氷が溶けて エピローグ

「・・・というわけで、結婚することに」


 ミツキが語り終えると二つの拍手が起きた。手を叩くのは懐かしい顔、フィアス・ネル・ゾルギアとカノン・エルタがベッドに座りくっついている。二人ともクラムシル学園高等科の冬制服を纏い、二年生の徽章が襟に赤い。何も変わらないが、髪だけは互いに短く、長くなって同じく肩に垂れていた。もう一人、臙脂えんじのネクタイ緩く締め、ワイシャツの上に黒セーター男が窓際に座り、かつてミツキにビンタ張った彼はニヤリと鼻の下に指を当てた。投げキッスするのではなく煙草を欲しがる仕草、ジータ・タミヤの襟にも学校職員章が霞んでいる。

 面会は寮の居室、女子寮であるため本来家族以外の男は寮での面会は認められていないが、学校職員のジータが立ち会うことで許可された。ミツキが、カノンとフィアスがどんな生活をしているか知りたがったということもあった。


「素敵ねシロタさん!カノン、クッキー取ってくれる?」

「はぁい、フィスさまぁ。ほんと、スクナー軍曹はどこかスレた感じしてたけど、もう優しいお母さんなんだ」


 ベッドの二人は、フィアスの後ろから抱きつくようにカノンがべったりと、回した腕からクッキーを取って恋人の口許に運んだ。その様子はどこからどう見てもカップルで、フィアスの噛んだクッキーを半分カノンは口に放り込んだ。なるほど、エミルが謝りたかったのは、このことなのかと。


「妻が謝ってました。お二人の仲にケチつけるようなこと言ってしまったって」

「私からも謝っておいて。確かに私は怒るべきことで怒ったけど、やりすぎだったって」

「はい」

「シロタさん、俺もビンタ張ったことを謝るよ。元将校で他の兵隊の前で面罵してしまった」

「いやあ、あんたに謝ってもらっちゃ困る。俺は将校だったけどあの時降格一等兵だったし、それに軍紀に反していた。軍隊だし殴られたのは当然だった」

「いや・・・俺も人にそんなこと言える立場じゃなくなりかけたから」

「ジータさん!」


 ジータの言葉に二人が口を尖らせた。ほんのり赤くなる頬、特にフィアスが顕著なのは、それっぽいことをジータとやりかけたのかもしれない。当時ならミツキは許せなかっただろうが、今となっては、こちらから笑ってごまかした。焦るジータがなだめると、フィアスは黙ってミツキを見た。


「エミルさん、こっちへ来れなかったのね」

「まだパスポートが認められかったんです。他の国民、まあ外国へ行けるような金と身分のある人はあまりいませんが、あの戦争で当初より革命政府側に付くか帰順していなかった限り、渡航は制限されてるみたいです」

「そうなの。私たちを狙うズーラン派が敗北した今、期限付きでもいいから渡れないかって政府と相談したのだけれど、時期尚早というのとやっぱり向こうから拒否されたわ。亡命しておいて勝手かもしれないけど、母国から拒絶されるのは寂しくて」

「今に渡れるようになりますよ。現に、亡命の手助けをした私でも難なく渡航できて、向こうでの市民権も得ました。会社がジェスタへの経済援助をお題目に進出したというのもありますけど」

「早いといいな。こちらで住むとは決めたけど、一度は帰ってみたい。私もフィス様も、お父様がどうなったのか知りたいし・・・」


 ミツキはふと思い出すあの雨衣、肩章の跡の白さと、男の黒ずんだ指を、記憶の片隅に浮かべて、しかし写真で見た廃位された王とは一致しなかった。

 王と、王宮の御膝下を護る第一近衛師団長は、何の消息も不明だった。王は王宮に留まっていたから捕縛されたはずで、しかし処刑されたとも釈放されたとも噂は噂に過ぎず、結局情報は乏しかった。新政府からの布告もない。ただ死んだとも言い切れないのは、革命の発端となった将校はかつて王より目をかけられていからだった。だからこそ腐敗する王政府の醜態を間近で目撃しいて挙兵に至ったというけれど、ズーラン派からの攻撃があったとはいえ彼はベルジュ派としてフィアスの亡命を見逃し、王もなんらかの保護を受けたのかもしれぬ。


