氷が溶けて 第3話

 一家の中で最も痩せていたのは父親だった。病気であるから普段は病床で食事を摂るのだが、娘と関係を持った人物がいるとあって無理に食卓に着いた。彼は痩せすぎていて小さい食卓も幾分か広く見えた。


「わざわざ遠いところをどうも。さっきは挨拶もできませんで」


 咳を一つ交えた。ミツキは食事に招いてくれたことに礼を言うと、皿を並べるエミルを見やった。彼女は、ふん、と顔を背けるとミツキの前に乱暴に皿を置き、憚らず文句を垂れる。


「なんでこの人いるの。泊めるのヤだってば」

「エミル!誰のおかげでこんないいもん食えると思ってんだ!」

「お父さん平気なの?私をキズモノにした男なのに」

「お前のことだ、大方誘ったのはそっちからだろう」

「何その言い草。よっぽど娘のこと信用してないのね」

「すみませんシロタさん。こんな子ですから」

「い、いえ、そんな、ご苦労かけた責任は感じてます」


 出てきた料理はポトフだろうか。キャベツと申し訳程度の肉がスープの中に添えられていて、それでも家人はぱっと顔を輝かせた。エミルも目を丸くして漂う匂いを吸い込み胸を上下させる。


「ほんとにまあ久々のご馳走!」

「なあエミル、シロタさんに礼くらい言いなさい」

「ふ、ふん、私は料理なんかで釣られないんだから」


 味の薄い料理だが食事にやたら時間がかかった。ミツキがどんなに咀嚼を遅くしても早めに終わってしまい、一噛み一噛み頬を綻ばせ味わうエミルの、かつて舌這わせた唇に見入った。

 エミルとの結婚をこの両親が望んでいるのは判っていた。ミツキもそのつもりだし、自分の親のことは、反対してもなんとか言いくるめられる自信があった。だけど当のエミル自身一体どう思ってるのか、嫌われているようであり、ともかく話がしたい。

 母親が本物だと喜んだコーヒーを食後に淹れて、一口すする父親は急に真面目な顔をした。


「さてシロタさん、エミルのことだが」

「はい」

「結婚してくださいますか」


 エミルが再び顔を険しく、横目で自室を見た。まるで早くリノが乳を欲しがってこの場を離れたいという感じで、即答するつもりだったミツキは少し俯いた。


「はい、もちろんです。そうしたい気で、エミルさんを探しました」

「それはよかった。娘のこと好きですか?」

「もちろんです。好きです」

「はっきりと言ってくださる。仕事は、妻から聞きましたが、資源会社の社員だとか。失礼ですが、お給料は如何程」

「私は以前国で野戦勤務の少尉をしていましたが、その時より少し良いです」

「それはそれは。戦時加俸付きの高等官相当なら安心だ、なあ母さん」

「ええ、是非もないですわ。お給料も良くてこんな遠いところまで探しに来てくださって、結婚するわね、エミル?」


 エミルはコーヒーを飲み干すとがちゃんと叩きつけるようにカップを置いた。怒りと呆れの混じった瞳で三人を見て、最後ミツキを睨みつけた。怒鳴りはしなかったが腹の底から絞り出す声はだんだん大きくなった。


「嫌だ、私結婚なんて嫌よ。全部忘れて、やっと一人でリノを育てて行こうと決心したのに。お父さんとお母さんも、この人の給料がいいから、そんなこと言うんでしょ。わかってるんだから。それはいいわ、この家はとても貧乏だから。でも嫌、私は嫌!」

「エミル!そういう話じゃない、こんな時代だからこそ、リノにもお前にも、父と夫が必要だって、そう言ってんだ!」

「なんでもいい、一番大変な時、私たちだけで切り抜けた。それをこの人は共有してない。だのに今更一緒になるだなんてぞっとするわ。そう考えるのは私の勝手かも。だけどこれからも、私は片親としてリノを育てる」


 椅子を鳴らして立ち上がる、カップは振動で倒れた。スカートを翻したエミルは自室に入って乱暴に扉を閉じた。しばし静寂の後、エミルの剣幕に怯え続けるミツキは父親の溜息にも身を震わせた。


