殴打

 ばきいっ!


 レンのパンチは権藤の左頰にクリーンヒットし、権藤はすっとんで地面を二回転転がり、木の根元に激しく衝突して止まった。


 二人とも既に変身を解いていて、ヘンドラバーグからの迎えを待つ、街から少し離れた小高い丘の上である。


「いい加減にしろよなッ‼︎」


「…………」


 なぜ一人で勝手に行動するのか、とのレンの問いに、権藤が答えなかったことが、ついにレンの堪忍袋の緒を切った。

 権藤は殴られてもなお黙ったまま、ただ地面に血の混じったつばを吐いた。


「レン。権藤は怪我人です。あまり乱暴は……」

「振る舞いが乱暴なのはこいつだぜカヤタ。こいつが勝手しなけりゃ俺たちがまんまと敵の策にのせられて分断されることも、こいつを助けるためにボロボロヘトヘトの俺とカヤタが敵地のど真ん中に出張ることもなかったんだ!」


「助けてくれと頼んだ覚えはない」

「んだとテメ死にてえのか⁉︎ 俺たちが間に合ってなけりゃ、お前今頃改造人間の肩書きにサヨナラして五体バラバラの解体人間だぜ‼︎」


 上体だけを起こした権藤に更に食って掛かろうとしたレンの前に包帯だらけのカヤタが立ち塞がって止めた。


「死にたいんですよね? レンの言う通り。違いますか? 権藤」

「…………」


 レンは意味が分からず、カヤタにその意味をただす。


「死にたい? 権藤は自殺のために勝手な無茶ばかりしてるってのか?」

「ある意味合っていますが、また別の意味では間違っています」

「あーもうっ、俺は頭は悪いんだ! もっとズバッと分かりやすく言ってくれ!」

「彼は……権藤は戦いの中で死にたいんです。一人でも多くの悪人を倒して。その寿命が尽きる前に」


「なんだよそれ……」


 レンはまだ意味が分からなかったが、もう権藤を殴る蹴るしようと言う気持ちは失せていた。レンが落ち着きを取り戻したのを確認したカヤタは、倒れたままの権藤に歩み寄り屈み込み助け起すと、彼を後ろの木にもたれ掛けさせ、座らせた。


「改造人間として戦い続けたあなたの身体は限界に近づいている。自分の命はそう長くない。そう悟ったあなたは焦っている。悪を倒すことに。そして恐れている。仲間との戦いの中で突然自分が戦力外になることで、仲間の危機の原因になるのを。そうですね? 権藤」


「戦闘サイボーグの寿命は短い」


 権藤が自分に言い聞かせるように重い口を開いた。


「製造元の組織を抜け、メンテナンスも受けず、激しい戦いを続ければ尚更だ。何もしなくても俺はあと数年か、早ければ一年経たないうちに死ぬ。その正確な時期は自分でも分からん。チームで動く戦いの最中に突然倒れればチーム全体が危険だ。それに」


 権藤は言葉を切って、何か考え込むような素振りを見せた。


「それに、なんだよ?」


 レンが先を促す。


「俺はいつだって、一人で戦って来た」

「嘘だね」


 怒ったようにそう言い切ったのはレンだった。


「俺は知ってるぜ。確かに、あんた一人で敵と相対することは多かったろうさ。でもあんたは一人じゃなかった。立原モータースの親っさん。FBIの関和也。戦いのその場にいなかったとしても、あんたを理解しあんたを支える仲間はいたはずだ。それに戦闘にしたって二号ビオダーを始めとする他のビオダーと協力して戦ったこともあっただろ。今日の俺と、あんたみたいに」


「…………」


「俺は謝らないぜ。この世界に三人で来ちまった以上、協力し合うのは当たり前だ。悲劇に浸って事情を隠して迷惑を掛けたあんたは殴られても仕方ねえ。こっちも命張ってんだからな」


「レン……気持ちは分かりますがそんな言い方は……」

 レンはカヤタの忠告を無視して続ける。

「だが俺も軽率だった。思えば俺の周りにはいつもチームの仲間がいたし、大して相談しなくても互いの能力や事情を踏まえて行動するのが当たり前だったから、それをそのまま権藤とカヤタに勝手に求めてるところがあった。思うに俺たちにはコミュニケーションが足りてなかったんだ。圧倒的に。だからな、権藤」


