酒宴

 迎賓館の饗宴の間には立食形式の宴の準備が万端に整っていた。


 ダンスホールほどの広さの部屋に円卓が十卓ほど並び、そのそれぞれに蝋燭の灯った銀の燭台と酒瓶や同じく銀の皿に盛り付けられた肉や果物、焼き菓子などが所狭しとひしめいている。

 与えられた部屋で一度鎧を脱いで身体を拭き、鎧と、用意してあったその上に重ねる白い艶のある生地の貫頭衣のような礼服を羽織ったレンたちが会場に入った時には、既に他の客たちは杯を片手に賑々しく談笑していた。

 金糸で縁取られ、胸に羽ばたく鳥のような紋章が縫い取られた礼服はファムナもエレンも同じものだったので、賓客を示す儀礼用の衣装なのかもしれない。


「こちらをどうぞ」


 盆を持った侍従がそう言ってレンたちに銀杯を配る。中には葡萄酒に似た酒が満ちていた。香りはそのまま葡萄酒で、レンは異世界と自分が元いた世界の差についていちいち思いを巡らせるのが面倒になり始めていた。


(これ、俺たちには分解できない成分だったりしないよな……?)


 レンが磨かれた銀盃の中で赤紫に透き通る果実酒をくるくると巡らせながらそんなことを考えている間に、ホストであるクラドック子爵による仕切りは始まっていて、彼は街の有力者や貴族だろう客たちから軽妙な話術で笑いを取っている。ファムナを筆頭に旅のメンバーが順番に紹介され、その度に会場から大きな拍手が上がる。


(ここでも拍手は賞賛の合図、か)


「……そして、五百の魔兵を一撃で薙ぎ払い、小山のごときモノスアウゲを一刀で斬り捨てる紅の雷光、アリエレッド卿レン・アカバネ様です」


 心ここにあらずだったレンは、そう名前を呼ばれてどきりとして我に返り、取り落とし掛けた盃の中で正体不明の酒がちゃぷん、と波を立てた。


 ***


「浮かない顔ですね、エレレナンシュタト卿」

 

 宴のざわざわとした騒々しさの中、エレンはそう声を掛けられて声の主を見た。ローブ姿の柔らかな表情の短髪の男が立っていた。魔術師の出で立ちだが杖は帯びておらず、代わりに銀の盃を持っていた。


「ウルティマン卿……」

「カヤタでいいですよ。向こうではずっと正体を隠してましてね、その名前で呼ばれるのは慣れていません」

「私もエレンとお呼びください。ファムナ様も、我々が対等な関係で付き合うことをお望みです」

「ではエレン。改めて。こうしてきちんと話をするのは初めてですね」

「確かに。来て頂いたのが合戦の真っ只中で、そのままバタバタと出発してしまいましたから……」

「まずはお疲れ様です。あなたの立場からすれば、得体の知れない三人組を押し付けられ、お姫様の警護をしながら魔王を倒す旅を命じられたわけで。その心労たるや察するに余りあります」

「いえ、それは……大変名誉なことですし、上手く行けば伝説に名を残すことさえ望めます。ファムナ様の覚えめでたければその後の栄達にも繋がりましょう。魔王討伐は我ら王国騎士の悲願でもありますし、命の懸かる任務ではありますが、憂いも恐れもありません」

「なるほど。では浮かない顔の理由は他にある、と」

「……カヤタ殿」

「まずは乾杯しましょう。私は前からあなたとちゃんと話したかったんです」


 そう言うと光の巨人の化身である魔術師は、子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 ***


 ファムナは辟易していた。


 城にいた時は、勿論彼女の巫女たる修練や勤めはあるから誰にも会わないわけではないが、だがこんなに沢山の人間に囲まれて次々に言葉を浴びせ掛けられることはなかった。

 三人目を過ぎた辺りから、もう彼女の頭は自己紹介をする人々たちの顔と名前を記憶することを拒否していたし、彼女の耳は彼ら彼女らが雨垂れのように垂れ流す美辞麗句や興奮気味の賞賛応援を聞き入れることを拒否していた。

 だが彼女の身体の表面の皮一枚はさも淑女のような振る舞いを見せ、彼女の意思とは無関係に微笑を浮かべて上品な態度を示し、あまつさえ世間話やお世辞を返して、愛らしい姫巫女の体裁を取り繕うのだった。そんな嘘臭い自分を人前に晒すのもどこか自己嫌悪があって、彼女は一刻も早くこの状況から抜け出したかった。お腹も空いているし、喉もカラカラだ。だが状況は彼女に彼女が望まない社会性の塊としての立場を演じ続けることを強制していた。


