潜入


「ビオダーがいない?」


 戦乱の一夜が明けた中央教会前の広場で、既に変身を解き、包帯だらけの姿でグリストから状況の報告を受けていたレンは素っ頓狂な声を上げた。


「そうなんですアリエレッド卿。どこを探しても」

「レンでいい。ついでにビオダー・権藤とウルティマン・カヤタも権藤とカヤタでいいぜ」


 最大の危機こそ去ったものの、街はまだ混乱の最中にあった。

 魔王軍は撤退を始めたようだが、その残党はまだ街のあちこちで騎士団の精鋭と戦っていたし、龍将の吐いた火球が引き起こした火災は強い魔力を伴っていて簡単には消えず、特に三箇所の延焼が広範囲に及んでいて、市民も動員しての必死の消火活動が続いている。

 中央教会は臨時の診療所として開放され、僧侶や薬師たちは次々と運ばれて来る怪我人の対処にてんてこ舞いで、ファムナを始めトゥーメやエレンも搬送や包帯巻きなどに参加していた。レンは怪我人の一人として治療を受けたが、すぐに起き上がると騎士団の手伝いで伝令として駆け回っていたグリストを捕まえて状況を質したのだった。


「敵にやられるか、捕まったかしたのでは……」

「アイツはそんなタマじゃねーよ。高いとこで遠くでも見ながら黄昏たそがれてんじゃねえの?」

「アリエレッド卿。こちらであったか」


 声を掛けて来たのはこの街を守護する騎士団の長、ヒーグライだった。

 彼は騎士を一人伴っていたが、二人とも鎧や上衣や顔はやや煤けていて、眠っていないためか顔には疲労の色が浮かんでいた。


「やはり仮面ビオダー卿はどこにもおられぬ。よほど分からぬ場所に隠れているか、あるいは街を出たか」

「仲間が手間させて申し訳ない騎士団長。こんなとこにいて大丈夫なのか? 残党狩りは?」

「今しがた潮が引くように退いて行きよったわ。敵ながら見事な引き際。攻め手の巧みさと用意の周到さ。今回の襲撃は魔王軍の暗黒六魔将が一人、魔軍司令ベアブレフェンの指揮に相違あるまい」

「暗黒六魔将?」

「魔王軍の指揮を執る将軍どもよ。またそれぞれが恐ろしい力を持つ魔物でもある。魔軍司令ベアブレフェンはその魔将の長」

「魔軍司令……ベアブレフェン」

「ウルティマン卿と戦ったのが龍将ブーネと影の魔女ウインドゥ。姫たちを襲ったのは青騎士。剣と槍の腕前は魔王軍随一と聞く。エレレナンシュタト卿が命を拾ったのは運が良かった。アリエレッド卿を狙ったのは棺桶配達人ハイガンダー。筋金入りの暗殺者で何人もの将軍や重鎮がその闇から襲う毒の刃に倒れておる」

「六魔将、だったよな。もう一人は?」

僧正そうじょう、とだけ呼ばれている謎の人物だ。小柄の老人という話もあれば絶世の美女だという話もある。魔王ヤーテサブ・ロウの側近中の側近で滅多に姿を現さん」

「ふーん……六魔将ね」

「戦場に現れれば必ず大きな死と破壊をもたらす悪魔たちだ。怖くはないのか?」

「いや、そういうの初めてじゃなくてさ」

「流石は異世界の英雄。頼もしい。だが、油断は禁物だぞ。死神はいつも勇者のあくびに微笑むのだ」

「死神は勇者のあくびに微笑む、か。憶えておくよ。片目の竜」

「団長!」


 遠くから小柄な娘と屈強な騎士が駆けて来た。騎士は布袋のような荷物を抱えている。小柄な娘はエルフの精霊使い、アプジーだった。


「これがザダショルト広場に」

 大柄の騎士が抱えた袋から出てきたのは、黒い胴鎧だった。権藤が身に付けていたものだ。

「側には装束を脱がされたダークエルフの死体が」

 アプジーの報告を聴いてヒーグライは大きな声を立てて愉快そうに笑った。

「流石は風の英雄。行動に迷いも無駄もない、正に戦場を吹き抜ける風。敵の引き際に呼吸を合わせて紛れ込み、恐らく狙うのは敵将、魔軍司令ベアブレフェンの首」


 対照的にレンは怒りに拳を震わせた。

「あの自己中バッタ親父……!」


 ***


 魔王軍の野営地は、権藤の徒歩感覚ではヘンドラバーグの街から十キロほど離れた山中にあった。


 ヘンドラバーグ側からは影になる位置の山腹を切り開き、切り倒した木を簡単な囲いに変えて作られた急造の野営地には、粗末なテントのようなものが四、五十並び、同じく切り倒した木を薪にした焚き火の煙が幾つか上がっていた。その周りでは給餌役だろう獣人の魔物が何かの食材を調理していたが、権藤は敢えてその材料が何かを考えないようにした。


 退却する魔王軍にダークエルフの装束で紛れ込んだ権藤は、道中怪しまれることも誰何すいかされることもなく、夜明けの山道を黙々と歩いてここまで辿り着いた。

 この世界の魔王軍の魔物の兵には、行軍しながら盛んに話をしたり、途中で点呼を取ったりする習慣はないらしい。時々馬のいななきのような唸りや、文句の言い合いのような短い会話らしきものが聞こえた以外は彼が魔物ではないとばれるような出来事は起きなかった。

