百合園の硝煙・氷が溶けて

氷が溶けて 第1話

 ジェスタでの短い内戦が終わった。内戦前の革命戦争を含めれば戦争自体もう少し長いのだが、ベルジュ派、ズーラン派の対立による内戦は、王女亡命によって王家が滅んでから一年経つか経たないかの内に終局を迎えた。

 ジェスタは南方ほどではないにしろ温暖な地域で、二月ともなれば外套が不要となる。雪など長年降ったことがない。内戦でえぐられたまま凍る地面は溶け、泥の中に、真新しい革短靴を沈める男がいた。終戦直後に新体制が整わず困窮するジェスタ国民の中に、彼の卸たての背広は奇妙に目立った。


 この男、ミツキ・シロタという。彼がジェスタに訪れたのは二度目だった。


 かつてベルジュ陸軍中尉の肩書を持っていたミツキは、紛争地に派遣されていた際罪を犯し陸海空軍統合軍刑務所に収監された。彼は中尉に戦地特進して祝宴を開き、元来女好きということもあり酔った勢いに任せ部下と共に売春宿に足を踏み入れ、主人を拳銃で脅し全員分の代金を踏み倒そうとした。その時文句を言った娼婦と主人の妻を殴り更なる暴行を企てたが、レスラーの如く大柄な妻に返り討ちに遭って憲兵隊に放り込まれた。逮捕されたミツキは小隊長として全ての責任を負い、結局代金も払って本来なあなあで済まされるところを一等兵に降格され檻の人となった。売春宿は地元住民のみならずベルジュ陸海空軍将兵の多くが利用する。よからぬ噂が立てられては陸軍は舐められるし、住民との関係悪化を考慮し厳罰に処せられた。

 三ヶ月ほどして空軍のタミヤという曹長が現れた。彼は幾人かの囚人に声をかけ、後から思えば、声をかけられたのは皆野戦帰りだった。実戦経験を持つ者をタミヤは探していた。


「どうだ中尉さん、ここから出てみないか」


 応じたのは海軍陸戦隊にいた元二等兵曹とミツキだけ、しかし他に微罪で隊内営倉入りや借金に苦しむ奴、とにかく後ろ暗い連中を大勢集めていたタミヤはそれだけでも満足した。自身も政界進出を企む上官のために汚い金を用意して咎を受けたタミヤがなぜ兵隊を集めていたのか、それはジェスタ王国王女救出作戦のためであった。ミツキは自業自得とはいえ不名誉な責で軍隊を去るよりも、取引によってただの一等兵で除隊することを選んだ。

 こうしてミツキは、空軍機動挺進団という、空挺作戦を含む特殊部隊に、償勤ツグナイの陸軍一等兵として奇怪な編入を果たした。これもまた奇怪というか偶然というか、囚人部隊に同郷のミツマという兵長がいたことは驚く。近所に住む学校の後輩であった彼は現役志願の服役期間終わりがけに、除隊の時伍長になれるから先に買った階級章を付けて外出、写真館で撮影した後階級章を取り替えているところを偶然憲兵に見つかった。誰しもやっていることだったが憲兵が堅物で、階級詐称の罪で起訴されかけたという。それを、同じ部隊のタミヤに拾われた。

 空挺作戦ではなかったものの、舟艇による隠密上陸は士官学校の演習以来で、それも指揮官でなく兵の立場、戸惑った。戦闘全般においても斥候などの任務は久々で、同僚が戦死し、一緒にいた近衛警護士の少女が怪我したこともあった。幾日もの脱出行を経てタミヤを始めミツキもミツマも生き残ったが、救出の特務隊はかなりの死傷者が出た。罪状取消の取引と割が合う任務であったかどうかは正直疑問である。


 ただ一つ、ミツキには気がかりがあった。行きずりで抱いた、近衛警護士の女のことである。

 特務隊が警護隊と合流した時、一番初めに男たちと交流を持った、エミル・スクナーという女がいた。彼女は短い髪の頭を男たちの肩にもたげ、官給マッチを擦り煙草に火を点けてくれた。やたら馴れ馴れしく距離の近いこともあって、多くの男がエミルを気に入った。他の少女たちにはない世間ズレした風も、話しやすい人気の理由だった。ボーイッシュな色気のある彼女に夜這のチャンスを狙ってた者も少なからずいただろう。