 彼女の目は、助けを求めてレンの姿を会場に探した。


 見ればレンは自分以上の数の聴衆の前で、身振り手振りを交えて何かを面白おかしく喋っているようで、その人の輪からは絶えず笑いと感嘆の声が上がり、とてもじゃないが自分をこの狂騒の自己紹介攻めから救ってくれるような状態ではない。またレンを囲む人の輪には若い婦人が多数混じっていて、レンの語りに悲鳴のような歓声を上げては色っぽい視線を投げかけいるように見え、それが何故かファムナにはとても下品に感じられて不愉快だった。


 エレンは、と見てみれば、壁際のカウンター席に腰掛け、カヤタと何か神妙な表情で話し込んでいて、ファムナが助けを必要としてることに気づく様子もない。

 ゴンドウはゴンドウで老若の騎士や兵士に囲まれ、どうも剣技や戦術の話になっているらしい。勿論こっちに関心はなさそうだったし、ファムナは正直ゴンドウが苦手だった。

 後ろに控えるトゥーメにちらりと視線を送って見たが、彼女は最低限の穏やかな笑みを返しただけで、護衛たる彼女の任務を全うするべく背筋の伸びた姿勢で油断なく辺りに注意を払う態勢に戻った。


 ファムナは控え目に溜息をついて、列を成す自己紹介者への半自動応対から逃げ出すことを諦めた。


 ***


 カヤタとエレンは喧騒極まる宴の中心から離れて、壁際のカウンター席に場所を移していた。

 

「レンが何を考えているか、ですか?」


 カヤタは、そう言って目を丸くした。


「そうです」


 エレンは返事をして、なみなみと盃を満たす果実酒を一気に呷った。たん! とカウンターテーブルに打ち付けられた盃の底が鳴った。


「彼は、彼の立ち振る舞いはまるで育ちの悪い子供だ。口は悪く、礼儀を知らず、人をからかってはばからず、たしなめの言葉すらおどけて返して来る」

「そうですね、確かに彼にはそんなところがあります」

 カウンターにあった酒瓶からエレンの干した盃にまた果実酒を注ぎながら、カヤタはそう応じた。


 カヤタは、宴の中心で爆笑の輪の真ん中にいるレンを見やった。彼は何かの戦いのエピソードを一人何役も演じながら聴衆に語って聞かせてるようだったが、その様はテンポの良いよく出来たコントの風情で、聴衆たちはおべっかでも追従でもなく心から笑っているように見えた。


「だが、戦士としてのレンは……人が違うようだ。判断は冷静で気勢は勇敢。そして強い。リーダーとしても。さっき吟遊詩人を助けた折の指示の出し方は素早く、的確で、異論を挟む余地すらなかった。ファムナ様にまず戦いを見てもらう、なんてことは、正直私には思い付きもしなかった」

「そうですね。そうしただけでさえ彼女はかなり驚かれたようでしたから、いきなり実戦の渦中に飛び込ませていたら足手まといになるだけでなく、彼女や彼女の周りの仲間に危険が及んでいたかも知れません」

「だからだ。レンが何を考えているのか分からん。ほめて良いのか、敬意を持って受け入れれば良いのか。あの悪ふざけにしか見えない言動すら、何か思慮があってのことやも知れぬと思えてしまって……」

「解決策は一つですね」

「……どうすれば良い?」

「簡単ですよ。本人に訊くんです。そんなモヤモヤを抱えたままでは、これから先の旅路が思いやられます。抱えなくて良い心配事を抱えながらでは、普通なら上手く行くことも上手く行きません」

「しかし……」


 レンの周囲の人の輪は、この世界の歌を歌い始めた。中心にいるレンは恰幅のいい髭の男と旧知の友のように肩を組んで初めて聞いただろうその歌を楽しそうに歌っている。

 レンは今知り合ったであろう街の民とも何の垣根もなく気の置けない仲間のようになっている。勿論レンは異界からの英雄で、元々民からは認められ尊敬される立場ではある。

 だが、もし自分がレンの立場だったとして、彼のようにできるだろうか。

 そんなことを考えながら、王国を讃える歌を歌うレンたちの人の輪を眺め杯を呷るエレンは、自分が酷く矮小な人間に感じられるのだった。


「……忘れてくれ、魔術師殿。愚にも付かぬ話を聞かせて悪かったな」


 そう言って再び盃を呷るエレンを見つめ、カヤタは少し思案した。


「いいえ。あなたがそう仰るなら、勿論私は私の提案を無理強いをする立場にはないんですがね」


 そう言いながらカヤタは自分の盃を手に席を立った。

 

