反発
青騎士は後ろから飛来したナイフを大剣を振るって弾いた。
新たに出現した敵を確認する為、青騎士が振り向く。
そこには肩で息をする少年騎士いた。
グリストだ。彼は素早く自分の剣を抜いた。青騎士は戦闘能力を奪ったエレンに背を向け、グリストに向き直った。
「パーナ・バルディア!(理力よ、彼を撃て!)」
グリストと反対側から神聖語の短い詠唱が鋭く響いた。
ファムナが振るった錫杖の先から練った理力の塊が迸り、空を切り裂いて青騎士の背中を撃った。青騎士は防御しようと動いたが間に合わず、振り返り掛けの半端なタイミングで強く突き飛ばされた形になり、大きく体勢を崩した。そこに殺気の化身と化したトゥーメが稲妻のように駆け込む。剣身が鞘口を切る音が小さく鳴った。続いて刃が何かを打ち断つ鈍い音とともに青騎士の右腕が肘の辺りから斬り飛ばされ、血の尾を曳いて宙を舞った。
グリストは構えを解いていない。トゥーメはすぐに下がるとエレンの盾になるように立ちはだかる。ファムナが倒れたエレンに駆け寄った。
「エレン!」
彼の名を呼んだファムナは、彼の体を支えて肩を貸し、力を込めて立たせようとした。
「……お召し物が、血で汚れます」
「そんなことを言っている場合ですか! さあしっかりなさい百人隊長。またレンにからかわれたくはないでしょう!」
そう叫んだファムナは本気で怒っているように見えた。
『クックックッ……』
形勢は逆転し追い詰められた筈の青騎士はしかし、また低い声で笑った。そして散歩でもするように地面に落ちた自分の剣と腕に近付き、それを拾い上げた。グリストもトゥーメもそれぞれの剣の切っ先でその動きを追った。
『私は知っている。エレレナンシュタト卿』
「……なぜ、私の名を⁉︎」
剣を鞘に納めた青騎士は斬られた腕からぼたぼたと血を流しながら、覗いた月が作る足元の自分の影にずぶずぶと沈み始めた。
『貴卿に課せられた本当の任務を』
追い討ちを掛けるチャンスかも知れないと思われた。だが誰も動かなかった。いや、動けなかった。たった一人、青騎士に名指しされたエレン本人を除いて。
「世迷言をッ‼︎」
激しく反応した彼はファムナを振り解くとトゥーメに体当たりするようにその腰のナイフを抜き、既に肩まで影に沈んでいる青騎士の兜の脳天にそれを力一杯に振り下ろした。
だがそれは一足遅く、ナイフの切っ先は石畳に跳ね返って火花を上げた。
「……エレレナンシュタト卿」
トゥーメが剣を鞘に納めながらエレンの後ろに立った。
「今の敵の騎士の言っていたことだが」
「やめましょう、トゥーメ」
トゥーメの詮議をたしなめたのはファムナだった。
「敵の虚言に惑わされて、我々同士が互いに疑心暗鬼になってはなりません」
そう言ってファムナはにっこりと笑った。
「グリスト、エレンの剣を探して。トゥーメ、エレンに肩を貸して。教会に入れて頂きましょう。傷の治療は中で」
エレンは唇を噛んで黙った。
そして彼の仕える姫の、彼女らしからぬ気丈な振る舞いに心から感謝した。
***
見上げれば、右手には黒い蛇に縛られて苦しむウルティマン、左手には高笑いしながら今まさにウルティマンにとどめを刺そうとする炎の竜。
「チャンスは一度だ。落ちるなよアリエレッド」
仮面ビオダーは彼の背中におぶさったレンにそう注意した。
「そっちこそ。変な角度で跳ぶなよな。明後日に飛ばされて空振りなんて御免だぜ」
『フン! 妙な呻き声しか上げやしねえ! 命乞いもできねえ奴をこれ以上痛ぶっても面白くねえな。そろそろ死になァァァァッッッ!!!』
「スリーカウントで跳ぶ。準備はいいな⁉︎」
「いいも悪いもねえんだろ!」
「スリー、トゥー、ワン……でやぁッ‼︎」