 チャンスをモノにしたのはミツキだった。脱出行半ばを境にしてやけに近づいて来るようになり、顔やら胸やらを時折密着させてくるのは、誘っているのかと思った。期待にも似た疑念は正解で、それは目的地が間近になった頃、エミルはミツキの手を引き森林奥深くへと誘った。


「いいのかこんなことして」


 一応聞いてみる。後宮に住まう人間に処女性が求められていることは想像に難くなかったし、男慣れや色気があっても、きっと処女であるとは思っていた。だがエミルは息荒く、外すのももどかしくなった蛇腹服のホックをそのままに唇を求めた。いきなり重ねられる唇は燃え上がるように熱かった。


「いい、いい。バレなきゃ」

「まずいんじゃねえの。王女様を護る純潔の兵士が、処女じゃなくなって」

「私処女じゃないから。ね、早くしよ」

「そういうんなら。俺もご無沙汰だったし」


 深くなるキスを続けながら服を脱がせあい、初めて指でエミルのに触れると、既に溢れていた。

 湿気による銃口の腐食防止や非防水性の装備を水から守るためにも広く使える避妊具コンドームが支給されてはいたが、ミツキは付けなかった。久々のセックス、それに相手が美少女ということもあって夢中になりお互い忘れていた。エミルは、全身が性器になるような燃え上がり方、ミツキもこんな情熱的な相手は初めてだった。

 幼馴染相手に童貞を失った時やかつて何人かいた彼女、プロとしてのテクニックを持つ娼婦との思い出も上書きされるくらい、彼は束の間の恋人に溺れた。一度エミルを絶頂に導き、胸を上下させ大きく開いた口に舌を入れた。


「どうしてどうして、色良い声上げるじゃねえか。後宮の人間とは思えねえぜ」


 エミルはにやりと笑い、湿った目で見つめた。


「はあ、はあ・・・床上手ね、あなた」

「まだ収まんねえ」

「時間はあるし、やれるだけやろうよ」

「もう一発だ」


 いくらでも燃え上がることができた。どんな体位でも不思議なくらい相性が良く、行きずりの女であればそんな深い愛情持たなかったのに、ミツキは少し恋している気分になった。


「俺あんたが好きだぜ」

「私もよ。きっとこの場限りだけど」


 半分冗談半分本気の告白を、エミルは当然のように冗談として受け取った。だがミツキに関しては、なんとなくこの後これからのことも求めたくなった。


「だけどよ、無事脱出できるとなりゃ、あんたと所帯持つのもいい」

「なにそれ、口説いてるの?」

「違いねえ。俺も帰りゃめでたく放免、綺麗な身体になるし、そろそろ30だ。結婚せにゃなんねえ」

「私まだ18」

「ちと歳の差か?」

「ううん。まだ遊び足りないけど、考えとく」


 まだ27であるのに三十路近いとは気が早いかもしれない。結婚を仄めかせるためのこじつけに、自分でもおかしくなった。だけど背に乗っかり肩甲骨を撫でるエミルの仕草は優しく、愛おしさを感じずにはいられなかった。

 時間が経つのは早い。月も高く移動していて、重なる男女の影を縮めていた。別々に二人とも、隊には何かと理由をつけ出かけると言ってある。しかし長く留守にして行方不明を疑われても厄介だった。


「そろそろ戻るか。心配して探しに来るといけねえ」

「そうしようか。またできそうだったらしようよ」

「もちろんさ。キスしてくれ」

「うん」


 乳頭屹立したままのエミルの乳房、手を添えて指を回すと切ない声、また口を吸いあって、再度逢瀬の約束みたいなもの。夫婦が朝、キスをして勤めに出ることに似ていた。

 ただし、ある闖入者によって、このキスは別れの挨拶となった。

 エミルの部下が二人を発見し悲鳴を上げた。無理もない、男と女が絡み合う姿など、性行の意味を教科書で知ってはいても見るのは初めてで、それに男女の愛の関係など不潔なものとして見做していた。悲鳴を上げなければなだめて諭して脅して、口封じの手があろうものだったが、もういけない、特務隊の編上靴と警護隊の長靴の音が、恐ろしげに二人の関係を暴こうと迫っていた。