「言い方は・・・確かにまずかったな」

「はあ」

「何も金目当てというわけじゃ、そりゃあ・・・」

「はあ」

「シロタさん、あなた、説得してみてくれませんか」

「ええ⁉︎」

「お願いしますよ、私たちじゃどうも・・・恋愛してるあなたなら、もしかしたら心が動くかも」

「でも私の存在があれだけ否定されてしまって、どうなんでしょう」

「まあとにかく、二人だけで話してみてください」


 上げる腰は重かった。対面せねば何も進まないと解ってはいるが、愛した女からああもきつい眼差しを向けられるのも今日一日で幾度もあった。話をするにも開けた場所や何人かいる中ならともかく、二人きりとなると気が引けた。扉の前で深呼吸を繰り返して小さくノックすると、動く気配はあれど返事はなかった。両親の方を見ると開けろ促す。


「開けるぞ、いいか?」


 拒絶はなかった。ゆっくり扉を開けると軋む蝶番の音が耳に痛く、思わず目を瞑った。

 目を開けると卓上のランプの火弱々しく、リノを抱くエミルの陰影濃く姿を映し出した。赤子に優しく押し当てている乳房は、以前目に焼き付けた時よりやや膨らんでいる様子だった。若い性欲旺盛な、むせかえるような香りは今となっては無く、代わってもっと柔らかな温かさが存在していたが、自身が介入し得ない厚い殻となる孤独は残酷にミツキを突き離す。言葉無き拒絶と感じ、またそれ以前に授乳中であったからミツキは慌てて出ようとした。


「悪い、後にする」

「別に。構わないから、ベッドにでも座ったら」


 意外な返答だった。白けた話し方だが思いもよらず招かれて、遠慮がちにベッドに座るとひどく軋む音に唾を飲んだ。あの夜、ベッドがあったわけではない。しかし揺れるベッドは性の象徴、その相手と情交の末に産まれた子が同じ場所にいて、思い出さずにはいられない。


「今日は乳の出がいい気がする。料理のおかげかもね」


 食べたばかりですぐ身体に影響が出るものでもないはずで、思い込みかお世辞のつもりなのだろうけど、乳首を吸うリノは心なしか穏やかに見えた。リノを見るということに関して先程より複雑な感情は起こらなかった。血のつながりのあるという赤子が乳を吸っているということは不思議で、一生懸命な様は可愛らしかった。


「かわいいね」

「当たり前。私の子だから」

「そりゃ、そうだな。エミルはかわいいから」


 打ち解けられたと思って笑顔を見せたのが間違いだった。エミルはピタリとも笑わず伏し目がちな、瞳が冷たく光った。


「説得するように言われたんでしょ。無駄よそんなの」

「しかし、じゃあなんでこの部屋に入れたんだ」

「別にあんたに胸見られることくらいなんとも思わないし。それにリノをよく見せておきたかった」

「なぜ?」

「あなたとこの子、もうお別れ」


 この期に及んでようやく苛立ちを覚えた。おそらく自分自身のことをどれだけ詰られても怒りはしなかっただろうが、リノのことを引き合いに出されて唐突に怒りが浮かんだ。怒鳴る前に一瞬素面に戻り、なぜリノのことで色を成したのか考えて疑問に思った。ともかくリノと別れさせるなどと言われて頭に血が上った。つっかえるような言い方で声は変に上ずった。


「ひでえこと言うな、俺の子でもあるんだぞ」

「だからなに?今更現れたくせに」

「そりゃお前、勝手に消えたからだろ」

「あんなことになって居られるわけないじゃない!一緒に来てくれればよかったのに、タミヤ曹長にビンタ張られて、私を待たずさっさと仲間のとこに戻って、訳も知らないでしょ!」