 血や泥で汚れた鎧や武具をガチャガチャと鳴らしながら、足取りも重く進む陰鬱な行軍。その獣の匂いを纏う魔物の群れの流れの中に、彼は自分自身を溶け込ませていた。


 野営地に入ると魔物の兵たちはバラバラに別れて自分のテントに向かうようだった。

 近付いて見るとテントに見えたのはボロボロの帆布のようなものを木の棒で支えただけの物で、住み心地を云々いう類の代物ではないようだ。


 権藤はさも当たり前のように堂々と野営地の中を歩きながら、さり気なくこの軍の司令部に当たる天幕の場所を伺った。

 魔物たちは焚き火で焼かれた何かの肉に食らいついたり、テントに引っ込むと寝息を立てるなど思い思いに過ごし始め、幸い彼はどの魔物からも声一つ掛けられることなく、その天幕を見つけることが出来た。それは開かれた野営地から少し離れた森林の中に隠すように建てられており、鎧を着て槍を持った大きな太った豚の獣人が二人、入り口の両側に立番している一際大きな天幕だった。


 そこは勿論、兵卒に過ぎない魔物が勝手に出入りできるような場所には見えず、不用意に近寄れば詰問を受けて捕まるのは自明だった。

 少し骨が折れそうだ、と権藤はフードを深く被り直した。


 ***


「全軍の撤退は完了、残存の全ての兵は駐屯地に集結しております」


 隊長クラスのホブゴブリンの報告を受けた魔軍司令ベアブレフェンは鷹揚に頷いた。


 ベアブレフェンは頭部に突き出た山羊のそれに似た形の漆黒の角を除けば、見た目は銀色の長髪の美しい青年のように見えた。

 新雪のように真っ白な肌、鋭く研ぎ澄まされた黒水晶のような瞳。だが体躯は屈強で、その長身を神の骨を削り出して作ったという白い鎧に納め、血のように赤いマントを羽織り、堂々とその玉座に座して、地に跪いてこうべを垂れる彼の配下たちを見下ろしていた。


 そこには二十人余りの魔物の隊長が緊張して畏まっている。それぞれの隊長が、受け持つ職責の報告を終え、彼らは彼らの司令たる魔将の次の下知を待った。


「見誤ったか」


 魔軍司令のその言葉に、場の隊長たちは更に緊張して身を固くした。


「巨人以外の異界の英雄……名はなんと言ったかな」

「仮面ビオダーと、アリエレッドにございます。閣下」


 ベアブレフェンの隣に控えていた褐色の肌の女騎士がそう答える。赤い髪に青玉色の瞳。彼女もまた白い鎧を着ていたが、その意匠は怒り狂う悪魔のような禍々しいもので、声と表情は一貫して冷たかった。

 燃えるような真紅の髪から尖った耳がちらりと覗いている。ダークエルフだろうか。


「そう。その仮面ビオダーとアリエレッド。まさかその小さな方の二人が、ダークエルフの暗殺団を退け、我が軍の六魔将の棺桶配達人ハイガンダーを退け、龍将ブーネと影の魔女ウィンドゥを退けるとは思わなかった。我が軍が総崩れになったのは、頼みの魔将達が撤退を余儀なくされたからで、その嚆矢となったのは仮面ビオダーとアリエレッドの二人……そうだな? キャングオクシナ」

「恐れながら仰せの通りかと。閣下」

「つまり今回の大敗の責は、作戦の立案においてその二人の英雄の力を見誤り侮った余にある。貴様たちには辛い戦いとなったな。ご苦労だった。竜飛船の迎えまでゆっくり休め。兵糧ひょうろうも全て放出せよ。生き残って帰って来たそれぞれの眷属どもに鱈腹食らわせてやるが良い」


 御意、という返事が天幕内に響いた。

 張り詰めた空気が、少しだけ緩んだように思えた。


「だが、その前に、一つ仕事を片付けてからだ」

 

 緩み掛けた空気が再び冷たく張り詰める。


「我ら魔物でも人間でもない匂いの者が、この天幕に紛れ混んでおる。かの者から一番強く匂うのは、キャングオクシナ」


 ベアブレフェンは俯いていた顔を上げて視線を招かれざる侵入者に向けた。


「そなたの眷属の、ダークエルフの血の匂い」


 ざわめきながら隊長達は互いを見遣った。いち早く動いたのは美しき近衛騎士だった。混乱する魔物の隊長たちの間を矢のように駆け抜けると賊に向かって寸暇の逡巡もなく鋭利の術が掛かった魔法剣の斬撃を見舞った。


 カキン、と鋭い金属音が一同の耳を叩く。

 最後列の黒装束の男が後ろに跳びのきながら二本の短剣で女騎士の必殺の一撃をしっかりと受け止めていた。その短剣にも同種の魔法が掛かっているようで、剣同士が接触している箇所は魔力の反発でパチパチと小さな音を立て続けていた。


 避けきれずに切断されたフードがはらりと割れて、その素顔が露わになる。


 権藤だ。彼はちらりと左右に視線を送って不敵に笑った。


「人間だ!」「人間だぞ!」


 その顔を見てようやく隊長たちもそれぞれの剣を抜いて権藤を囲むように動いた。


 キャングオクシナは体重を掛けて斬り結んだ剣を押し込もうとしたが、その剣はその男が交差させた短剣を起点に全く動かすことができなかった。強い。一瞬も油断はできない。彼女は日頃そのひ弱さを蔑んでいる人間と、目の前の男は別格であることを認めない訳には行かなかった。


「貴様、名は⁉︎」


 キャングオクシナは彼女には珍しく額に汗を浮かべながら尋ねた。

 ビオダーは不敵な笑みを浮かべたまま答えた。


「悪党に名乗る名前はない!」


 

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