 レンは木にもたれ掛けかる権藤のそばにしゃがみ込んだ。


「俺を殴れ」


 権藤は驚いた表情でレンを見た。


「俺は間違ってない。謝るようなことはしていない。だから謝らない。だが権藤に対して、俺たち三人……いや、ファムナやエレン、トゥーメやグリストを含めた魔王討伐隊のチームに対して殴られても仕方ないようなことをした。だから権藤、おまえ俺を殴れ」


「お前は馬鹿だな……赤羽レン」

「あァ⁉︎」

「だが、嫌いじゃない。また今度殴らせろ。今日は足が痛くてお前を思い切り殴れん」

「いいぜいつでも来い。だが今度大事な話を俺たちに相談しなかったら俺はあんたをブラスターで撃つからな? やると言ったら俺はやるぞ」

「……憶えておこう」

「大体俺たちを当てにしなさ過ぎなんだよあんたは。戦いの途中で、仲間が、自分が、倒れるかも知れない。そんなことはいつでも織り込み済みだろうが。ヒーローとして選ばれた、俺たちは」

「……そうだな。その通りだ」

「カヤタもなんか言ってやれ」

「ありがとうございました。二人とも。私の危機を救ってくれて。あの時はもうダメかと思いましたよ」

「んだよそれ。今夕べの礼かよ」

「確かに……今更な感じはするな」

「ええ。ですが今までタイミングがなかったですし、今言わなければこの先、後になればなるだけ言ったら妙な空気になりそうで」

「まあそれもそうか」

「律儀なことだ」

「性分でしてね。厳格な父に躾けられたものですから」

「礼には及ばなねえよ、お互い様さ。早く助けられなくて悪かったな」

「いえ、あなた方のサイズで私を助けられただけで凄いです。だってカブトムシが人間を助けるようなものですよ?」

「カブトムシというよりはオンブバッタだろ」

「一山幾らのトマト頭に言われたくはないな」

「誰が一山幾らのトマト頭だやんのかコラ」

「オンブバッタに負けたトマトとして語り継いで欲しいのか?」

「ほらほら! 二人とも、迎えの馬車が来ましたよ!」

 カヤタが街道を指す。


「みなさーん! 無事ですかーっっ⁉︎」

 御者席からそう叫んで寄越したのは馬車の手綱を取るグリストだ。その隣にはトゥーメが座り、エレンが単独で乗る鹿毛の馬は馬車と並走している。馬車の窓が開いてファムナがひょこっと顔を出し、三人の姿を認めると安堵の溜息をき、笑顔になって手を振った。


 三人はそれぞれ、思い思いの振り方で彼らの仲間の姫巫女ひめみこに手を振り返した。


 ***



 赤羽レンは退屈だった。


 ヘンドラバーグの街に帰って来た三人は、ファムナを筆頭にした僧侶、薬師チーム総出の治療を受けた。ファムナの回復魔法は大したもので、権藤の足もほぼ元どおりにまでなったし、レンやカヤタが戦いで受けた傷や火傷も完全と言っていいほどに治癒していた。だがそれでもなお、騎士団長ヒーグライは三人ともに丸一日の安静を言い付けた。


「貴公らはなんでもかんでも自分たちでやり過ぎだ。火災は殆ど落ち着いたし、後片付けは我らに任せ、明後日の朝までは何もせずに休むことだ。これから先の旅のこともある。まずはゆっくり休んで英気を養って頂きたい。賢者は働くことを説き、真の賢者は休むことを説く、と昔から言うだろう」


 レンも権藤もカヤタもその格言には聞き覚えがなかったが、ヒーグライのその提案には従う事にした。


「にしても外出禁止はねーだろーがよ」


 悪名高い暗黒六魔将を退け、逃げる魔王軍に潜入してその野営地で大暴れした権藤、見事に権藤を救って生還したレンとカヤタの活躍の話題は、戦災に疲弊した街の人々に熱狂を持って受け入れられた。異世界から来た三人のヒーローの名声は更に高まり、レンたちが街に出ればその名声ゆえにいらぬ混乱を招きかねない。さりとて今、街の復興と治安維持とに手一杯な騎士団から護衛も出せない。だから自重してくれ、というのがヒーグライの言い分だった。