「どこに行かれる?」

「そろそろレンを助けてあげましょう。彼はここに着いてから飲まされるばかりで殆ど何も食べていません」


 そう言ったカヤタは酔っ払いたちの間を泳ぐようにしてレンの元まで行き、輪に加わって一緒に歌い始めた。

 歌が終わると、カヤタは場の人々に何か話し始めた。どうやら歓迎の返礼にカヤタの世界の魔法を見せる、と言った話のようだった。その話が終わると、彼の銀の杯の中身が天井に向かって光り始めた。おおっ、とどよめきが起き、饗宴の間の全ての客がカヤタの盃に注目した。

 

 カヤタが目を閉じる。

 すると盃の中から輝く液体が生き物のように立ち上り始めた。

 それはまず空中にヘビのようにうねうねと舞い上がるとカヤタの頭上でゆっくりと渦巻き、もう一度強く輝いた。

 気を利かせたクラドック子爵が侍従たちに灯りを落とすように指示を出す。

 暗くなった部屋の中で、唯一の灯りと化したカヤタの光の下僕は、カヤタの頭上で形を変えると蕾を沢山付けた輝く木の枝の形を取った。

 カヤタが目を開けると、蕾は一斉に花開き、枝一杯に見事に咲き誇った。

 会場が感嘆の溜息で満たされる。


「この花はサクラ。私たちの世界の花です」


 上品だがよく通る声でカヤタがそう言うと満場の拍手がそれに答えた。


 続いてカヤタが左手を上げると、咲いた花はパッと散ったが、見る間に再び玉の形でカヤタの指が示す一点に凝集した。

 カヤタが指差していた手を勢い良く開くと、光の玉は爆発するように拡散して、人々の頭上、天井一杯に彼らが見知らぬ星の並びの銀河を描いた。


「これが、レンとゴンドウが住む星……我々はチキュウと呼んでいますが……チキュウから見た夜空。光の集まる帯は天の川とかミルクの道とか言われています」


 人々は息を飲む。エレンのすぐ頭上にも細やかな煌めく星々が漂っていて、彼は思わずその星に手を伸ばして触れた。その星は更に細かい光の粒子を伴って砕け、エレンの指にくっついた。エレンは星が元は酒だったことを思い出した。エレンの指の光る液体は、ゆっくりと明滅すると次第にエレンの指を離れ、また一つの星の輝きとして、カヤタが描く銀河の一部となった。


 星の並びはその様相を変えて、縁の薄い輝く円盤のようになった。


「これがレンたちのチキュウがある天の川銀河を外側から見た様子です。そしてこれが……」


 ぎゅん、と星々が流れるように移動し始めた。それは天の中心から放射状に拡がるように奔り、人々はまるで自分自身が高速で星々の中を飛んでいるかのような錯覚に陥った。その様の圧倒的な疾走感から自分の態勢が崩れるように感じたエレンは、思わず座る椅子の肘掛をぎゅっと握った。

 視点はかなり長く宇宙の中を飛んだ。

 天の川銀河に似た幾つもの大小の銀河、星も何もない真っ暗な空間、赤や青の背景に染まる彼方の不思議な星々。そう言ったものを何百何千と通り過ぎた先に、一際白く輝く大きな星が現れた。

 その星はカヤタの頭上で酒樽ほどの大きさの完全な球の形を取ると、その場でゆっくりと回転し始めた。


「私、シンイチ・カヤタの故郷。楕円銀河M87星雲。『光の星』です」


 それは今までの星々と違い、透き通る光でできた緻密な模型のような惑星だった。大陸と大洋。薄く纏う大気。流れる雲。陸と海の一部を覆う幾何学模様の街や星の周りを周る小さな月や何か人工の天体までが正確に再現されているようで、人々は正に長い星の海のの旅路の果てにカヤタの故郷に辿り着き、それを眺めているような心地だった。


 その星、『光の星』は、しばらくカヤタの頭上をゆっくりと自転し続けていたが、彼が左手の指をぱちん、と鳴らすとひゅるっと縦長の液体に姿を変えて、ちゃぽん、と彼の右手の盃に一滴も溢れずに収まった。


「お粗末さまでした」


 カヤタがそう言ってぺこりとお辞儀をすると饗宴の間は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。カヤタの周りに人々がわっと押し寄せて、彼に様々な言葉を掛ける。


 エレンは大したものだと感嘆しながら他の客と一緒に拍手をしていたが、その目がある人物の動きに気付いて拍手する手が止まった。


 その視線の先では、レンが食べ物を盛った小皿と酒瓶を手にこっそり宴の間を抜け出そうとしていた。

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