スカーレット・トライデント 〜三大ヒーロー スーパー異世界大戦〜

木船田ヒロマル

降臨


 暗雲垂れ込める深夜の王都。


 厚く重たいその雲は、戦火に赤く照らされていた。


 弱い北風に乗って聴こえてくる怒号。悲鳴。鉄と鉄がぶつかる音。何かが燃え盛る音。崩れる音。ときの声。矢羽が風を切る音。一際大きな爆発音。


 王城・クルクバルクの大外壁の上から、若き百人隊長エレレナンシュタトは、愛する祖国の住み慣れた街の残状を歯噛みしながら見下ろしていた。

 共に訓練し、学んで来た同世代の仲間達はそれぞれ自分の十人隊と民兵を率いて街中に散り、持ち場を衛り戦っている。


「報告します! ゼーゼマン卿、討ち死に! ゼーゼマン隊はアグラハルリ隊と合流、トリロバイタリア通りで交戦中!」

「西門は陥落! タミカルディ隊は……全滅です!」

「アベンスト隊、ンティガー隊、ラパクルスス橋まで後退! 騎士二十四名健在、総勢百余名が戦線を支えています! 戦況不利なるも意気軒高!」


 次々とやって来る伝令は、敗色の濃さばかりを重ねて報じるばかりだった。


「西区で戦う残存各隊に伝令。…… 戦線を王庭外周陣地まで縮小する。近隣の隊と合流しつつ陣地に集合、戦況を立て直す!」

「はっ!」


 少年と言ってもいい叙勲したばかりだろう若い伝令の騎士は、自分を奮い立たせるかのように大きな返事をすると立ち上がって一礼をし、振り向き駆け出そうとした。


「待て!」


 びくっと動きを止めたその騎士は、自分に何か非があったのかと不安そうな表情で再び振り向く。


「はい」


「皆に伝えてくれ。必ず……生き残れ、と」


「……一命に代えても!」


 騎士は律儀にもう一度礼をすると踵を返して駆け出して行った。

 そのがむしゃらな若い背中を見送ったエレレナンシュタトは、この戦いが始まってから初めて少しだけ頰を緩めた。

 

「エレレナンシュタト卿!」


 入れ違いに階段を上がって来た傷だらけの騎士には見覚えがあった。幼馴染であり、彼が右腕と頼むヴァーバレリ。その隊の副官としてヴァーバレリから紹介された事がある。名前は確か……。


「ファウルフェザー卿。無事で何よりだ」


「隊長が……! ヴァーバレリ隊長が!」


「……案内してくれ!」


 エレレナンシュタトはファウルフェザーに従って足早にその場を後にした。

 履き慣れた長靴ちょうかの底の鉄の鋲が石床を叩くカツカツという硬い音が、今日はやけに彼の癇に障った。


 ***


「レギナルト……!」


 エレレナンシュタトは親友、ヴァーバレリのファーストネームを呼ぶと、傷付き倒れた友に駆け寄りその傍に膝を折った。


「よお……百人隊長」


 ベットに寝かせきれない負傷者は、城の中庭に溢れていた。

 壁沿いに藁を編んだマットが敷かれ、僧侶や薬師が臨時に増設された灯油ランプの頼りない灯りに照らされながら忙しそうに走り回っている。


 エレレナンシュタトの目から見ても、彼の親友が助からないのは明らかだった。

 ヴァーバレリの寝かされたマットは彼自身が流した血に浸って重く湿っており、それでもなお流れ続ける血がその周囲に小さな血溜まりを作り始めている。

 城付きの司祭の治療を、彼自身が断ったとのことだ。司祭の奇跡を持ってしても助かるまい、ならば枢機卿は他の負傷者の治癒に当たられよ、と。


「俺の隊、残った兵はツヴィクナーグル隊に合流させた。とは言っても四人だが」


 荒い息の中、自嘲気味にそう言ったヴァーバレリは咳き込んで少量の血を吐いた。ヴァーバレリは咳の間を縫うように短く質問した。


「儀式は、成ったか?」


「いや、まだだ」


「そうか。……エルンスト、頼みが……ある」

「なんだ、レギナルト」


 エレレナンシュタトの親友は彼の目の前で今正に息絶えようとしていた。それを感じた彼の声は掠れ、震えた。

 木剣での稽古。女官宿舎への忍び込み。講堂での教養の授業。元服と叙勲。初陣。祝勝の宴。

 協力し喧嘩をし悩みや不安を分かち合い、互いを高め合って笑いあった彼の大切な友は今、血と汗と土埃にまみれて城の中庭の粗末なマットの上でその一生を終えようとしていた。