 だがレンは、実は街が襲われたのがレンたちがいたせいだと逆恨みしてる住民がいて、その襲撃や嫌がらせからレンたちを遠ざける為に軟禁されているんじゃないかと勘ぐっていた。


 レンは治療の後、鱈腹食べ、久しぶりに湯船のある風呂に入って一晩ぐっすり眠ると、普通に飛んだり跳ねたりできる位には調子を取り戻した。となるとネットもテレビもない室内でじっとしているのは退屈だ。彼は迎賓館の周りをぐるぐると何周も散歩し続けながら、異世界に召喚されてから今日、今までのことを頭の中で整理していた。


 どこかいけ好かない王様。レンの経験に照らせば、ああいう雰囲気の人物は目的の為なら良心の呵責かしゃくを感じないタイプだ。あの王様は自分の事を「暫時王」と言っていた。では常時の王様は?

 魔王ヤーテサブ・ロウ……六魔将はその名に違わず恐ろしい敵だった。更にそれの上に立つ魔王って一体どれ程の力を持っているのか。

 召喚魔法コモナトラ=ハイロル。召喚された者が元の世界に帰る方法の記録が失われていると王は言った。本当か? 王様を胡散臭いと感じた俺の勘繰り過ぎか。

 吟遊詩人ダキテーヌ。権藤が倒した犬怪人の尻には新しい矢傷があった。レンたちが犬怪人と戦う直前に、犬怪人に矢傷を負わせた者がいる。それがダキテーヌじゃないか? 犬怪人にちょっかいを出して自分を襲わせ、まんまとパーティーに同行する流れを作ったんじゃないだろうか。

 だとしたらその目的は? あいつはどこから送り込まれて来た誰だ?

 暗黒六魔将。棺桶配達人ハイガンダーはレンが今まで戦ったことのないタイプの敵だった。手強い。あいつはまた俺を狙ってくるだろうな、とレンは確信していた。龍将ブーネ。影の魔女ウィンドゥ。ソードマスター青騎士。魔軍司令ベアブレフェン……今回の襲撃を仕組んだのがこのベアブレフェンなら、危険を冒してでもこれを除こうとした権藤の判断はあながち間違ってなかったのかも知れない。二手三手先を読んで準備している敵。こちらが何をやっても対処される、こういう敵が一番恐ろしいのだ。


「あれ……?」


 レンは綺麗に手入れされた池のほとりでふと立ち止まる。


(なんかもう一つ疑問が……エレンに聴こうと思ったことがあったような……なんだっけ?)


 エレンはヒーグライやこの街の総督クラドックらと今後の打ち合わせをしているそうで顔を見ない。トゥーメやグリストも一緒だろうか。

 レンは自分が忘れた疑問について少しの時間なんとか思い出そうと努力してみたが、答えは得られなかった。


(ま、いっか。思い出せないってことはそうヤバイ案件でもないんだろう)


「レン」


 思い出すのを諦めて再び歩き出そうとしたレンを呼び止める声があった。ファムナだ。


「よう。姫さん」

「傷はもういいのですか?」

「ああ、姫さんの魔法のお陰でバッチリさ。すげえな回復魔法って。初めて掛けて貰ったけどメチャクチャ気持ちよかった」

「お役に立てて嬉しいです」


 言葉とは裏腹にファムナは元気のない様子だった。


「どうした? 魔法、使い過ぎか? 顔色が優れないようだけど?」


 レンが心配そうに覗き込むようしてファムナの顔を見つめてくる。その距離の近さにファムナははっとして顔を背けた。体温が上がるのを感じる。顔が赤くなってはないだろうか。


「だ、大丈夫です。昨日今日はついの満月でしたから。女神の加護も強く、魔法の効果は高い上に、私の負担は最小限でした」

「へえー、そういうもんか。月の満ち欠けでね」

「はい。他の系統の魔法にはまた別の術理がありますが、私の魔法……奇跡についてはそうです」


 舞い上がり掛けたファムナだったが、自分の得意分野について話すと彼女は少し落ち着いた。


「ところで俺に何か用かい?」

「そうでした。アプジーが見えてあなたを探していましたよ。一緒に昼食でも……どうかと。何かお話があるそうで」

「もうそんな時間か。そういや腹へったわ」


 その用向きをレンに伝えたファムナの顔は曇った。

 エルフは人間の文化やしきたりを軽んじ、それを飛び越えるような傾向があるが、それにしても出会ってすぐ女性が男性を食事に誘うなどファムナには想像も出来ない大胆さだった。それとも逆に自分が臆病過ぎるのだろうか。恋をした乙女とはそれくらい積極的じゃないといけないのだろうか。あの美しいエルフ娘はレンに何を語るのだろう。そしてそれにレンはどう応えるのだろう。

