歓迎

「ようこそおいでくださいましたファムナ・ファタリ姫殿下、そして異世界の英雄様方。ヘンドラバーグ総督、マシュリエ・クラドックです」


 ヘンドラバーグの総督、クラドック子爵はよく手入れされたカイゼル髭の痩せた男だった。

 有力貴族の大商人と聞いてレンはなんとなく欲深そうな肥満の男を想像していたが、いざ会って見ると彼は仕事の出来そうな実業家タイプだった。


 ヘンドラバーグの街は高く強固な城壁にぐるりと囲まれた城塞の街で、城壁の各所には張り出した物見台があり、そのどれにも篝火が焚かれ大きな弩弓と鎧の戦士が夕闇に浮かび上がっていた。


 そして南の大門の入管関ではもう一人、片目の老騎士がレン達を出迎えた。

「ご無沙汰しております姫殿下。兄王の戴冠式以来ですな。私を覚えておいでか?」

「勿論ですヒーグライ卿。片目の竜の雷名は、今でも宮中に轟いております」

「暫くお目に掛からぬ内により美しくなられただけでなく、年寄りの慰めが上手になられましたな。今や前線を退き内地で盗人や酔っ払いを相手にしながら若き騎士たちの訓練に明け暮れる日々。片目の竜ならぬ片目の番犬がせいぜいでございましょう」

 そう言うと鎧の老騎士は愉快そうに笑った。

「よく来て下さった異界の方々。私はヘンドラバーグ駐在の竜の銀牙騎士団が長、カーレ・ヒーグライ。早馬で王都の戦いの様子は我々にも伝わっております。正に八面六臂の大活躍。その勇猛と果敢にこの老骨も年甲斐なく血が湧き立ちましたわ」

 がははと笑った巨躯の老人はそう言ってレンの背中をバンバンと叩き、レンはつんのめってむせ込んだ。

 レンのやられる様子に控え目に笑いを堪えながら、ファムナはレンたちを紹介する。

「ご紹介します。アリエレッド卿レン・アカバネ様。仮面ビオダー卿タケシ・ゴンドー様。ウルティマン卿シンイチ・カヤタ様です」


「赤き稲妻の戦士と徒手の竜巻騎士、そして銀の巨神の御三方ですな。迎賓館までは我ら竜の銀牙騎士団が随行致します。開門!」

 

 門の直上の物見台の兵が了解の旨を松明を回すことで示し、ギギギ、と重たい何かが門の内側で動く音が鳴り出した。


「騎士団が随行? いえ、そこまでして頂かなくとも。騎士の方々には街全体を護る大事な任務がお有りでしょう。クラドック様とヒーグライ卿にお出迎え頂いただけでも、充分以上の御歓迎に預かっていると申しますのに。ここは国内有数の安全な街。お気持ちは嬉しいのですが、迎賓館までは我々だけで参ります」

「それがそうも行かんのです。姫」


 門が開く。

 陽は既にとっぷりと暮れていたが、街の中は道沿いに一定間隔で大きな篝火が焚かれ、昼間のように明るかった。

 ファムナは言葉を失った。

 篝火に照らされた大路の両側には道に溢れ出さんばかりの人、人、人……。彼らはレンたち一行を見ると、一斉に歓声を上げた。その歓声は波のように寄せては返し、一向に止む気配がない。


「どこから聞き付けたものか。街の民が皆、異界の英雄一行を歓迎したがりましてな……。ご覧の有り様です。あなたがたを讃え歓迎する者たちだけなら良いのですが、不逞の輩が紛れていないとも限りません。ここは騎士団の随行をお許し願いたい」

 