身構えていたものの、ビオダーのジャンプは想像以上のGを生じさせ、レンは危うく振り落とされる所だった。
ぎゅん、と地面が遠ざかり打ち上げられた花火のように二人は上昇する。
ビオダーの背中でその瞬間のタイミングを伺いながら、つい先程のビオダーとのブリーフィングを思い出していた。
***
「私のビオダーキックの最終的な推進力は、背中から発生させる空間衝撃波だ」
「そうだったの⁉︎ 初めて聞いたぜ」
「背中にある二基の理論リアクターでミクロな時間内に何重にも空間スタグフレーションを起こし、生じた圧力と熱に任意のベクトルを与えて解放してやることで」
「だーっ物理の講義はまたにしてくれ! 要するに背中で爆発みたいなもんを起こして自分を弾丸みたいに撃ち出すってわけだろ?」
「……そうだ」
「俺があんたにおぶさって、まずはあんたがジャンプする。いい高さまで行ったらあんたは空間衝撃波を発生させて俺をすっ飛ばす」
「同時に私はキックを放つ。あの竜の鼻っ柱をへし折る」
「俺はウルティマン側に飛んであの黒ヘビを断ち切る。完璧だな」
「一つ問題がある」
「空間衝撃波の炸裂に俺が耐えられるかってことだな?」
「……ギリギリまで引きつけたとしても、君をウルティマンの所まで吹き飛ばすのに必要な爆発力はおよそ四.一×十の八乗ジュール。TNT換算だと約百キロ分が爆発した時のエネルギーに等しい」
「アリエスーツにはスーツ表面にフォースフィールド……バリアを纏う機能がある。エネルギー消費が激しくて短時間しか使えないが」
「衝撃波に耐えられるか?」
「さあ? スーツは破れないんじゃねえかな」
「やはり危険だ。別の方法を……」
「いや、これで行こう。危険は成功の友だ」
「孫子か?」
「いや、俺だ。もう少し近づこう。竜とウルティマンの真ん中に入るんだ」
「……君は馬鹿だな、アリエレッド」
「あんたもな、仮面ビオダー。だが嫌いじゃないぜ」
ビオダーは答えの代わりにフッと鼻を鳴らして笑った。
***
「もうすぐ最高到達点だ! スリーカウント!」
高速で風を切って上昇する二人、レンの目の前には苦しむウルティマンの巨大な顔が、ビオダーの目の前には炎熱の角を振りかざす火の竜の灼熱の頭があった。
「俺はあんたが嫌いじゃないと言ったなビオダー!」
「スリー、ツー……」
「やっぱりあんたが」
「ワン……」
加速が緩み、Gはゼロになって二人の身体は一瞬ふわっ、と浮いた。レンは素早く身体を入れ替えてビオダーと背中合わせになった。身構えて歯を食いしばる。
「大っ嫌いだ!」
「ゼロ!」
どんっ、と二人の背中の間の空間が弾けた。
緑と赤。二つの影はそれぞれのターゲット目指して跳ぶ弾丸となった。
***
「ビオダー、キック!!!」
それは彼の全身を統御するシステムへの合図だった。
仮面ビオダー・権藤タケシは悪の秘密結社「デッダー」の改造人間である。
戦闘用サイボーグの攻撃手段はシンプルなシステムほど汎用性が高く脆弱性が少なくランニングコストが安価になる。デッダー技術陣は彼らホッパータイプの改造人間に自らを魔弾と化す性能を与えていた。最新の物理学では、充分な複雑さを持つ高意味の情報がエネルギーと同等に扱われることは周知の事実であるが、その特性を利用し周囲の物理法則を書き換える理論リアクターに最も良く適合し、その真価の申し子となり得たのが、科学者としても高い能力を持っていた権藤タケシであった。
彼の必殺キックの破壊力はその質量と速度から生じる打撃力だけではない。
その着撃と同時に、理論リアクターはビオダーが持つ運動エネルギーの99.89%を目標に伝播させる。それは目標の内部で瞬間的に膨大な熱と光とに相転移する。即ち──。
バキィッッ!!!