「なんだ訳って。喧嘩したというのは聞いた」

「その中身。喧嘩の中身!私殺されかけたのよ、隊長に!」

「しかし生きてるじゃねえか。なんで逃げたんだよ!殺されるよりは逃げた方がマシって、たしかにそう思ったけど」

「そこまで思ったなら、なんで後を追ってくれなかったの?あなたにとって不案内な道、それはわかってるけど、少しだけ待ってた。ちょっと探せば見つかるようなところにいたんだよ。なんとなくあなたの軽々しいプロポーズを信じてた。でもだめだった。捜索隊が出たのを知って私は去った。私は捕まって、惨めな思いしてリノを産んだ。あなたのことは忘れて、私だけでリノを育てようって決心した。生まれてくる子に罪はないから」

「だけど、だけど、そんな辛い思いしてたんなら今更なんて言わずに俺を受け入れてくれたっていいじゃねえか、エミルと生きようと、こうして探しに来たんだから!」

「わかんない!わからなくなっちゃった!この一年でミツキを恨みすぎた。私混乱してるの、でも難しい考えをしてる間も無く、必死に生きていかなくちゃいけない!」

「エミル」

「なんで今更来たの?ほんとうに。そんなに私の身体よかった?また抱きたいっていう未練?男ってそんなもの。よくわかってる。追いかけてくる理由、そんなもんなんだから」

「やめろ!」


 怒号にリノが泣き始めた。泣きじゃくるのはエミルも同じで、慟哭が心に痛くミツキはリノを抱いた。包まれる毛布の端を、母の嘆きが聞こえないように耳を覆って、見様見真似で赤子をあやした。一向に泣き止まぬ二人の間、押しつぶされそうなミツキは、すがるようにリノを抱きしめた。できるだけ力を入れずに。まだ口も聞けないような娘に助けを求めるみっともない姿、判っちゃいるけど、この子が繋げてくれるようにと祈りを捧げて、ミツキの瞳が濡れた。

 父の抱擁に落ち着いたのかリノは泣き止んだ。そっと側の揺りかごに置くと、だるそうに身を起こすエミルが中を覗き、泣き腫らした目を擦った。


「なんで落ち着いてるの、リノ?私はあなたのお父さんを突き放したいのに、なんでそんな顔して寝てるの?ねえ、リノ」


 落ち着き取り戻すための習慣で煙草を出したミツキは、そのまま握り潰して床に落とした。自らも顎に溜まった涙を弾き溜息を吐くと、纏まらない思考を一本一本繋げていった。


「エミルの身体と相性が良かったのは認める。だけどそうじゃない。身体への未練なら、こうも苦しむもんか。パン屋に並ぶお前の目を見て、逃げ帰ってしまっただろう。でも追いすがりたくなった」

「もう何も言わないで」

「いや、言う。あの目、相当きつい目。きっと生涯忘れられない。憎悪ばかりで、やっとその理由が理解できた。俺も軍人だったから、平服で投降した、身重な敵兵の女がどんなに危険な状況だったか少しは想像つく。誰もお前に親切にすることはできなかっただろう。溝だ、そこが溝なんだ・・・」

「そうよ、だから私は、あの時あなたがいてくれたらって」

「溝が埋められるとは思わない。だけど一つ、ただ俺にしてやれることがある」

「なに?そんなもの、あるわけないじゃん」

「リノにとっては、おそらく為になると思う」

「どうするの、私が首を縦に振らない限りは・・・」

「今日は帰るよ。こっちにはしばらくいるからまた来る」


 再訪の約束を、エミルは拒絶しなかった。ミツキが立ち上がり退出したというのが突然であったこともある。両親は止めようとしたが、無理な笑顔を作って、帽子を深く被り直すと寒空の下足早に闇へ消えた。

 最寄りの事業所へと向かう途中、時間を確かめようと腕時計を見た。当然物交で消えた腕時計があるはずもなくはっとしたが、バンドの薄い跡の名残を撫でて、贈呈してくれたミツマに感謝した。埋め得ぬ溝を少しでも浅くするためできること、たとえエミルが溝の修復と思ってくれなくとも、少なくともリノの成長には役立つはずだった。