 門が開き切ると、その向こう側には銀色の甲冑に身を固めた騎士たちが左右に列を作ってそれぞれの軍馬の前に立ち、待機していた。


「敬礼!」

 ヒーグライの号令で騎士たちは一糸乱れぬ動きで抜剣し、それを垂直に胸の前に立てて賓客に敬意を表した。ザッ、と軍靴の踵が合わさる音が寸刻のずれもなく重なった。


 エレンはその微に入り細に入り規律の取れた振る舞いに自分が指揮をしていた百人隊の劣等を感じ居心地が悪かった。

 グリストは竜の銀牙騎士団の壮麗な様に憧憬の眼差しを向けて浅く溜息を吐いた。


「姫様。私は先に迎賓館に向かいます。お迎えの仕度の監督がありますがゆえ。失礼をお許しください」

 クラドックがそうファムナに場を辞す旨を伝えた。

「ありがとうございます子爵。歓迎して頂いておいてこのようなことを言うのもなんですが、食事は質素で構いません。今は戦時下で、こうしてる間にも魔王の侵略は続いているのですから」

「戦時下で魔王の侵略が続いていればこそ、民も我らも希望の英雄に心踊るのです。いかな姫様のお申し付けとは言えこればかりは耳をお貸しできませんな。宴の仕切りの一切はこのクラドックにお任せ頂く。では後ほど」

 クラドックはそう言って髭を指でつるりと撫でると、見事なたてがみの鹿毛の馬に跨り街路の先へ駆けて行った。


 去ったクラドックと入れ替わるように、華奢な体つきの少女がヒーグライの隣にやって来てファムナに、そしてレンたちに膝を少し曲げて優雅に礼をした。

 その少女は草色のチュニックに、金盛り細工で端々が飾られた濃紺の胸当てと肩当てを纏い、腰には革のベルトで嫋やかな拵えの細身の剣を帯びていた。最高級の絹糸のようなプラチナブロンドの長い髪は彼女の所作に柔らかく追従し、陶製の人形のような白く端正な顔立ちはちょっとした表情や角度で幼い少女のようにも妖艶な美女のようにも感じられ、ファムナの健康的な女の子としての可愛さとは違う、どこか浮世離れした不思議な美を体現していた。

 思わず必要以上に見つめてしまったレンだったが、彼女はそんなレンの視線に気付いてもにっこりと笑顔を作って会釈を返す場慣れた余裕を見せた。

 レンはその時、彼女の髪の間から覗いた少し尖った耳先に気付いた。


「エルフ、ですかね」

 後ろにいたカヤタが小声でレンに告げる。

「マジかよ? 本物の?」

「分かるわけがありませんよ。私も実際に会うのは初めてですし」


「ご紹介します。我が騎士団の精霊遣い、アプジニーラル卿です。エルフ族の娘なのですが彼女は変わり者でして。色々あって我が騎士団の一員として有事は共に戦場を駆け、また平時は共に街を護る立場にあります。若い娘のように見えますが魔法の腕は確かです。今日は迎賓館まで御一行を彼女の矢返しの魔法でお守り致します」

「お初にお目に掛かります。お会いできて光栄です。ファムナ=ファタリ姫殿下。そして異界の英雄の皆様。竜の銀牙騎士団の精霊遣いアプジニーラルと申します。以後、お見知りおきを」


 ヒーグライの紹介を受け、アプジニーラルは地に膝を突き正式な臣下の礼をした。


「お立ちくださいアプジニーラル卿。ご面倒をお掛けして恐縮の至りです。道中お願い致しますね」

「お任せください姫。私の友である風の乙女がいかなる飛び道具からも皆様をお守り致します。それと宜しければ二つお願いが」

「なんでしょう?」

「私のことはアプジーとお呼びください。仲間は皆そう呼びます」

「分かりましたアプジー。もう一つは?」

「私に年齢を尋ねないでください」


 すかさずヒーグライがファムナに耳打ちする。

「エルフ族は我ら人間よりも何倍も長命でしてな。アプジーはああ見えてこの私よりもずっと年長──」

 そこまで言ったヒーグライは急に声が出せなくなったことに気付いた。

 唇や舌は声を出す為の動きをするのだが、空気がそれを伝えないのだ。はっ、としたヒーグライはアプジーに向き直ると盛んに何かを訴えるような仕草をしたがそれも全く声にはならず、アプジーは取り合わなかった。


