謁見
「余が、トゥエ・イー神聖王国暫時王。ファールダルリング七世である」
片膝立ちで低頭していたレンは思ったより若い声だな、と思った。
王城クルクバルクの謁見の間は総じて大きな作りだった。コンサートホールのような広さがあり天井も高く、この世界の神話をモチーフにしたであろう美麗なステンドグラスと、有力貴族の紋章なのか金糸で縁取られた沢山の重厚なタペストリーが壁面を荘厳に飾っていた。
「
そう計算して作られているのだろう、王は強く叫んだ訳では無かったがその声は堂内に良く響き、はっきりとした生々しさを保ってレンの耳にも届いた。
王の許諾を得た異世界の英雄、レンたち三人が顔を上げる。
声の主は、端正な顔立ちのやはり若い王だった。
(暫時王、か。なら本来の王サマは?)
戦いの翌朝。
レンが与えられた部屋を出る直前に携帯を確認したところ朝の十時過ぎだったが、基地局との連絡は途絶えていたし、異世界の時間の進みが元いた世界と同期しているかも分からず、当てにして良いのか怪しいものだった。
携帯のバッテリー残量は三割を切っていたが、当然の事ながら充電できる筈もなく程なく使い物にならなくなるだろう。
レンたち三人は、貴族が式典で着るような衣装に着替えていた。
どこから持ち出したものか、既に出来合いの軍服の礼装のような衣装があって、袖を通すと城付きの仕立て職人らしき太った中年とその助手のような三人に囲まれてあちこち計られた後、二、三時間後にはレンの丈に仕立て直された衣装が一式出て来たのだから、彼ら職人の腕前は大したものだと言って良かった。
レンは赤を基調にしたジャケットと黒いスマートなパンツ、白いビロードのマントという出で立ちだった。金の肩章から同じく金の飾り紐が胸元に下がっていて、腰には優美な装飾のサーベルを帯びている。部屋で一式渡されてすぐ、レンはサーベルを抜こうしたがサーベルは完全に儀礼用のお飾りで、鞘に直接ハンドガードと柄が作り付けられたものだった。
仮面ビオダー、権藤タケシもほぼ同じ服装だったが、彼は上下が黒で深緑色の紐が胸板から腹部に掛けて肋骨のように横切るジャケットに緋色の裏地の黒いマントを羽織り、劇画な顔立ちと相まって「歴戦の黒騎士」と言った雰囲気を醸し出していた。
もう一人の男は、レンの知識に照らせばカヤタ・シンイチ隊員、ウルティマンその人の筈だが、彼だけは白い生地に銀糸で模様が縫い取られた、裾が足首近くまである丈の長い上衣と、その上から金色で縁取られた濃紺のフード付きの外套のようなものを羽織り、白木に銀細工と紺碧の宝玉で装飾が施された彼の身長ほどもある杖を携えていて、騎士風の佇まいのレンや権藤と違って聖職者か魔術師のような風貌だった。
レンはその衣装のチョイスを意外と感じたが、本人はその衣装に特に異存はないようで澄ました顔で魔術師然としていた。
「まずは臣下国民に代わり、昨夜の諸卿らの尽力に礼を言いたい。こちらの都合で突然に召喚したにも関わらず、神話そのままの戦いぶり。幾ら言葉を尽くしてもその功績に見合うとは思わぬが、心から感謝する。諸卿の戦いに。神の祝福と光あれ。エル・エソォ・ノザ・ウェルトゥ」
王はそう言うと手の指を複雑に交差させる印を結ぶような仕草をし、黙祷して祈った。周りに居並ぶ大臣だか僧侶だか偉そうな貴族たちもそれに倣い口々に「エル・エソォ・ノザ・ウェルトゥ」と呟いて祈った。レンは一瞬どうすべきか迷ったが、カヤタと権藤が黙って再び低頭したのを見て慌ててそれに続いた。隣の権藤の気配に合わせて再び顔を上げる。
「さて。昨日の今日で申し訳ないが、改めて諸卿に頼みがある。ブルームフォンテンブロ枢機卿」
「畏まりました陛下」
全身鮮やかな青一色の法衣を纏い、コックのような高い帽子を被った長い髭の初老の男が玉座の段の一段下に進み出て恭しくお辞儀をした。
「聖ソルレシアス光と恵みの司教館で司祭を務めております。ブルームフォンテンブロと申します。異界の英雄諸卿の方々、以後お見知り置きを」
再びお辞儀をした枢機卿に応える形でレンたちもお辞儀を返したが、再び顔を上げたレンは既にこの枢機卿の名を忘れていた。
