時の如く高鳴るハイヒールのかかとに変に安心し、その踏音が消えるとポケットから飴玉を出してしゃぶる。先程まで居た婦人部隊の名残なのか最高級の赤絨毯に煙草の吸殻目立ち、ふと虚しくなった。良くいえば男勝り、悪くいえば野蛮な王宮警護隊戦闘班は婦人部隊といえども普段後宮には上がれず、その制約すら廃すほど内部へと追い詰められているのか。だがこの汚らしい吸殻も吸口上に王宮御用達の印、馬と獅子の金色模様が印刷されているだけマシと思える。近づく蛮声からして間もなくこの吸殻も、革命軍のへちゃげた安煙草の群に代わるはずだった。


「終わりました。カノン」


 少女は自分の名を呼ばれ我に返った。すっかり旅装束のフィアス、地味な色のジャケットにロングスカート、若干踵の高い編上靴ブーツも凛々しく、華奢な手には大きすぎるトランクを提げていた。同じような恰好のメイドはリュックとトランクにこれまた巨大なクラブバッグ。確かこれはテニスを得意とするフィアスがスポーツに愛用していた物だった。今は逃避行必需品が詰まっているはず。

 カノンはこくりと一つ頷くと足元の絨毯引っぺがし、吸殻が臭く舞った。絨毯の下、石畳に耳を近づけ丹念にノックしていく。そして密度高い石の音を聞くこと7回目、わずかに軽い音がし、カノンはその石の繋ぎ目にそっと複数の穴の開いたブリキ板を挿し込んだ。すると機械仕掛けに数個の石板が沈みちょうど人ひとり通れる通路が現れた。これが城外に通じ、国境海岸線へ通じる森林地帯に出れるようになっていた。あとは隣国の特殊部隊が救出に来る手筈。警護隊女性兵士数人がトンネルに先行し懐中電灯で安全確認の信号を出した。

 これから野戦に投じようとしている身には到底似合わない、しかし王宮の守護神としての象徴シンボルその輝きを誇り、純白の礼装用革手袋もう一度手に引き締める。落ち着き払い微動だにしないフィアスの前にはっきりと手を突き出した。


「参りましょう、フィスさま」


 フィアスはしばし瞑目すると眉をきりりと上げカノンの手を取った。一度だけ振り返るとその目線の先頭上のシャンデリアいくつかのガラス玉砕け霧を放つよう。霞むその中にここで過ごした16年の記憶まざまざと、今となっては取り戻せぬ。


「行きましょう、カノン」


 保革油で輝く飴色の編上靴の踵石畳に高く木霊させ、逃避行が始まる。カノン以下警護隊十二名、メイド三名、そしてフィアス。いずれもすべて可憐な乙女。

 警護隊の殿しんがりが辺りを確認してから例のブリキ板今度はトンネル側面の隙間に挿し込むと石畳は元通りに戻った。あとには吸殻に汚れた絨毯が残り、鳥のさえずりのような砲声一つ、数十秒後宮殿の天井に重榴弾砲弾が命中した。その衝撃でシャンデリアが落ち、フィアスの思い出の欠片は粉々に散った。


 

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