哄笑

「見えました。あの二つの尖塔、あれが中央教会です」


 暗い街路を隠れ隠れしながら進んでいたエレンは、内心ほっとしていた。

 流れの中で引き受けはしたものの、道案内が上手くできるかには一抹の不安があったのだ。勿論この街は式典や研修や商隊の護衛の任務で何度も訪れている。迎賓館の場所も中央教会の場所も良く知っている。だが、こんな夜の夜中に迎賓館から直接中央教会に来るのは初めてだった。だからこの場面で迷わずここまで来られたことに彼は心から安堵した。


 エレン、グリスト、ファムナとトゥーメ、カヤタの五人のメンバーはいつもの装備の上から、迎賓館で濃紺のフード付きマントを借り受け、フードを目深に人目を忍んでここまでをやって来た。


 遠くで遠雷のように聞こえる爆発の音や何かが壊れる騒音。やはり街は戦いの渦中に飲まれたようだった。


 だが、教会は堅牢な作りでいざとなったら籠城に耐えるだけの食料や水の備えもある。それにエレンの隊には三英雄の内でも最強と思えるカヤタがいた。教会に辿り付き転がり込んでさえしまえばエレンの当座の任務は完了と言って良かった。雨が降り始めたが、人目を忍ぶ立場のエレンたちにはむしろ好都合だったし、降りしきる雨の中なら姿隠しの魔法を使っている相手でも雨滴の跳ね返りで姿が浮かび上がる。エレンは天もエレンたちの味方をしてくれているのだと神に感謝した。

 街全体に響き渡る、その不気味な笑い声が聞こえて来るまでは。


『ぬははははははは……』


 それはのべつ雨を吐き出し続ける暗い空から聞こえてくるように思えた。



 ***



 雨に打たれて、真っ暗な空を見上げる仮面ビオダーもその笑い声を聞いて、声の主を確かめようと死体の累々と横たわる通りから一飛びに跳躍して集合住宅らしい建物の屋根の上に上がった。


『オレ様は暗黒六魔将が一人、龍将ブーネ!』


 その時、仮面ビオダーは突然咳込んだ。


 その咳は止まず、彼は苦しそうに喘いで膝を突いた。


 マスクの口元を拭った右手を見るとそこには息に混じって吹き出した血が雨に打たれて滲んでいた。


 ***



『よくもオレ様の可愛い竜をヤッてくれたな異界の英雄ども!』


 レンはエレンたちに合流しようと、雨で滑る屋根瓦に苦労しながら屋根伝いに教会を目指していた。街路を通っての道順を知らず、街の中央の高い塔を持つ建物を教会だろうと当たりを付けて、最短距離を走り、跳んでいた。そこにその「声」が聞こえて、レンは空を見上げて立ち止まった。

 

「なるほど……このイベントの開始時間か」


『貴様らにオレ様の、炎の龍将の恐ろしさを思い知らせてやるぜ! ぬははははは……ハァーッハッハッハッハッハッハッ……!!!』


「さっきの蓑達磨ミノダルマみたいな奴よりは、なんかこういうテンションの奴の方が落ち着くな! よっ、と」


 レンはそううそぶくと瓦屋根の上、細い通りを飛び越えた。


 ***


「……いけない!」


 列の一番後ろを歩いていたカヤタがそう叫んだ。


 その瞬間、暗闇の雨雲を割って真っ赤に燃える巨大な火球が現れた。小さな太陽のようなそれは降りしきる雨を一瞬で蒸気に変えて白い雲の尾を挽きながら真っ直ぐに南の方角に飛んで行った。

 ドーン、と言う一際大きな音がそれに続いた。

 

「みっ、南の大門の方だ……!」


 グリストが狼狽しながらそう叫ぶ。

 

『ぬははははッ! ハァァッハッハッハッハッ……!』


 高らかな笑い声とともに、火球が開けた黒雲の穴から更に火球が舞い降りて来た。

 いや、違う。二つ目の火球は大きな翼を広げた。炎そのものが街の夜空を覆うように翼の形を取って広がってゆく。それは巨大な竜だ。王都に現れた黒竜の三倍ほどもある巨大な竜だ。そいつは全身から雨の成れの果ての蒸気を纏いながら、地響きを立てて街の北側の区画に降り立ったようだった。