『な、なんだとォォォォッッ⁉︎』
龍将ブーネは自らの自慢の一本角に起きた異変に狼狽した。
彼の角は高熱のため蒼白に発光していたが、そこに赤く輝く何かが激しくぶつかって来た。それは小さな物体だったがその衝撃は彼が仰け反る程で、その熱は炎龍の王たる彼の炎よりも熱かった。
『ばっ……馬鹿なァァァァッッッ!!!』
その熱は彼の角の中に瞬時に伝わりその中を暴れ回り肥大し膨張し火山の噴火のように爆発した。
『グギャァァァァァァァ!!!』
原始の獣そのものの声を悲鳴を上げた龍将の目が、その顔のすぐ前を飛ぶ小さな影で焦点を結んだ。それは昆虫のような顔の人間大の戦士だった。
『覚えたぞ、貴様の顔……! この失った角の代償、千倍にして払わせてやるからな! ア、ア、ア、ァァァァッ! グギャアオォォッッ……!!!』
叫んだ竜は炎の翼を羽ばたかせ、暗い空に舞い上がると物凄いスピードで夜の
「……騒々しい奴だ」
一仕事終え、地面に向けて自由落下しながら仮面ビオダーはそう呟いた。
***
「いっ……てェェェェェェッ‼︎」
戦火に包まれる交易都市の上空を飛翔しながら、レンは涙目で絶叫していた。
アリエスーツのフォースフィールド機能を最大励起させビオダーの空間衝撃波を受けたレンだったが、大怪我こそしなかったものの背中全体を巨大な掌で強かに打たれたような衝撃のダメージは小さくなかった。
だがそんなことを言ってる場合ではない。
「お前のせいだバカヘビィッ‼︎」
高速で接近する巨人のシルエット。それに巻き付く黒く太い蛇の胴体。太さは電車ほどもある。レンの右手が中空に再構成されたアリエブレイカーのグリップを掴む。輝く刃。最大出力。脚を強く振って体勢を整える。
「おりゃぁぁぁぁっっ……‼︎」
ビオダーの計算は正確で、レンは駆け込んで思い切り飛び込むような速度で蛇の胴体に斬りかかる。刃が出す光に当たった蛇の身体がシュッと音を立てて煙を上げる。
「でやぁっ‼︎」
刃を一気に振り抜けば、その斬撃は綺麗に蛇の胴体を両断した。思いのほか軽い手ごたえにレンは驚く。闇の蛇がガラスを掻くような呻き声を上げる。
「影の蛇……光の刃……そうか‼︎」
レンは落下し始めた身体を捻るようにして顔をウルティマンに向ける。そして叫んだ。
「ウルティマン! 光だ‼︎ 光がこいつの弱点だ‼︎」
『……デュアッ‼︎』
ウルティマンは了解の意を示した。途端に巨人の全身がカメラのフラッシュのように短く白く発光した。その身体に絡まったままだった影の蛇の胴体が一斉に白い煙を上げた。近くにいたレンは落下しながらその煙の髪の毛が焼けるような匂いを嗅いだ。
『キャァァァァァァァァァ……ッッッ!』
長く響き渡ったのは女の悲鳴そのものだった。影の蛇は巻き戻された爆発の映像のように宵闇の一点に凝集するとローブをまとった女の影の形を取った。それは僅かな光の反射も生じさせない真の漆黒を材料に造られた塑像のようであった。だがその姿も一瞬で、影の女はぐねぐねと形を変えて大きな鳥の姿になった。そしてそのまま真っ直ぐ天頂に向けて羽ばたき舞い上がり、あっと言う間にその姿を消した。
「ああ……ヤバい」
落下しながらそれを見ていたレンは、あることに気付いて頭を抱えた。
「着地のこと考えてなかったァァァァッッッ!!!」
なんとか体勢を立て直そうと手足を振って下を見れば、すぐ目の前にオレンジの瓦屋根があり、彼は何も出来ずに突っ込んで屋根を破り、派手な音を立てて床を破り、一階までを突き抜けて、誰かの家のダイニングテーブルを真っ二つにして止まった。
「これさぁ……」
もうもうと舞う埃の中でレンは独りごちる。
「ウルティマンが受け止める流れだろ……普通はさ」
愚痴った彼の上からもう一つ、煉瓦が落ちて来て彼の頭で割れた。
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