乱入


 キャングオクシナの剣が支えを失って落下する。


 権藤が押し返すと見せて素早く剣を引いたのだ。キャングオクシナがつんのめったようにバランスを崩す、その一瞬を捉えて権藤は位置を入れ替え彼女の背後を取ってその喉元に短剣を突き付ける。


「くっ……!」

「動かないことだ。お嬢さん」

「殺せ、人間!」

「生憎だな。俺も人間ではない」


 魔将の側近を人質に取られた隊長たちは固まった。剣を構えてはいるが一定の間合いから近寄らない。


「道を開けて貰おう。それとも近衛騎士の首が胴体から物別れするのがお望みか?」

「貴公らそれでも映えある魔軍司令ベアブレフェン様の配下か⁉︎ 賊の勝手を許すな! 私ごと殺せ! 早く‼︎」


 キャングオクシナは絶叫したがしかしその言葉に従うものはなかった。

 彼女を引き摺るようにして権藤が近付くと、天幕の出口側の隊長たちはジリジリとその囲みを解き、脱出路は開かれた。


「己、下衆が! ここを出たら必ず私を殺す事だ。さもなくば私はこの身をオーガーに堕としてでも貴様を殺し五体を引き裂いて喰らってくれる!」

「美しい上に勇ましいことだ。オーガーにするには惜しい」

「黙れ‼︎」


 キャングオクシナは余りの屈辱に体の芯が赤熱する思いだった。魔王軍の隊長たちの目の前で人質の恥を晒し、その落ち度のせいで賊に活路を開かれてしまった。命を拾った所で、自分は魔王軍全軍から一生笑い者になって生きるのだ。耐えられなかった。何よりもその全てが、彼女が心から敬愛してやまない魔軍司令の目の前で起きたことが。

 そして彼女は、一つの決意をした。


 権藤は天幕から外に出たら変身するつもりだった。そのまま改造人間の力を振るって危機を脱する。彼にとってはよくあるいつもの手順だった。

 ダークエルフの女騎士を引き摺って天幕の外に出る。異常を察した鎧の豚が槍と斧とが一体になったような武器を向けて何かを喚き立てる。だが、人質となった女騎士の姿を見るとやはり攻撃まではしてこなかった。


「このまま逃げる気だな?」

「あんたには悪いことをしたな女騎士。次に会ったら正々堂々立ち合うと約束しよう」

 女騎士はフン、と鼻を鳴らした。

「当てが外れたな人間もどき。次は、ない!」

 言うが早いか彼女は権藤の身体を後ろ手に掴み、声高に叫んだ。

「イムナルシル・プレスタンネス‼︎」

 高らかな精霊語の詠唱がキャングオクシナ自身を紅蓮の焔と化した。火の精霊を自分自身を触媒として召喚したのだ。彼女のこの行動は完全に権藤の意表を突いた。彼は驚いて彼女から離れようとしたが、燃え盛る人型の焔と化したキャングオクシナが倒れ込みながら縋るように権藤の左足がにしがみ付いてそれを離さなかった。

 権藤は自分の足が焼ける痛みに奥歯を噛み締めて耐えた。なんとか転倒するのだけは避けながら、黒いマネキンのようになりつつある女騎士を振り解き、権藤は変身の動作に入った。


「ビオダー……変身ッ‼︎」


 どうにか変身はしたものの、火の摂理の行使者たる精霊が直接起こした強い炎に焼かれた左足は消し炭のように焦げ果てて痛みと組織の焼損で上手く動かせなかった。

 自ら呼んだ焔の中で真っ黒に焼け爛れた頭を上げてその様子を確かめたキャングオクシナが満足そうに笑ったのを、ビオダーとなった権藤は見た。

 ホッパータイプの改造人間、その戦闘力の主軸となる足の機能を失い、盾となる人質を失い、彼は人質のくびきを解かれた魔軍の隊長たちに囲まれていた。ビオダーはジャンプして囲みを飛びこえようかと画策したが、どうやっても焼かれた左足が言うことを聞かず、脚力を活かしての脱出は不可能と思われた。