 怒り。無力感。寂しさ。そして果てしない哀しみ。

 エレレナンシュタトは唇を噛み、掌を目一杯に握り締めた。

 彼は自身が泣いている事に気が付いた。


「妹を……母を頼む」

「分かった。我が一族の家名に掛けて、御母堂とあのお転婆の面倒は見させて貰うと約束する。安心しろ、友よ」


 ヴァーバレリは最早殆ど呼吸をしていなかった。

 ひゅー、となる喉。彼は力無く笑った。


「先に行く。お前は……ゆっくり来い」


「暫しの別れだ。光の神々の御導きがあらんことを」


 レギナルト・ヴァーバレリは死んだ。

 その心臓は二度と脈打つ事はない。

 その瞳は二度と開く事はない。

 その魂は二度と、誰かと響き合う事はない。


「…………」


 エレレナンシュタトは黙った。

 涙は止まらない。

 だが百人隊長である自分が取り乱し、泣き叫ぶ訳にはいかない。


 わなわなと震える拳。噛み締める唇。

 頭は痺れたように真っ赤な熱だけがぐるぐると渦巻いて、まともな思考を成さない。


 エレレナンシュタトは天を仰いだ。


 弱い北風に乗って聴こえてくる怒号。悲鳴。鉄と鉄がぶつかる音。何かが燃え盛る音。崩れる音。ときの声。矢羽が風を切る音。一際大きな爆発音。

 そして、濃い血の匂い。


 神よ! あなたは何をなさっておられるのです! 忠良たるあなたの臣民が危機に瀕し、死にゆくこの時も天の黄金の座にありて御照覧か!

 それがあなたのやり方なら、それがあなたの教えや試練だと言うなら!


 ……神など要らぬッ!!!


 かっ、と天に光が差した。

 雲に不思議な文様が輝く。

 大きな多重の円。古代神聖文字。一つ一つが黄金の光を放ち、同心円上に互い違いに回転する。

 

「完成したのか! 儀式が!」

 

 エレレナンシュタトは思わす叫んだ。

 そして駆け出した。

 どうやら円は、白の大門の前の戦勝記念広場の辺りの真上に現れたようだった。

 そこに辿り着いて、エレレナンシュタトに何かができる訳ではない。

 だが、彼には確かめずにはいられなかった。

 自分の命懸けの戦いが。仲間の戦いが。友の死が。何をこの国に、国の危機にもたらしたのか。意味があったのか。本当に儀式は完成したのか。

 それを確かめなければとても次の何かなどできない。

 中庭を出、回廊を駆け、白大理石の大門の脇の通用門を蹴破るように開け外に飛び出す。

 見上げれば光の文様は雲を吹き払いそこに大きな穴を穿って、白い光の柱がその穴を貫いていた。

 光の柱はエレレナンシュタトの思った通り、戦勝記念広場の噴水の側に根を据えてそびえ立ち、石畳みの地面には先に雲に見た魔方陣と思しき文様が輝いていた。


「おお……!」


 エレレナンシュタトは感嘆の声を上げた。

 見よ。天から今正に、光とその粒子に包まれて異界の英雄が舞い降りようとしている。

 綿毛の種が落ちるようにゆっくりと、だが確実に、真っ直ぐに。光の柱の中の一層眩しい輝きは、大地に降り立とうとしていた。


 エレレナンシュタトは魔方陣の縁のぎりぎりまで駆け寄った。

 近くで見る輝きは確かに人の形で、力を抜いて立っているような姿だった。

 その両足が大地を捉えると御使を包んでいた輝きは鈴のような音を立てて爆発するように弾けた。

 魔方陣はまだ輝いていた。

 その光に照らされて円の中心に立つ人物は足にぴったりしたズボンと丈の短い真っ赤な革の上着を身に付けていた。

 華奢な体躯。だが男のようだ。


 エレレナンシュタトは深呼吸を一つすると、天からの使者に歩み寄ってその前にひざまずいて礼をした。


「お初にお目に掛かる。私はトゥエ・イー神聖王国が騎士。百人隊長、エルンスト・エレレナンシュタトと申します。異界より遥々御来訪の直後に心苦しいが、どうか我々の戦いに力をお貸し頂きたい!」


 エレレナンシュタトは深く礼をすると顔を上げた。


 相手はやはり華奢な体躯の男だった。短い黒髪。黒い瞳。肌は白い。少年のあどけなさを残す青年。どうも事態が飲み込めず、戸惑っている様子だ。エレレナンシュタトの経験に照らせば、とても力のある戦士とは思えなかった。鎧も無く、剣も槍もなく、この若者は如何に魔王の軍勢と戦うと言うのか?

 そこまで考えて、エレレナンシュタトは自分の浅慮を自嘲した。

 異界の英雄を愚昧な自分の物差しで測るなど。不遜で不敬な愚行ではないか。


「異界よりの英雄殿! 重ねてお願い申し上げる! どうか我々に力をお貸しください! 我々と共に、我々と戦ってください!」


 光柱の英雄は、やはり戸惑いを残した表情で少し笑うと、自分を指差してエレレナンシュタトに言った。


「へ?……えーと、俺が?……英雄?」

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