「馬鹿野郎!」


 タミヤは罵倒一つ高らかに、頬を張った。振り下ろされた厚い手袋越しの掌は相当強く打ったが、本来下級者である曹長から制裁を受けることといやらしく注がれる衆目恥ずかしく、微動だにせず受けた。ビンタの作法として、ある程度身体から力を抜けば衝撃を和らげたが、却って硬直し痛みが甚だしい。その後続けて、警護隊との姦通が禁止されている建前を述べられたが、よく覚えていない。エミルが詰られたことはよく聞こえた。


「このことは不問に付す。さっさと服着て陣地に戻れ。班長も、さっきから黙ってるが、いいな!」


 服を着終わると一度エミルを見た。彼女は、先程向けてくれた熱も全て消え、冷たい目で何かを見ていた。少なくともミツキへの侮蔑はなく、それだけに安心して自分の分隊に戻った。


「こいつう!」


 腫れた頬に今度は緩く、分隊長が笑ってビンタした。ミツキは「はあ」と答えて頬をさすり、他の分隊員から小突かれた。


「畜生、上手いことやりあがったな。後宮さんは、どんな味してた」

「べつに」

「べつにィ?こいつ、今更バツの悪そうな顔して、バカ!」

「あーあ、あのだけならヤれそうだったのになあ、ツバつけちゃって。他はどうだ、貞淑な純潔乙女ときやがらあ」


 ゲラゲラと下卑た笑い、ミツキは拳を震わせて、「こいつら、たかだか兵隊の癖しあがって、こちとら中尉だぞ、空軍の陸戦隊なぞ足も及ばない歩兵本科だぞ」心の中で繰り返すばかり。


 翌朝、エミルは隊を脱走した。軍服と軍刀は置かれ、盗んだメイドの服に拳銃を手挟んで出て行ったらしい。ミツキは自分のせいかと蒼ざめたが、どうも警護隊長のエルタ少尉と、何やら一悶着あったという。


「分隊長殿、エミル・・・スクナー軍曹は、何を言われたのでありましょうか」


 質問された分隊長は、ふん、と鼻で笑い怯えるミツキを面白がる様子。見透かされたミツキは不快だった。


「行きずりの女に、お前相当惚れたようだな。よくは判らんが、エルタ少尉と喧嘩したらしい」

「喧嘩?」

「エルタ少尉は相当後宮の伝統を重んじてたらしいからな。先任軍曹曰く、殺そうとまでしたらしい。気になるか?」

「いえ、べつに気にしちゃいません」

「諦めろよ。国に帰りゃ女なんざいくらでもいるんだから。褒めたかないが、お前は顔はいい」


 殺されるよりは逃げた方がマシだ、そう考えるだけにして、あとは忘れようとした。行きずりの女、それ以上でもない存在、これまで幾らでもそんな女はいた。その中の一人、たったそれだけのこと。


 自分が忘れたつもりであるだけだったことに気づいたのは、本土に帰還した時だった。声の出なくなったフィアス王女を捧銃で出迎え、彼女の訓示をメイドが代読すると政府の公用車へ歩みを進めた。その時警護隊は、自分たちの隊歌を吟じた。歌詞にある十二華とは、紛れもなく後宮警護隊の少女たちの人数、だけど、脱走したエミルと最後の最後で戦死したと思われたエルタが抜け、十華しかない。ミツキはたまらなく悲しくなった。

 蘇った愛情の原因が何であったか、考えても簡単なことしかない。戦地の禁欲状態から爆発した恋であったからエミルを特別に思ってしまうし、また、他の元近衛警護士たちと違って、生きてジェスタに留まっている可能性があるとはいえあまりにも遠い存在になってしまったからだった。簡単なことでもなんでも、知らずと本気の恋愛に昇華したことには変わりない。手が届かなくなった花は思い出の中で更に美しく神々しく、実体を伴わないまま寂しく咲くばかりで、心を締め付けるままにミツキを無気力にさせた。欠けた二華の一つ、エルタだけはタミヤに再度救出され入国したことも、彼に追い討ちをかけた。


 新聞が王女亡命の記事と代わりジェスタ内戦の動向を報せるようになって、次第に圧されるズーラン派、ついにはベルジュ派の勝利を伝えた。秋も終わりがけ、除隊後就いた仕事も続かず実家でゴロゴロしていた。当初は生還と恩赦を喜んだ父母も最近では再就職についてうるさく言うようになってきていて、無気力と圧力を酒で誤魔化す日々。二日酔いで寝ていた昼、母のよそいきの高い声を聞いた。