 魔軍の隊長たちは剣を突き付けながら包囲の輪を少しずつ縮めていた。

 更に野営地の方から、この戦いに駆け付ける魔物たちの叫びや鎧がなる音がどんどん近付いてくる。その数はざっとまとめて三百余り。いつものビオダーならものの数ではないが、今の彼に取ってそれは絶望的な人数だった。


 ここまでか。


 ビオダーは覚悟を決めた。

 敵の大将の首を取るのは難しいだろうが、ここでひと暴れして一体でも多くの魔物を道連れにし、死に花を咲かせるのも悪くない。


 



 彼は左足を庇いながら戦いの構えを取った。


「仮面ビオダー最期の戦いだ。だがタダでは死なん! 地獄への道中、一緒に来たい奴から掛かって来い‼︎」


 その時だ。

 何者かがザザッと木々の枝葉を切り裂いて落下して来た。

 それはビオダー包囲の輪の中心、ビオダーのすぐ後ろに着地した。しまった、とビオダーが振り向こうとした時には、相手は立ち上がり攻撃可能な体勢にあるようだった。左足に激痛が走り、それでもまだ振り向くことが出来ない。研ぎ澄まされたビオダーの感覚は背後に立つ誰かが何かを振りかぶる気配を確かに感じ取った。その攻撃から身を守る全ての試みは間に合わないと思われた。


(これで、俺の戦いも──終わる)


 パコンッ!


 それはビオダーの後頭部への平手打ちだった。丁度芸人が相方にする突っ込みのような。その平手はかなり力がこもっていて、ビオダーの頭は一瞬がくん、と前に倒れた。


「……⁉︎」

「改造手術、脳改造前に脱出したってな真っ赤な嘘だろ? 仮面ビオダー」


 その男は真っ赤なスーツを纏い真っ赤なマスクを被って、複雑なメカニクスに彩られた巨大な剣を担いでいた。


「きっと綺麗に切除されたんだ、『協調性』って奴を」

「お前は……アリエレッド‼︎」

「ほら、あんたの刀だ」


 アリエレッドはいつもの装備の上にたすき掛けに鞘に収まった刀を背負っていて、そのベルトを外してビオダーに投げて寄越した。ビオダーはそれを素早く抜き放ち、鞘は捨てた。


 新たな敵の登場に魔王の軍はざわついた。だが次々と到着した攻め手が包囲の輪に加わり、二重三重と二人を取り囲む様々な姿の魔物の兵たちの士気は高かった。

 アリエレッドと仮面ビオダー。背中合わせの二人はそれぞれ自分の武器を構え唸りを上げて殺意の輪をなす魔物の群れを見据えた。


「馬鹿が……何故ここに来た?」

「そのままあんたに返すぜイナゴ男。世話が焼けるにも程がある」

「どうするつもりだ? 二つ目の死体になりに来たのか?」

「野営地の真ん中だ。その足じゃ走れないかも知れねえが、流石にあんたを抱えてこの包囲は抜けられねえ。自分の面倒は自分で見てくれ」

「野営地? そこに何がある?」

「誰が来る、だろ。忘れたのか? 異世界から来た英雄は俺たち二人だけじゃないはずだ」


「ゴリドエイッ!」

 角の付いた鉄兜を被った魔物の隊長が鋭く号令を発した。ウォーと吠えた二百の魔物たちが一斉に二人に殺到する。


「おんぶして欲しけりゃ言えよ、お爺ちゃん!」

「鼻垂れ小僧が……転んで泣いても起こしてやらんぞ!」


 次の瞬間、悪意と凶暴の津波が二つの正義を押し潰したかに見えた。

 だが、正義は死んではいなかった。


 二つの剣閃、舞い散る血飛沫、気合いの声と断末魔の悲鳴。魔物の海の真ん中にぽっかりと丸い穴が開く。

 言葉とは裏腹にレンは巧みにビオダーの背後をカバーしながら、少しずつ戦いの場を野営地の側に移して行く。

 そこに一際大きな鬼のような魔物が現れた。手には大きな斧をぶら下げ、焦点の定まらない目で、口からはダラダラと粘り気のある涎を垂らし続けていた。オーガーだ。全身筋肉の塊の愚かな魔物はその膂力に任せて彼の斧を振るい、三人の味方と地面を割った。