「行きます。皆さん、こちらは頼みます」


 カヤタはそう言うと燃え盛る竜に向かって駆け出した。銀の巨人になった時にエレンたちを巻き込まない為だ。


「行きましょうファムナ様。門がやられたなら敵が押し寄せて来ます」


 そう言ってエレンがマントのフードを跳ね上げた時、雷鳴と共に稲光が辺りを照らした。


 その光に照らされて、一行の前に立ち塞がる鎧兜の一人の騎士の姿が浮かび上がった。

 その禍々しさは地獄よりまろび出た青い悪魔のようで、抜きはなった剣は磨き上げた鏡のようだった。


 ***


 レンは屋根の上を移動しながら、火竜が街に降り立ったのと、光の柱の中からウルティマンになったカヤタがファイテングポーズを取りながら現れたのを見た。


『ジャッ』


 ウルティマンは短い、だが頼もしい雄叫びを上げた。


「気をつけろウルティマン。今夜はどうも嫌な予感がする」


 そう独りごちたレンは、雨が弱まり止み掛けているのに気が付いた。何気なく空を見上げたレンは、空の雲の異変に立ち止まった。


 黒雲が異様に渦巻き、空の一点に集まって何かの形になってゆく。


「まさか……これも罠か!」


 その時、街の南の方から角笛の音色のような音が響き、それに呼応するようにそこかしこから同じリズムの笛の音が響いた。ぶぉっ、ぶぉっ、ぶぉっと三回鳴るそれは急を告げる警報のように思われた。


「敵襲ー! 敵襲だー!」


 遠くからそんな叫びも聴こえて来た。火球で破られた南の大門に敵が来たのだ。


 レンは左と右を見た。

 正面には教会。左手に炎の竜とウルティマン。右手には戦いの喧騒が起こり始めた南の大門。


「ああっも〜っっ!!! ビオダーはどこ行ってんだよっ‼︎」


 レンはもう一度左と右を見て、右手の、南の大門に向けて屋根の上を駆け出した。


 ***


 物言わぬ青い騎士。面体の降ろされたヘルムの中の人物像は伺えない。

 だが敵であることは明白だ。

 魔王軍の中で軍勢の指揮を執る暗黒六魔将。その内の一人に青騎士と呼ばれる魔族の騎士がいるという話を聞いたことがあったのを、エレンは思い出していた。

 相手は歴戦の魔将。自分は新米の百人隊長。エレンは今この時、この場所での自分の死を意識した。途端に四肢の筋肉は硬くなり、息は浅くなった。彼は自分自身の緊張を自覚したが、自覚したとて取り去れないのが緊張だ。実力すら発揮できずに敗れるかも知れないが、一国の姫を護り、魔将と一騎打ちをして死ぬ、それは騎士としては名誉ある悪くない死に様だと思えた。


「トゥーメ、グリスト。ファムナ様を頼む」

「でも……!」


 グリストは何か言い掛けたが、トゥーメはそれを制した。トゥーメはファムナの前に盾のように立ちはだかると背中でファムナを押すように半ば強引に場から離れようとする。

「ファムナ様、お退がりを」

「ですがトゥーメ。……エレン!」

 ファムナもフードを脱いで泣きそうな顔をエレンに向ける。

「怪我なら私が治します! だから、だから死んではなりませんよ……!」

 エレンはついいつものように「一命に換えても」と返事をしようとして言葉を飲み込んだ。そして何故かそんなエレンをニカッと笑う一人の若い男の顔が浮かんで来た。

「こんな武具屋の看板のような見掛け倒しに負けたりはしませんよ! さ、お早く」

 エレンは剣を抜く。

 ファムナを引き摺るようにしてトゥーメとグリストは一本前の細い路地に消えた。

(いざとなると中々出ないものだな、品のない罵倒の言葉は)