「音盗みの魔法ですね。大したものだ」

 レンだけに聞こえるようにカヤタが言う。

「精霊魔法、か。まさか自分がその世話になる日が来るとはね」

 

「わしに勝手に魔法を掛けるなと何度も言っておろう!」

「団長が余計なお喋りをするからです。年齢に触れない触れさせないと言うのは、私が騎士団に属するに当たりお認め頂いた五つの約定の一つ。それを破棄されると言うのなら本日只今をもって私は──」

「ああ分かった! わしが悪かった。御一行を護るにはお前の力が必要だ。姫や英雄の方々の前で、これ以上わしを困らせるな」

「ご理解頂けて幸いです」


 アプジーはツンと澄ました顔を作ったが、ヒーグライが余所見をした隙にファムナたちに向かってウィンクをした。ファムナはそれに笑顔で応じた。

 レンは居並ぶ直立の騎士団の団員たちもアプジーとヒーグライの遣り取りに頬を緩めていることに気付き、直感的にいい騎士団だなと感じた。恐らくいざと言う時には、彼らは血の繋がった家族のように心と呼吸を合わせて戦うだろう。


「姫。英雄の皆様。私は一旦下がります。今夜の宿を探さねば」

 ダックスは帽子を胸に当てながらそうファムナに断りを入れた。

「何故です。クラドック様に事情を話せば、迎賓館とは行かないかも知れませんが宿の世話くらいはして頂けましょう」

「そんなご厚情に甘える訳には参りません。旅の支度は自分でするというのが同行の条件。さっきの今で反故にはできません。では暫しおいとまを。皆々様、ご機嫌よう」

 ダックスは舞台役者がするような芝居がかった礼をすると、英雄と姫巫女を一目見ようとひしめく人波の狭間に消えた。

 レンは意外に律儀な奴だな、と思った。


「さあ、馬車とそれぞれの馬にお戻りください。続きは迎賓館で。ささやかではありますが子爵が酒宴を用意しております。それに民草をこれ以上待たせては暴動になりかねません」

 ヒーグライはその言葉が諧謔であることを口元の笑みで示すと自らも武装した白馬に跨り、ファムナたちの馬車の前に馬を進めた。


「騎乗!」


 ヒーグライの号令一下、淀みない動きで剣を収めた騎士たちは甲冑を着ているとは思えない素早い身のこなしで騎乗し、完璧に左右対称の二列縦隊陣形に馬を操った。

 素人のレンの目にも良く訓練された騎士団だと思えた。

 その時ふわり、と不自然な風がレンたちの周りを周回し始めた。

 見るとアプジーが自分の馬をヒーグライの少し後ろに進めつつあった。


(これが風の乙女の加護……ってわけ?)


 レンはひゅるひゅると自分たちの周りを回る風に目を凝らし手を伸ばして見たが、勿論レンの目には何も見えず、その指の間を優しい風が吹き抜けただけだった。


「では付いて参られよ。常歩なみあし! 前進!」


 ゆっくりとしたペースでレンたち一行はヘンドラバーグへ、その住民の歓迎の列の中へ進んで行った。


「春光の巫女様万歳!」

「アリエレッド様ー!」

「赤き稲妻に栄光を!」

「ウルティマン卿に光あれ!」

「銀の巨神よ、我らに勝利を!」

「ファムナ姫様! お顔をこちらへ!」

「竜巻の騎士様に神のご加護を!」


 レンは馬車の御者席で歓声に混じって自分たちに投げ掛けられる賞賛や応援の声を聴き適当に手を振ったりしてそれに応えながら、これまでどこか夢か物語を見ているような感覚だったが、ようやく英雄として異世界に召喚されたのだと実感し始めていた。

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