当千

「レン殿、退がられよ! ここは私とエレレナンシュタト卿で時間を稼ぎますゆえ貴方は城へ!」

 アベンストは兜の面を下ろしながらそう叫んだ。

 エレレナンシュタトは言いたいことはあったが、アベンストの顔を立てて沈黙を守った。


「気持ちだけ貰っとくよ騎士さん達。あんた達こそ城に戻って仕事しな。破れかぶれになるのにはまだ……」


 話す間にも魔物の軍勢は見る見る広場に溢れ、今やその獣のような臭いまでもが騎士二人の鼻を突く程であった。


「早いんだからさ!」

『アリエブレイカー・ソードモード・イニシャライズ』


 エレレナンシュタトはレンの腕輪がまた異様な声を発したのを聴いた。

 途端に赤き英雄のすぐ右側の虚空に光の線が何かの形を描いた。瞬く間にそれは寝ぼけた眼に物が見えるようになる時の如くふわっと像を結ぶと、赤と銀に彩られたゴテゴテとした、何かの小箱や鋼線からなる仕掛けのようなものに覆われた剣へと実体化した。

 素早い動作でそれを手に取ったレンは流れるような動きで剣を立てそれを胸元に引き込むような構えを取った。腰を落として、膝をぐっと曲げた開いた両の足で大地を掴むかのような変わった構えだった。


 二人の騎士は見た。

 真直ぐに立てられた剣の彫金が光を放ったかと思うと、溢れたそれは強烈な光の、いや、熱を放つ何か尽大な力の渦巻きとなって刀身を包んだ。

 焼かれた大気は熱い風に変わり兜を付けていないエレレナンシュタトの頬を乱暴に撫でた。


 ちゃっ、と刃を返した赤の英雄は短く吠えた。低く殺気のこもった鋭い気合いの声だった。


 横一文字に薙ぎ払われた異形の刃は、纏っていたエネルギーを爆発させ巨大な孤月の輝きに変えて広場を埋め尽くそうとする魔物達に向けて放った。


 鬨の声を上げながら三人に迫っていたオークやゴブリン、コボルトなどからなる魔物の混成部隊は、突如目の前に出現した光の炸裂に息を飲んで固まった。

 溢れる白い光。熱。皮と肉が焼ける音と臭い。だがそれも一瞬で一切が闇に消える。何が起きたかを問う思考も。それが広場に雪崩込んだ二百余の魔物達が感じた最期の感覚だった。


 ドドドッと爆発が列を作った。


 孤月の光は当たった魔物の群れの身体を易々と両断し、解き放たれた膨大な力は着弾地点の石畳や壁を瞬時に燃焼させて爆発に変えたようで、続く瞬間、その爆発に巻き込まれて更に二百の魔物が吹き飛んだ。


 爆風と衝撃波と土埃が、エレレナンシュタトの全身を打った。踊り狂う髪。はためくマント。だが、彼の目はかざした手の後ろでなお見開かれており、彼らが異界より召喚した異能の戦士の戦いをつぶさに見詰めていた。


「……凄い」


 他に言葉が出ない。ふと隣に気を配ると、自分以上に歴戦の勇士である筈のアベンストも完全に絶句して固まっていた。兜の中の表情は伺い知れないが、ただただ驚愕しているであろう事は疑いなかった。


 レンは剣の刀身に手を添えると留め具をずらすような操作をした。すると刀身は柄元でくの字に折れ曲り、また異様な声が何かを告げた。


『アリエブレイカー・ブラスターモード』

 

 ガシャガシャと変形した剣は、弦、弓のないクロスボウのような形でその変容を止めた。


『アンチプロトン・チャージング』


 リ、リ、リ……と連続で鳴る軋んだ高音域のオルガンのような音が時を追うに従って間隔を狭め、音程を高くし、訳が分からないエレレナンシュタトにもその武器の中で何かが昂まっているのが感じられた。


 レンはゆっくりとその筒先を、アベンスト達守備隊が退いてきた通路に──今や魔王の軍勢がひしめく街路に──指向してピタリと止めた。

 

 ピー……!

 一際甲高い笛の鳴るような音が、何かが満ちたその完了を告げた。

『レディ・トゥ・シューティング』

 ジリッと足を踏みしめ直した赤き勇者は、狭い通路で混乱しながらも列になってノロノロと広場に向かう妖魔達に向けて力強くその引き金を引いた。


 疾る糸の細さの光の線。線を中心に続けて広がる三つのリングの一つ目は光、二つ目は空気の波動で、三つ目は波動の輪を追うように形成された白い蒸気の輪だった。


 カッ!


 視界を真っ赤な輝きが満たした。

 どんっ、と身体全体を強く突き飛ばすような衝撃。とても目を開けていられない。エレレナンシュタトは前傾に踏ん張ってなんとか転倒を免れたが、隣のアベンストは兜の重さの為に身備えが一瞬遅れ、また兜がまともに爆風を受けた為にバランスを崩して尻餅を突いた。第一波を堪えても嵐のような風の乱舞は続いた。エレレナンシュタトは全身全霊でそれにも耐えた。小さな飛礫が彼の目のすぐ下に当たり皮膚を割いて傷を作った直後、唐突に暴風の饗宴は終わりを告げた。


 エレレナンシュタトは目を開けた。


 もうもうと立ち込める土埃と煙の中、右手の武器で天を差して立つ赤い戦士の姿。

 面と兜が一連なりに一体となった異国の兜の、覗き窓と思しき黒いスリットがチラリとこちらを振り返る。どうやら、エレレナンシュタトとアベンストの無事を確認したらしい。

 エレレナンシュタトは我に返ると無事である事を示す為にレンに頷いて見せ、埃で真っ白になり尻餅を突いたままになっていたアベンストの手を取って引き起こした。レンの兜は突起や飾りのほぼない変わった兜だったが、丁度装着者の口の辺りに硬く結んだ唇の彫刻が施されているのにエレレナンシュタトは初めて気付いた。そしてその唇が僅かに笑ったように感じられたその瞬間、レンは再び敵に向き直り立ち込める靄の先を見据えた。


 街路は見通せる遥か先まで黒焦げの魔物の死体が折り重なって燻っていた。その数は少なく見積もっても四、五百にはなりそうだった。


 だが一撃目と二撃目を生き延びた魔物がまだ通路の中に、更にその先に蠢いていた。


 ジャキッ、と言う音と共に、赤の英雄の武器が再び剣に変わる。

『アリエブレイカー・ソードモード』


 敵に向かって駆け出したレンは吠えた。雄々しい、腹の底からの雄叫びだった。


 目の当たりにした彼の戦い振りとその人智を超えた破壊力に背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、エレレナンシュタトはゴクリ、と喉を鳴らして乾き切った口の中に張り付くようなほんの少しの唾を飲み込んだ。


 異界より舞い降りた赤の戦士はもう、振り返らなかった。

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