やたらと恭しくたっぷり間を取って喋る枢機卿の話を要約すると、以下のような内容だった。
五年程前、深淵の闇の王ヤーテサブ・ロゥが復活。それまでは各地方でばらばらに光の民たる人間と対立していた魔物たちを瞬く間に糾合し軍団として編成。そうして出来た闇の軍勢を率いて次々と街や国を攻め落とし始めた。
それに対し光の神々を信仰する五大国は立ち上がり、対魔王軍同盟を結成。各地で闇の軍勢と互角以上に戦い、北方の山岳地帯とその裾野の荒野まで押し戻すに至った。
しかし事ここに至り同盟五国に次々と異変が起きる。
まず北方の国、スバレルナス帝国の皇帝ツァラトス二世が急逝。帝政下の諸侯は覇権を争い始め国内の平定のためにスバレルナスは軍を引いた。
西方の国、第五十八テリュックテリュリス王国には更に西方の森林地帯の蛮族コンエインが牙を剥いた。彼らは両勢力が三百年の間不可侵の境界として来たトムトジエリの長城を破り王国の穀倉地帯に雪崩れ込んだ。
東方の国、神立国家ジェファンには自然の猛威が荒れ狂った。大地が揺れ津波が島国の主要都市を襲い、広大な農地が潮水に浸かった。更に列島を舐めるように襲った暴風雨は耕地に乏しいかの国に大規模な飢饉を呼んでジェファンは対魔王軍の戦線を維持できなくなった。
南方の砂漠の王国フライアには不気味な疫病が蔓延した。流感に似た症状から死に至った患者たちは干からびた骸となりてなお新たな贄を求めて歩き出し、七晩を待たずして民の四分の一が生ける死者と成り果てた。勇壮で知られた砂漠の鷲騎士団と精強な傭兵部隊は事態収拾のため国元に帰還せざるを得なくなった。
そしてここ、トゥエ・イー神聖王国の王都コアサルバンスタインは一夜にして数千の魔物の大軍団に包囲された。
暫時王ファールダルリング七世は王国に伝わる伝説の魔法、コモナトラ・ハイロルの発動を決断。王の妹にして光の神エル・エソォの信徒「春光の巫女」ファムナ=ファタリによって異界より三人の英雄が召喚され、その活躍により魔王軍は潰走、今に至るという次第らしい。
「──ここまでは、宜しいでしょうか?」
司教は長い話を一度区切ってレンたちにそう尋ねた。レンは、も少しテンポよく喋ってよ、という軽口を飲み込んだ。
「どうぞ」
枢機卿が誰かに発言を促した。
えっ、と思いレンが顔を上げると、ウルティマン・カヤタが袖に手を添えながらおずおずと挙手していた。
カヤタはその場にすっくと立つと、まずは優雅に礼をした。
「お初にお目に掛かります。陛下。枢機卿。また御列席の高貴な皆様。私はカヤタ・シンイチ。又の名をウルティマン。昨晩は光の巨人に変じ、黒き竜を屠った異界の衛士にございます。田舎者にて御無礼の段もあるかと存じますが、平に御容赦頂きますよう切にお願い申し上げます」
ブルなんとか枢機卿は大仰に頷き、王は玉座で軽く手を挙げて許す旨を示した。
レンはウルティマン・カヤタの適応能力に舌を巻くとともに、昔何かの記事で読んだウルティマンの本当の年齢を思い出した。
「さて、枢機卿にお尋ねしたいのは、我ら三人がこの世界に召喚された手段。確か先程のお話では『コモナトラ・ハイロル』と仰っていたと記憶しますが。その儀式についてです。我々が元の世界に戻る術はあるのでしょうか?」
枢機卿と王は顔を見合わせ、枢機卿は溜息を吐いた。
「カヤタ殿。誠に申し上げにくいのですが、その方法の記録は失われて久しいのです」
「なれば我々は、もうこの世界から戻れない、ということでしょうか?」
「一つ可能性がある」
王が口を開いた。
「我々は、魔王の復活は、異世界からの召喚だと考えている」
カヤタは黙って王の話の続きを待った。
「今を去ること三百年程前。同じように魔王に世界が蹂躙された折、伝説によれば諸国よりすぐられた千の英雄が魔王の城の攻略に挑み、百の英雄が魔王との直接の対決に臨んだ。十の英雄が生き残ったが魔王にとどめを刺すに至らず、三人の英雄が魔王を道連れに異界へと不帰の旅に出た」
算数の問題みたいだな、と感想を抱いたレンは長い話に飽き始めている自分を意識した。