 レンは難無く躱したが、ビオダーは躱した弾みに体勢を崩して片膝を突いた。


「くっ!」

「肩ぁ借りるぜ!」


 そんなビオダーの返事を待たず、レンはビオダーの肩を踏み台に一足飛びにジャンプしてオーガーに斬り込みその額から頭を真っ二つに割った。濁った血の噴水を上げながら地響きを立ててオーガーが倒れ込む。


「どうした? 型落ち中古車。レッカー車が必要か?」

「良く喋る福引きのハズレ玉だ。景品のちり紙を口に突っ込まれたくなければ黙って戦え」

 レンの煽りにそう威勢良く返したビオダーは素早く自力で立ち上がった。そこに長槍を突き出した三人の獣人が突っ込んで来た。

 二人はそれを躱したが、槍の三人は突く、薙ぐ、払うを組み合わせた三位一体のコンビネーションで二人を攻め立てる。

 二人はそれぞれの剣と刀とでそれを受けたり身を躱したりを続けていたが埒があかず、レンはアリエブレイカーをブラスターへとモードチェンジしようとしたがその隙もなく、結果として防戦一方にならざるを得なかった。


「のわっ、と!」


 レンは三本槍が交錯するような刺突を頭を下げるようにして避けた。


「背中を借りるぞ!」


 ビオダーはその一瞬を捉え、レンの背中に自分の背中を合わせるようにその上を転がり、そのまま敵の差し出した三本の槍を巻き込むように転がり込んだ。三人の獣人は抑え込まれた槍を引き抜こうと力を込めて引っ張った。だがビオダーは上手く槍三本に体重を掛けそれを許さなかった。

 そのビオダーを飛び越えながら、レンがその槍の柄を纏めて斬り払う。負荷を失い、ひょいと持ち上がった斬られた槍の柄だけを手に顔を見合わせた三人の獣人は息ぴったりに同時にきびすを返すと一目散に逃げ出した。


「勝手に人を台に使うなよな」

 剣の峰で自分の肩をぽんぽん叩きながらレンがビオダーに文句を言った。

「先に人を踏み台にしたのはお前だろう」

「使うぞって声掛けたろ」

「俺だってそうした」


 二人はマスク越しに視線を交わしていた。互いのマスクに表情を示す機能はないが、何故か二人とも相手がどんな顔をしているか解っていた。


「へっ」

「フッ」


 空気を割いて無数の矢が二人に迫る。ビオダーは左右の手刀で、レンは身体全体を旋回させるような回し蹴りでそれを叩き落とした。そのモーションの直後を狙った第二波を二人は躱し切れないはずだった。だがその時、二人の周りに不自然な風が逆巻くと轟音を立てて吹き荒れてレンと権藤に迫る矢の雨を吹き飛ばした。


「風の精霊か……ありがとうよ、えーと……精霊の姉ちゃん!」


 レンは名前を思い出せない風の精霊に礼を言いながら間髪入れずブラスターにモードチェンジしたアリエブレイカーで、正確に矢の射手を撃ち抜いた。


 そのレンを狙う黒鉄くろがねの砲口があった。


 ベアブレフェンの軍団に備えられた車台付きの大砲に三人の獣人が付いて、火口ほくちに火種を撃ち込もうとしている。アリエブレイカーはチャージ中で、敵の砲撃の第一射までに先制攻撃はできそうにない。逡巡するレンを置いて、ビオダーが刀を手に真っ直ぐ敵の大砲に向けて駆け出した。


 砲口が火を吹いた時、ビオダーは仁王立ちに立って刀を構えていた。飛来する砲弾。その砲弾が空を切る音。集中したビオダーは刀に自らを写し、自らに刀を重ねて刀我同体の境地に達していた。