 ミツキは一週間ごとにスクナー家を訪れた。訪れてもある物を渡すだけで、勧められてもくつろいではいかなかった。彼の持ってくる物は無期限配給券と貴金属類、貴金属類はそのまま贈り物とするのではなく、闇で栄養のつく物と交換するようにと含みが持たせてあった。不安定な新生ジェスタが発行する通貨はインフレ激しく信用性がなく、ベルジュ通貨の方が商人には喜ばれるほどだった。しかしベルジュ通貨もより公的な場所でしか使えないから、結局こうした地方で高価な取引ができるのは貴金属類となる。ミツマに頼み込んで前借りした給料で、宝石やら金時計を買っていた。社食の最下等メニューすら昼は抜き、ごく短期間で痩せていくのは誰の目にも明らかで、ミツマが飯代くらい払うというものの、その分の金もスクナー家支援に回した。

 ミツキにとって幸いであったのは、スクナー家が貧困家庭にはしばしば見られる、急に裕福になった時浪費したりつけ上がったりする癖がないことだった。金の使い方は心得ていて、家に行くたびに室内がより明るくなっていたりドアの隙間から漏れる暖気にミツキは安堵した。父親も幾分肉が付きもうベッドから出ていた。


「シロタさん悪いです。娘と結婚してくれたわけでもないのに、いつもこんなにいただいて」

「もう十分、豊かに生活していけるだけはいただけました。何も恩返しできませんのに、すまんことです。それにシロタさん、あんた、前より痩せて顔色悪いみたいですし・・・」

「十分っても、これからリノちゃんが育っていくこともありますし。それに、私は至って健康です」

「しかし」

「エミルさんは元気にしてますか」

「はい。乳の出も随分良くて、リノもこの通りに」


 母親が抱くリノの、血色豊かな顔色にミツキは相好崩す。もちもちの頬をちょっとつついて、目を細めた。


「また来るからな。いい子にして待ってろよ」


 エミルはいつもこの来訪には顔を出さず、半開きの扉からそっと彼の姿を見るだけだった。リノは両親が連れて見せに行ってしまうから一人だけで、掻き乱される心に耐えていた。

 ミツキの愛情が、あまりにも誠意に満ち過ぎている。更に気を遣ってか、決してエミルとの面会も望まなかった。拒絶の決心を無理やり保とうとするも、日に日に付く体力とリノが満腹になるだけの乳が濡れて、段々と押し切られるように、リノが健やかになっていくことに比例して、ミツキへの恨みは薄れていく。現在顔を合わせられないというのは、かつてした罵倒への負い目も含まれることを認めざるを得ない。物的な支援は、貧しいこの国で生きていくため、二人の間で至上の愛情を意味していた。重い愛の受け入れる杯を探して、エミルは困惑した。


 次に物資が来た時は、いつもの曜日より三日遅れていた。呼鈴が鳴って、この頃の来訪者といえばミツキだけだから、母親はそのつもりで扉を開いた。

 目の前に立っているのは知らない男だった。ミツキとは違う背広姿で、しかし携える革鞄だけは、いつも貴金属類と配給券を入れていた物と同じだった。腕にはベルジュ製の時計が時間を刻む。


「スクナーさんのお宅ですか」

「はい、そうですが」

「じゃあここなんですね。いつもの、と言えばわかると言われましたが」


 渡された鞄を開くと、ダイヤの付いた指輪にプラチナのネックレス、カメラのレンズと思しき物、薫製肉配給券が閑散としていた。間違いなくミツキの贈り物。男は両親の肩越しに屋内の隅々を見回し、「ははあ、ここか」ひねくれたように笑う。件の鞄をなぜこの男が持ってきたのか両親は訝しがった。


「あの、シロタさんは」

「ああ、申し遅れました。シロタの上司でミツマといいます。彼の代理で参りました」

「シロタさんお忙しいんですか?」

「あの人ちょっと倒れましてね。入院してるんです」

「え⁉︎」

「エミルって人いますか」

「あの、娘は奥の部屋に。しかしシロタさんが倒れたって」

「また詳しく話しますよ。ちょっと娘さんと話させてください」


 ミツマはズカズカと屋内に入り込むと見回して、奥の部屋からエミルが覗いているのを発見した。彼女は慌てて隠れたが見逃さず、勢いよく閉じられる扉に足を突っ込んだ。


「覚えてるだろ?ミツマ兵長だ」


 この日はちょうど授乳していた時にミツマが訪れたため、リノは部屋にいた。エミルは急いで揺りかごに置くとシャツの胸元を手で掴んだ。ミツマの視線は冷たく、部屋に入ると勝手に椅子に座った。