 いや。二人がどうなろうと、そもそもファムナには関係のない話だ。レンには彼のいた元の世界に彼を待っている女性がいる。

 そのことを思うと彼女の胸は張り裂けそうに痛むのだった。それにレンに伝えていない一つの事実は、彼と彼女とが決して結ばれないだろうだろう事を示していて、彼女は息をしてもそれが体に入って行かないような心地になった。

 

「どうした? どこか痛むのか?」


 レンは本当に心配そうにファムナの身を案じた。その優しさは更に彼女を追い詰めるのだが、ファムナはあなたのせいです、という気持ちをグッと堪えて言った。


「大丈夫です。色々あったので、少しだけ疲れて」

「教会で暮らしてたのお姫様がいきなり魔王退治の旅だからな。無理もないさ。今日は甘いものでも食べてごろごろしといたらいい。姫さんに取っちゃ教会やお城よりはずっと気楽だってところが今回の旅のいいところだろ。アプジーは?」

「玄関ホールです。クラドック様と一緒に」

「なんならファムナも一緒に行こうぜ。カヤタと権藤も誘って。どうせあいつらも暇してるだろ」


 この人はどういう精神構造をしてるんだ、とファムナは腹立たしくなった。

 国元に恋人がいながら、他所で別の女性に言い寄られつつ、尚且つそこに仲間や、あろうことか片思いをしている私を同席させようだなんて!

 些か身勝手な理屈だと頭かでは分かっているのだが、一度立ってしまった腹はすぐにはおさまらず、次に彼女がレンに発した言葉は思いのほか冷たい調子になった。


「アプジニーラル卿、お綺麗な方ですね」

「そうだな。エルフの女性に会うのは彼女が初めてだけど、エルフってみんなあんな感じなのか?」

「知りません。だけどレン。彼女がどんな話をあなたにしても、国元に気が強く見えても寂しがり屋の女性が待ってくれていることを忘れてはいけませんよ」

「あー、多分アプジーの話は俺にくっついたままの風の精霊の話じゃねえかな。彼女が言うには……あれ? なんで姫さんが妹のこと知ってるんだ?」

「そういうことじゃありません。大体レンは誰彼構わず愛想が良過ぎるんです。英雄として自覚を持ってもっと堂々としていてください。辺り構わず八方美人に振る舞うから妹さんというものがありながら異国のエルフにまで……」


 そこまで勢いで喋ったファムナは彼女自身の言葉に違和感を覚えた。


「妹……さん?」

「エレンのやつか。そういやエレンには妹がいる話したっけな」

「恋人では……?」

「二言目には口から胃袋引っ張り出すだの耳から手ぇ突っ込んで奥歯引っこ抜くだの言う女だぜ。恋人は欲しいけど、例え血縁じゃなくたってあいつを恋人にはしたかねーよ」


 その瞬間。ファムナの顔が日が差したようにぱあっと明るくなった。


「妹さん! そうか妹さんやってんや。うちてっきり……いや、ごめんな。なんでもないねん。そうかー妹さんかー。ふふっ。レンの妹さんなら可愛いくて元気な子ぉなんやろなー。妹さんなー。あ、アプジー待ってはるで。早よ行ってあげ。カヤタと権藤にはうちが声かけてくるさかい。その後そのまま合流するわ。そうかー妹さんなー。へへっ。妹はええよなー。そうかー、妹さんやってんやー。ほなまた昼食ん時になー。ご機嫌ようー」


 急にニコニコし出したファムナは一方的にそうまくし立てると「そうかー、妹さんかー」という独り言を繰り返しながら館に向かって去って行く。そのあまりの勢いに口を挟む機会を逸したレンは、彼がエレンに聴こうと思っていた事を思い出した。


「なんなんだよ姫さん……あんたが時々繰り出す、そのネイティブな関西弁は」



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