「しえぇえぃッ‼︎」


 気合いと共に垂直に振り下ろされた刃は音速で飛来する鉄球を中心から真っ二つに割った。切断点から二つに別れた砲弾はビオダーの左右を通過して、遥か後方の坂道と大きな木とに炸裂する。


たて……一文字いちもんじ斬り!」

「後で言うのかよ!」


 仁王立ちのビオダーの股の間をスライディングですり抜けながらレンがそう言った。彼は滑り込みながらチャージの済んだアリエブレイカーの照準を、敵兵三人が慌てて次弾を装填している大砲に合わせた。


「キャッチ・ヤ・レイラー!」


 レンがトリガーを引くと、チェンバー内の円環加速器で加速・収束されたアンチプロトン粒子が破壊の奔流となってターゲットを撃ち抜いた。


 大爆発。衝撃波。爆風。

 野営地の粗末なテントが軒並み薙ぎ倒された。


「西洋かぶれか」

「今だ‼︎ ウルティマン‼︎」


 ビオダーの突っ込みを無視し、レンはビオダー救出作戦の最終フェイズを発動した。

 近くの森から立ち昇る巨大な光の柱。その中に像を結ぶ輝く銀の巨人。右手を掲げたその姿。光が弾ける。神の威容がそこにあった。レンたちを追う魔物たちがどよめき、その追撃が一瞬止まった。


「ゼアッ!」


 ウルティマンはすぐに超低空飛行を開始するとおののく魔物の群れのすぐ頭上を通り過ぎ、野営地の真ん中に進路を向け、そこにいたレンとビオダーとを掌に掬って高度を上げた。


「あばよぉッ、魔軍司令ベアブレフェン! 次に会ったらそのケツ蹴り上げてやるぜーっっっ!」


 巨大な掌から下を見下ろして、レンはそう叫んだ。


「品のない別れの挨拶だ」


 崩れるように座り込みながら、ビオダーはそう感想を漏らした。

 そして肩を揺すって小さく笑い始めた。


「ちげえねえ」


 その感想に短く答えたレンはアリエブレイカーを粒子に還すとどかっ胡座あぐらを掻いて両手を後ろに突き、ビオダーと同じように笑い始めた。


 その笑いは段々と大きくなり、最後には爆笑に変わった。

 空に二人の英雄の笑い声が、長く長く響き渡って行った。


 ***


 魔軍司令ベアブレフェンは、事の次第の一切を天幕の上空から見守っていた。魔力で宙の一点に自らを固定し、風が彼の銀髪を揺らしても彼自身の身体は微動だに動かない。


 成る程。あれが異界の三英雄か。


「僧正殿」


 彼はその場にいないものを呼んだように見えた。


「お気付きでしたか魔軍司令殿。これはお人が悪い」


 ベアブレフェンの隣に紫色の僧衣に身を包んだ小男が現れた。


「それはお互い様だ」

「ヒョッヒョッヒョッヒョッ……」


 小男は顔全体を皺にして空気漏れのような声を立てて笑った。


「一つ頼まれてはくれまいか、僧正殿」

「ほう……これは珍しい。雷名轟けば悪魔も逃げ出す魔軍司令殿がこの老いぼれに頼み事とは」


 魔軍司令は浅く息を吐いた。


「私の近衛騎士を、彼女の命を助けてやって欲しいのだ」

「……わしの見立てではかの女騎士の左眼は煮え爆ぜた。我が法力を持ってしてもあの眼は治せぬ。それは構いませんかな?」

「良い。彼女はまだまだ強くなる。今一度いまひとたびの機会があれば」

「たかがダークエルフの小娘一人に入れあげたものよの魔軍司令殿。いいでしょう。近衛騎士殿の命を助けましょう。一つ貸しですぞ。この貸し、ゆめゆめお忘れくださいますな」


 僧正と呼ばれた小男は現れた時と同じように虚空に消えた。


「生きろ。キャングオクシナ。私を」


 聞くものとてない魔軍司令の囁きは風に溶けて朝の空に消えた。


「独りにするな……」

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