「覚えてる、いかにも弱そうな兵長さんだった」

「ご挨拶だな。それがシロタさんとスクナーの子か?」

「そうよ」

「ふん、美男と美少女だ、綺麗な顔してやがら」

「それで、なによ。いつもはミツキが来るはずなのに」

「名字でなく名前で彼のことを呼んでたのか?知らなかった」


 言葉に詰まる。特に身構えずふと口をつい出た名前は、シロタでなくミツキ。急に染まる頬を自覚した。


「さっきの話聞こえなかったか?」

「うん」

「シロタさん倒れたんだよ」


 赤みが差した頬は突如蒼ざめた。そういえば、両親からはミツキの顔色が悪くなって痩せたと聞いた。いや、だからこそその献身がエミルの心境の変化の一因でもあったのだが、倒れたともなると話は違う。過労に違いなかった。


「過労?」

「わかってんじゃん」

「それで、症状はどうなの、重いの?」

「まあ大したことはないだろう。入院して療養を受けさせてる。ただ、すぐに前みたいな生活を再開できるわけはないし、俺はそうしてほしくない。あんなにドケチになった理由がようやくわかった」

「ご飯抜いてたの」

「一日一食の日もあったさ。見かねて飯代にいくらかの金を渡しておいたが、それにすら手をつけなかったようだ。酒はもとより、煙草も人からもらう以外はやめてたね。あのヘビースモーカーが」


 ミツマは手帖を出して一枚破り、ペンと一緒に机に置いた。また、財布から紙幣を出して同じく並べる。彼のエミルを見る目は厳しく、不快な鼓動が胸打った。


「俺は一応上司だから、給料前借りを申し出た時事情は聞いた。結婚を渋ってるんだってね」

「それは・・・」

「わからんでもないさ。苦境の共有は、パートナーにとって重要なことだ。青臭いようだけど絆ってやつかな。絆が危機によって強固になることはあまり好きじゃないけど。苦境でなくともその後に幸福になっていくことでも繋がりは強くなると思ってるから。それはまあ人によるから仕方ない。だけどシロタさんは、十分自らを犠牲にして、君たちとの溝を埋めようとしたんじゃないかな。ああでも、自己犠牲も、俺はあまり好きじゃない」


 図星を突かれたこととこれまでの不安定に揺れ動く心、そんなこと解ってると、吠えようとして大きく口を開けたが、声が出なかった。出すと泣いてしまいそうで、堪えて顔を伏せた。


「だからな、踏ん切りだ。もう決めてくれ。きっとまだ考えたいだろうけど、シロタさんを殺さないようにするためだ。結婚して、自らの幸福をシロタさんに意識させて共に生活するか、一切の関係を絶って、君が考えていたように、彼を忘れて生きていくか。復興途上だがそのうちこの国も安定する。どちらともでも、きっと子どもは育てていけるだろうよ」

「自らの幸福の意識って?それが彼を殺さない、何のためになるの」

「あの人は親が過労で倒れたこともあるんだよ。自らの幸福、家族が健やかであることは、自身が健康で幸せであるべきだということを肌で知ってる。そのくせ収監されるようなバカもしたけどね。別に脅してるんじゃない、今言ったが、彼を救う条件は、君が幸いであることだ。したいようにしてくれれば、どの道彼は納得する」


 ミツマは机の上に置いた物を両手に取りエミルに差し出した。ペンと紙は、おそらく絶縁状の記述を求めるもの、紙幣は病院への旅費に違いなかった。

 逃げられない現実と対決する時がきた。何を取るのか、どうすれば自分とリノが、またミツキが幸たり得るのか。全てを飲み込んでしまって、中から最善の道をと。まだ若い、生きていくのには長い道がある。決心しなければならない。

 深呼吸して、ミツマの片方の手を握った。彼はニヤリ笑うとエミルの手に自分の手を重ねた。


「よろしい。これで助かるだろうさ」


 

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