「あんた!ミツマ君が来てくれたわよ!まあミツマ君、立派になって」


 無精髭のまま胸焼けの喉を押さえて客間に行くと、紳士然としたミツマが、葉巻の灰を灰皿に落としていた。彼はミツキを見つけるとニヤと歯を出して笑い、混じった金歯に苦笑した。


「いい身分じゃねえかミツマ。事業が成功したって噂は聞いたよ」

「シロタさん、髭くらい剃りましょうよ。事業は順調です、元手の金、フィアスさんに感謝しなきゃ」


 ミツマが成金となり得たのは、彼が持ち帰ったウィスキーの瓶に秘密がある。このウィスキーはフィアスが特務隊にくれた物だったが、歩哨下番のミツマは偶然同行したフィアスからとんでもない値打ちであったことを聞かされる。そこで空瓶だけでも価値が付くだろうと、目ざといミツマは瓶の所有権を取り付けフィアスに証文までねだった。最後の戦闘で少し傷がついたが、目論見通りオークションで一財産も二財産も築ける値段をつけられ落札された。この法外な価値には、王女亡命直後の話題性、それにフィアス自体には人気があって世間を賑わせていたことも手伝った。その金で始めたのは資源開発、管理の会社であるという。


「賭けで始めた事業ですがね。我々の苦労の元であるジェスタにおける未開発資源の開発権、ベルジュ派が勝つことを見込んで一枚噛ませてもらいました。ズーラン派が勝てば水の泡でした」

「じゃあミツマ、いよいよジェスタへ乗り出すんだな。おめでとう。それで、なんだって俺の家に来たんだ。出発の挨拶か?」

「それもありますけどね。ちょっとお誘いです」


 ミツマは葉巻を一本出すと吸口を切り落とし、ミツキに勧めた。葉巻を嗜んだことはないが煙草は好きだから、見様見真似で火を点けると一服含んだ。濃すぎる煙が口と喉に、胸焼けを一層酷くさせた。


「葉巻ってこんなもんか、えぐいなあ。お誘いって?」

「ジェスタへ行きませんか。連絡員のポストが一つ余ってます」


 むせて咳をする。千切れる煙が目を覆い、涙が滲んだ。


ジェスタへだって?冗談だろ。


「なんで?お前、たしかミツマだけには話しただろ。女々しいことだけど、あの女のこと思い出したって」

「それがこの自堕落の原因なんしょ。解ります。シロタさんみたいな失恋はしたことないけど」

「解ってんなら誘うなよ」

「生きてるって、思わないんですか?」

「ジェスタにいるかもしれないとは思ったこともあるさ。だけど元近衛兵、革命の原因は王族だろう。生かされてると思うか」

「ベルジュ派は、まだ穏健なんです。というより無関心ですかね。王ですら行方不明のまま、もう復権の力もないと見做して追及してません。まあ、国の再建でそれどころじゃないでしょうけど」

「だからどうした、生きてるって証拠はないだろう」

「ないこともないんですよ、それが」


 ミツマは煙を燻らし、自身が聞いたことを話し始めた。

 既に資源開発の第一陣を送り込んだ同業者との集会でその噂を耳にした。ある調査員が寄った小さな街では、近衛兵の生き残りが生活しているということだった。それも女であり、どうも王宮警護隊戦闘班にある婦人部隊ではないらしい。彼女が住む家は、後宮警護隊員を出したとして有名だった。よく後宮の人間がそのまま生活できているのは調査員も不思議がったが、彼女は王女の下より脱走したから、赦されたという。差別や怨嗟の目はあるにしろ、人としての生活は営んでいるそうだった。


「これ、きっとあの軍曹ですよ。警護隊で行方不明だった二人の内エルタ少尉は帰ってきましたから、もうあの人しかいないはずですし。連絡員とはいえ仕事は簡単です、時間はたっぷりあげますから、すぐ終わる仕事の後探してきたらどうですか?」


 ミツキは目を見開いたまま、未だ長い葉巻を灰皿に擦り潰した。「ああこれ高いのに、もったいない。それに葉巻の作法は、消すときは置いたまま・・・」とミツマのぼやきを背に聞き母を呼んだ。


「母さん背広くれ!」

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