「その魔王が復活した。これには異界からの召喚術が関わっている、と我々は考えている」
「道理かと」
カヤタが合いの手をいれ、王は頷いた。
「御三方とも既に察しておられる様子なのでパイ生地を割るが、諸卿に頼みたい事とは魔王の討伐への協力。そしてその過程で失われた諸卿らの元の世界への帰還方法も──」
「──明らかになると?」
「かも知れぬ、としか言えぬ。申し訳の次第もないが」
言葉を継いでそう謝罪したのは枢機卿だった。
「改めて頼みたい」
そう言うと王は玉座を立ち、三段の床の段差を降りた。
「我が妹、ファムナ=ファタリは召喚の儀に詳しく、癒しの魔法に長けている。臣下から優秀な騎士と従卒を選び妹と共に同行させ、馬車や装備、糧食やその供給を含む援護は同盟五国が全力で全うすることを暫時王ファールダルリング七世の名において約束しよう。異界の英雄たちよ」
若い王はレンたちの前に膝を折った。
「お頼み申し上げる。魔王ヤーテサブ・ロゥを倒し、我が国を、この世界を救ってはくださらぬか?」
枢機卿やその他の臣下も王に倣い、膝を床につけて頭を垂れた。
「承知した」
返事をしたのは仮面ビオダー、権藤タケシだ。そして滑らかな身のこなしで王に寄り添うとその起立を促した。
「お立ちください。王よ。正義を行使するが、我らが務めなれば。私はゴンドウ・タケシ。戦士の姿の時の名は仮面ビオダー。人間の自由の為に」
「やれやれ。仕方ありませんねぇ」
ウルティマン、カヤタがのんびりとした調子で追従する。
「そうしなければ帰り方が分からない、と言うのなら。他に方法の調べようもなさそうですし」
「俺はまだ引き受けるとは言ってないぜ」
レンは鋭い口調で話の流れを遮ると、くるりと周りの様子を伺った。そしてたっぷりの間を取った後、
「旅立つのは、城下町の後片付けを手伝ってからでもいいですか? 王様。俺はレン。アリエレッドのレンだ。俺たちの力があれば、早く片付く仕事が沢山あると思いますので」
と、言ってニカッと笑って見せた。
王はレンに歩み寄って親しい友にするように、その肩へと手を置いた。
「ありがとう。友よ。悪を憎むだけでなく民草への友愛と慈しみを忘れぬとは。諸卿らこそ、伝説に歌われるべき真の英雄である」
枢機卿が王の後ろに控えるように歩み寄りながら拍手をした。その目には涙が浮かんでいた。
拍手は並み居る貴族や騎士、聖職者たちに伝播した。彼らは王とレンたちを囲むように集まり、その拍手はたちまち堂内に幾重にも反響する万雷の賞賛となった。
「兄様」
王と英雄を讃える声と鳴り止まない拍手の中、王を呼ぶ小さな声があった。
それに気付いた王は声の主と親しげに言葉を交わし、レンたちの前に引き立てて紹介した。
それは控え目に装飾が施された儀礼用の僧衣を着た小柄な少女で、大きな青い瞳でレンたちを見上げていた。
「紹介が遅れた。我が妹にして第一姫子。太陽神エル・エソォの敬虔なる信徒。春光の巫女。ファムナ=ファタリだ。諸卿らに同行する」
「タケシとお呼び下さい姫。我らはこの世界に不明なれば、諸々に御助言頂けると助かります」
権藤が自然な所作で膝を突き臣下の礼を示した。
「カヤタです。先行きの見えぬ旅ではありますが、姫の御身に危険が及ばぬよう全力を尽くします」
カヤタが同じように跪く。
レンも当然二人に倣った。
「レンだ。この二人みたいに礼儀正しいのは苦手なんだけど、野蛮人じゃないつもりだから嫌いにならないでくださいね、姫さま」
そう言って勢いでウィンクしてしまったが、この世界でタブーだったりしなきゃいいな、とレンは後付けで心配になった。
だが、応じた彼女の自己紹介はそんなレンの心配が何処かへすっ飛んで行くほど意外なものだった。
「初めまして。うち、ファムナ=ファタリ言います。教会の方で巫女やらしてもらっとります。足手まといになれへんよう気張りますさかい、あんじょうよろしゅうお願いします」
異世界の姫君は、はにかみに頬を染めながら流暢な関西弁でそう挨拶すると春の陽射しのようににっこりと微笑んだ。
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