 だが誰かの真似をして軽口を叩いて見ると、さっきとは打って変わって身体が軽く感じた。目の前の鎧の男も、本当に武具屋の看板のように思えて、エレンは頬を緩め、またそんな自分の心の状態に驚いた。自分は今、義に殉じて死のうとしていると言うのに。


(そうか……レン・アカバネ。お前はいつも……)


 死と隣り合わせの中でいつも通りに戦う為に敢えてうそぶく。エレンは、レンが常に死線の上に彼自身を置いていたのだろうことを今、初めて実感として得心した。


「王都守護、おおとりの白翼騎士団、百人隊長エルンスト・エレレナンシュタト! 推して参る!」


 駆け出したエレンからは緊張も、死のイメージもすっかり消えていた。


 ***


 ウルティマンは正面の敵、人語を喋る火竜を見た。大きい。身長四十メートルを超える彼が見上げる大きさだ。かつてこれくらいの敵と戦ったことがないではなかったが、その時は他のウルティマの戦士が何人もいて協力して倒した。この規模の敵に一人で相対するのは初めてだったし、勝てる確信は勿論なく、さりとてウルティマサインを夜空に放った所でこの時空までウルティマの兄弟たちが来てくれるとはとても思えなかった。


『ぬははははは……怖いか⁉︎ 枯れ木のようにぽきりと折って踏みしだいてくれるわ!』


 地響きを立てながら炎の竜が迫ってくる。

 その足元では家屋が次々と瓦礫に変わって土煙を上げる。ウルティマンの聴力はその中から無数の小さな悲鳴を聴き取った。彼の胸に怒りの熱が溶岩のように沸き立って、それは血のように体内を駆け巡った。


『デュワッッ』


 彼は雨の止んだ夜空に舞い上がると火竜の進行を止めるべく、手刀を作った右手に高速回転するエネルギーの光輪を生成した。スラッシュスパークルと呼ばれるそれは数多の怪獣を両断して来た必殺の刃だ。ウルティマンは今回の巨大な敵に効果を及ぼすべく、通常より大量のエネルギーを込めていつもの倍の大きさを光輪に与えた。ウルティマンの顔のすぐ傍で光輪が強い光を放ちながらキィーンという高音の唸りを上げる。

 彼がそれを火竜に向かって投じようとした正にその瞬間、


『デュオッ⁉︎』


 振り被った彼の右腕に何かが巻き付き、彼の投擲モーションを引きとどめた。

 驚いて振り返れば黒く太い縄のようなものが彼の右腕から手首にぐるぐると巻き付き締め上げている。これは何だ、どこから来るのだと目で追えばその縄のようなものは夜空の雲から……いや、そうではない。見る見る雲が渦巻いて収束し、一本の綱のようになってするするとウルティマンの腕から肩、肩から胸を舐めるように巻き付いてくる。それは瞬く間に全身に巻き付き、強い力で締め付け始めた。


『デュ、デュウッ』


 苦痛に集中を失って光輪が消える。束縛は首や頭に及び、ウルティマンは両手を首に運んで渾身の力で抗わなければ、首を折られる所まで一気に追い詰めらた。


 ウルティマンの顔に巻き付いた縄が脈打つように蠢いてその様相を変える。表面には細かな鱗の模様が浮き出し、縄の端が揺れながら立ち上がってウルティマンの目の前で亀裂のように口を僅かに開いた。オニキスのような眼。先が二つに割れた黒い舌。

 それは何から何までを暗黒で練り上げて創ったような漆黒の大蛇だった。


『いい格好だな、異界の巨人よ! さあ、お仕置きの時間だぜえ! ぬはははははっ、ハァァッハッハッハッハッハッハッ……!』


 哄笑する炎の竜。その鼻先の一本角がぐいぐいと伸びて、その炎が勢いを増した。それは揺らめく赤い業火から溶鉱バーナーのような青白い光に変わった。こおお、という咆哮のような音が魔物の呼吸のように聴こえた。


 ウルティマンはここで死ぬも知れない、と覚悟した。

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