「あの、フィアスさん」


 ミツキはトンネルであったことを話そうと口を開いたが、開けられたドアから聞こえる元気溌剌な声にかき消された。


「フィーちゃんカノちゃん!部屋にいるって聞いたよ!あれ、お客さん?」


 声の主はフィアスとカノンより若干小柄な、茶のポニーテール少女、テニスラケットのケースを高らかに片手に上げていた。もう一人入ってきて、上衣のボタン全て外し、どことなく不良な雰囲気。大柄で黒い癖っ毛を掻いた。


「ほんとだ。タミヤさんは、玄関に灰皿の缶置きっぱだったから居るのわかったよ。煙草ちょーだい」

「客の前でなんだ。それに煙草は大人になるまでやめろと」

「煙草の匂いに釣られて女子寮にやってきて、とっ捕まったの誰だっけ」

「去年の春のことだろうが。そんな昔な」

「二人とも紹介するわ、こちら、私たちが脱出でお世話になった、ミツキ・シロタさん」

「そうなんだ!あくしゅ!」


 友人らしい二人の、ポニーテールが手を差し出した。握る小さな手は少し汗ばみ砂利が混じるようで、いかにも元気なテニス部だった。自己紹介は不良娘からだった。


「あたしはチコ・コメダ。でんちゃんとカノンの悪友」

「悪友とはこれまた。でんちゃん?」

「殿下だったから、でんちゃん」

「カナタは、ううん、私はカナタ・ナカダイ!二人とは一番初めに友達になったんだ!」

「よろしく。お二人とも、いい友達ができたみたいで」

「でしょ、毎日が楽しいわ」

「でもチコ、フィス様のでんちゃん呼びはどうにかならないの?」

「いーじゃん、でんちゃんってかわいいし」

「いいのよカノン、フィーちゃんって呼ばれるのも、でんちゃんって呼ばれるのも、あだ名で呼ばれるのは初めてだし嬉しいわ。気に入ってる」

「カノちゃん嫉妬してるんだ」

「もう!でもフィス様って呼ぶのは私だけ、私だけのもの」


 結局、トンネルの男のことは言いそびれた。しかし楽しげなこの会話に忘れてしまって、次の流れに思わず吹き出す。


「フィ・ス・さ・ま」

「フィスちゃん!」

「じゃ俺も。フィス様」

「タミヤ職員!」


 枕元にあった子犬のぬいぐるみが、ジータにだけ投げつけられた。オーバーリアクションに椅子から落ちる彼にミツキは大口開けて笑った。


「いてえ、なんで俺だけ」

「チコとカナタはいいけど、あんたはなんか腹立つ」

「ひでえ」

「いいな、楽しそうで。部活とかも?」

「私は剣道部、フィス様はジャズバンド部、ピアノ担当で、とっても素敵な曲弾くんですから!」

「あら、カノンの剣道も大したものだわ。近衛の軍刀術とはまた違うのに、大会にも出て」

「今度も大会見に行くね!フィーちゃんの発表会も!」

「でんちゃんのピアノ、痺れちゃうな。口説いちゃおうかな?」

「チコ、竹刀を持つ私がいつでも見張ってること忘れないでよね」

「おおこわ。タミヤさん、いい加減煙草ちょうだいよ」

「しょうのねえやつらだ。外に飯行こうや。シロタさんも、おごるからどう?」

「では、ご一緒して」

「あっ!私たちも!」

「甘えんな小娘」


 ミツキは、幸福な彼女たちが羨ましく、嬉しく、一行に連れ添った。結局全員分定食を奢らされるジータもおかしくて笑いは止まらなかった。


 雪が降っている。ジェスタには降らなかった雪が。雪の思い出を肩に乗せて、ミツキもまた自らの幸福が待つ家へと帰った。

 お土産を両腕に抱えて自宅の玄関に立つと、ノックする前に扉は開いた。エミルがリノを抱いて立っている。中からは夕食の香りが漂い、義父母の笑い声が。エミルは顔を少し前に出して、満面の笑みが視界一杯に広がる。


「おかえりなさい、あなた」


 キスの音が、凍土すっかり溶けた地面に染み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百合園の硝煙 森戸喜七 @omega230

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