蹴撃
戦士は駆けた。
いや、駆けたのだろうか。グリストには見えなかった。ゴッ、という瓦礫を蹴る音と微かな土煙を残して、異形の戦士は一瞬で牛男と距離を詰め身を擦り合わせるような近距離に居た。
牛男は狼狽えて短く妙な声を上げ、慌てて後ずさるように異界の英雄から距離を取ると膂力に任せて武器を振り上げた。
だが戦士は微動だにしない。
背筋の伸びた自然な姿勢で立ち尽くしているだけだ。
牛男は渾身の力で破壊の鎚を振り下ろす。
「危ない!!!」
グリストは思わず声を上げた。
空気を裂いて鉄の塊が緑の男に急迫する。
ずんっ!
グリストは見た。
家屋を叩き壊す威力を秘めた大質量の歪な鎚を、仮面ビオダーを名乗った英雄は差し出した左手で受け止めた。やすやすと。同じ姿勢のまま。
だが彼の足元の地面はその衝撃に耐えかねた。大きな地響きと共に石畳は破砕され、男の足は膝下まで地面に沈んだ。グリストは自分の見ている光景が自分の理解を超えている事だけは理解した。
異界の戦士はひょい、という調子で鎚を押し返した。それだけで鎚は投げ飛ばされたように大きく動き、牛男はバランスを崩してヨタヨタとまた後ずさった。
戦士は動いた。また電光のような動きで間合いを詰めると牛男の腹に強烈な拳打を見舞った。何かが千切れ砕けるような鈍い音が辺りに響き渡った。
まずドスンと音を立て鎚が地面に落ちた。続いてグボォッと音を立てて牛男が泡と血を吹いた。グリストの目にはその一撃だけで、もはや牛男の戦闘能力は奪ったと思われた。だが戦士は攻撃の手を緩めなかった。左、右、左。深く懐に踏み込みながら、戦士は渾身の殴打を牛男に重ねて見舞った。牛男はその度に口から何かどろりとした何かを吹き出しながら打たれるままに一歩、二歩、三歩と後ろに下がった。
四発目の打撃を腹に埋め込まれた牛男は白目を剥くとぐらりと後ろに倒れ込み、ずしんという地響きと共に倒れた。
戦士はかなり時間、倒れた牛男の方を油断無く見つめていたが、やがてくるりと背を向けるとグリストと少女に向かって歩き始めた。
だが牛男もただ事ではない。
怒りか苦痛か、とにかく激しい身振りとともに絶叫しながら立ち上がった。
戦士は立ち止まる。
再び踵を返す。両手が何かを鎮めるような動きを見せ、すぅ、と左右に広げられた。ぐ、と沈む姿勢。また跳躍するのだ、とグリストは思った。だがその跳躍は中々起こらない。牛男は角を振りかざすと頭を下げて角を戦士へと向け、大地を蹴って走り始めた。
戦士はまだ動かない。だが、彼の周囲の空気が動いた。良く聴くとブゥーンと虫が飛ぶような音が戦士の辺りから聞こえる。そして周囲の大気が浮遊する土煙や塵と共に戦士を中心にして渦を巻くように集まり始めた。
それは戦士の腹に吸い込まれて行くように見えた。グリストは戦士のベルトに風車があったのを思い出した。
戦士の右足が内側から赤熱し始めた。しゅうしゅうと音を立て触れた空気、地面の水分が蒸気となって立ち昇る。
何かが起きようとしている。グリストは唾を飲み込んだ。牛男は構わずに口から何かの液体をダラダラとこぼしながら戦士に突進する。
「……ビオダーキィッック!!!」
ジャッと足元を踏み締めると戦士は高く高く飛んだ。
それは不思議な軌道の跳躍蹴りだった。垂直にジャンプした戦士は角度を変えて急加速すると放たれた矢のように牛男へ一直線に飛翔した。その右足は炉で熱した鉄のように赤々と光を放っていた。
一撃。
牛男は遥か後方に跳ね飛ばされ、戦士は体躯をかがめて綺麗に着地した。
地面に叩きつけられた牛男はそれでもまだ起きあがる素ぶりを見せたが力尽き、大地に四肢を投げ出した。
次の瞬間、その口が、耳が、目鼻が真っ赤な光を上げると、牛男は火柱を上げて爆発した。戦士がその蹴撃で何かの莫大なエネルギーを牛男に送り込んだのだとグリストは思った。
そしてこの戦士が敵でなくて良かった、とも。心から。
***
「ありがとうございます。なんとお礼を言えば……」
「礼はいい。少年。この子を連れて避難したまえ」
戦士は異形の戦装束のまま再び異世界の乗り物に跨った。ドルルン、とその機巧の輪馬が唸りを上げる。
「あの……タケシ様は……?」
その時、どーん、と大きな爆発音が遠くに聞こえた。城の方だった。
「戦いはまだ……終わっていない」
白い輪馬は一際高くいななくと、目を見開いて前方をその光で照らした。そして異界の英雄をその背に乗せ、力強い加速で夜の街道へと消えて行った。
「……ご武運を」
泣き腫らした目の少女と手を繋ぎながら、グリストは戦いに赴く戦士の背中に、そう小さく祈りを捧げた。
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